課長
正月は東北へ帰った。
俺は以前の仕事を辞めて、別の会社に転職したことにした。まあ、そう説明するよりほかなかったわけだが。口を滑らせれば家族にも害が及びかねない。
御神体の実家はもう取り壊されていた。おそらく彼女は帰省していないだろう。
あの母親は引っ越したのか、死んだのか、それさえ分からない。
*
正月明けは、二番の件を課長に相談したりもしたのだが、「そのことはあとで」と取り合えってもらえなかった。
二番は相変わらず銃も握れないまま。
それでも一月は仕事がなかったからよかった。
寒さも冴えわたる二月、なんらの進展もないまま仕事が入った。
「もー、寒いのになんで……」
二番は自動車の後部座席で横になり、ずっと不満を口にしていた。
「もっと暖房強くしようか?」
「そういうんじゃないです」
課長の親切心も、二番のガキのような態度で両断された。
いや、課長は意外とこのやり取りを楽しんでいるのかもしれない。
俺はガキのころ、あまりにただれた男女関係を突きつけられた。そのせいもあり、赤の他人同士がこんな関係を築いているのは新鮮な気分だった。
*
車がついたのは山梨の廃病院だった。
山深い場所だから、周囲に住宅などはない。
かつてはサナトリウムだったのだろうか。いまや外壁はボロボロで、枯れたツタも這い回っており、幽霊でも出てきそうなホラースポットにしか見えなかった。朝だからまだマシだが、夜は絶対に来たくない。
組織から金を借りた連中が、ここに隠れて暮らしているらしい。
とんでもなく寒い場所だ。とても人の住める場所ではない。彼らも、そこまでしなければ、組織から逃げられないと思ったのだろう。
だが残念ながら、来てしまった。
「はい、これ銃ね」
課長が差し出した銃を、俺はいつものように受け取った。
二番も文句を言わず、ぷるぷる震えながら両手で受け取った。いちおう頑張ろうとはしている。
呼気が白い。
底冷えする。
土を踏むと靴にザクザクとした霜の感覚があった。
課長は青白い顔で、ひときわ大きな溜め息をついた。
「先客がいるね」
「えっ?」
えっ?
えっ?
いや、俺も、そんなマヌケな反応をしている場合ではないのだが……。
ターゲット以外に誰かいるということだ。
その誰かが同業者だとしたら、深刻な問題となる。
通常、出動したら、最低でも一人は死者を出さなくてはならない。
やむをえず見逃してもいいが、その場合、なんらかの罰を受けることになる。射殺されるか、フィールドに送られるか、あるいはその他か……。
俺はおそるおそる尋ねた。
「先客って?」
「あの車。一課か二課だね」
俺は車に詳しくないから、ただのセダンにしか見えなかったが。
ただまあ、その白い車は、俺たちが乗ってるのと同じタイプだった。一軍も二軍も、三軍と同じ車を貸与されているらしい。
ともあれ、問題だ。
もし先客がターゲットを全滅させていた場合、俺たちは、ターゲット以外の誰かを殺さないといけなくなる。
それは誰でもいい。
仲間でもいい。
課長は表情を消し、二番に尋ねた。
「二番ちゃん、安全装置外した?」
「あ、安全装置? どれですか?」
「これ」
「はい」
「これで敵に狙いをつけて、トリガーを引いたら撃てるから」
「えっ? えっ? 課長、一緒に来てくれないんですか?」
寒さもあるのかもしれないが、地団駄を踏んでいる。
課長はにこりともしない。
「いや、僕が一人で行く」
「えっ?」
「ただ、連中……もしかするとこちらを狙ってるかもしれないから、覚悟だけはしておいてね。僕らと違って、彼ら昇進したがってるから。見境なしに襲ってくるかも」
「あの、一人って……」
二番の疑問は、俺も気になっていたところだ。
課長はこちらを見た。
「三番くん、二番ちゃんのことお願いね」
「いや、俺も行きますよ」
「命令。ここで待機。銃声がしたらすぐに車で逃げて」
「課長を置き去りにはできませんよ!」
俺もついムキになってしまった。
この人は、どこまでお人好しなんだ?
するとこちらの肩をぽんぽんと叩いてきた。
「別に死なないよ。僕はね、もうこの仕事長いんです。話をまとめたら戻ってくるから。それに、もし車が必要なら、彼らのを借りればいいわけだし」
車は四人乗り。常識的に考えれば、敵は最大で四人。詰めれば五人。
そこへ課長が一人で乗り込むという。
「頭数は多ければ多いほうがいいと思います」
「戦闘の場合はね? けど交渉の場合はそうじゃないでしょ?」
「本当に安全なんですか?」
「それは相手次第だけど……。まあ見てて。意外と大丈夫だから。いい? 僕の命令守ってね? 守らなかったら作戦が台無しになるから」
「はぁ」
課長は本当に行ってしまった。
一人で。
古びたトレンチコートの背中が、なんだか頼りなさそうだった。
いや、スキルはある。度胸もある。前回などは、重機の窓を撃ち抜いて俺を助けてくれた。ただのおじさんではない。
だが、相手も一般人ではない。
トーシロに毛の生えた集団かもしれないが、少なくとも銃を所持している。
二番が、課長の背と、こちらを交互に見ながら訴えかけてきた。
「ねえ、なんで……? なんで一人で行かせたの?」
「命令だから」
「でも、一人じゃ危ないよ……」
「交渉に行っただけだから」
「課長、死んじゃう……」
もちろんその懸念もある。
ただ、のらりくらりと生き延びそうな人物でもある。
ちょっと分からない。
銃声は鳴らない。
俺たちはただ、寒い空気にさらされているだけ。
*
十数分……いや二十分以上は待っただろうか。
奥から人影が現れた。
すぐに課長だと分かった。
こちらへ軽く手を振り、寒そうに手を息であたためながら戻ってきた。
「いやー、遅くなったね。車の中で待ってればよかったのに」
「課長! 怪我してないですか!?」
二番があわただしく駆け寄った。
まるで子犬みたいだ。
いや俺もほっとした。
万が一、という気持ちはあった。
課長が簡単に死ぬとは思えなかったが、それでも未来がどうなるかは誰にも分からない。
俺は経過を尋ねた。
「どうだったんですか?」
「うん……」
うん?
顔色がよくないのはいつものことだが……。
すると課長はふところに手を入れ、銃を取り出した。
まさか、俺たちを裏切った……?
パァンと音がした。
一拍遅れて、課長も振り向きざまに撃ち返した。
ツケられていたのだ。
しかも彼らは、なぜかパニックを起こしていた。
「おいまだ撃つなっツったろ!」
「ジェミニが撃たれました!」
「いったん引け! いや引くな! 身を隠せ!」
課長も膝をついた。
撃たれていた。
彼は苦しそうな顔で、俺たちを自動車のかげへ押し込んだ。
「逃げて……。早く……」
「課長!」
出血量がすごい。
地面がみるみる血液で染められてゆく。
急所を撃たれたのだろう。
二番が「か……」と口を半開きにしたまま棒立ちになっていたので、俺はしゃがませた。
「危ないから伏せて」
「課長が……」
「大丈夫。大丈夫だ。早く車に乗って。課長も乗せて逃げるから」
無免許だが関係ない。
緊急避難だ。
逃げるしかない。
免許は持っていないが、自動車学校だけは卒業した。ずいぶん昔だが。ともあれ、オートマ車なら勘でいける。たぶん。
なのに、二番は動かなかった。
「ね、いま嘘の話はやめようよ」
「はい?」
「課長、もう死んでるよね?」
「いやまだ……」
「嘘はやめて。ね?」
彼女は顔面蒼白で、無表情になっていた。まっしろな人形みたいだ。
叫ばないだけマシだが……。
なんだ?
逃げないのか?
どうしたい?
二番は、自分の手に握られた銃をしげしげと眺めた。かと思うと、車に身を隠したまま、手だけを出して発砲を始めた。
何発も、何発も。
悔しいのは分かるが、そんなに乱射したところで……。
だが――。
「班長! トーラスが被弾!」
「ちゃんと隠れてろバカ!」
当たった?
敵も射撃を始めた。
パァン、パァン、と、脳に響くような音。
どこか遠くの世界の出来事のようだ。
爆竹を鳴らすお祭りを思い出す。
二番は銃を撃ち尽くすと、課長の銃を借りて発砲を続けた。
かと思うと、車から出て敵へ向かって歩き始めた。
「あ、おい! ちょっと!」
俺はつい頭を出して確認してしまった。
四人いたらしい敵のうち、三人までもが地べたをのたうっていた。
そして二番が歩き出したので、最後の一人が背を向けて逃げ出した。
敵が大きく迂回して車に乗り込むと、二番はそのタイヤを撃ち抜いた。バァンとひときわ大きな破裂音ののち、車体が斜めに傾いた。
男は車の中に籠城したまま、手だけを出して応戦した。
二番はその手を撃ち抜いた。
我が目を疑ったが、どうやら事実だ。
これで敵の戦闘能力はなくなった、と判断していいだろう。
二番はそれでも止まらなかった。
ドアを開き、まずは男の足を撃ち抜いた。それから髪をつかんでうつ伏せに引きずり出し、今度は肩口を撃ち抜いた。
俺は駆け寄ったものの、制止することもできず、ただ見守ることしかできなかった。
「ねえ、なんで撃ったの?」
「頼む! 助けてくれ!」
「質問に答えて?」
「違うんだ! 俺は撃つなってだがぁッ!」
釈明する男の足を、二番は踏みつけた。
ちょうど撃たれた場所だ。
「課長、交渉するって言ってた。それで戻ってきた。なにがあったか説明して」
「するする! するから! 足をどけてくれ!」
「……」
男は吐きそうなほど呼吸をしている。
涙でぐちゃぐちゃだ。
「ねえ、説明して。あんまり遅いともっと痛くするけど?」
「交渉はした! したけど、部下がスコア欲しいからって……」
「スコア?」
「あと少しで一課に行けるってヤツがいて!」
「その人はどこ?」
「あっちで死んでる!」
男もキレ気味だ。
だが、二番はもっとキレていた。
「どの死体? 金髪? おじさん? 若いの? どれ?」
「赤いネクタイの!」
「ふぅん。で、あなたは止めなかったの?」
「止めようとしたよ! 同業者だろ? でも、ルールが……」
「ルールって?」
「出動したら、誰か殺さねぇとなんねぇだろ!? いや、違う。分かってる。俺たちはもう仕事を終えたんだ。けど、そっちは違うよな? なっ? だから俺たちは襲われるかもって、怖くなって……」
「さっきの説明と違う」
「あがァッ」
銃弾が靴を撃ち抜いた。
こんな至近距離から足の骨を砕かれては、二度とまともに歩けないだろう。
二番は、もう片方の足も撃とうとしたらしい。
が、弾切れだ。
彼女は、無言のままこちらへ手を差し出してきた。銃を寄こせということか。
俺は男へ銃を向けた。
「会話を続けてくれ。バックアップは俺がやる」
「ならどこか内臓を撃ち抜いてよ。すぐには死なないやつ。なるべく苦しめて殺したいから」
「この状態で内臓なんて撃ったらすぐ死ぬぞ」
「ならいい」
すると彼女は向きを変え、石を拾い、赤いネクタイの死体へ向かって歩き出した。
凄惨なことになりそうだ。
男は呼吸を震わせ、あえぎあえぎこう切り出した。
「あの女、なんなんだ?」
「分からない」
「ンだよクソ……」
ゴッと鈍い音がした。
二番が、死体の頭へ石を打ち付けたのだ。
一度だけではない。二度、三度……。
男はうわあと泣き出してしまった。
「頼む! 楽に死なせてくれ! 同業者だろ?」
「質問に答えてくれたらそうしようかな。なんで俺たちの現場に乗り込んで来た? そっちにも同じ出動命令が出たのか?」
「違う! 命令じゃない! うちのチームに分析の得意なヤツがいて……次はおそらくここだろうって。別にあんたらを狙ったわけじゃないんだ! 来るなら一課かと……」
「なるほど」
一課じゃないなら、こいつらは二課だ。
しかも他部署を狙うハイエナ野郎まで飼っている。
「ほかに仲間は?」
「本部にいる。うちは大所帯だから、班が三つに分かれてる。俺たちはその三班だ。上に二つある。な、もういいだろ? ひと思いに頭を撃ち抜いてくれよ? なっ?」
「勝手にそんなことしたら、俺が彼女に殺される」
俺は銃を構えたまま、発砲もせず成り行きを見守った。
仕事を終えた二番が戻ってきた。
「三番くんが銃貸してくれないから、スーツ汚れちゃった」
「なら貸すよ」
「いい。石でやる」
いまの彼女は、まるで機械みたいだった。
男は地べたに張り付いたまま震えた。
「やめろ! やめてくれ! なんでもするから!」
「……」
ゴッと鈍い音がした。
二度、三度、四度、五度……。
人の体温は意外と高いのだろう。
湯気が立っていた。
(続く)




