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8 雨の休日


「お風呂、上がった──わっひゃい!?」


 扉のその向こうの光景に、ユイは思わず赤面した。


 先程まで、ユイは咲島家のお風呂を──正確にはシャワーを借りていた。冷えた体に暖かなシャワーは何とも心地よく、ついつい長い時間をかけてしまったことも自覚している。せっかくなので丁寧に髪を洗ったし、ドライヤーも借りて入念に乾かしたりもしていた。


 そう、ユイはちょっとばかり時間をかけすぎてしまったのだ。


「ななな、なな、なにをしているの……っ!?」


「いや、普通に着替えてるだけだけど。俺が俺の部屋で着替えるのに何の問題があるんだよ」


 ユイの目の前にいたのは、半裸のユウだ。腹筋は見事に六つに割れてバキバキで、肩から腕にかけての筋肉の付き方が凄まじい。大胸筋も見るからに硬そうで、鎖骨のくぼみとのコントラストが何とも言えない造形美を醸し出している。


 ユウは紛れもなく筋肉質な体──それも、ゴリゴリなプロレスラーのような筋肉ではなく、無駄の一切ない引き締まりすぎた体をしているのだ。細目に見えるのも、服を着ている時は全然そうは見えないのも、無駄のなさすぎる筋肉の付き方をしているせいだろう。


 そんな、ある意味ユイの大好物とも言える体が惜しげもなく晒されている。こんな漫画の中でしか見られないような筋肉が、自分のすぐ目の前にある。それも、合法的に見放題と来た。


 こんなすごい筋肉を見せつけられて、ユイが恥ずかしがらないわけがない。


「ゆゆゆ、ユウくんっ! お願いだからそんなすごいの堂々と見せつけないでっ!」


「……なんか、普通こういうのって立場逆じゃね? なんで女のお前が俺の──それも上半身見て恥ずかしがってんだよ」


「そういう問題じゃないのっ!」


「そう思うなら普段の自分のふるまいをどうにかしろよな……」


 話している間もユイの視線はユウの体に釘付けであった。特に、手の甲から肩にかけて走っている太く、脈打つような立派な血管はあまりにも素晴らしく、どんなに頑張っても目を離すことができない。


 それは遠目からでもはっきりとわかるほどに力強くて、触って突いてぷにぷにしたくなる衝動がユイを襲う。


「おら、シャツ着たぞ。これで文句ねえだろ」


「う、うん……ユウくんはシャワー浴びないの?」


「お前とは鍛え方の年季が違うんだ」


 外の雨は、未だ止む気配はない。おそらく、今日はもう一日ずっと振り続けることだろう。雨音が余計な雑音をすっかりかき消して、部屋の中には奇妙な沈黙が訪れていた。


「で、だ」


「ん、なぁに?」


 一息ついてから、ユウの方から切り出していく。


「ユイ、まず保護者の人に連絡入れろ。この雨の中いつまでもジョギングから帰ってこないってなると、さすがに不安に思うだろ」


「そっか……そうだよね」


 もちろん、ユウがそれを切り出したのはそれだけが理由じゃない。万が一にも誘拐犯とかに間違われたら困る──というのが本音である。


 これが男同士だったらともなく、ユウとユイは異性で、おまけにただのジョギング仲間と言うだけの間柄なのだ。もし誤解されるようなことがあったら、確実にユウは不利になる。


 基本的に、ユウは平穏を好んでいた。だから、警察沙汰になりかねない懸念は出来る限り潰しておきたかったのである。


「……あ、いくつか連絡きてる」


「マジかよ」


 スマホを手に取ったユイがそんな声を上げて、ユウの体は一瞬固まった。


「な、なんて連絡だ?」


「……えっと、今日のしゅ……お仕事は雨だから延期になったって。最近休みも無かったし、せっかくだから休日にするって」


「バイトの連絡か?」


「ん……まぁ、そんなところ。この人が今の保護者でもあるんだよね」


 なんだかフクザツな家庭環境の気配がしたので、ユウはその話題に深くは突っ込まないことを決意する。


「あー……明日もお休みにしてもらおっかなぁ……」


「大丈夫なのか? なんだかんだでいつも日中は忙しい……んだろ?」


「ん。忙しいことには忙しいけど、明日の予定はまだなんとかなる……っていうか、ちょっと後にもっと大きなお仕事が入ってるから。体調は万全にしておきたいの」


「ふーん……」


 ぴこぴこぴこ、とユイはケータイを操作し、やがてそれをポケットにしまい込んだ。嬉しそうな表情を見る限り、きっとその要望が通ったのだろう。ユウだって、意図せず連休を貰えたのなら嬉しくなるし、ユイのその行動に特別おかしなところがあるとは思えなかった。


「これで今日一日はずっとゆっくりしていられるかな!」


「……おい、ちゃんと頃合いになったら帰れよ?」


「もう、そんな顔しないでよぉ! 私と一緒に過ごせるって、すんごいことなんだよ?」


「その自信はどこから来るんだよマジで……」


 口ではそんなことを言いながら、ユウは手早くお茶の準備をし始める。ユイが風呂を利用している間に準備したのか、部屋の片隅には湯呑が二つに急須と麦茶が用意されていた。


「とりあえず温かいものでも飲め。そんでしばらくベッドでゆっくりしてろ。熱があったんだから、ちょっとくらい休んでいっても罰は当たらないだろ」


「え、ホントに良かったの?」


「さすがにすぐ追い出すほど鬼じゃねえよ」


 ユウが入れてくれたお茶を受け取り、ユイはほっと一息を突く。いい茶葉を使っているのか、その香りは強く、深い。緑の香とでも形容すべきそれはすっと鼻の奥へと抜けていって、なんとも優しい気分にさせてくれた。


「いいお茶だねぇ……」


「なんか知らんけど、ウチはお茶にはこだわってるんだよな」


「そういえば、廊下もお風呂もすっごく和風……っていうか、いい意味で昔ながらの感じだったけど……」


「……そうか、寝てたからウチの外観を見てないんだよな」


「……えっ、なんかすごいところだったりするの?」


「悪い意味で、な」


「…………」


「帰るとき、絶対振り向くんじゃねえぞ。余計な所も見るんじゃない。ネットでググるのも禁止だ」


「あっ、はい」


 そこまで言われると逆に気になってしょうがない。が、ユイだっていろんな隠し事をしているので、ここは素直にうなずいておくことにする。


 もちろん、後で調べる気は満々だ。何があろうとユウはユウであるわけで、ユウ個人のことを知っているユイからしてみれば、家のことなど些細なことでしかないと思っている。


「飯はどうする? 簡単にトーストくらいなら出せるけど」


「あっ、それでお願いします……落とさないで、ね?」


「……どういうことだ?」


「ううん、こっちの話だから気にしないように!」


 ユイが抱えている大きな大きな秘密。それを紐解くヒントをちょっとだけ混ぜて、ユイはにこりと微笑んだ。


 どうせ絶対気付いてくれないんだろうなあ、なんて思う反面、気づいてほしいとも思っている。気付かないでくれると嬉しいなあ、なんと思いながら、気づいた上で変わらずに接してほしいとも思っている。


 その気持ちはおそらく、今のユウにわかるはずもない。


 部屋を出ていくユウの背中を見送りながら、ユイはジャージのポケットの中に入れていたUSBメモリをユウの机に優しく置いた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 そして、ユイがユウの家に来てから二時間と少し。


 彼女は、未だにユウの家にいた。


 人様の家だということを忘れたかのように、ぐてっとだらしなくベッドに寝転がり、少々大きめの枕──もちろんユウのである──をクッションとして、これ以上ないくらいにだらけている。


 ユイにベッドを占拠されてしまったユウは、しかし特に動じることなくベッドを背もたれ代わりとし、これまたのびのびと足を伸ばして座っていた。


 そんな二人は同じある場所を見つめている。そして、手には同じものを握っていた。


「ユウくん、そっちの迎撃よろしく」


「りょーかい。回復だけ頼む」


 画面の中で二人のキャラクターが忙しく急ぎまわり、派手なエフェクトを迸らせる。協力プレイをしているのだろうか、その二人は互いに助け合ってどんどんと敵を殲滅させ、次のステージへと進んでいく。


「久しぶりにやったけど、やっぱ楽しいねぇ……」


「一度始めると止まらないよな」


 簡単な朝餉を済ませた後。お言葉に甘えてしばらくゆっくり休ませてもらおうかな──なんてユイが思っていたところ、ユウは当たり前のようにゲームの準備をしだしたのである。


 女の子が部屋に遊びに来ていて二人切りというシチュエーション。それに加えてお風呂上がりなぶかぶかジャージを纏っているというとんでもないコンディション。それなのに自分のことを一切無視したその仕打ちに、ユイのプライドは激しく傷つけられ、そして闘争心に火が付いた。


 勃発する『ちょっとは構ってよ!』、『病人はおとなしく寝とけよ!』の言い争い。最終的にはユイの色仕掛け──実際に効果があったかは不明だ──によってユウが折れ、一回だけということでゲームの許可が下りたわけだが、気づけばこうして二人でずっと遊んでいる。


「協力プレイとか、普段できないんだよな」


「友達いないの?」


「うっせぇ」


 ユウの操るキャラクターが、敵の攻撃に被弾する。先程までとは違う、赤と黄色の混じったエフェクト。どうやら運悪くクリティカルヒットしてしまったらしい。


「家に呼びたくないだけだ」


 ユイの操るキャラクターがちょこまかと動いてユウの操るキャラクターにさっと近づく。わずかばかりの緑のエフェクトを伴ったモーションの直後、ユウのキャラクターのHPがちょっとだけ回復した。


「じゃあ、お招きされた私はもう親友ってことだね!」


「……どっちかっていうと、手のかかる近所のクソガキってかんじだ」


 意外なことに、ユイのゲームの腕前はそんなに悪くなかった。年がら年中ゲームをやりこんでいるユウの足手まといにならないくらいにはセンスがある。普段あれだけ抜けていて、全体的にすっとろそうなのに──と、ユウは不思議に思わずにいられない。


「でも、そんなお前でも普通にちゃんとしたバイトしてるんだよな……」


「信じてなかったの? ひっどいねぇ……」


「ずっと顔を隠してるような奴を雇ってくれるとか、誰も思わないだろ」


 今でこそユイは素顔を晒してにこにこと笑っているが、ユウがユイのすっぴんを見たのは今日が初めてである。初めて会った時からずっと、ジョギングの最中でさえユイは顔を隠し通し、そのプライベートも何もかもユウには語っていない。


 実際、この部屋で目覚めたばかりの時は、ユイは自分の顔が隠せていないと気付いて酷く慌てていた。


 なのに、何がきっかけでそうなったのか、今は普通に顔を出している。顔に変な傷があったりだとか、肌が酷く荒れているだとか、あるいはよほど自分の顔に自信が無いのか──なんてユウは思っていたのだが、特にそんな様子は見られない。


 それどころか、可愛い部類に入るんじゃあないかとさえ思う。愛嬌があるというか、ずっと見ていたくなるような顔立ちなのだ。


「──あっ」


 別のことに気を取られ過ぎていたのか、警告音に気付いて画面に目を戻した時には、大きなゲームオーバーの表示がされていた。


「あー……なんか最後、動き止まってなかった?」


「わり、ちょっと別のことに気を取られてた」


「別のことって?」


「お前、何のバイトしてんのかなって。割が良いなら俺もやってみようかと」


 その言葉を聞いたユイは驚いたように目を丸くし、そしてくすりとほほ笑んだ。


「ユウくんにはちょっと難しいと思うよ? けっこー特殊な感じではあるし?」


「そりゃそうか。グラサンマスクが通用するバイトが普通なはずないわな」


「むー……勘違いしているユウくんのためにあえてちょっとだけ教えるとすると……」


 ユイはちょっとだけ口をとがらせて、どこか遠くを眺めながら話し出す。


「楽しいことは楽しい。でも、その分責任感というか、気をつけなきゃいけないことも多い。プレッシャーもすごければ、目上の人への挨拶だとか、自分のやりたいことと自分が期待されている姿とのギャップとか……そういう直接は関係ないところでの苦労もすごくある」


 それはユイがユウに初めて見せた、もう一つの真剣な表情だった。


「割が良いとか、そういうのは関係ないお仕事。私はまだまだだけど、それでもあの仕事に誇りを持っている。……だから、お金儲けのためだけにやりたいって言われるのはちょっとカチンとくる……かも?」


「お、おお……なんかごめんな……。すげぇ立派なことやってんだな……。俺、バイトでそんなこと考えたこと一回もねえよ……」


 ユイの本気の表情に飲まれ、ユウは思わず本心からの言葉を発した。これがいつもだったらもうちょっと軽口を叩くところだったのだが、とてもそんなことなど出来ないくらいに、ユイの言葉には信念めいた何かがあったのだ。


「どうだ、参ったか!」


「御見逸れいたしました」 


 そして、そんな空気をユイ自身がにこりと笑ってほぐしていく。場の空気を読むのだけはうまいな、なんてユウはそんなことを思った。


「ねぇ、そもそもなんでバイトしたいの? ユウくんこんだけいい体してるんだし、部活とかで活躍したりできないの? そうじゃなくても、夢を追いかけてみるとかさ!」


 ちょっぴりふざけて、ユイはユウの肩から腕をちょちょいと突く。二時間前までならこれだけでだいぶたじろいでいただろうユウだけれど、ゲームのプレイ中に何度も似たような接触があったため、今ではすっかり慣れてしまっていた。


「……運動はしたくねえな。一生引き籠ってゲームしていたい。俺が稼ぎたいってのも、ゲームを買うためだし」


「夢がないねぇ……っていうか、運動嫌いなの? いっつもジョギングしてるのに?」


「ジョギングくらいの軽い奴は嫌いじゃないさ。そうじゃなくて、青春だとか夢を追いかけるだとか、そういうのが嫌なんだ」


 画面には大きくコンティニュー画面が表示されている。しかし、カーソルは動く気配をまるで見せない。


「努力したって無理なもんは無理だし、世の中理不尽だらけだ。出来ないってのが当たり前で、思い通りになることの方が少ない」


「……」


「なら、努力する意味なんてないだろ? みんなで頑張る必要はないだろ? もちろん、その行為自体やそうやって頑張ってる人たち全てを否定するわけじゃないけどさ。結局は途中で打ちのめされて挫折するやつがほとんどだ」


 いつものユウからは考えられないような否定的な発言に、言葉が詰まるのをユイは感じた。コントローラーを握っている手が動かなくなり、どうしてもコンティニューをするための【Yes】を押すことができない。


 ようやく口を開けたのは、深呼吸を二回ほどしてからだった。


「……でも、その考え方ってなんか寂しくない? 努力することが無駄で、みんなで頑張るのも意味なくて、夢を見るのも嫌いなら──ユウくんの好きなゲームだって、そういうことになるよ?」


 ゲームの中で、ユイはユウと協力し、夢の世界を駆け抜けた。強大な敵を倒すために努力し、それでも足りない部分を補うために互いに助け合って突き進んでいた。


 それはまさしく、努力し、協力し、夢を見ていることに他ならない。


「ゲームは違う。互いにギスギスした人間関係も無ければ、ドロドロした事実もない。頑張ったら頑張っただけ確実に成果が返ってくる。夢は色褪せないし、裏切らない。何もかもがハッピーエンドで締めくくられる」


 今回はエンディングまで行けなかったけどな──とユウは画面の向こう側の世界を覗き込む。


「それに、また次がある。何度でもやり直せる。なにより、やめたくなったら好きにやめられる」


 こんなふうにな──と、ユウは【No】を選択し、ハードの電源を切った。


「最高だろ?」


「……もうちょっとだけ、やりたかったのに」


「そろそろ頃合いだ。妹が戻って来ちまう。バレたらいろいろ厄介だろ? ──俺も、お前も」


「……そだね」


 なんだかちょっぴり妙なことになってしまった空気の中で、ユウはいそいそとゲーム機を片付け始めた。意外と几帳面な性格なのか、ユイから受け取ったコントローラーのコードを丁寧にまとめてから、いつもの引き出しへと入れた。


 ユイはユイで、持っていた手荷物を手早くまとめ、お暇する準備を整える。とはいえ、彼女の持ち物なんてそれこそ濡れた着替えくらいしかない。ユウから貸してもらった小さめのスポーツバッグに全部詰め込めば、それでもうおしまいだ。


「……ねぇ、ユウくん」


「どした?」


 なんだか堪らなく寂しくなったので、ユイは聞きたくて聞きたくてたまらない、だけれども聞いてしまうと後戻りできなくなるかもしれない質問をすることにした。


「……明日も、一緒に走ってくれるよね?」


「……」


 はぁ、とユウはため息をついた。


「ダメに決まってるだろ、そんなの」


「え──」


 思いがけないユウの言葉に、ユイの声が詰まった。今まで積み上げてきた暖かなものが足元から崩れていくようで、うまく頭が働かない。


 今までにないはっきりした拒絶の言葉が、ユイにはとても信じられなかった。いや、信じたくなかった、のほうが正しいだろう。


「ど、どうし──」


「どうしてもクソもあるか! 今日ぶっ倒れたやつが明日に全快するはずねえだろ! 一日きっちり体を休めて、再開は早くとも明後日からだ!」


「あ……そっか。そうだよね」


「……なんだ? もしかして、実はマジで嫌々付き合ってたとか、もうこれっきりの付き合いかも、なんて思っていたのか?」


 あからさまにほっとした様子のユイを見て、ユウはちょっぴりいたずらっぽく微笑んだ。今までのお返しだと言わんばかりに、こつんとユイのおでこを小突く。


「わっ──!」


 自分は似たようなことを何度もしているというのに、ユイはなんだかとても気恥かしい気分になった。


「ああいうこと言った直後に言うのもなんだが……ユイ、お前と一緒に走るのも、一緒に遊ぶのも楽しかったよ。……俺も、ちょっとはそういうの、前向きに捉えてみるようにするかな」


 今のユウの目には、先程までにはなかった輝きのようなものがある。それはユイの気のせいかもしれないけれど、ユイの目には確かにそう見えたのだ。


 なら、今はそれだけで十分である。


 ほんのちょっとでも可能性があるのなら、あとはユイの領分だ。


「……じゃあ、私がそのお手伝いをしてあげるよ。今までのお礼として」


「お? どういうことだ?」


「んもう! わっかんないなあ! ──私が、ユウくんに夢をあげるの! 私の力で、夢を見させてあげる!」


 それが私のお仕事だしね──と、ユイはユウの胸を指鉄砲で打ち抜いた。


 あからさま過ぎるその仕草に、やっぱりユウは気づかない。それが、今のユイにはたまらなくうれしく、そして寂しいことでもあった。


「……ん? つまり、バイトで何やってるのか教えてくれるのか?」


「今はまだダメ。──そうだ、ユウくんがお家のことを教えてくれたら教えてあげる」


「……一生無理だな」


「そう? ……意外と早くなるかもよ? ううん、早く言わせてみせる!」


「期待しないで待ってるぜ」



▲▽▲▽▲▽▲▽



 がらりと戸を開けた先の外。まだまだ雨は降り続いているが、先程よりも幾分か弱まっている。山の向こうの方なんて、薄くなった雲の隙間からお日様の光がほんのちょっとだけ覗いていた。


 片手に傘を、もう片手にユイの手をつかみ、ユウはゆっくりと長い石段を下りていく。女の子をエスコートしているのだ──と思えなくもないが、実際はただ単に、母屋および敷地内をユイに見せたくなかっただけである。


「意外と紳士的だなって思ったのに……手ぇ引っ掴んで強制連行って、それってなんか違くない?」


「うっせぇ。引いてやっているだけありがたいと思え。お前が野郎なら首根っこ引っ掴んで引きずり回してたわ」


「ユウくんはそれがホントに出来るから冗談にならないんだよぉ……。もっとこうさ、相合傘で手を繋いでるんだから、ロマンスを感じたりしないの?」


「ロマンスじゃ腹は膨れない。バカなこと言ってないで可及的速やかにさっさと帰れよ」


「んもう! 言ったそばからその塩対応!」


「……雨に濡れないようにな、可愛いお嬢さん」


「むー……なんか小馬鹿にされてるような感じだけど、まぁいいか! 今日はありがと! またね!」


「おう、気ぃつけてな」


 最後にユウは傘を渡す。ちょっぴりの名残惜しさを感じながら、ユイは軽く手を振って帰路へと着いた。


「なんとか無事に帰ってくれたか……」


 くるりと踵を返し、ユウは石段の傍らにある古ぼけた石の柱を見た。傘と自らの体で巧妙に彼女の視線から隠していたそれには、こう書いてあった。



 ──【夢現流無手派修練山 咲島道場】



「……普通の家に産まれたかったもんだよ、ホントに」


 大仰にため息をつき、ユウはその長い石段を二段飛ばしで駆け上がっていく。尋常ならざる速度を出しているというのに、疲れた様子も見せなければ息一つ乱れていない。小さいころから昇り降りしているため、この程度じゃどうも思わない体になってしまっているのだ。


「ウチの道場、ヤバい噂が多い……っていうか、だいぶ事実も混じってるしなぁ……。まぁ、もうユイがここに来ることはないとは思うんだけど……」




 実はそんなに遠くない未来、再びユイがここを訪れることになることを、この時のユウは知る由もなかった。

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