事務処理
居室へ戻ると、二番が「なんだった?」と声をかけてきた。
素直に応じていいものかどうか。
「世間話だよ」
俺は席に腰をおろしつつ、そう答えた。
彼女は納得していない。
「どいつもこいつも、相談相手はあたしじゃなくて、あんたを選ぶんだね。いいよ。どうせあたし、頭もよくないし。言っても分からないって思われてるんだ」
すねてしまった。
こういうところは子供だな。
俺は言おうか言うまいか迷ったが、いっそ言うことにした。
「言っておくけど、上のヤツが俺を呼んだのは、幼馴染だからだ。しかもいまんとこクソみたいな会話しかしてない。そして二課の……ヴァーゴさんだっけ。あの人、あんたのこと心配してたんだぜ。ちゃんとバックアップするよう頼まれた」
「嘘だよ。あいつ、あたしのこと下に見てる」
「あんたを事務方に転属させようとして、わざと悪く言ってたんだ。いい子じゃねーかよ。仲良くしろよ」
イラついたせいで、つい口調が荒くなってしまった。
人に心配されているのに、本人は分かってない。
「だからって、あんな言い方しなくても……」
「あともうイッコ言っとく。あんたは確かに頭はよくない」
「はぁ?」
ムキになって身を乗り出してきた。
だがずっと顔が青白かったのに、少し赤みを取り戻したように見える。いまは怒らせた方が健康にいいのかもしれない。
「まあ続きを聞いてくれ。頭のよしあしには、確かに才能も関係してる。大いにな。ただ、もう一点、本気で重要な部分がある。分かるか?」
「なんだよ偉そうに。さっさと言ってよ」
だからちゃんと考えてくれってことなんだが。
まあいい。
俺は反論もせず、説明を続けた。
「それは『頭を使おうとしてるかどうか』だ。どうせ自分はバカだと思い込んで使わずにいると、マジで使えないまま終わる。生きていると、いろんな情報に接するだろ? それをスルーするのか、スルーせず処理するのか。そこで成長するかどうかが決まる」
「処理ってなによ? 見ても分かんないものを、どうすればいいの?」
「分からなくても関係ない。分かろうとしてのたうつかどうかが大事だ。俺も過去に、いろんな情報を見てのたうってきた。いちいち意味不明だし腹も立った。ただ、そうこうしているうちに、だんだん理解できるようになってくるもんだ。ムカついてもあきらめないのが肝要だ」
少なくとも、第一印象だけで騙されるケースは減る。
それが本当に正しいかどうか、一度は検証するようになる。
「簡単に言うけど、あたしにもできるの?」
「分からない。使おうとしてるのにダメなのもいる。そりゃもうしょうがない」
「遠回しにケンカ売ってるよね?」
「違う。あんたに限らず、この世には、単に頭を使ってないだけなのに、勝手にふてくされてるのがいっぱいいるんだ。自分はバカだって決めつけてな。だがムカついたときこそチャンスだ。たいていのヤツは、そこでするっとスルーしちまう。ムカつきながらも取り組んだヤツだけが解決策を手に入れる。俺はボスに立派な人間になって欲しいんだ。意見は一致していると思うが?」
「教えたがりおじさんみたい」
「その通り。マンスプレイニングってヤツだな。相手が若い女だと、急に上から説教する。よくないおじさんの要件だ」
「……」
俺の自嘲に、彼女は乗ってこなかった。
さっそくなにか考えている顔だ。
この女、おそらく自分に自信がないだけで、実際は見所がある。
べつにキリング・マシーンとしての才能を言っているわけではない。
もしただのグズなら、前課長は強引にでも事務方にトばしていたはず。ところが様子見でもするようにずっと手元に置いていた。彼女の才能に気づいていたのかもしれない。
「あたし、頭よくなれる?」
「可能性はある。少なくとも、やらないよりはやったほうがいい」
「たとえばどうすればいいの?」
「過去のレポートを読んで、共通する部分、共通しない部分を見極めるんだ。そして共通するのはなぜなのか、共通しないのはなぜなのかを考える」
「だっる……」
そりゃダルいだろう。
だが幸い、この部署は基本的に暇だ。自由時間は山ほどある。その間、頭を使うか、使わないかは、今後の活動に大きな影響をもたらすことになる。
「言っとくけど、やるべきことはホントに地味だぜ。けど、やらなきゃ変わらない」
パソコンで例えれば、才能はハードウェアだ。与えられた以上の処理はできない。壊すことはできるが。
一方、思考はOS。個人のOSは、必ずしも最適化されていない。だいたいは遠回りな処理をしている。そして人類の多くは、外部から刺激があった場合だけ偶発的に気づきを得て最適化するものの、能動的に最適化しようとはしない。キリがないし、疲れるからだ。
実際のパソコンにしても、そのつど計算しているのではなく、あらかじめルックアップテーブルという表で計算結果を持っていたりする。頻出する問題の答えをあらかじめ出しておくのだ。掛け算九九みたいなものだ。入力があれば、計算せずに結果を出す。その表がバグっていた歴史もあるが……。まあ、間違っていたら直せばいい。
ともあれ、仮に才能が怪しくたって、思考を改善することはできるのだ。ハナからあきらめてかかるのはもったいない。
才能ある誰かと比べれば落ち込むこともあるかもしれないが、過去の自分と比べれば成長を実感できる……はずだ。
ただ、人間のやる「学習」は、いいことばかりではない。
悪化を招くこともある。
きちんと動いていたプログラムを、あとから壊してしまうかのように。
*
数日後、俺たち三課は地下へ集められた。
フィールドを「メンテナンス」している部署の人々に呼び出されたのだ。
「えー、わたくし、ここの室長をしております下田です。はい」
いかにもサラリーマンという風貌の男が、作業服を着て立っていた。歳は四十代から五十代。いちおう敬語を使っているが、課長が若い女であることに不安を感じている様子だった。
後ろに部下を数名引き連れているが、彼らはやる気のなさそうな顔。
二番がぽかーんとしていたので、代わりに俺が尋ねた。
「それで、ご用件は?」
「まだ管理責任者が決まってないようですんで、決めていただきたいなと思いまして」
苦々しい表情だ。
「決まってない? 辞令は出てたような」
「それが、どうにも拒否されたようで」
「はい?」
二番は口を半開きにしたまま、こう釈明した。
「え、だって意味分かんないし。意味分かんないまま仕事できないじゃん」
「……」
まあそうだ。
この「フィールド」というのがなんなのか、俺も分かっていない。
下田氏はそうだとバレないよう、露骨な溜め息を鼻息に変えてふいた。
「ですので、本日こうしてご説明しようと思いまして、ご足労願った次第でして」
また二番はぽかーんとしている。
返事をする気さえなさそうだ。
もめないように、俺が交渉の窓口になるしかない。
「その前に確認なんですが、こちらは……。どういった位置づけの部署なんです?」
「フィールド管理室は、三課付属の部署になってます。もともと三課が一課だったころの名残でして。慣例では、三課の課長が管理責任者を兼任してたんです。あくまで慣例なんで、別に課長でなくとも構いませんけどね」
二番はやりたくなさそうだ。
下田氏も、二番にはやって欲しくなさそうだ。
「その場合、下田室長にお任せすることもできるんですか?」
「いえ、うちでは受けられません。ですんで、課のどなたかにお任せすることになりますねぇ。はい」
とっとと決めろと言わんばかりの態度だ。
まあ気持ちは分かるが、そんなに怒らなくても。
ま、遠慮しなくていいのなら、こちらも甘えさせてもらおう。
「状況は理解しました。ただ、引き受ける前に、どういう機能を持った部署なのか詳しく説明してもらえると嬉しいですね。こちらも急なことで、うまく引継ぎできてないんで」
前課長はここの職員に殺されたのだ。
こいつらだってそれくらいのニュースは知っているだろう。
すると下田氏は「林、説明さしあげて」と部下に代わった。
林氏は、メガネをかけたひょろ長い男だった。見た目は三十代中盤。あまり横柄そうではない。
「はい。このフィールドは、できるだけ自然に近い環境をつくり、そこで人々がどう生き、どう人生を終えるのかを観測する部署になっています」
「それで、有機周波数の観測を?」
「それは観測室がやってますね。どんなデータをとっているかはこちらには開示されないので、内容については観測室にお尋ねいただければと思います」
観測室、か。
そいつらがデータを欲しがっている張本人だろう。
「管理責任者はなにをすれば?」
「いえ、なにも。書面の決裁だけしていただければ」
林氏がそう答えると、下田氏が「ですんで、なるべく死なない人だとありがたいですね」と補足した。
いちいち皮肉っぽい。
ともあれ、少しは理解できた。
昔からの慣例があるので、とにかくお神輿になってくれということだ。
戦闘狂の一課や、上を目指してムチャしがちな二課ではなく、ほどほどの三課のほうが、管理責任者に向いているのもうなずける。
「分かりました。じゃあ俺がやりますよ。作業内容は、書面の決裁だけですか?」
「はい。基本的には。オンラインでできるようになってるんで、ご負担にはならないと思います」
有機周波数を観測しているということ自体は、特に秘密ではない。
そもそも有機周波数とやらは、この研究所の名前にもなっているくらいだ。それ自体はオープンな情報なのだろう。
秘密なのは、人が殺された瞬間、殺された本人ではなく、天が周波数を発するらしいということだ。その天というのがなんなのかは分からないが。
もし神なんてものがいるのなら、被害者が出てから周波数を発するのではなく、事前に助けてやったらいいと思うのだが……。
ともあれ俺が管理責任者だ。
二課に転属しない理由がひとつ増えた。
*
現場への仕事がないまま、また数日が経過した。
二番は「あーもー飽きたー」とわめきながらも、地道にレポートを読んでいる。メモをとって自分なりの分析もしている。
おそらく、これは事務方の仕事なんだろう。
だが俺たちが自分たちのためにやったっていい。
三月、ホントに春なのか疑わしいほど寒い日が続いていた。
「三番くん、お昼どうする?」
「また蕎麦屋でいいかな」
「は? なんでそう同じ店ばっかりなの? もっといろんなの食べたくならない? 動物のエサじゃないんだからさ」
「おっと、それはパワハラじゃないかな」
「はぁ?」
二番は日に日に元気になっていった。
同時にウザさも増したが。
ふと、部屋のドアが開いた。
「失礼する。二課の課長をしている。ここでの名はオフューカス。三番ってのはどっちだ?」
入ってきたのは一名。
ヘビみたいな三白眼の男だ。
年齢不詳。四十代から五十代といったところか。
「三番は俺ですが……」
「メシ行かねぇか?」
「はい?」
「少し話がある。なんだ? 用事でもあったか?」
二課の連中というのは、どうしてこうも社会人としてのマナーのなっていない人間ばかりなのか。
先に電話で予定を確認する気はないのか。
「いえ暇ですが」
「なら来てくれ。ああ、べつに悪い話じゃない。いい話でもないが。分かってるとは思うが、現場以外で戦闘したら懲罰モンだからな。そういうことはしない。だからそちらもしないでくれ。いいな?」
「はぁ」
「行くぞ」
なぜ二課の課長が、同じく課長である二番ではなく、この俺を?
フィールドの管理責任者だからか?
二番はもうあきれた様子で、イヌでも追っ払うように手をヒラヒラさせた。
ちゃんと報告するからヘソを曲げないで欲しい。
(続く)




