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37 カラオケ!


 ほう、と誰かがため息をついた。その光景が、あまりにも美しくて──とても幻想的に見えたからだ。


 色とりどりのイルミネーションに彩られて、少女が少年に手を差し出している。いや、手を差し出しているというよりも、指を突き付けていると言ったほうが正しいだろう。ただ、それにしては雰囲気が──甘く、切ない感じがするのだ。


 熱っぽく、潤んだ目。はっきりわかるほどに紅潮した頬。マイクをぎゅっと握りしめたその手はかすかにふるえている。きっと、それを無意識で捉えていたからこそ、指を突き付けているのではなく、手を差し出しているように見えてしまったのだろう。


「──あ」


 耳に残っていた余韻が、少女が漏らした声によって掻き消えていく。しんと静まり返ったボックス内に明かりが戻り、誰もがはっとした様子で辺りを見渡した。


「あれ……二番は……」


「……咲島が選んだの、ショートVerだったみたい」


「あっ……そっか! そうだよね!」


 ふう、とユリは胸に手を当てて深呼吸をした。たった一曲軽く歌っただけなのに、どうにも体が熱くて心臓のドキドキが収まらない。これがカラオケに潜む魔物か──なんてくだらないことを考えつつも、やはりほっぺは熱いままで、耳の奥でははっきりわかるほどに血が巡る音がする。


 なにやら【サービス】にしてはあまりにも露骨で過剰なことをしでかしてしまった気もするが、これはカラオケのせいなんだとユリは必死にそう思い込むことにした。


「ユーリちゃん……今の、咲島にやったやつ……」


「……MVPだから! 今日はユウくんが主役だから、今日だけの特別っ!」


「そ、そうだよね……! うん、そうだよねっ!」


「そっか……あれだけ活躍すれば、俺もユーリちゃんにアレやってもらえるのか……!」


 ごめんだけど、絶対それはないと思う──と、ユリは心の中で訂正を入れる。本当に申し訳ないとは思うが、しかしユリはユウ以外にアレをやるつもりは毛頭なかった。


 というか、それよりも。


「あの、ユウくん……」


 つい先ほど、ついついユリがやらかしてしまった相手。そんな相手は、さっきと寸分たがわぬ恰好のまま固まってしまっている。


 果たしてそれが良い意味なのか、悪い意味なのか。全国百万人のファンを抱えるアイドルであっても、その判断は付かなかった。


「ユウ、くん……?」


 知りたい。でも、知りたくない。聞いてみたいし、聞くのが怖い。そんな相反する気持ちを抱えたまま、ユリはユウの顔を覗き込もうとして──。


『おつかれさまでした! 気になる採点結果は──!?』


「わっひゃい!?」


 スピーカーから飛び出てきたドラムロール。完全なる不意打ちに、ユリは思わず振り返った。


『──87点! すごいけどちょっと惜しい!』


「……はぁ!?」


「壊れてるぞこの機械!」


「野郎、俺達のユーリちゃんを舐めやがって……ッ!! ぶっ壊してやろうか……!」


 その場にいたみんながブチ切れた。これが他の人だったならともかく、アイドル本人がその持ち歌を直接歌っているのだ。これが100点でなければ何が100点だという話である。


 しかも今回は、相手が悪い。よりにもよって、みんなが尊敬を通り越して崇拝しているユーリだ。


「は、はは……言われてやんの」


「あ……ユウ、くん」


 どうやらユウがフリーズから復帰したらしい。嬉しいような、ちょっぴり残念なような、なんとも言えない甘酸っぱくも切ない気持ちがユリの胸に広がった。


「うー……ちゃんと歌えていたと思うんだけど。やっぱりカラオケだと勝手が違うのかなあ」


「そうかもな。環境も違えば変わってくるもんだろ。でもまぁ、所詮は機械の採点だ。あんまり信用できるものでもないと思う。それに……」


「それに?」


「……俺は、良かったと思う。文句なしの100点だ」


「~~っ!! ユウくんっ! そういうとこっ!」


「なんだよ、アイドルに歌が凄いって誉めただけだろうよ……」


 ユウにとってもユリにとっても幸いだったのは、みんなが機械に対して因縁をつけていたことだろう。おかげで、今のそれなりに際どい発言も「あ、またあいつが何も知らずに変なこと言ったんだな」くらいにしかとらえられていない。良くも悪くも、ユウの普段の行いが結果として実を結んでいた。


「ん゛! じゃあさっそく次行ってみようか! 個人的にはこの後全部ユーリちゃんの生歌を聞きたいところだけど……」


「えー!? せっかくお金払っているのに歌わないなんてもったいないよ! みんなももっと歌おうよ!」


「いや、マジにすでにさっきのだけで十分すぎるほど元が取れてるから……。百万円出してもあんなの体験できないから……」


 ともあれ、これはあくまでみんなの打ち上げとしてのカラオケだ。結果としてユリが歌う機会が多くなったとしても、しかしそのすべてをユリが歌っていいはずがない。ユリ自身、出来ることなら普通の高校生らしくみんなでカラオケを楽しみたいという気持ちが少なからずあった。


「でも……ユーリちゃんの後に歌うのって、なかなかハードルが……」


「盛り上がったのは間違いないけど、前のレベルが高すぎて……ねえ?」


「おい天野! こういう時こそお前の出番だろ! なんかこう、マニアックな曲とか歌ってくれよ!」


「うるせえ! 俺はまださっきの余韻に浸りたいんだよ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐクラスメイト達。ユリはその様子をにこにことひとしきり眺めてから、パンと手を叩いた。


「決まらないなら指名しちゃうからね! ……そうだねえ、ここは優香ちゃんで!」


「わ、私!?」


 ぐい、とユリは上村にマイクを押し付ける。そしてデンモクを手に持ってそのキラキラとした瞳を上村に向けた。


「曲はどうする? ……ワガママを聞いてもらえるなら、私の曲を歌ってほしいなあ」


「え……そりゃ、一回くらいは歌おうと思ってたけど……」


「だってぇ……! いっつも自分で歌うばかりで、他の人が歌っている所ほとんど見たことないんだもん……!」


「ああ、そりゃそうだよね……」


 その歌を歌うのに世界で一番ふさわしい人がそこにいるのに、あえてわざわざその本人の目の前でその歌を歌う人間なんて、普通はいない。


『はぁー……よし! 正直だいぶヤケクソ感があるけど、二番手上村、【O'ast Kitten!】歌います!』


「頑張って、優香ちゃん!」


『とりあえず咲島! そこのタンバリンとかよろしく! みんなも手拍子とかでなるたけ盛り上げて! もうそこしか差別化できない! あとユーリちゃん先生! 終わったらガチの採点と講評よろしくぅ!』


「いぇーい!」


 そして暗くなるボックス内。先ほどと同じ意味深な映像がモニターに映し出され、煌めくイルミネーションがチカチカとユウの目の前で踊っている。


『~♪』


 さっきのユリと同じように、上村が歌い出す。いかにもそれらしいというか、上村は明らかにカラオケに慣れていた。ユリがアイドル的な意味で歌が上手いのだとすれば、上村はカラオケでのそれに特化しているような……なんというか、すごく馴染んで自然に聞こえるのだ。


「いぇーい!」


「うぇーい」


 みんなの手拍子や合いの手に合わせてユウも少しばかりの声を上げ、そしてシャンシャンとタンバリンを鳴らす。その隣では同じように、ノリノリになったユリがマラカスを振っていた。


 ユリの時とは別の意味での盛り上がり。カラオケとしてむしろこっちの方が正しい想定と言っていいような……高校生が「歌を歌う」ことそのものを楽しんでいることで生じるそれ。ユウにはあまり理解できないが、なるほど確かにハマる人が出てくるのもわからなくはない……と、そんな風に思えてしまうそれ。


『かーがみの前で はーなまるつけてぇー♪』


 上村の歌もまた、上手だった。高校生のカラオケのレベルとしては間違いなくトップクラスだろう。


『私だけ見て O'ast Kitten!』


 それでもやっぱり──それだけだ。ユリの時には感じられた心揺さぶる何かは、上村からは感じられない。少なくとも、ユウにとってはそうだった。


『はー……! めっちゃ緊張したぁぁぁ……!』


「優香ちゃん、すっごく良かったよ!」


『ひゃあああ……! ヤバい、これ以上に無いくらい感慨深い……!』


 いろんな意味でテンションが振り切った上村が、そっとマイクを机に戻して席に戻る。ちょうど同じくらいのタイミングで、例のドラムロールが鳴り響いた。


『おつかれさまでした! 気になる採点結果は──!?』


「何点くらいなんだろうな。全然想像つかねえや」


「やー、みんなの合いの手とか楽器の音とか入ってただろうし、たいしたことないと思うよ。何よりユーリちゃんのガチで90点にも届かないんだから……」


『──97点! めっちゃすごい! もしかして本人!?』


「「……」」


 ボックス内に落ちる沈黙。引きつった笑みを浮かべるユリ。気まずさと申し訳なさと居心地の悪さをいっぺんに感じているであろう上村は、どうしていいかわからずに固まってしまっている。


 そんな沈黙を打ち崩したのは、やっぱりユウであった。


「すげーな、本人超えちまってるぞ」


「咲島ァ! あんた、この空気でよくもまぁそんなこと平然と……!」


「やっぱこの機械ブッ壊れてるんだって! そうじゃなきゃおかしいだろ!」


「そ、そうだよ! というかやっぱ機械なんて当てにならないよ! 本人が歌ったのが百点に決まってるじゃん!」


 天野を始めとして、次々にフォロー(?)の声が上がる。機械が壊れているだとか、そもそも機械の採点なんてあてにならないとか、機械に芸術がわかるはずがないだとか。ユウ個人としては、たかだかちょっとした余興になんでそこまで本気の否定をしているのか、逆にそっちの方が色々諸々気にしていることになるのではないか……と思わなくもない。


「え、と……ユーリちゃん?」


 おそるおそる、上村がユリに声をかけた。


「…………」


 ユリは無言で、ボックスの外に出て行った。


「……」


「……ねえ、ユーリちゃん出て行っちゃったんだけど」


「……だな」


「……」


「……なんだよ」


「なんだよじゃないよ! どうすんのよ咲島ァ!」


 そんなの言われてもどうしようもないとユウは心の中でごちる。自分に詰め寄るも前に、追いかけたほうがまだいいのではないか……と言おうとして、それでは余計に上村に油を注ぐだけだと考え直した。


「いや、普通にトイレとかだろ」


「あんたさぁ!」


 とはいえ、ユウは知っている。ユリは間違ってもこの程度で傷つく玉じゃないことを。ああ見えて結構したたかで負けん気も強く、やられたからと言ってそのまますごすごと引き下がるような人間ではない。だいだい、アイドルなんていう競争の激しい業界で活動している人間が、そんな気弱であるはずがないのだ。


 実際、その考えは正しかった。


「もう一回! これでもう一回だぁ!」


「「!?」」


 ばん、と勢いよく入口の扉が開かれた。そこに立っていたのは当然のようにユリ……ではあるのだが、先ほどまでとは装いが違う。


 具体的には、ユリのアイドルとしての勝負着──あの、衣装を身にまとっていた。


「おー……どうしたんだよ、それ」


「なんかここ、衣装の貸し出しとかあるみたいでっ! それで、わたっ……アイドルの衣装っぽいコスプレのアレもあってっ!」


 だから、フロントで借りて着替えてきたのだとユリは言う。言われてユウがよくよくそれを見てみれば、なるほど、たしかにいつぞや間近で見たものといくらか構造が違うというか、安っぽい感じがする。生地自体がちょっとテカテカしていてチープな感じがするし、なによりユウの傷の手当のために千切ったリボンもそのまま残っている。


「優香ちゃん、ごめんだけどもう一回私っ! 私に歌わせてっ!」


「う、うん……!」


 もはや誰にも負けられないとばかりに、ユリは凄まじい熱意をもってそのマイクを取った。所詮はパーティグッズのコスプレ衣装とはいえ、着ているのが他でもない本人だからか、まるで本当に今からアイドルのライブが始まりそうな雰囲気である。


『今度はフルで行くよ……! 本気、見せてあげるんだからっ!』


「マジか……! マジかマジかマジか……!!」


「ユーリちゃんの曲を、生で二回もだなんて……!」


「しかも、本物じゃないけど……衣装付き! さっきの制服姿と合わせて……ヤバい、俺たち今凄まじい体験している……!」


 盛り上がるオーディエンス。そんなオーディエンスが発する熱気に、アイドルとしてのユーリのエンジンも温まってくる。結局のところユリが歌うのはいつだってたくさんの人間の前であるわけで、そしてそこには、心を後押ししてくれる熱意と期待がいつだってあった。


 つまり──これこそが、アイドルとしてのユーリの本気を出せる環境なのである。


『みんなぁーっ! いっくよぉーっ!』


「「いええぇぇぇっ!!」」


「いえーい」


 ──そのユーリの歌は、観客も機械も認める100点満点だった。ただ、最初の方が良かったな……と思ってしまったのは、ユウだけの秘密である。



▲▽▲▽▲▽▲▽



『地位も無い! 財も無い! 無い無い尽くしの俺だけど! 諦めない! へこたれない! こんなところで終われない!』



 マイクを持った天野が熱唱し、それに合わせるようにみんながこぶしを振り上げる。軽快でリズミカルなそのメロディは、初めてそれを聞いたユウでもリズムを取れるほど易しいものであり、ユウもまた自然にそれに混じってしまっていた。


 さっきまで誰かが歌っていた流行の曲や、いかにも高校生が好みそうなオシャレな曲よりも、どうやら自分にはこういう歌いやすいメロディの方が好みに合うんだな──と、ユウはどこか他人事のようにぼんやりと考える。


 頭に残って離れないフレーズというか、自然と口ずさんでしまうような軽快なメロディがなんとなく好みに合っている気がするのだ。そういう意味では、天野が歌っている曲とユリの【O'ast KItten!】はまさにユウの好みのど真ん中にあるものであった。


「ね、咲島……」


「ん?」


 宴もたけなわ。場が盛り上がり、ちょっとしたおしゃべりくらいなら誰も気にしないような……そんな雰囲気になってから、ユウの隣に座っている上村が、ちょいちょいとユウの袖を引っ張ってきた。


「どうした、上村さん」


「ん……その、今日はありがと。まだ、ちゃんとお礼を言ってなかったなって」


「お礼……?」


 はて、何かお礼を言われるようなことをしたかとユウは今日の出来事を振り返る。


「体力測定のパートナーのことか? あれはむしろ、俺のほうこそお礼を言わなくっちゃいけないというか」


「違うってば……」


 呆れたように……けど、まるでユウがそう言うとわかっていたかのように、上村は小さく苦笑した。


「そっちじゃなくて、その後のリレーの方。……私のヘマを取り返してくれて、さ」


「あー……」


 もしもの仮定をしたところで何の意味も無いが、しかし単純な事実だけを見れば、上村はそれまで稼いでいたはずのリードを完全に消してしまった戦犯に他ならない。もしあそこで転倒していなくても、本気を出していないユウだったら間違いなく葛西に抜かされていただろうが、それでも負けた原因として大きく印象に残ったことだろう。


「いや……クラスメイトとして当然だろ。上村さんが転んでいなくても、俺が全力で走ることには違いないんだし」


「……ほんとぉ? 私、咲島があんなに速く走れるだなんて知らなかったんだけど」


「……俺、四年に一回しか本気で走れない体質なんだ」


「……」


 やべえ、とユウは心の中で冷や汗をかいた。今まで本気を出していなかった……高校生らしく俗っぽい言い方をすれば、今までずっと舐めプをしていたというその事実。なんとなくノリで誤魔化せたかと思っていた出来事が、ここにきて再燃してしまった。


 今までの体育も、何もかも。そしてとりわけ、あの体力測定も。ちょっと考えればユウが手を抜いていたというのは簡単にわかることであり、それは時に、人の神経を逆なでする行為であるということをユウは知っている。


 知っているからこそ、今までバレないようにしていたのだ。


「……でも、それでも走ってくれたんだよね」


「……ん?」


「四年に一回しか本気出せないのに、あそこで本気を出してくれたんだね?」


「あー、まぁ、そうな……る、のか?」


「そこは、しっかり断言してほしいなあ」


 なんだか妙な雰囲気だぞ、とユウは軽く混乱した。上村の笑顔は柔らかく、体力測定の時のようなガミガミした感じが一切しない。なんであの時本気を出さなかったんだ、と軽くキレられるくらいは覚悟したのに、上村はどこまでも穏やかで、ともすれば上機嫌のようにも見える。


 正直なところ、上村のようなタイプの女子とユウはあまり喋ったことが無い。いや、上村に限らず女子自体と関わることが少ないが、その中でも特に、明るくクラスの中心人物となるような……そんないかにも今時の女子高生みたいなタイプとはまるで縁が無かったし、関わろうとも思っていなかった。


 つまり。


「はぁ……」


 ユウは、上村の意図を掴みあぐねていた。


「なんなの、その生返事は」


「いや……上村さんが何をそんなに気にしているのか、よくわかんないんだ」


「……ま、そうだろうね。喋るようになったのってここ数日の話だし、それだって割と事務的と言うか……本格的にちゃんと話したのだって、今日が初めてかも」


 でもさ、と上村は続けた。


「それってなんか、勿体なくない? せっかくこうして仲良くなったのに、咲島が私のことをわからないように、私も咲島のことを全然知らない。……だから、私はこれからちゃんと、咲島のことを知りたい」

 

「んん? それってつまり……」


「あーもう、こういう所はやっぱり咲島だね!」


 ほんのちょっぴり上村の頬が赤いように見えたのは、果たして気のせいか。室内の照明のせいの可能性もあるし、カラオケの熱気のせいの可能性もある。もちろん、それ以外の可能性も──見る人が見れば一発でわかるそれの可能性もあるが、生憎ユウにはそっちの経験値がまるで足りていない。


「ほら、ケータイ出して! 連絡先交換しよ!」


「おお?」


「変な意味ないから! 友達なら普通だから!」


 意外とシンプルな赤いスマホカバー。今までに何度かチラッと見たことのあるそれが、ユウに突き付けられている。それが意味することはたった一つしかなく、そして今までユウはこんな形で女子に連絡先を聞かれたことは一度も無い。


「どーせ咲島、女の子の連絡先なんて知らないでしょ? わ、私が一番になってあげる!」


「何言ってんだ、失礼な……これで四番目だな」


「「え゛っ」」


 意外なことに、聞こえてきたそれは一つじゃなかった。


「……盗み聞きは感心しないな?」


「ぬ、盗み聞きなんてしてないもん……私、最初からここにいたもん……!」


 言わずもがな、声を漏らしたのはユリである。というかユウが気づいていなかっただけで、上村がユウに声をかけたその時点で、ユリははらはらしながらその様子を見守っていたりする。単純に、思った以上に「それっぽい」雰囲気だったために、介入するタイミングを掴めなかったというだけだ。


 ちなみに、歌い終わった天野もこのやり取りに気づいていたりする。ユリが声をかけられていなかったから、めちゃくちゃ気にはなりつつも、静観を決め込んでいたのである。


「そ、それよりも! 咲島、あんた他に女の子の連絡先知ってたの……!?」


「そ、そうだよ! ユウくん、私そんなの知らないんですけど!? そこのとこ、はっきりさせてよ!」


「えええ……」


 妙に食いついてくる二人に、ユウはちょっぴり面食らう。たかだか連絡先程度のことなのに、どうしてこんなにも真剣なのかと困惑でいっぱいだ。少なくとも、自分は上村がどれだけ男友達の連絡先を知っていようと別段気にもならない……と、考えたところで。


「……」


 逆に、ユリがたくさん男友達の連絡先を知っているのはなんか嫌だな──と、思ってしまった自分がいることに、ユウは気づいた。


「いや待て……そういやお前、妹がいるって言ってたよな? 親と、妹と……あれ、あともう一人は?」


 意外なところから来た助け。ユウは、天野のアシストに心からの感謝をした。


「聞いて驚け、バイト先のボスだ」


「「あっ……」」


 反応は、二つに分かれた。


「そんなことだと思った……っていうか、三人ってのも少ないけどね……」


「それも身内かバイト関係者って……まぁ、俺もあんまり人のこと言えないけどさぁ。一応部活関係とか趣味で知り合った子とか、お前よりはいるぜ」


「ま、いいや。家族でもバイトでもない女の子は私が初めてってことでしょ。どうだ、光栄に思え!」


 上村と天野。ユウを寂しい人間だと察してしまった二人。上村の表情にどことなく安堵感のそれが見られるのがユウとしては不思議だったが、しかしうまくごまかせたのであればユウとしては問題ない。慣れない手つきでスマホを操作し、上村が差し出したそれをたどたどしく読み取るだけである。


 一方で、もう一つの反応は。


「ふーん……! そっかぁ……!」


 ユウが上村のスマホを読み取る作業を、ユリはずいぶんと上機嫌に見つめていた。


「……あれ? ユーリちゃん、なんかご機嫌?」


「んーん、別に!」


「……」


 先ほどユウが発した、「バイト先のボス」。この言葉で、ユリは確信を抱いた。


 ユリは知っている。その「バイト先のボス」は、他でもない姫野だ。ユウが行っているバイトとは疑いようもなく自分のボディガードのことだし、なによりあの再会した日に、事務所で三人で連絡先を交換し合ったのだから。


 そう、ユリは知っているのだ。ユウのスマホに登録されている三人の異性は、バイト先のボスである姫野、妹であるアイ、そして自分自身であるということを。


 あの日、連絡先を交換するにあたり、わざわざ姫野よりも先に……家族以外の女の子第一号のそれを、ユリはもぎ取っている。家族はしょうがないにしても、ほぼまっさらなあの電話帳の中で、ユリはそれだけは誰にも譲りたくなかったのだ。


「なんだ、せっかくだし一緒に交換しておくか?」


 わざとらしくスマホを差し出し、”忘れてただろお前”……と、ユウは視線で問いかけた。


「ごめんねー? 交換したいのはやまやまだけど、ユウくんに限らず事務所NG入ってるから!」


 表向きの理由を述べて、ユリはにこっと極上の笑みを浮かべた。実際、学校のクラスメイトと連絡先を交換するのはトラブルを避けるために姫野から禁止されているが、今この場に限って言えば、連絡先を交換しないのは【すでに知っているから】というあまりにもあんまりな理由によるものである。


「いやー、本当はみんなとスマホでチャットとかしたいんだけどね? 万が一もあるし、時期も時期だから……ホント、ごめんね?」


「う……いや、そりゃあ期待していなかったって言えばウソになるけど、ユーリちゃんが同じ教室にいるだけで嬉しいから! さすがにそこまで望むのは罰が当たるって言うか……!」


「そ、そうそう! というか普通におしゃべり出来るだけでも夢のようだし、こうしてカラオケだって一緒にできるんだし……!」


「あはは、大袈裟だってば!」


「……」


 ケラケラと上機嫌に笑い、ユリは上村と天野の肩をポンポンと叩いた。友達同士ならなんて事の無い何気ない仕草も、アイドルがやればその破壊力は計り知れない。天野の方は真っ赤になって、上村の方は感激に打ち震えている。


 こういうことを当たり前のようにできるから、こいつは本当にずるい──と、ユウは改めて思った。


「さっ! そろそろちゃんとカラオケに戻ろ? ……ちょうど、曲も終わったところみたいだし!」


「あ、ホントだ……」


 天野の次に入れられた曲も終わり、満足気な溜息と共にマイクが机に置かれる。


 ちょっと意外だったのは、それからしばらく経っても次の曲が始まらなかったことだ。


「……あれ? 柚の次って誰?」


 不思議そうに上村がぐるりと周囲を見渡す。


 その場にいた全員が、首を横に振った。


「俺達、もう全員一回ずつは歌ったぜ」


「柚がちょうど最後……うん、最後って言うか……」


 最初に歌ったのはユリ。次に上村がまた歌って、そして再びユリが歌った。そこからクラスメイト達が順々に歌い、その間にちょこちょこと本人の希望と周りの熱烈なコールによりユリが歌ったが、天野、中村と続いてとうとう一通り全員が歌い終わったらしい。


 上村が覗き込んだデンモクには、予約待ちの曲は残っていない。


「あっ……」


 残ってはいないが、全員(・・)が歌ったというのには語弊がある。


 ──そう、ここに一人、ずっと合の手を入れるばかりでデンモクに触ろうともしなかった人間がいる。


「残っているの、咲島だけだ」


「そうだ……! すっかり忘れていた……!」


 みんなの視線が、一斉にユウに集まる。


「咲島か……どんな歌を歌うんだ?」


「カラオケってイメージ、全然ないけど……」


「いやでも、今日だってすげえ走りだったぜ? もしかすると歌でも、俺たちの度肝を抜いてくるかも……! 実際、咲島の歌を聞いたことある奴なんていないだろ?」


「な、なるほど……! たしかに、意外な奴が歌が上手いって展開、割とよく聞くような……!」


 期待に満ちた眼差しが、ユウを貫く。この場にいる人間全員が──味方だと思っていた天野でさえもそんな眼差しでユウを見ている。


「こいつは、期待できるんじゃないか……!?」


「うん……! と言うか単純に、咲島の歌が楽しみ……!」


 本日のMVP、そして咲島流師範代である咲島ユウ。


(おいおいおい……勘弁してくれよ……! なんだかんだでやり過ごせると思っていたのに……!)


 本当の意味でのカラオケデビューを今まさにしようとしている彼は、押し付けられたデンモクを片手に心の中で弱音を吐いた。

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