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オルガン  作者: 不覚たん
本編
10/41

人生のピーク

 しばらくは平和な日々が続いた。

 平和というか、仕事がないだけだが。


 俺はレポートを読み続けた。

 べつに細部まで読み込んでいるわけではない。すでに読んだような内容なら飛ばす。珍しいものだけちゃんと読む。


 参加したのは誰か。標的となった人々は誰か。なぜ標的とされたのか。被害者は誰か。

 そういう情報が簡潔に記載されている。


 このうち「なぜ」は、だいたい借金だ。研究所は事前にすべて説明した上で金を貸す。借りる側は契約に応じる。しかし返済できなくなる。すると職員が乗り込んでゆく。


 珍しいのは、一軍と二軍が同じ標的に乗り込んでゆき、互いに戦闘になったケース。

 あとは同じ課の中でも、上司が部下を撃ったり、部下が上司を撃ったり、もうやりたい放題だ。

 誰が誰を殺してもお咎めナシ。むしろスコアが与えられる。少なくとも現場でやる限りは。

 ただし同僚を殺せば、別の同僚に警戒される可能性がある。いくら報復しても無罪なのだ。やるときは慎重でなければならない。


 電話が鳴り、課長が出た。

「はい、すぐ向かわせます」

 その言葉で、誰からどんな電話が来たのかは分かった。


 受話器を置いてから、課長は告げた。

「三番くん、悪いんだけど宝物殿行ってくれる?」

「はい」


 *


 ゆったりとした大きなエレベーターで、最上階へ向かった。


 ドアが開くと、赤いじゅうたんと、巨大な木製のドアが視界に入ってきた。

 出迎えたのは秘書らしきメガネの女性。

「ああ、来ましたか。どうぞ中へ」

 冷淡なのは以前と同じだが、今日は特にぶっきらぼうだった。

 目も合わせてくれない。

 前回、特に粗相をしたおぼえはないのだが……。少なくともこの人物に対しては。


「失礼します」

 俺は自分でドアを開き、中へ入った。


 ここは三方のガラス窓から光が差し込んでくるから、ひときわ明るい。

 空中庭園にいるかのような錯覚を受ける。


 まあそれはいいとして……。

 俺は思わず深い溜め息をついた。

「あの、ご用は?」

「まあかけて」

「はぁ」

 ソファへ腰をおろす。

 彼女は今日は、隣ではなく、対面に腰をおろした。きちんと足を閉じて、清楚なお嬢さんのように。

 まあいいのだ。

 問題は、彼女が、なぜか児童みたいな格好をしているということだ。きちんと胸元までボタンを閉じたブラウスに、紺の吊りスカート。ウィッグをつけてロングヘアにしている。

 まさか、いまこの場で俺に殺して欲しいのだろうか?


 彼女はとびきりの笑顔を向けてきた。

「分かる?」

「えー、お招きいただきましてありがとうございます。本日はお日柄もよく……」

「ちゃんと見なさい」

「うるせぇよ。俺も安っぽいパーカーを着て、崖からあんたを突き飛ばせばいいのか?」

 彼女の格好は、小学生だったころのそれだった。

 ああいう清楚なカッコをして、両家のお嬢さんみたいに振る舞っていたものだった。とりわけツラだけはよかったから、みんな騙されていた。


 彼女は肩をすくめた。

「うるせぇよ? 小学生のころから変わってないわね。それとも、この雰囲気に合わせてくれたのかしら?」

「暴言を吐いたことはお詫びします。申し訳ありませんでした」

「悪いとも思ってないのに頭をさげられる『大人』になったのね」

「ちゃんとした大人は『うるせぇよ』とは言わない」

 自分で言っておいてなんだが、そうなのだ。


「あのころを思い出さない?」

「思い出したけど、そうすると殺意しか芽生えない」

「治療してあげる」

「やめてくれ、本当に。あんたじゃ治らないって、こないだハッキリしただろ」


 本当に最高の体験だった。

 欲しくて欲しくてどうしようもなかった女が、俺のために献身的に奉仕してくれたのだ。

 それでもムリだった。

 あれでどうにもならないのだから、他の誰でもムリだ。事実は事実として認めざるをえない。


 彼女は舌打ちし、どっとソファに背をあずけた。

「ムカつく男ね……」

「それは否定しない」

「いい? 私、有機周波数を発してるの」

「またその話か……」

「この施設は、私の周波数をずっと観測してる。私がどんな感情でいるのか、研究者には丸分かりってこと。つまり、あなたみたいななんの才能もない下っ端に、私が欲情してるってことが、みんなにバレてるワケ。軽蔑されるに決まってるでしょ?」


 軽蔑?

 俺が?

 それとも彼女が?

 気にはなったが、あえて尋ねなかった。


 彼女は溜め息をついてから、こう続けた。

「そんなリスクをおかしてまで、あなたにこだわってる理由、分かるわよね?」

「復讐のため?」

「広い意味ではそう。けど本心は愛ね。あなたに対する愛」

 バカみたいなコスプレしながら言われても、素直に受け入れられない。

「からかわれてる気もするが」

「違うわ」

「ならホントに? わざわざ俺と会うために、あの採用試験に放り込んだのか?」

 すると彼女は肩をすくめてみせた。

「それも違うわね。採用試験に誰がエントリーされるのか、私は知らない。あなた、きっとうちからお金を借りたんだと思う。それか誰かの保証人になったか」

「心当たりがない」

「なら誰かに名義を使われたのよ。気の毒だけど」


 あのメンバーは無作為ではなく、きちんと理由があったのか。

 だが本当に、俺には心当たりがない。

 巻き込み事故もいいところだ。


「とにかく、運命の再会を果たしてしまった以上、私たちにはやり直す義務があるわ」

「なにをやり直すって言うんだ?」

「二人の子供を作るの」

「断る」

 逆に考えてみて欲しい。

 俺がこの女に執着し続けて、再会した途端、俺の子を産んでくれなんて迫ったら……。普通なら警察沙汰だ。


 彼女もさすがに笑みを消した。

「まさかとは思うけど、私のこと嫌い?」

「そんな質問しないでくれ。もうそんなまともな判断ができるレベルじゃない」

「なら両想いよね」

 恥も外聞もなくぐいぐい来る。

 そうまでして「なんの才能もない下っ端」に執着する理由があるのか?

「ならハッキリ言うぞ。俺はあの日から……。いやもっと言えばあんたと出会ったそのときから、もうずっとあんたのことばかり考えてる。いまに至るまでずっとな。電車に揺られているとき、トイレでドアを見つめてるとき、風呂場で頭を洗ってるとき、寝ようと目をつむったとき。なにかにつけて考える。そういう意味では、もうあんたのことを考える機械みたいなものだ」

「気持ち悪いわね」

「だがそっちはどうなんだ? 俺と同じくらいの熱量を持って言ってるのか?」


 彼女は興覚めしたように、すっと目を細めた。

「私? 私は忘れてたわね。例の採用試験であなたの姿を見るまでは」

 あまりにも残酷な現実。

 いや忘れていたなら、精神衛生上そのほうがいい。


「つまり、俺に執着する理由はないってことだ」

「そんなことないわ。見たら欲しくなった」

「孫なら作ってやってもいい」

 もうどうしても断って欲しかったので、俺は最低の提案をした。

 彼女もどういうことか数秒考えた末、首をかしげながらこう返してきた。

「孫? つまり娘とヤりたいってこと?」

「そうなるな」

 まあオーケーされても物理的にムリなのだが。


 俺の目論見通り、彼女は本当に気味悪そうにこちらを見た。

「そう言えば私が引き下がるとでも思ってるのね……」

「なかなかかわいかったぜ。自分のこと天使ちゃんとか言っちゃってさ」

「本当に器の小さな男ね。しかもその器からこぼれるくらいの愚かさを有している。もっとも、そうでもなければ人の命なんて奪わないわね」

「そういうことだ。頼む相手を間違えてる」

 彼女が望めば、志願する男は山ほどいるだろう。

 俺である必要はない。


 彼女はしかし冷酷な笑みを浮かべた。ウィッグがややズレているのに。

「もしかしたら、気づいてないのかしら? 私がその気になれば、あなたの死体から遺伝子を回収することも可能だってこと」

「おいおい……」

「あるいは殺さずとも、力づくで回収できる。あなたの子種がどこにあるかは分かってるんだから」

「待ってくれ。そういうのは……じつによくない。平和に行こうぜ、平和に……」

 我ながら、つくづく説得力がない。

 自分のしたことを忘れたい。

「そうよね。痛いよりは、気持ちいいほうが好きでしょ?」

「完璧だ。仰る通り。反論の余地もない。ただ、こないだ飽きるほど検証しただろ? なにをどうしたってムリだって」

「あのときはムードがなかったから」

「ムードがあってもムリなんだ。遺伝子が欲しいってんなら提供するから」

「それじゃ面白くない」

「勘弁してくれ……」

 こちらが不能だってことをネタにして遊んでいるとしか思えない。

 いや、俺だって一人ならべつに……。


 隙を見て二番の転属の話をしたいのに、やはりそれどころじゃない。

 こいつにお願いなどしたら、いらぬ借りを作ることになる。


 彼女はウィッグの位置を調整しながら言った。

「私、あなたのことが好きだった」

「……」

 さらっと言ったな。

 この女に「好き」などという感情があるのか?

「周りのみんなと違って見えたから。だって、どいつもこいつも誰かと同じような生き方しかしてなかったのに、あなたはそうじゃなかったでしょ? けど、大人になって、本当につまらない人間になっちゃった」

「情報が正しく伝わったようでなにより」

「……」

 俺の返事が気に食わなかったのか、彼女はじつに不快そうに目を細め、じっとこちらを見つめてきた。

 こんな表情でさえ絵になるんだから、顔のいい人間は得だ。


 かすかに呼吸があった。

 長く。


「心にもないセリフに、心にもない返事……。空疎とはまさにこのことね」

「もう二十年近くも前の話だ。なにもかも当時のままってわけにはいかない。好むと好まざるとにかかわらず」

「そうね。きっとあなたが正しいんだわ。お礼を言ってあげる。ありがとう」


 芝居がかった態度は相変わらずだ。

 彼女は当時からそうだった。

 二番の言う通り「あたし美人ですけど」みたいな顔をして、そういう人物を演じていた。まるで完全無欠の良家のお嬢さんだった。


 だが、彼女が年相応に振る舞ったことがあった。

 両親の話を聞かせてくれたときだ。


「パパとママ、これから死ぬけど、沙織ちゃんは気にしないでね」


 あまり理解していなかった彼女を放置して、二人は首を吊ったのだという。

 しかも父親だけが死に、母親は生き残った。

 いろいろあってうちの近所に引っ越してきた。


 彼女の人生は、なにもかもがぶっ壊れていたのだ。

 だから彼女は、その現実を否定したくて、キラキラした誰かを演じていた。


 当時、俺もガキだったから、他人に共感している余裕はなかった。というか、あまりに理解不能で、ロクに共感しようがなかった。

 それでも、優しく接するべきだとは思った。


 クラスの連中が彼女にちょっかいをかけていると、俺は止めに入ったりもした。

 そのせいでいじめられる、ということはなかった。ひやかされたが、その程度だ。いまから考えると、みんな最低限の良識はあったのかもしれない。

 もっとも、なにかやらかすと家同士の関係にも影響するから、あまり子供の判断だけで独走できなかったというのもある。


 ある日、彼女はぼそりとつぶやいた。

「いつも守ってくれてありがとう」

 ナイトにでもなったような気分だった。

 俺はカッコつけて「べつに」とかなんとか返事した気がする。


 あれが人生のピークだった。


(続く)

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