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42 新しい朝


「ねえ、お兄ちゃん」


 いつも通りの朝。今日も日本人らしい銀シャリとみそ汁、そして卵焼きに夕飯の残りといった朝餉をすっかり平らげたユウは、食後のお茶を飲んでいる中で妹に──アイに声をかけられた。


 ちなみに、この朝餉はやっぱりアイが作ったものである。朝の修練を自主的に行い、その上で朝餉まで作るというのだから頭が上がらない……のはまぁ事実であるとして、実際は単純に、「自分で作るなら自分の好きなものを好きなだけ食べてもいいよね!」というアイ自身の意向により行われているものであった。


「どうした?」


「いやさぁ……気のせいじゃなければなんだけど」


 たっぷり五秒ほどもったいぶって。アイは、にっこりと笑って言った。


「なーんかここ最近、家を出るのがちょっと早くなったよね? 最初は偶然か、急な用事か何かだと思ったけど……もう、そんな言い訳できないよね?」


「……」


「教えろよぉ!」


 言わずもがな、以前に比べて早く家を出ているのはユリを迎えに行っているためである。学校からそんなに離れていないとはいえ、落ち合ういつもの場所はユウの通学路からしてみればちょっぴり寄り道となるところだ。いつも通りの時間に学校へ到着するためには、その分早く家を出るのは必然的なことなのである。


「なんか最近妙に上機嫌というか、雰囲気も明るくなったしさ! おまけにこの前なんて打ち上げに行って夜ご飯だって食べてきちゃったんだよ!? もう、すっごく青春してるじゃん!」


「俺だって高校生なんだから、打ち上げの一つや二つ普通だろ?」


「今までそんなものとは無縁のお兄ちゃんだったから、びっくりしてるの!」


 打ち上げ自体は早めに終わって、その後個別で焼き肉していたんだよな──と、ユウは心の中だけで呟いておく。もしこの事実が明るみになったが最後、妹からの凄まじい追及は避けられないことだろう。


「それでそれで、ホントのところどうなの?」


「んー……まぁ、楽しいのは本当だよ。朝のホームルームが始まる前にさ、みんなでゲームの通信プレイやってるんだ」


「へええ……! いいじゃん、いかにも高校生らしいじゃ……ん? ちょっと待ってお兄ちゃん、ゲームの通信プレイって、いつものやつ?」


「おう。お前、俺が持ってるゲームで通信プレイができるのはアレしかないって知ってるだろ」


「……お兄ちゃん、本当にその友達は大事にしなよ。今時、あんな骨董品のゲームをわざわざ引っ張り出して付き合ってくれる人なんていないからね?」


 アイは知っている。ユウが好むのはかなり古い、もう十年以上前に流行ったレトロなゲームばかりだ。もっと言い換えれば、中古のゲームショップで安く買えるゲームである。もちろん、今やっても面白いものではあるのだろうが、よほどのゲームマニアでもなければ常日頃からそれを楽しむということは無いだろう。少なくとも、学校でみんなでワイワイしながらやるゲームのチョイスとしてはかなり異例なものであると言える。


「でも、お兄ちゃんの友達かあ。なんかちょっと想像つかないや。なんだっけ、天野って人がちょっとこう……マニアックなインテリ系って人なんだよね」


「最大限に言葉を選んだな、お前」


 配慮ができる人間に育ってくれてお兄ちゃんは嬉しいぞ、とユウは心の中で妹を褒めた。


「できればクラスの人気者みたいな、明るいタイプとも付き合ってくれるとあたしとしては嬉しいなあ。あわよくば、もっとお兄ちゃんを明るい社交的なタイプにしてくれちゃったり……!」


 かなりいい線ついていてお兄ちゃんはびっくりしているぞ、とユウは心の中で妹のカンに対する警戒心を強めた。


「失礼な奴だな、本当に……それに、一緒にゲームしている残りはそういうタイプだぞ。まさしくクラスの人気者で、打ち上げとか仕切るタイプだ」


「えっ!?」


「ちなみに女子だな」


「ええええええっ!?」


 頭に浮かんだのは上村の顔。たぶんきっと友達としてカウントしても許してくれるろうとユウは内心びくびくしながら、大袈裟に驚く妹の顔を自慢げに見返した。


「どうだ、お前の兄ちゃんはやればできるやつなんだぞ」


「ちょ、ちょっと待ってよ……いくらなんでもいきなりステップアップし過ぎじゃない……? いや、この場合はその女子のコミュ力が凄かったってことかな。どうせお兄ちゃん、自分から声かけたわけじゃないでしょ? 向こうが気にかけて声かけてくれた感じでしょ?」


「そりゃ、まあ」


「やっぱり……どうせならこう、実はお弁当を作ってもらってるとか、一緒にお昼休みを過ごしているとかそういうのは……」


「……あっ」


「……えっ?」


 頭に浮かんだのは、満面の笑みを浮かべたユリである。なんだかんだで昼休みを一緒に過ごすことが多いし、最近は公認(?)になったから、変に人目を憚ることもなくなった。加えてユリがお弁当を作ってきたときは、例の決闘の権利を使う形で──半ば無理やり使わされる形で二人きりで昼休みを過ごしている。


 そういう意味では、まさしくアイが求めている青春イベントだろう。


「え……ちょっと待ってお兄ちゃん、もしかして冗談じゃなくて本当に恋人とかできちゃったかんじ……?」


 期待半分、動揺半分と言った面持ちでアイがユウに問いかける。この表情のわかりやすさはもうちょっとどうにかしないといけないな……なんて思いつつ、ユウはごくごく自然な様子であっさりと答えた。


「いや、ちょっとした賭けの結果ってやつでさ。クラスで俺だけが大勝ちして、女子に囲まれて昼を食べる権利と、男子からウィンナーパンを奢ってもらえる権利を貰えたんだよ」


「あっ……そっか、そんなオチか……。でも、そういうおふざけを一緒にできる程度には、クラスに馴染めて……楽しめてるんだよね?」


「それは……」


 ユウは考える。今までだって別に、楽しくないということは無かった。天野と二人で喋っているだけで十分で、それで満足していた。ただしやっぱり、馴染めていたかと言われると疑問が残る。


 でも、今は。


 あのアイドルに手を引っ張られて、気づけばみんなで昼食をとるのが当たり前になってる。今はいつだって周りに人がいて、自分一人でぼーっとすることはほとんどない。それが時たま煩わしく感じてしまうことも決してないとは言えないが、以前の自分と比べれば。


「前より楽しい、と思う」


「……そっか!」


 なぜだか自分のことのように嬉しそうに笑う妹を見て、ユウは少しだけ、ユリのことを思い出してしまった。


「俺のことなんてどうでもいいんだよ。それよりお前はどうなんだ?」


「あたし? 修行楽しい!」


「……部活は?」


「修行の合間にできる部活で最高!」


 ユウと違って、その言葉に嘘も偽りも無いのだろう。アイの生活の中心はあくまで咲島流の継承者として自らの実力を磨くことであり、そしてそれを心の底から楽しんでいる。なによりすごいのは、こんな修行中心の生活をしていてなお、ちゃんと学校生活や交友関係を良好に保っている所だろう。それは、今までのユウでは決して真似できないことであった。


「……すげえよなあ、お前」


「そうでしょ! ……あ、でも一つだけ悩みというか」


「なんだ、おにーちゃんに言ってみなさい」


 ここらでひとつ、兄貴らしいところを見せてやろう──とそんな風に考えてしまったユウは、次の言葉を聞いて自らの失策を呪った。


「ユーリちゃんが、未だに音沙汰なしなのが……」


 うっすらと目に涙を浮かべ、文字通り俯いて。先ほどまでのテンションとは打って変わって、清々しい朝に真っ向からケンカを売るようなどんよりとした雰囲気。十人いれば十人ともがぎょっとするほど、アイは悲しそうな表情をしていた。


「お兄ちゃん……実は何か知ってたりしない……?」


 知ってるどころか、毎日会ってる。毎日登下校を共にしていて、同じ教室、隣の席で一緒に授業を受けている。お弁当を一緒に食べて、ついでに手作りのお弁当まで貰ってしまって。つい先日は、一緒に焼き肉まで食べに行くことになった。


 何か知ってる、どころではない。むしろその行動の全てを一緒にしていると言って良い。


 だってユウは──ユーリのボディガードとして雇われているのだから。


「さぁな。……お前もいい加減、しつこいぞ」


 もちろん、そのすべてをユウは秘密にする。どんな事情があろうと仕事は仕事だ。例え家族でも内緒なものは内緒なわけで、バラしたら別の意味で面倒くさいことになるということを抜きにしても、言うわけにはいかないのだ。


「はぁい……じゃ、気を付けて行ってらっしゃい……」


「おう……でもまぁ、なんだ」


 とはいえ。


 兄貴としてはやっぱり、妹の悲しそうな顔というのはなかなかに堪えるわけで。


「──ちょうど席の隣がそういうのに(・・・・・・)詳しい友達(・・・・・)だから、新情報が無いか聞いておいてやるよ」


「あはは、ありがと……期待しないで待ってるよ……」


 

▲▽▲▽▲▽▲▽



「ちくしょう、やっぱり強いなこいつ……」


「通信プレイだと、参加人数に応じてパラメータに倍率掛かるからな」


「マジかよ、初耳だぞそんなの」


 朝。ホームルームが始まるまでの三十分にも満たない時間。かつては一人でゲームを弄っていたユウだが、今は周りに同じようにゲーム機を持っている友人がいる。さらに言えば、その懐かしさと……そして、プレイしている人間目当てに、肩口からゲーム画面をのぞき込む人間も少なくない。傍から見れば、人が集って何かをしているように見えたことだろう。


「私、遠距離からのサポートするね!」


「ユーリちゃんがそうするなら……私は近距離で殴るかなあ。というか、殴るのしかできないし」


「んじゃ、俺は逆サイドからシメるか」


 ユリ、上村、天野。ここ最近すっかり定番となったいつものメンバー。昔に大流行していたゲームだけあって、三人ともがプレイ済みであり、そしてユウよりはるかにゲームが進んでいる。持っているアイテムも装備も充実していて、なによりプレイヤースキルや常套戦術というものに熟達していた。


 故に、ユウはお荷物に近い存在となっている。大して役割を持てないばかりか、けっこうなフォローが無いと全体が瓦解しかねないくらいだ。それが良い感じの緊張感を醸し出し、みんなが楽しめるハンデとして作用しているとはいえ、男として少々悔しいところがあるのは否めない。


「……あっ」


 油断したほんの一瞬。その隙を見逃さず、強大なボスが的確にユウのキャラクターに攻撃を加えてきた。


「ユウくん、だいじょぶ?」


「すまん、助かる」


 みるみる減っていくキャラクターの体力。次の瞬間には、ユリのサポートが入って削り取られた体力が元に戻っていく。そればかりか、パワーアップのための魔法までかけてくれたらしい。ダメージを食らったはずなのに、結果として見れば更なる強化を施された状態となっている。


「……うん?」


 そこで、ユウは気づいた。


「……なあ、一色さん。なんで一色さんだけ、攻撃食らってないんだ?」


「えっ」


 ユウも、天野も、上村も。みんなが大なり小なり被弾しているのに、ユリだけは一切攻撃を食らっていない。それどころか、そもそもとしてボスのターゲットにすらなっていない。あれだけ派手な回復行動をしたら間違いなくターゲットにされるはずなのに、ボスはユリではなく、上村のほうを見据えている。


「普通に高台バグやってるから……ここだとね、なぜかボスから認識されなくなるんだよね」


「……そんなのあるの?」


「うん。このゲーム、この手のバグがいっぱいあるんだよ?」


 ユリの言う通り、ユウも同じ場所に行ってみる。先ほどまでは凄まじい猛攻を加えられていたというのに、その瞬間にぱったりと狙われることが無くなった。


「ここだと援護しかできないから、通信プレイじゃないと意味ないんだけどね」


「待て……じゃあもしかして、一個しか手に入らないはずの武器を上村さんが二刀流で使っているのは」


「コピーバグだよ? モンスターにアイテムを持たせて、管理画面のセーブするところで電源切ると牧場と手持ちの両方にモンスターが増殖するっていう」


「……天野の攻撃力がやたら高いのは?」


「《血の代償》っていう、体力を消費する代わりに強力な一撃を放つスキルのバグだね。本当だったら一発で終わりだけど、《血の代償》を使いながらマップ切り替えするとなぜかそのあとずっと効果が乗り続けるの。槍の突進技とかでやるのが一番簡単かな?」


「…………」


「あれ、咲島そういうバグとか認めないタイプだった?」


「なんだよお前、知らなかったのかよ。みんな知ってるもんだと思ってたぜ」


 みんなが知っているあまりにも有名なバグ。もはや常識に近いそれだから、あえてわざわざ確認を取るものでもないと三人ともが思っていたらしい。逆に、このゲームのプレイヤーでそのバグを知らない人間は珍しいとすらいえるレベルだ──と、天野は画面から目を離さないままに告げた。


「どうする、こだわりがあるならやり直すか?」


「いや……ここまで来たならやっちまおう。それに裏技使ってこの状況なんだ、普通にやってたらホームルームに被っちまう。ガチな勝負はまた今度で」


「りょーかい。本当にヤバかったら、充填メテオ弾っていうぶっ壊れバグで片づけるから安心しろ……おっと、こいつは高台と同じでバグじゃなくて仕様だったな」


 別段、ユウにその辺のこだわりはない。裏技やバグもゲームの醍醐味の一つだと思っている。お互いがそれに納得しているならば、どう楽しもうと勝手にすればいいというスタンスであった。


「ユウくん、攻略情報とか見ないタイプだったんだね。なんかちょっと意外」


「そうか? 説明書だけしっかり読めばだいたいいけるし、不便を感じたことは無いな」


「そうなんだ。ユウくんみたいなゲーム好きなら、そういうのを調べ込むのかなって何となく思ってたよ。……ちなみに、わからないこととか聞きたいこととかあったりする? この先輩が何でも答えてあげよう!」


 画面を真っすぐ見据えながら、ユリがえへんと胸を張る。ゲームのキャラと比べるとアレだけど、現実で考えるとかなり「ある」んだよな──なんて、とんでもなく失礼なことを頭の片隅で考えながら、ユウは何気ない様子で問いかけた。


「何でも……か。そういや一つだけ、気になってることが」


「ん、なーに?」


「一色さん、最近仕事の方はどうなんだろうなって」



「「!?」」



 時が止まる。天野の手も、上村の手も──そしてもちろん、ユリの手も止まった。


 当然、そんな棒立ち状態で勝てる相手じゃない。一番近くにいた上村のキャラがあっという間に倒されて、続くようにして天野のキャラも倒されて……ユウの画面には、ミッション失敗を告げるメッセージが大きく表示された。


「あー……どうしたんだよ、あとちょっとだったってのに」


 ユウのつぶやき。妙にそれが大きく響いたのは、教室の中にいる全員が唖然として言葉の一切を紡げなくなっているからだ。


「さ、さ、さ……咲島ぁ!? あんたいきなり何言ってんの!?」


「おま、それってだいぶタブーなアレじゃねえの!? いやそりゃ、たしかに気になってたけどさあ!?」


 ゲームなんてそっちのけで、上村と天野がユウに詰め寄る。その二人の言葉は、今ここにいるユウ以外の全ての人間の言葉を代弁していた。


 ユリの本来の仕事(すがた)はアイドルだ。人気絶頂の流行の最先端を行く超大型アイドルであり、本当だったらこんなどこにでもある高校の教室でクラスメイトと仲良くゲームをしているような人間じゃない。


 そんなアイドルが今こうしてユウたちと同じ教室にいるのは、その活動を休止しているから。かつてのライブにおける傷害未遂事件のゴタゴタが収まるまで、公の場から姿を消しているから。色々諸々落ち着くまで、内緒で高校生活を営んでいるというわけである。


 つまり、ユウがさらっと口にした言葉は──非常にデリケートな話題であると同時に、下手に突くとこの夢のようなスクールライフを終わらせかねないものでもあるのだ。


「なんだよ、みんなして……クラスメイトにバイトの調子を聞くのと変わんないだろ」


「んなわけあるかぁ! 咲島はねえ! もっとこう、ユーリちゃんが同じ教室にいる幸せを正しく認識するべきだよ!」


「そうだそうだ! だいたい、みんなだって気にならないわけねえんだよ! だけどなあ! ユーリちゃんが何も言おうとしないのに聞けるはずないだろうが! だったら、ファンとして自分から話してくれるまで待つのが正しい姿だろ!?」


 やらかしちまったか──と、不安そうに天野がユリを見る。


 ユリは、両手を胸に当てて深呼吸していた。


「ちょ、ちょっと待って……! いきなりの不意打ちで、今すごく心臓バクバクしてるの……!」


「大袈裟だなあ、一色さんも」


「お前のデリカシーが無さ過ぎるんだよ」


 ひとまずNGワードではなさそうだったことに安堵して、天野と上村はそれぞれユウに肩パンする。素人のそれを食らったところで痛くもなんともないユウは、あえてそれを甘んじて受け入れた。


「お、驚いたぁ……! まさかあのユウくんがそんなの気にするなんて。いきなりどうしたの?」


「んー……俺というか、妹がずっとくよくよしているんだよ。あの日以来、何の音沙汰もないから」


「あっ……そっか、アイちゃんが」


 クラスのみんなが、ユリの発言に耳を傾けている。これから語られるのは、事務所の公式HPにも載ってなければテレビでも語られていない、トップシークレット中のトップシークレットだ。誰よりも早くその情報を手に入れられたというその事実は……場合によってはマスコミが万単位のお金を出してでも欲しがるものだろう。


 ちょっとだけ悩ましそうに眉間に皺を寄せたユリは、可愛らしいくちびるに指を当て、まさにアイドルらしいポーズを取りながら言った。


「うふふ、ごめんね! 関係者じゃないと(・・・・・・・・)、教えてあげられないの!」


 ──だから、あとで教えてあげる。


 みんなが残念がる中で、ユウにだけしっかり届いたアイコンタクト。言葉通りの意味なのに……いや、言葉通りの意味だからこそ伝わったそれ。


「そうか、残念だ」


 言葉でそう告げながら、ユウはゲームの個別チャットでサムズアップの絵文字を送った。

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