第7話 弟妹
「もうそろそろ出掛けたいんだけど……」
「今日は家にいた方が良いって!!」
「だから体調は万全なんだって言ったよね?」
困った。もうじき、と言うか、制度上は既に小学五年の弟に捕まっている。物理的に。しっかり袖口を掴まれて逃げられない。
この子が今の俺の弟。朧げながら、生まれた時に新生児室のガラス越しに見ていた記憶すら残っている、疑いようの無い血を分けた弟だ。その時、余りの可愛さに夢中になり、その場から引き剥がすのに苦労したと後に父から聞いた。
この子に反抗期は未だ訪れないらしく、素直に言うことを聞く。その上、両親程ではないけれど、けっこうな心配性。ちょっと帰りが遅いと迎えに来ようとする。
いや、君の方がお子様なんだから、寧ろこっちが迎えに行くべき立場だろうに。でも、彼の中では年上だろうと、一応女の子である俺は庇護の対象らしい。知らぬが仏、だな。
君の大切な姉の中身が俺で申し訳ない。決してわざとじゃなかったんです。
「あんな腫れた目をして、何かあったんだろ?」
「いや、俯せで寝てたから」
起きた直後は顔に枕の跡が付いてたし、嘘は吐いてない。うん。
放してもらえそうにないけど、少しでも外に近付こうと玄関を目指す。当然、付いて来る弟。前世で俺が帰ろうとしたら、必死に阻止してきた甥っ子を思い出して少し笑った。
しかし、当時の甥っ子より成長している弟は、適当に流されては くれない。
「嘘だ!!! 絶対に何かあった! 昨日、様子がおかしかったもん。ボーッとして上の空で時々何か考え込んだような表情したかと思えば嬉しそうに笑ったり。隠してたつもりだろうけど横を向いた時とかバレバレだったんだからな!!」
君のように勘のいい──じゃなくて、ホンット、何で気付くの? 前世でも現世でも、クラスメイトなどの話から判断するに、姉の変化に敏感な弟は少数派だったと思う。
流石、ヒロインの弟は一味違うね。もう既にイケメン確定の容貌してるし。
「何か言うことは?」
「後半、余り息継ぎしてないっぽいけど大丈夫?」
「違うだろ!!」
口を尖らせても崩れるどころか、可愛いだけなのがまた何とも言えない。イケメン爆は……しなくて良い。家族は別枠だ。
「どうしても出かけるつもり?」
「うん、約束してるから」
「昨日会ったばかりの人を信用して大丈夫? どんな人か分かんないだろ?」
いや、人柄はメチャクチャ良く知ってる。悪巧みとか、どう頑張っても無理なヤツなんだ。
と言えたら苦労はしない。
「そんな悪い人じゃない。と、思う」
「……はー、分かったよ」
そうかそうか、分かってくれて、兄ちゃん──肉体的には姉ちゃんだけど、心情的には、ね──は嬉しいぞ!
と、思ってたんだけどな。
出がけに揉めたけど、ケーキ屋で買い物をしても、待ち合わせ時間の十分前には着いた。良かったな、ホント。
あれこれ考えるのは面倒臭いから止めた。なるようになるだろ。
「おっはよ〜。ごめん、待った?」
「よっ、全然待ってないから大丈夫」
待ち合わせ場所の公園に現れるなり、挨拶もそこそこにケーキの箱に顔を突っ込まんばかりに近付く聖、改め朋深ちゃん。やることは前世とあまり変わってない。
そして、俺の腕を掴む付属品、じゃなくて男児はスルーですか。もうちょっと気にして欲しいなあ。
その弟は、彼女を見た時に俺の袖口を掴んでいる手の力を緩め、小声で何か呟いた以外の反応は無い。大人しいものだ。
「待ち合わせ時間より早めに来て正解だった。何時頃来たの?」
「二分前」
「そっか、そんなに待たせてないなら良かった」
このまま会話を進めようとしているようだ。でも、俺が居た堪れない。ちょっとだけ今カノと元カノが鉢合わせ、みたいな修羅場っぽく感じるのは何故だろう。
「ごめん、これ、弟。何か、離れてくれなくて」
「そうなんだ、初めまして。曽根 朋深です。よろしく」
「……天花の弟の銀河です。よろしくお願いします」
暫く呆気に取られたように彼女を見ていた弟が、やっと自己紹介をした。
でも、つくづくマトモな名前で良かったよ。名付けの際、最後まで迷った他の候補が『天河』だったと知ってるから、余計に。記憶を取り戻した今となっては恐ろしすぎる。その時、俺が「銀河の方がカッコいいよ!」と強硬に主張したお陰で銀河に決まったらしい。良くやった、その時の俺!
大体、天河だと姉の名前と紛らわしすぎるだろ。色々な意味であり得ない。
過去を振り返っている間に、銀河の中で何が起きたのか知らんが、急に帰ると言い出した。
「帰っちゃうの? 良かったら一緒においでよ」
微妙に残念そうに現・弟に話しかける元・妹。そりゃ興味あるか。
「いや、そこまで厚かましいのは、ちょっと。……改めて、今日は姉がお邪魔しますが、よろしくお願いしますね」
まるで俺の保護者気取りだな、と軽口を叩く間も無く、さっさと帰って行った。一体どうしたんだ?
「小さな騎士さんだね」
「ごめん。あいつ、ちょっと心配しいって言うか」
俺の方が三つも年上なのに。俺ってそんなに頼りないのか? これでも前世では、面倒見の良いお兄ちゃんって言われてたのに。
「誠が女の子だって自覚が無いせいじゃないかな。多分、記憶が戻る前からそんな感じだったんじゃない?」
「まあ、否定できない」
話しながらも移動していたせいか、直ぐに朋深ちゃんの家に着いた。
「誰もいないから、とりあえずリビングで良いよね。あ、ここに座って」
嬉しそうに案内してくれるが、その喜びの理由は間違いなくケーキだ。期待した以上に良い笑顔で本当に嬉しいよ。
紅茶と一緒にお気に入りのフルーツタルトを食べてご満悦の彼女と、今後のことを話し合った。
「とりあえず、俺は今後、聖のことを朋深って呼ぶ。二人きりの時も出来るだけ気を付ける。誰が聞いてるか分からないからな。序でに、他の人がいる時は、俺って言うのも控える」
「それが良いよね。私も天花って呼ぶよ。でもまk、天花、私って言うの抵抗無いの?」
社会人経験者ナメてもらっちゃ困る。
「勤務中は一人称〈私〉が割と普通だから。仕事だと思って割り切れば平気」
「そうだったね。なら心配要らないか」
これ、もっと若い時に他界して今の状況だったら、かなり辛かっただろうな。不幸中の幸いってやつか。
「それにしても、今の弟くん、可愛いね」
「え、あーゆーのが好みなの?」
中二から見た小五男子って、かなり幼くないか?
「そうじゃなくって、凄く健気だなって思ったの。多分、私が女の子だから安心したんだろうね」
それはどうだろうか。
「一応、アイツは俺のことを女だって思ってるんだぞ。それで友達が出来たって言ったら、相手も女だって思わねえ?」
「普通は、ね。でも、様子がおかしいから勘繰られたんじゃないかな」
言われてみれば、確かに。
「でも、やっぱりここは、ゲームの世界そのままじゃないんだね」
「そりゃあ、ヒロイン(笑)の中身がコレだし。色々おかしいだろ」
既に真っ当なヒロインのいる世界じゃない。
「そうだね。だからかな、一人っ子の筈の天花ちゃんに弟がいるの」
「えっ」