新人研修
まるで植物園だ。
いや、正確には動物園か。
とある巨大施設の地下に、それはあった。
名は「フィールド」。
ちょっとした森である。
小鳥がさえずっている。
川には清冽な水が流れている。
動物たちも住んでいる。
太陽がシミュレートされており、朝と夜がある。
温度は適温。
裸でも暮らせる。
「出してくれ! 出してくださいよぉ! もう限界ですから! なんでもしますからぁ!」
髪もひげも伸び放題になった男が、ガリガリに痩せた体でアクリル板にすがりついていた。
もともとどんな素性で、どんな暮らしをしていたのかは不明。だが、こうなってしまうとありふれたヒト科の動物だ。個人ではなく、群れの中の個体のひとつ。そこらの動物の区別がつかないのと同じように。
彼はフィールドに暮らす野性の人間だ。
野性というか、もともとは社会で暮らしていたのだが、この「自然界」に放り込まれた。
俺と上司は安全な場所でそれを眺めていた。
「彼は失言したんだね。車椅子の高齢者に対して『こいつ、自然界じゃ生きていけねーぞ』なんて。それで、僕はこう思ったわけだ。果たして彼は、自然界で生きていける人なのだろうか……。それで試しに放り込んでみたんだけど、やっぱり難しかったみたいだね……」
青白い顔の上司だ。
いつもネクタイがゆるい。
スーツもくたびれてくたくたになっている。
冴えない中年のおじさんといった雰囲気。
俺は、事情が分からない段階では、特になにも判断しないようにしている。
どちらが悪かを決めつけない。
まぎれもなく非人道的な行為だとは思うが、なにかそうすべきまっとうな理由が存在するのかもしれない。
「彼はこのまま?」
「そう、このまま。ちっとも限界じゃないよ。食料も与えてる。自然界じゃそんなものもらえないはずだけど……。まあすぐに死なれても困るしね」
なにが困るのかは分からない。
フィールドにはほかの人間もいる。
協力し合っているように見えるが、基本的には力による支配がおこなわれていた。まあ動物だ。哀しいことに、人間社会で学んだことを、ほとんど応用できていない。
「木を切って、弓矢を作ったり、火を起こしたりして、頑張ってはいるよね。ウサギ一匹とれてないけど。まあサカナくらいはね。こないだ、食中毒でひとり死んだよ。ちゃんと埋葬しないから腐敗しちゃって……。そのうち疫病が蔓延するよ。そういうところはアマいよね」
「自分も、そこまで頭が回りませんでした」
「いや自分を責めなくていいよ。普通はそうなんだから。ただ、彼らは自然界での生活に自信があったはずなんだよね」
白々しい。
どうせこうなると分かっていて、あいつらをフィールドに閉じ込めたのだろうに。
*
場所を変え、小さな休憩所へ来た。
さっきのフィールドとは異なり、土も木もない、無機質で殺風景な空間。ポスターさえ貼られていない。あるのはジージー音を立てる自販機のみ。
上司は缶コーヒーを買ってくれた。
俺たちは丸テーブルを挟んで腰をおろす。
なにもかもが白い。
上司の顔も、死体みたいに白い。
「どう? やってけそう?」
「分からないです」
「まあ、不安だよね。でも手を汚すのがイヤなら、事務方になるって手もあるから。うちはそのへん融通きくしね。もしムリそうだったら、急に辞めたりしないで、まずは相談してね?」
「はい」
辞める、というのは、まあ辞職ということだが……。
ここはまっとうな組織じゃないから、バックレるヤツもいたのだろう。
事務方への転属、か。
法を無視しているくせに、まともな企業みたいなことを言うものだ。
いや、こういう組織は、逆に内部をまともにしておかないと、すぐにでも瓦解するのかもしれない。まともなフリをしていないと、と言い換えてもいいか。
奥からボブカットの女が近づいてきた。
ひらかれた胸元。短いスーツスカート。歩を進めるたびにきらめく生地。労働者のファッションには見えない。
上司が軽く頭をさげた。
「お疲れさまです、御神体」
御神体――。
それがここでの彼女の呼び名だ。
彼女はニッとシャープな笑みを浮かべた。
「三番の様子はどうですか?」
「問題ありませんよ」
「立派な奉仕者に育ててくださいね、課長」
「もちろんです」
短い会話だけして、女は去った。
俺は思わず盛大な溜め息。
妙に緊張してしまった。
課長は缶コーヒーをすすってから、なんとも言えない顔で笑った。
「苦手?」
「ええ、まあ……」
「幼馴染なんでしょ?」
「長いこと会ってなくて」
俺は小学生のころ、彼女を崖から突き落として殺した。
殺したつもりだった。
だが、どういうわけか彼女は生きていて、ここで「御神体」をしていた。
俺は雇われて「三番」と呼ばれることになった。
課長はしばらく自販機を見つめていたが、ぼそりと言った。
「あの感じ、きっと君に期待してるんだな」
「そうですか?」
「だって、いままで観察に来たことないよ。彼女、いつもひとりで執務室にこもってるから」
「はぁ」
皮肉には聞こえない。
いやそもそも、この課長の態度からはなにも読み取れない。
ただの、うだつの上がらなそうなおじさんにしか見えない。だが、それゆえに警戒してしまう。こんなに頭のおかしな組織で、こんなに普通でいられるなんて。
「んー、そうだな。意味のない研修なんてやめて、もう現場行っちゃおうか? こんな建物案内されても、君も退屈じゃない?」
「いえ、新鮮ですよ……」
「けどそのうち見飽きるから」
*
「え、課長、マジで新人連れてきたんすか? 要ります? その人、要ります?」
まだ十代だろうか。
金髪ツインテールのギャルみたいな女が、後部座席から苦情を投げてくる。
運転手の課長は、さすがに渋い表情だ。
「あの中歩き回っててもなにも学べないから」
「まー別にあたしはいいんですけどぉ。課長、また始末書書かされるかもしれないじゃないですかぁ?」
「まあねぇ」
「適正ないトーシロはすぐ死ぬんすから」
「そんなことないから。不吉なこと言わないで。ね? 二番ちゃん」
「うぇーい……」
上司に対してクソみたいな生返事。
課長が一番。
この女が二番。
そして俺が三番。
以上がチームのメンバーだ。あとは業務中に殉職したか、あるいは事務方へ行ったらしい。課長の顔が青白くなるのも道理というものだろう。
俺は助手席で黙っている。
安くて狭い車だ。
いま群馬を目指している。平日の県道だからあまり混雑していない。
後部座席から、軽く蹴りが来た。
「ねえ、新人。なんか勘違いしてるかもしれないけど、あの採用試験、合格したの自分だけだと思わないでね。あたしのほうが先輩だから」
「はい」
一回りも年下の先輩、というわけだ。
クソウザいことこの上ない。
「なんか元気なくない? もっとハキハキ返事できないの?」
「頑張ります」
事務方に転属するか……。
課長が溜め息をついた。
「二番ちゃん、やめて。うちはそういう、体育会系みたいなノリじゃないから。同僚なんだから、仲良くやってよ」
「いや、でも課長、あたしのほうが先輩なんすよ?」
「そしたら僕なんて、君よりずっと先輩だよ。先輩の言うこと聞けるよね?」
「うっ……まぁ、はい……ですけど……」
「あんまり言うと僕も怒らないといけなくなるから。ね? 言うこと聞いてね?」
「はい……」
*
謎の豪邸についた。
ただでさえ過疎地なのに、その一家は周囲の家々から離れて、ぽつんとクソデカ豪邸を構えていた。地方の有力者ってヤツだろうか。
課長はダッシュボードから拳銃を取り出し、こちらへ渡してきた。
「はいこれ」
「うわぁ……」
普通に渡してきたので、つい受け取ってしまった。
ザラザラした質感の、銀色の拳銃。
ズシリと重い。
「それ、本物だから。こっち向けて撃たないでね?」
「えっ? えっ? 今日使うんですか? いまから?」
俺がそう尋ねると、課長は愛嬌のある顔で笑った。
「いやいや。ただの護身用。ムリに使わなくていいやつ。でも好きなときに撃っていいよ。どうせ上がもみ消すんだから」
「いや、待ってください。これからなにするんです?」
「もちろん話し合いだよ。でも半分はカタがついてるから、見てるだけでいいよ。いや参加してもいいけどね。好きにして」
「急に言われても……」
俺が困惑していると、二番が後ろから身を乗り出してきた。
「うっざぁ。これだから新人はさぁ。いいからそれもって外出ろっつーの。ビビってんじゃねーよ」
ひっぱたきたい。
だが、課長が別の銃を渡すと、二番はビクリと身を震わせた。
「これ君の分ね」
「えっ?」
「ほら、受け取って」
「えっ、でも課長、あたし、銃は……」
「いままでは許してたけど……。でも、もうそろそろちゃんとしようよ? ね? 先輩なんでしょ? 後輩もヤるんだからさ」
「……」
どうやらこの女、課長の善意で銃を持たずに仕事をしていたらしい。
それであのイキリようだったとは。
クソの二乗だ。
*
少し肌寒いものの、清々しい秋晴れ。
遠くの山でトンビのピーヒョロロという声がする。
「簡単に説明しておくね。ここの御曹司、コミュニケーション能力にやや問題があって……。まあそれはいいんだ。けどそこにね、財産目当ての女が入り込んできて……。どうにかすべし、と」
課長は言葉を濁した。
どうにかすべし、とは?
どうにかして欲しいと依頼があったわけじゃないのか?
それをこちらの判断で?
銃をもって乗り込んで行くと?
二番は拳銃を手にぶるぶる震えていて、まったく聞いていない。
危なすぎる。
俺はズボンのポケットに銃をしまい、こう尋ねた。
「どうすればいいんです? どうなれば目的達成なんです?」
すると課長は、肩をすくめた。
「いや、そういうのはいいんだ。好きにして」
「好きに?」
「気に食わなかったら、全員殺していい。さっきも言った通り、上がもみ消すからね。もちろんなにもしなくてもいいよ。ただ、報告書にはなにか書かないとだから……。なにかあったほうが書きやすいかな」
「……」
まるで「事件を起こせ」とでも言わんばかりだ。
俺が仲間を撃って脱走するとは思わないのか?
あるいはそうしても大丈夫なくらい余裕があるのか?
「銃を受け取ってはしゃいだ新人がスタンドプレーしたら、さすがに困りますよね?」
俺がそう尋ねると、課長も渋い表情になった。
「そりゃまあそうだけど……。でもうち、職員の良識に期待する組織だからねぇ」
「良識があるとは限りませんよ」
「そうだよ。なにも分からないよ。そもそも、あの採用試験だって、ほとんど運みたいなものだし。けどそのあとも運なんだな。ま、結局ね、僕たちは自由に見えて、自由じゃないの。あの箱から出ることはできたけど、もっと広い箱に収納されたままなんだから。言われたことをやるしかないよ」
まだ箱の中、なのか……。
組織の全容は見えない。
頭のおかしな連中が、なんらかの社会実験をしているとしか思えない。
俺たちはその駒だ。
二番が地団駄を踏み始めた。
「課長、やっぱムリです! 漏れそう!」
「困るよ……」
「ここに置きますから! あたし、これ嫌いなの!」
彼女は地面に銃を置いた。
意外と平和主義者のようだな。
しかしその瞬間、課長の目つきが変わった。
それまでが柔和だっただけに、目を細めただけで雰囲気が一変してしまう。
いや、だからといって、なにかが起こるわけではないのかもしれない。しれないが、俺はとっさに銃を拾った。
「あ、じゃあ俺が借りようかな。二丁拳銃、あこがれてたんで」
ウソだ。
二丁拳銃に対するあこがれなど一切ない。
どう扱っていいか分からない。
課長はさめた目のまま、穏やかに告げた。
「いいなぁ、君。ぜひこの仕事続けて欲しいなぁ。事務方なんて行かないでさ」
「はは……。えーと、頑張ります」
怖い。
豪邸に入る前に寿命が尽きそうだ。
(続く)