51 尋問
「さぁて、お楽しみの質問タイムといこうか?」
「げ」
事務所。姫野から頼まれたちょっとした雑用を果たしにダンスレッスンスタジオを訪れたユウは──そこで、ユウが来ることを予知していたとばかりに待ち構えていたホタルに捕まった。
「おやおや、ひどいねえ。アイドルと会った第一声がそれとは」
「いや……ホタルさんこそ、レッスンは」
「休憩中。故に、私とキミを邪魔する者はいないのだよ!」
初めて出会ったあの日は少々不幸な事故があったものの、今ではもうすっかりホタルはユウと打ち解けて、こうして普通に話せるようになっている。より正確に言えば、時間の経過とユウの人柄がわかってきたこと……そして、それ以上の大きな興味のおかげで、あのトラウマ(?)をすっかり乗り越えることができたのだ。
「俺、姫野さんの手伝いが──」
「逃げるな、咲島くん。その荷物、この後のレッスンで使う小道具だから。この後みんなここに来るから、それまで付き合え」
逃がすつもりは一切ないのだろう。どのみちここはユウにとってはアウェーで、ホタルにとってのホームでもある。逃げたところですぐ捕まるばかりか、最悪の場合、もっと大きな火種になりかねない。
瞬時にそう判断したユウは──なるべく穏便に終わりますようにと、心の中で全力でお祈りをした。
「さて。さてさてさて。実はだね、例のあの日から……ユーリの調子が凄まじく良くてね。ダンスはキレッキレ、歌もばっちり、なによりも……あの表情! 同じ女の私でさえもキュンとしてしまうほどだったよ」
「それは何よりですね」
「…………あの日、何があった? その辺詳しく、お姉さんに言って見ようか?」
ホタルはからかうように笑いかけ、ユウを促す。ちなみに、ユウとホタルは──というか、何気にあの場にいたアイドル全員とユウは同い年であった。
「いや、マジで何もないっす。道場をチラッと見せて、妹と一緒に昼飯作って……その後三人でゲームしておしまいですね」
「え……本当にそれだけ?」
「ええ。むしろ俺は放置気味というか、ずっと妹と喋ってばかりで……ん?」
「なるほど、外堀から埋めにいったわけか」
外堀も何も、そもそもとしてアイに卵焼きの作り方を教えてもらうのがユリの目的だったのである。それ自体は別に不思議でも何でもないわけなのだが、だからこそ今この瞬間においては、ユウが何を言おうとも余計にホタルを喜ばせることにしかならないということでもある。
「で、具体的にはどんなことをおしゃべりしていたんだい?」
「……言わなきゃダメっすか?」
「別に構わないよ。その場合、友達にはとても言えないことをしゃべっていたんだ……って、文字通りそのまま受け取らせてもらうまでだ」
「……俺、アイドルってみんなに優しい誠実な人間だって思ってたんですけどね」
「アイドル云々に限らず、こういうお話は女の子の大好物なんだよ」
こうまで言われたら、もう観念するしかない。どのみち口ではどうあがいても勝てない──ユウの最も得意とする武器を使えない以上、敗者として潔く散るしか、ユウに残された選択肢はなかった。
「まぁ……覚えてる、というか聞こえた範囲ですけど」
「ふむふむ」
「妹があいつにどんな関係なんだ、って聞いてました。あいつは、どういう関係なの? ってなぜか俺に聞いてきました」
「お、おおう……!」
「あと、お姉ちゃんって呼んでもいいか、って聞いていました。あいつは、良いよって答えてました」
「ド定番……! というか咲島くん、嫌がってた割にははっきり答えてくれるね……!?」
「こーゆー話を聞きたかったんでしょうに……聞くまで引かないつもりだったんでしょうに……」
「うん、それ正解」
とはいえ、とここでホタルがわざとらしくストップのジェスチャーをした。
「うーん、思っていた以上にガチなものだから、さすがに迂闊に聞くのは忍びなくなってきたぞ……。続きは本人の前で、かつみんなが揃っているところでにしようか」
「これで終わりって選択肢は?」
「ないね」
思わず惚れ惚れとするほどの満面の笑み。ああコイツ、今この瞬間を全力で楽しんでいやがるな──と、ユウはほんのわずかに残っていたホタルへの尊敬の念を、この瞬間をもって全力で投げ捨てた。
「あっ! ホタル、何やってんの!」
「咲島くんも……ああ、そういうことですね」
入口の方から聞こえてきた声。確認するまでもなく、マリナとミチルのものだ。二人ともが片手に飲み物を持っているところを鑑みるに、自販機エリアにでも立ち寄っていたのだろう。休憩時間なのだから、それはいたって普通の話だ。
そしてもちろん……休憩時間が終わりに近づけば、元のこのレッスンスタジオに戻ってくるというのが道理である。こうして新たなる援軍(?)として二人がここに現れたのは、避けられない運命だと言って良い。
「なに? この前のお家デートの話でもしてた?」
「いや、あの」
「うふふ……咲島くんはきっと違うと言うでしょうけれども、世間じゃアレはお家デートって言うんですよ」
あれからずっと見るからに調子いいもんね、と二人はホタルと同じようにきゃっきゃとはしゃぐ。すでにばっちりユウのことを取り囲んでいて、アイドルらしい可愛い輝く笑顔の裏に、絶対にここから逃がさないぞ──という、修羅のそれが混じっているのがユウには感じ取れてしまった。
「で、どこまで話したの? それともこれから問い詰める感じ?」
「それがねえ、思った以上に真剣なアレだったから……ここでお開きにしようかなって」
「えーっ!? ホタルばっかりずるいじゃん! せめて、聞き出せたことくらいは教えてよ!」
「もちろん。まずは軽めの物から……『お姉ちゃんになってもいいよ』って妹くんと話していたらしい」
「おっ……!?」
「まっ……!?」
「びっくりだよね。今のこの日本において、ユーリが妹くんのお姉ちゃんになるためには……ねえ?」
「そ、そういうことですよね……!? もう、そんなところまで……!」
「あの、普通に姉妹に憧れてたってだけっすからね? そういうの、割とよく聞く話っすよね?」
純然たる事実。だけれども、今この瞬間においては事実よりも「話していて楽しいか」のほうが重要だ。少なくとも、ユウ以外の三人にとってはそれが真理であり、そしてユウが弁明しようとすればするほど、余計にそれは盛り上がってしまうのである。
「なるほど、なるほど……『お姉ちゃん』に咲島家の味を教えようと奮闘する妹ね……!」
「きっとさぞかし素敵な光景だったんでしょうね……! あっ、その妹さんの写真とかって……!」
「む? そう言えば……持ってるだろ、咲島くん。ホラ、見せたまえよ」
もはや「お願い」の体裁すら整っていない。チンピラよろしくそれを強要するアイドルは、とてもアイドルとは思えないほど鼻息を荒くしてユウに迫ってきている。
「右かい? それとも左のポケットかい? それとも全身弄られるのが好きなのかい?」
「……アイドルのイメージ、ぶっ壊れたなあ」
「よく言うよ。ろくすっぽ知らなかったくせに」
どうせ遅いか早いかの違いでしかないんだろうな──と悟りの境地に達したユウは、あの日の夜のうちにユリから送られてきたその写真をスマホに表示させた。
「おや、意外とすな──おっ!?」
「どしたの、そん──なっ!?」
「わ、わあ……!?」
ホタルは目を見開いて。
マリナは口をあんぐりと開けて。
ミチルはどことなく気まずそうに視線を泳がせている。
「妹くん……だよね?」
あからさまに失礼な態度を取ってしまったことを自覚しているのだろう。ちょっと見ていて気の毒なほど冷や汗を流したホタルが、恐る恐ると言った様子でユウに問いかけてきた。
「正真正銘、俺の妹っすね……合成写真みたいでしょ?」
「いや、その……ははは」
「本人、別に気にしてないんで大丈夫っすよ」
ユウよりも高い身長に、それに負けないがっしりとした筋肉質な体格。シルエットで見ればユウよりも二回りは大きいという、花の女子高生にあるまじきマッスルボディである割に、顔だけは普通の女子高生。
そんなプロレスラーみたいな体付きの女子高生が、いかにも女子高生らしく一人の女の子を後ろからぎゅっと抱きしめている写真。体格さえ気にしなければよくある写真なのだが、スルーするにはあまりにもその肉体は立派過ぎた。
「い、妹くん……だよね? 実は姉だったり……」
「一個下ですよ。悔しいことに俺より身長ありますけど」
「は、発育が良いんだね……?」
「発育ってレベルは超えてますけどね」
「あ……そっか、妹さんも咲島くんと同じように鍛えてるんですね」
「まぁ、そういうことっす」
そう言えば、とユウは思い返す。自分はなんだかんだでかつてに比べて修練の時間は減った──現在の実力を錆びつかせない程度にしか修練はしていないが、妹は今まで通りずっと修練に時間を使っている。
ただ、妹は自分に比べてちゃんと人付き合いがあって真っ当に女子高生をしているから、そういう意味ではまだしも「常識的」な範囲でしか時間を取れていない。
そう考えると、今の自分と妹では、どっちのほうが修練に時間を費やしているのか。
「え……ちょっと待ってくれ。修行だけでここまで鍛えられるものなのかい? というか、普通の女子高生がこうなっちゃうほどの修行をしているのかい?」
「咲島くんも同じようなことやってる……んだよね? なのになんで、咲島くんの見た目は……」
「体質の違いじゃないっすかね? 妹の場合は筋肉がデカくなるタイプで、俺の場合は……引き締まって密になるタイプだった。こう見えて、俺の方が体重有りますよ」
「「え゛っ」」
そのせいでユウは、身体測定の度に計器の故障が疑われたりする。ついでに言うと、単純なBMIの計算では見た目に反して肥満判定だ。
「……」
──今更ながら、あいつよく顔を変えられずにいたもんだな。
否が応にも目立ってしまう体型。アイを初めてみた人間は、目を見開くか二度見する。今でさえも、道すがらに振り向かれることは珍しくない。そんなのもう、アイもユウも慣れ切ってしまって気にもならなくなってきている。
なのに──ユリは。ユリはアイを見ても驚かなかったばかりか、いたって普通に接して見せた。ユウの姉と間違われることの方が多いアイなのに、一発で妹だと見破って見せた……というか、それが妹だと疑ってすらいなかった。
「……あいつ、人を見る目があるのかな」
なんとなく、ぼんやりと浮かんだその考え。
ユウを現実に引き戻したのは、まさしくその当人であった。
「なーに話していたのかなあ……?」
彼我の距離、およそ五歩。いつのまにやらじとっとした不満タラタラな表情を隠そうともしないユリがいる。別に疚しいことなんて何もしていない──バイト先の女友達三人に囲まれて話をしているだけなのに、なぜだかユウはしてもいない浮気現場を見られてしまったかのような気持ちになった。
もっと言えば、どういうわけか今回もユウはユリが近づいてくることにまるで気づかなかった。こちらから気配を探ることはできるのに……否、こちらから能動的に探らないとユリの気配はわからないことが多いのだ。
「疚しいことは何もしてない、ぞ?」
「ふーん……? まぁ、言い訳する人っていっつもそう言うけどね……?」
──私以外の女を三人も侍らせて、言い訳するつもり?
──お前の友達と雑談していただけだろ?
アイコンタクトで、無言のまま始まる会話。幸か不幸か、ユウにはユリが言いたいことが伝わってしまっているし、そしてユリもまた、ユウが言いたいことがばっちり伝わっている。そこに理解を示すかどうかはまた別問題であるのが、ユウにとっては大問題であった。
「……アイちゃんと一緒に撮った写真、見せてるじゃん」
「えっ……事務所の関係者でも写真見せるのNGだったりすんの?」
「……ホタルちゃんたちだし、そっちは普通にOKだけど」
「じゃあ、何の問題もないだろ? アイドルと違って、ウチの妹に写真NGとかはないぞ?」
「……んもう!」
ぷい、とユリはそっぽを向いた。言ってる意味がまるで通じていないことに、何が問題なのかまるで通じていないことにこれ以上に無いくらいのもどかしさを感じた。そして悲しいことに、ユリのその気持ちを理解できるほど、ユウには経験値がなかったりする。
「……これだからユウくんは。何にもわかってないんだから!」
「えええ……理不尽すぎるだろオイ……」
「いやあ……焚きつけた私が言うのも何だけど、咲島くんが悪いねえ」
「なんとなーく察したりとかできそうなもんだけど……」
「恋愛ドラマとか、恋愛漫画とか……ちょっぴりでいいから嗜んでみませんか? よかったらオススメの、貸しますよ?」
「わかんねえ……アイドルが何考えてるのか全然わからねえ……」
おそらく、というか間違いなく。
「アイドルが何を考えているのか」──と考えているうちは、ユウは一生ユリのことを理解できないだろう。残念なことに、ユウは殴る蹴る以外のことはあんまり得意ではなく、そしてこの手の機微を察することに関してはめっぽう弱いのだ。
「……ま、ユウくんだからしょうがないってことにしてあげる。それで、何の話をしていたの?」
「ふむ」
姉になってもいいって言った件。どういう関係かと問い質された件。当然、本人であるユリはそのことを知っているから、ここで伝えたところでどうということはない。というか、あの場での話の全てにおいて、ユリに話したところでただの事実確認にしかならない。
何を話してもいい。正直に話しても、別のことを話しても、なんならぼやかしてもいい。
だけれども──だからこそ。
ユウは、なるべくベターだと思われる選択をした。
「──作ってくれた味噌汁、美味かったって話」
「み゜ゃ」
──何にもわからなくて察しも悪い癖に、どうしてこうも的確なクリティカルは出せるのだろう?
真っ赤になって俯いた乙女と予想外の事態にたじろぐ唐変木を見て、三人のアイドルは心の中でためいきをついた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「……レッスンは順調、調子も良さそう」
後で見返すために撮影していたビデオ。念のために確認していたそれのスイッチを切って、姫野は形の良い顎に指を添えて思考に耽る。
「あれから見るまでもない程に好調……コンディション的にはかつてないほどと言って良い……」
普段の撮影に使うようなちゃんとした機材ではなく、利便性だけを重視した普通のカメラでさえもはっきりわかるほどのその魅力。画面越しであっても躍動感が伝わってくるし、レンズに向けられたあの煌めくような笑顔を見れば、年甲斐もなく心が熱くなってくるようだ──と、ひいき目を抜きにしても姫野はそう断言することができた。
そう、今のユーリは絶好調だ。ブランクなんてなんのその、今までと同じレベルまで……いいや、もしかしたら今まで見たことが無いほどのパフォーマンスを発揮できる状態と言って良い。
「……」
なのに。
なのに、なぜか。
「……大丈夫、よね?」
どうしてか、姫野の中でその不安がぬぐえない。自分の目で直接しっかりレッスンの様子を見たのに──なにもおかしいところはないと思えるはずなのに、「問題ない」とはっきりと断言することができない。
「……私も気弱になっているのかしら」
あれだけの痛ましい事件。ケガ人らしいケガ人が出なかったのだけは幸いだが、かなりの大事であることは間違いない。姫野も、事務所の誰もがそんな事件を経験したことは無く──復帰ライブというそれそのものに、例えようのない漠然とした不安を抱いているのは間違いない。
「……ううん、大人がしっかりしないとね」
ぱしん、と姫野は気合を入れるように両頬を叩く。
誰よりも不安に思ってゐるのは当の本人のはずなのだ。身近な頼れる大人である自分がこんな調子じゃ、保護者として傍にいる意味がない。
「本当に問題があるなら、前みたいに自分で言ってくれるはず。もしそれがなくとも、あの子には……」
姫野は、自分に言い聞かせるようにして呟いた。
「ユウくんが付いているもの。ええ、きっと大丈夫」
──復帰ライブまで、あと少し。




