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7 暖かな部屋


 ここは、どこだろう。


 霞かかった意識の中で、彼女はぼんやりと思った。


 ひどく、寒い。いや、寒いというより冷たい。ついでに手足に力は入らず、頭がぽーっとする。たったったった、と小気味の良いリズムで体が揺さぶれるほかは、ほとんど何もわからない。


 ただ、優しくて逞しい何かが一緒にいることだけは、なんとなくわかった。だからこそこんな異常事態にもかかわらず、彼女は安心してその身をそれに委ねることができるのだ。


 それがちょっぴりうれしくて、彼女は心の中だけでにこりと笑う。その笑顔を見ることができた者は、どこにもいない。


 どれほど経っただろうか。やがて彼女は、何か柔らかいものの上に寝転がされた。ふわふわで、ちょっと不思議な匂いのするものだ。それはどこか懐かしく、頼もしく、ホッとするような気分にさせてくれる。


 はて、こいつは一体何なのだろう──と思ったところで、辺りがぽかぽかと温かくなっていることに気付く。春の柔らかい日差しのような温かさではなくて、寒い冬の日に家族の待っている家に帰ったような、そんな温かさだ。大切な人の温かさ……と言い換えてもいいかもしれない。


 変化はそれだけにとどまらない。何かが、遠慮がちに自分の体を弄っている。いや、弄っているのではなく、撫でているのだろうか。


 いずれにせよ、それが自分の体を撫でる度に、あの凍てつくような冷たさが無くなっていくのを彼女は感じていた。少々たどたどしい手つきのそれは、確かに彼女に安らぎとまどろみをもたらしてくれている。


 それは彼女の手を、足を、髪を撫でていく。その何とも言えない心地よさに、彼女はすっかり虜になった。


 なんとなく、彼女は幼い日に頭を撫でられた時のことを思い出した。なんだかすごく、そんな気分になったのだ。


 出来れば一生このまま撫でてほしい。さらに欲を言うなら、未だ冷え切っている体の中心部を撫でてほしい。末端や髪しか撫でてくれないことに、彼女は大いなる不満を抱いていた。


「……」


 これだけリラックスしてゆっくりできたのなんて、いつ以来だろうか。最近はずっと朝から晩まで働き詰めで、まともに休憩だって取れなかった。わずかな移動時間にちょっぴり居眠りするくらいはできるものの、睡眠時間もろくに取れていない。


 ましてや、こんな惰眠を貪れるなんて、本来ならありえない。


 だから、彼女はここで思う存分ダラダラしようと心に決めた。


「むぅー……」


 だけど、肝心のそれがこない。


 さっきまでは優しく頭を撫でてくれていたのに、今は何も感じない。何か大切なものが遠くに行ってしまったかのようで、酷く虚しい。それは悲しくもあり、同時に憤りを覚えるものでもあった。


「……」


 まだ、彼は近くにいるかもしれない。


 確かに足がすごく速いけれど、今から走って追いかければ、間に合うかもしれない。また優しく、自分のことを撫でてくれるかもしれない。


 だから、彼女は走ることを決意した。


 す、とこめかみのあたりのわずかな圧迫感が消える。


 いつも通りの、サングラスを外した時のあの感覚。暗かった世界が、ゆっくりと明るくなっていく。うすぼんやりとした影が、だんだんとはっきりしていって。


「……ユウ、くん?」


 探し求めていた彼が、目の前にいた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「……おはよ?」


「お、おう」


 ぼんやりとした意識のまま、ユイはとりあえず目の前のユウに声をかける。なぜだか彼はこちらに手を伸ばした──というかサングラスを取った格好のまま固まっており、ぎこちない動作でそれを傍らへと置いた。


「……」


「……」


 二人の間に沈黙が降りた。


「むぅ……」


「……」


 どうして、この流れで頭を撫でてくれないのか──などと不機嫌になったところで、ユイは非常に重大なことに気付いた。


「あ」


「ん?」


「あ、ああ……」


「お?」


「ああああああああっ!?」


 ない。ない。


 絶対に外さないようにしていた、サングラスが無い。


 それもそのはず、だってそのサングラスはつい今しがた、ユウが外してくれたばかりなのだから。頼りになるはずのマフラーもマスクもサンバイザーも見当たらなくて、ユイは今、正真正銘何もない状態で、嘘偽りのない素顔を晒していることになる。


「お、おい!? 頼むから悲鳴だけはやめろよ!?」


「ユ、ユウくん! わたっ! 私のサングラスっ!」


「落ち着け! すぐそこにある!」


 がばりと起き上がり、ユイはユウにつかみかかる。ユウはそんなユイをしっかりと抱きとめ、正気に戻さんとばかりに軽くぺちんとその頬を叩いた。


 一瞬のことにユイが呆然とした隙にさっとその頭をひっつかみ、ぐりんと強制的に顔をそちらへと向けさせる。


 もちろん、その先には雨に濡れたサングラスがあった。


「な?」


「う……でも」


「でも?」


「これ、女の子にやる仕打ちじゃないっ!」


 どこの世界に、うら若き乙女の頭を無理やり捻る男がいるというのだろうか。普通はもっとこう、優しく場所を教えるか、あるいはエレガントに手渡しするものではないのだろうか。


「混乱してたやつに常識なんて通じるわけないだろ。だいたい、女の子を名乗るなら……」


「……んっ?」


 ユイは、見逃さなかった。


 彼はほんのわずかに赤くなり、さっと自分から目をそらした。いつもはまっすぐに眼を覗き込んでくるのに、なぜか視線をあてもなくフラフラと彷徨わせている。時折目が合ったと思えば、一瞬ぴくっと顔が固まり、そして再びあちこちに視線が動く。


 自惚れかもしれないけれど、ユイはこういった視線の動きにちょっと心当たりがあった。


「ユウくん……」


「お、おう」


「もしかして……照れてる?」


 朱が差した頬を見て、ユイはたまらなくうれしい気持ちになった。


「そっかぁ! そうだよねぇ! ユウくんもとうとう私の魅力に気づいちゃったかぁ!」


「うっせえ! ぶっさいくなツラだと思ってたのに、思ったよかまともで不意打ちくらっただけだっ!」


「ぶ、ぶさ!? わた、私ブサイクじゃないもんっ! 可愛いもん! だって──!」


 言いかけて、ユイは慌てて口を閉じた。


 それを言ってしまえば、今のこの関係は簡単に壊れてしまう。この普通の友人関係が、普通でなくなってしまう。せっかく見つけることのできた、ありのままの自分だけを見てくれる人が、いなくなってしまう。


 というか、そもそも──


「……ねえ、ユウくん」


 ユイは、覚悟を決めて聞いてみることにした。


 どのみちもう、逃げ場なんてないのだから。


「……私の顔見て、驚かないの?」


 ほんの一瞬だけ、ユウの表情が固まる。やがて彼は慎重に、最善の選択肢を選ぶかのように言葉を発していく。


「いや……驚いたっちゃ驚いたけど……」


「……そっか」


「あんだけ大袈裟に隠してた割りには普通だぞ。お前、どんだけ顔にコンプレックス持ってるんだよ」


「……んっ? 私のこと、知らないの?」


「なんかやらかしたのか? 安心しろ、俺は人の過去はあんま気にしないタイプだ」


「……えっと、私、かわいい?」


「……ま、まぁ、どっちかって言ったら可愛い部類に入るんじゃねえの? 俺ならたぶん、お前とすれ違ったら振り向くな」


「~~~っ!」


 その言葉を聞いて、ユイの体は形容しがたい歓喜に包まれた。今まで似たような言葉は何度も言われてきたけれど、それとは比にならないくらいに心が揺さぶられる。言葉としては陳腐でさえあるというのに、ユイにとってはそれが何よりもすてきなもののように感じられた。


 やっぱり、彼は、ありのままの自分だけを見てくれているのだ。


「お前、なんかまた顔が赤く──」


「ず、ずるいっ! ユウくんはずるいっ! そんな不意打ちカウンターは卑怯すぎますっ!」


「面倒くせえなあ……ブサイクっつったら怒るし、褒めたら卑怯とか抜かすし……」


 なにはともあれ、これでユイの懸念は払拭された。なんかもういろいろ諸々頭の中がおかしくなりそうになっているけれど、最悪の事態だけは回避できた。


 あからさまにほっとした様子のユイを見て安心したのか、ユウもまた表情をやわらげ、穏やかに笑っている。きっと心の中では、引きこもりのトラウマを無事に何とかやり過ごすことができた──なんて、そんなことを思っているのだろう。


 だが、しかし。


 そもそもの問題が、まだ解決していない。


「──くちゅんっ!」


 今更になって、ようやくユイは自分がぐしょぬれで、そして酷く凍えていることに気付いた。さっきまではすっぴんを見られたことに酷く動揺していたものの、その問題が解決したことで、ようやく体が本来の反応を示しだしたのだろう。


 ついでに、自分がいま、見覚えのない誰かの部屋にいることに気付く。そして、ちょっと前までその誰かのベッドにぐしょぬれのまま横たわっていたという事実にも気づいてしまった。


「すっかり体冷やしてんな。やっぱ着替えないとダメだ」


「……あの、ユウくん? なんで私、ここに……っていうか、そもそもいったいどうしてこんなことになってるの?」


 ユイには記憶がまるでない。待ち合わせの場所で合流出来たところまではかろうじて覚えているが、その後がさっぱり思い出せない。


「お前、雨に打たれて熱出して倒れたんだよ。で、とりあえず俺がおぶってここまで連れてきた」


「あ……お手数おかけしまして申し訳ございません……ここ、ユウくんの家だよね? ごめんね、ベッドも濡らしちゃって」


「気にすんな。見た感じ、もう熱はだいぶ下がってきてるんだろ? それだけで十分だ」


「熱が出てたって記憶は全然ないんだよね。寝かせてくれたのが良かったのかなぁ。……それで、部屋に着いた後は?」


「着いた後はとりあえず部屋を暖めて、タオルを持ち出して……」


「持ち出して?」


「……体を拭いてやろうか迷ってるところでお前が目覚めた」


 なるほど、言われてみれば確かに傍らにタオルがある。ユウが言っていることは本当なのだろう。微妙に照れているというか、妙に恥ずかしがっている様に見えるのは、寝ている美少女の体に勝手に触っていいものか迷っていたからか──と、ユイは当たりを付けた。


「起きてくれてよかったよ、ホントに。そのジャージ、見るからに水を吸ってるからさ。着てたら治るもんも治らねえ」


「あはは、別にそんな変に気を使う必要なんてなかったのに。普通に脱がしてくれて大丈夫だったよ?」


「お前なあ! マジでそういうところ気を付けろよ! 楽観的にもほどがあるぞ!」


「まさか、ジャージの下は下着だと思ってたの? あれからちゃんと防御力の高いシャツを着るようにしてるからへーきだよ!」


「ばっ、おま──!?」


 赤くなって狼狽えるユウを満足気に見つめながら、ユイはジャージのファスナーを一気に引き下ろし、それをばさりと豪快に脱いだ。冷たくびしょびしょのそれを脱ぎ去った解放感が素晴らしい。暖かな空気が肌を優しく撫でてくれて、むしろ先程よりも体感温度はずっと上がったと言える。


 もちろん、ちゃんとその下には普通のTシャツを着ているから問題ない。胸にワンポイントの入った、どこにでも売っているような白いシャツだ。運動着にも寝間着にも出来そうなデザインで、露出はかなり少なく、色気のいの字も感じない代物である。


 男の子のことなんてほとんどわからないユイだけれど、さすがにこんなに野暮ったくてダサいシャツに魅力を感じるやつはいないってことくらいは、わかる。


「どうよ? これなら問題ないでしょ? あ、そこのタオルを取ってくれると──!?」


 だけど。


 だけれど、ユイの目の前にいるユウは、今まで見たことのないくらいに真っ赤になり、固まっていた。


「……えっ、ユウくん、割と守備範囲広い感じ? こんなのでもいいの?」


 おそるおそる、確かめるようにユイはユウに近づいていく。三人の不良を相手にしても臆すことなく振る舞えるユウのはずなのに、見るからに挙動不審となり、口をパクパクとさせて、その場から動けないでいた。


「おーい、ユウくーん……?」


 彼我の距離、拳五個くらい。ユイが自分から動いた中では、最もユウに接近できた距離だろう。


 せっかくなので、ユイは呆然としているユウの目の前で手の平をひらひらと振ってみた。ついでにお返しとばかりにほっぺを軽く叩こうとして──


「こんの、バカ娘がっ!」


「わっひゃいっ!?」


 顔面にタオルを投げられ、ユイの視界が塞がれる。慌ててタオルを引きはがしたころにはユウは部屋の片隅へと移動しており、そして壁と直面──すなわち、ユイに背中を向けていた。


「ひっどーい! なにす──!」


「黙って自分の姿を見てみろ。話はそれからだ」


「──え?」


 真剣な、辛うじて絞り出したかのような震える声。


 そして、ユイは気づいてしまった。


「う……嘘でしょぉ……っ!?」


 なるほど、たしかにシャツは着ている。


 だけれども、めっちゃ透けていた。


 それはもう、見事にスケスケだった。


 具体的には、シャツの下の下着の色と形がわかって、ついでにぴっちり張り付いた肌の質感もわかって、おへその位置も、そのボディラインもわかるくらいに透けていた。


 それもそうだろう。ジャージがあれだけ水を吸っていたのなら、その下のシャツだってびしょびしょになるに決まっている。むしろ、そうならないほうがおかしい。


 ありていに言って、視覚的な意味でそのシャツはシャツとしての役割を全く果たしていない。いや、ある意味では大きな役目を果たしているとも言える。着ていないのとほぼ同義ではあるが、着ているからこそいろいろとアレだった。


 ユイにとって災難だったのは、今日に限っていつものスポブラじゃなかったことだろう。防御力の高いシャツだから別にいいか──と、いつものやつをつけてきてしまったのである。


 ちなみに、水色だった。


「……み、見た?」


「見たというか、見せつけられた」


「…………今すぐここから逃げ出したい」


「その格好で外に出たら、間違いなく痴女だな。いや、もうすでに痴女か。おめでとう、ニートは痴女に進化した」


「それ傷心の女の子に言う言葉ぁ!? もっとこう恥ずかしがったりさっ! 謝ったりさっ! なんかいろいろあるんじゃないの!?」


「うっせぇ! 十分紳士的な対応しているだろうが! お前マジでその辺の意識どうにかしろよ! 俺じゃなきゃだいぶヤバかったぞ!?」


「……今もだいぶヤバかったり? やーい、えっち大魔王」


「こんの、クソアマ……!」


 これくらいはいいよね、と心の中で告げてからユイはユウをからかいだす。どうせユウはこちらを振り向いたり、ユイに近づくことなどできはしないのだから。


 それに、そうでもしなければこの気恥ずかしさはとても隠せない。今でさえ、そのあまりの恥ずかしさのせいで頭がよく回っていないのだ。


 向こうを向いていてくれた本当に良かったと、ユイは心の底から思った。


「どーしよっかなー? ここで私が悲鳴の一つでもあげれば、大変なことになっちゃうかもなー?」


「ばっ──! お前、マジでそれはやめろ! 冗談抜きにシャレになんねえだよそれは!」


「いやまあ、さすがに冗談だけどさぁ? 私が恥ずかしい思いをして、ユウくんは嬉しい思いをしたんだから、何か一つくらい私にいいことあってもよくない? なんか言うこと聞いてくれたりしてもよくない?」


「この野郎……! 自分から見せつけてきたくせにそれかよ……! 痴女のくせに当り屋まで兼ねてやがるのか……!」


「私、野郎なんかじゃないも──へくちっ!」


 途切れる会話。一瞬訪れた沈黙。和やか(?)な雑談は唐突に終わりを告げ、二人の心にいくらか冷静な部分が戻ってきた。


「……さて、冗談抜きにそろそろまじめにやるか。マジで風邪ひいちまう」


「そ、そだよね……言われてみれば私、ずっとぐしょぬれのまんまなんだよね……」


「……とりあえずお前、風呂入るか? いや、つーか入れ」


「お、お言葉に甘えさせていただきます……」


 濡れたジャージを羽織りながら──もちろんファスナーはしっかり締めてある──ユイはありがたくユウのその提案に乗ることにした。友人の、それも男の子の家の風呂を借りるのなんて初めての経験だが、さすがに四の五の言っていられない。こんな濡れたジャージを着て帰ったら、間違いなく家にたどり着く前に体を冷やして再び倒れることだろう。


「えーと、石鹸とかは風呂場にあるからいいとして……タオルはバスタオルと、それと別に一枚あればいいのか? ……面倒くせぇ、もう一枚つけとくか」


「う、うん……体拭くのと、髪をまとめるのがあれば大丈夫だけど……」


「服は……俺のジャージとシャツを貸してやる。サイズはちっとデカいが、まあなんとかなるだろう。デザインがダサいとか、男が着たのは嫌だとか、そういう反論は認めない」


「あ、あはは……ユウくんのなら別に気にしないよ?」


「言っとくけど俺のジャージ姿で帰ってもらうってことだからな? 一応、ウチの洗濯機は乾燥もできるタイプだから、お前のそのジャージも時間さえあればなんとかなるんだが……そんな恰好のお前を連れ込んだのが家族にバレると、その、いろいろとまずい」


 もちろん、それはユイも同じだ。今でさえだいぶ危険な綱渡りをしているし、ばれたら間違いなく大事になってしまう。


 そうならないために、ユイはいつだって顔を隠し、そして自分だとわからないようにあえて芋臭くてダサすぎるジャージを身にまとっているのだ。


 ユイがそんなことを考えている間に、ユウは手際よく準備を進めていく。箪笥から白いラインの入った黒いジャージを取り出し、大きめのバスタオルを一枚、さらにはスポーツタオルを二枚ほどきれいに畳んだ状態でユイの目の前に置いた。


「よっしゃ、これで大丈夫だろ」


 満足気なユウ。だが、実は全然大丈夫じゃなかったりする。


「あの……ユウくん……」


 これも一種のセクハラになるんだろうか、なんて思いながら、ユイは意を決して聞いてみることにした。


「あの、その、それ以外の……アレって、ない……よね?」


「……あれ? あれってなんだ?」


「おねがい、察して」


「つってもなあ。女って風呂にいろんなもの持ってくらしいし、やることだってたくさあるんだろ? 俺にわかるわけないだろうよ」


「……その、ユウくんも使うものだよ」


「俺も使うもの? ……まさか、乳液だとか化粧水だとかそんなやつか? 男にどんな幻想抱いているか知らねえけど、少なくとも俺は石鹸とシャンプーとタオルがあれば問題ない人種だからな」


「そうじゃなくて……その、あの……」


「ええい、まどろっこしいな! 別に今更だ、はっきり言えよ!」


「……したぎ」


「……………………えっ」


「したぎ」


「したぎ」


「ぱんつとか、ぶらじゃーとか」


「……」


 ユイにとっては、由々しき事態であった。その理由は、あえて語る必要もないだろう。


「お、お前……男に向かってなんちゅうことを……」


「はっきり言えって言ったのは、そっちだよ? ……で、あるの? 男の子って……こう、実はそういうの、隠し持ってるって聞いたことがあるの」


「……」


 もちろん、ユイが言ったのは半ば冗談だ。ダメで元々、本気でそれを期待していたわけじゃない。ちょっとからかって、その反応を見たかっただけである。


 第一、もし本当にそんなの持っていたらドン引きだし、いろんな意味で使用済みであろうそれにどんな反応をすべきかわからない。というか、持ってるだけならまだしも、ユウが平然とそんなものを自分に渡すような人間だと思いたくない。


「……」


「……え゛っ」


 だのに、ユウは無言で立ち上がり、箪笥を漁り始めた。


 ああ、いろんな意味で終わった──と思った瞬間、何やら白い包帯のようなものがユイの目の前に落ちてくる。


「……なに、これ?」


「サラシ」


「サラシ」


「時代劇とか、あるいはマンガとかでもよく見るだろ? こう、胸に巻くんだ。何もないよりかはマシだろ」


「なんでそんなの普通に常備してるの……」


「細かいことは気にするな。で、下の方だが……」


「ま、まさかふんどしとか言わないよね!? それやるくらいならノーパンで帰るよ!?」


「だから、男の前でそういうことは言うんじゃねえ! アホなこと言ってないでさっさと風呂入ってこいっ! 階段降りてすぐのところだからな!」


「わっひゃい!?」


 投げられてきたそれ。ユイは慌ててそれとお風呂セットをひっつかみ、バタバタと階段を下りていく。


 かくして、乙女の秘密は守られた。なお、ちょうどこの日になぜかユウの新品の下着が一枚消えてなくなっていたそうだが、その真相は闇に葬られたという。

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