お互いさま
スマホに連絡があり、事後処理などするからその場で待機せよとの命令を受けた。
二番は、課長の死体に寄り添い、ずっと手を握っていた。
近隣に人家がないためか、警察の出動はなかった。
運がよかった。
いや、こういう地形だからこそ二課が乗り込んできたのかもしれない。警察が絡むと厄介になる。
何台もの車が入ってきた。
普通車だけでなく、バン、牽引車などなど……。
タイヤのパンクした車を移動させないといけないし、死体も運び出さねばならない。
顔まで覆った防護服の連中がやってきた。
「二番、死体から離れなさい」
「やだ」
「命令に背くと罰則があるぞ」
「やだ」
課長の死体は、まるで抜け殻のようにぺしゃんこに見えた。
血液が流出したせいもあるが、呼吸が止まって肺がふくらんでいないせいもあるだろう。とにかく一回り小さく見えた。
「二番さん、あとは彼らに任せよう」
俺がそう諭すと、彼女はゆっくりと呼吸をし、こちらを見た。
「もう会えないんだよ?」
「分かるけど……」
すると防護服の連中は「先にあっち片付けるぞ」と移動してくれた。
かすかに良心らしきものはあるようだ。
車からは、御神体がおりてきた。
「不幸だったわね」
いつものタイトスーツに、ゴージャスなコートをはおっている。
ずいぶんと着飾ったいでたちだ。
喪服に着替えろとは言わないが、もう少し配慮してくれてもよかった。
溜め息をつくと、まっしろな霧となった。
雪が降っていないのが不思議なほどの寒さだ。
「これがあんたらの望んだ結果だろ?」
「いいえ」
空疎な会話。
だが、二番が全弾撃ち尽くしたのはよかった。
誰かが口を滑らせても、事故が起こる可能性は低い。
御神体は告げた。
「辞令を出します。二番、いまこのときをもって、あなたを三課の課長に命じます」
「分かりました」
二番は振り向きもせず、そう応じた。
完全に心を殺している。
このあとの反動が怖い。
御神体は去った。
ややあって、防護服どもが戻ってきた。
*
免許のある人間に運転してもらい、車で事務所まで戻った。
今日は定時前に帰っていいと言われたのだが、俺たちはいつまでも居室にいた。
二番は、課長の席には座ろうとしなかった。
「あ、えーと、課長って……そうか、いないんだった」
彼女はキョロキョロして、そんなことを言った。
ちゃんと現実を受け入れている。
その代償として、うつろな顔をしている。
「三番くん、今日も飲み行くよね?」
「休んだほうがいいと思うけど」
「行かないの? あたしは行くけど? 一杯くらい付き合ったら?」
「なら行くよ」
放っておいたら、なにをするか分からない雰囲気だった。
*
少し早くあがって、居酒屋に入った。
もうすでに常連客がいた。
それでも静かなものだ。
乾杯をすると、彼女はすぐに「ちょっとトイレ」と席を外した。
「吐いちゃった」
戻ってきてそんなことを言った。
「いっぱい、いろんなこと考えちゃった……。でもいまは考えたくないな」
「やっぱり今日はもう帰らないか?」
「一人になったら、あたし、なにするか分からない」
「うちに来るといい」
いや、そうじゃなくても誘うつもりでいた。
もちろん下心などない。
仮にあったとして俺のは機能しないしな。
二番はしばらくこっちを見たかと思うと、少し笑った。
「なに? あたしのこと狙ってんの?」
「違うよ」
俺も笑った。
冗談を言ってくれたのが嬉しかった。
ムリをしていなければいいが。
*
自宅で、なんとかくつろいでもらった。
キレイな部屋とは言わないが、あまりモノは置いていないから、スペースだけはある。
「なんか、人間の部屋じゃないみたい」
「人間の部屋だよ」
「ねえ、採用試験の話、聞かせてよ。殺したくない人、殺したときの話。まだ聞いてなかったから」
天使ちゃんのことか。
たしかに言っていなかったな。
小さなテーブルを挟んで座った。
「その子は、天使ちゃんって名乗ってた……」
*
話が終わるころには、二番は膝を抱えたまま横に倒れていた。
「なんか不思議……。でもそいつが悪役だったんでしょ? 殺さなかったら、あんただって終わってたじゃん?」
「まあ、そう……」
正確には「悪役」ではなく「重大な罪をおかした人間」という表現だったが。
彼女は「ふーん」とつぶやいてから、思い出したようにこう続けた。
「あー、でもなんか、いたかも。その天使ちゃんみたいな子」
「いた?」
「すっごい無口な不思議な子で……。誰とも会話してなかったけど。終わったあとのスコア見たら、わりと撃ってたっぽかった。途中で死んじゃったけどね」
そいつも御神体の娘かもしれない。
遺伝子をこねくり回して「培養」しているらしいから、どこかで量産されているのかもしれない。
「はー、疲れた。なんで人間って生き返らないんだろうね? 簡単にぽんって生き返ればいいのに。なんかムカつくよね」
「俺もそう思うよ」
「もしできるとしたら、その天使ちゃんのこと、生き返らせたい?」
「分からない」
分からない。
彼女が生きていて幸福だったかどうか、自信がない。
自分を出来損ないだと思い込んでいた。
もし生き返らせるにしても、まずはその環境を破壊してからでないと。
「三番くんってさ、誰にでも優しいの?」
急にそんなことを聞かれた。
「べつに優しくない」
「少なくともあたしには優しいよ」
「仲間だから」
心にもないことを言ってしまった。
だが広い意味で仲間なのはウソじゃない。
少なくとも現場では運命共同体だ。
俺は基本的に、他人のことをどうでもいいと思っている。
だから親切にするときも、べつにどうでもいいと思っている。
逆ギレされても気にしない。
感謝されても嬉しくない。
それは言い過ぎかもしれないが、あまり感情を動かされないのは事実だ。
もし川を眺めていて、ある石をどかしたら流れがよくなると感じたら?
俺は石をどかすだろう。
それが犯罪行為なら躊躇もするが、犯罪でない場合は気軽になる。
俺のやる親切っぽいものの正体は、それだ。
いま二番に問題を起こされると、俺は苦痛を感じる。
天使ちゃんの件を悔いているのも、彼女に死ぬ必要がなかったと考えるからだ。
もちろん俺にも人の心はある。人並の感想は抱いた上で、どうしようもなさとすり合わせて、最終的な判断をしているのだ。
つまり俺は、ある意味では大人になれたのだ。
自分の感情と、自然界のエネルギーの流れを、折衷させることに成功した。本心はどうあれ。
「眠くなってきちゃった」
二番は手足を投げ出してそうつぶやいた。
眠れるのはいいことだ。
眠れないよりはいい。
眠っている間、心が整理される。悪夢を見ることもあるが、とにかく整理される。ウソでもそう信じることができる。
「毛布使って」
「ありがと」
*
翌朝、二番はちゃんとリビングにいた。ぐったり横になっているが、目はさめているようだ。
「おはよう」
「おはよう」
朝食は、昨日のうちにコンビニで買っておいた。
サンドイッチやおにぎりだ。
俺は湯を沸かし始めた。
基本的に料理はしないから、コンロを使うのはこのときだけ。
「あたし、泣かなかったね」
「いまはまだ……」
「この先も泣かないかも」
「そう……」
どう返事をすべきか分からなかった。
会話が途切れたので、俺たちはしばらく古い換気扇の回る音を聞いた。
聞きなれた生活音は、どこか安心する。
ここが日常の空間だと認識できるからか。
「そういえば、会社からメール来てた」
「なんて?」
「フィールドの管理責任者に命じる、だってさ。なにすんだろ?」
「さあ」
フィールド、か。
いったいなぜあんなものが存在しているのだろう。
懲罰のためか?
それにしては大掛かりだ。コスパもよくない。
いや、人を殺してデータを集めるという、極めて頭のおかしなカルトのやることだ。俺ごときの理解など到底及ぶまい。きっとコスパも無関係。考えるだけムダだ。
二番はサンドイッチを手に、じっとこちらを見てきた。
「おにぎりと交換したい」
「俺の? いいけど」
「いっこずつね」
食欲があるのはなによりだ。
いかんな。
俺まで親心を抱き始めている。
まだ子供もいないのに。
「二番さん。もしなにか困ったことがあったら、なんでも言って欲しい。できる限り手を貸すから」
俺がそう切り出すと、彼女はかすかに、しかし困惑気味に笑った。
「なんかムカつくかも」
「えっ?」
「課長が死んで哀しんでるの、あたしだけじゃないでしょ? なのに、なんでそんなに平気でいられるの?」
「平気じゃない。俺だって動揺してる。ただ、感情を表に出しても解決しないから……」
「ごめん。いまのはさすがに失礼だったね。ごめんね」
「いいよ」
だが彼女は、俺に不信感を抱いただろう。
なんとなくそんな感じがした。
会話もなく朝食をとったのち、俺たちは出勤の準備をした。
とても天気がいい。
いくらこちらの気分が冴えなくとも、世界にとっては無関係なことだ。どうでもいい。そう。どうでもいい。俺も、世界も、お互いにどうでもいいと思っている。
(続く)




