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27 男子VS女子


 ドッジボールの、子供たちの遊びとして優れている点を挙げるならば……おそらく、ローカルルールがほとんどないというそれが挙がるだろう。


 内野は敵からのボールに当たったらアウトとなって外野となり、外野は敵からアウトを取ることができれば内野として自陣に戻ることができる。そうやって激しいボールの応酬を繰り返し、内野が全滅したチームの負け。


 基本的なルールといえばこれくらいで、あとはせいぜいが【顔面セーフ】と【元外野の扱い】が地域によって微妙に異なることくらいだろうか。もちろん、公式のドッジボールならばもっと細かいルールがあるだろうけれども、往々にして、普通に遊ぶ分にはそんな細かいことは気にしなくてもいい。


「しゃあッ! 始めるぞッ!」


「かかってこいやぁ!」


 高校生であるユウたちの試合も、そんなルールに則って始まった。ローカルルールがありすぎる大富豪とは違い、ドッジボールはやることも単純で考えることも少ない。そう、ただひたすら避けて、憎き敵にボールをブチあてるだけでいいのだ。


「女子だからって、手加減してもらえると思うなよ!」


「はん! デカい口を叩くなら、この後の学校生活のことを考えてからにしな!」


 最初のジャンプボールは、当然のように男子がとった。身長的にも、身体能力的にも圧倒的に有利なのだから、ある意味当然だろう。女子の方もそれは織り込み済みなのか、男子が攻撃態勢をとるころにはもう、自陣の奥の方へ──防御態勢をきっちり整えていた。


「オラぁ!」


 マジな一撃。小学校でそれをやったら非難轟轟になるほどの勢いで、その男子はボールを投げた。倒しやすい文化部ではなく、女子の中でも身体能力に優れる運動部を狙ったのは、彼の最後に残った良心の賜物か……あるいは、厄介な奴はなるべく早く倒したいという狡猾な考えから来るものか。


「ふん!」


 避ける。ドッジボールの名にふさわしく、彼女はそのボールを避けた。正面からのパワー勝負じゃかなわない、キャッチするにはあまりにもリスクが大きすぎるのなら、もはやそうするしかない。


「甘い!」


 が、避けたところで攻撃に転じられるわけではない。放たれたボールはそのまま男子外野へのパスとなる。男子の友情の成せる業か、その一撃を攻撃ではなくパスと見抜いていた彼は、すでにボールをキャッチする態勢に入っていて……さらに言えば、いつでも投げ出せる、反撃の準備も整っていた。


 狙うのは、逃げ遅れた女子。


 が、しかし。


「そっちがね!」


「なに!?」


 背後からの奇襲。完璧に不意を突いた攻撃だったはずなのに、その女子はボールをひらりと躱す。しかも、躱したばかりか……。


「馬鹿野郎! その方向は!」


 ライン際ギリギリでの攻防。つまり、避けたボールがどこに行くかといえば、それは味方へとつながるものではなく。


「女子の外野……!」


 キャッチできないのなら、向こうからこちらへパスしてもらえばいい。外野なら、たとえボールを受けそこなっても何のリスクもない。男子の不意打ちを予想していた女子は、そんな考えのもと……あえて最初の攻撃で逃げ遅れたふりをし、暴投を誘ったのだ。


「お返しだっ!」


「くそ!」


 一歩先の読みを見せた女子が、先制攻撃を成功させる。アウトになったのは男子の中でも文化部で主力でない者とはいえ……この一撃は、ただ一人を追い出しただけ以上の意味合いがある。


「まだまだ始まったばかりだ! 今のだって二度は使えねえ! 焦らずいこうぜ!」


「こっちは生き残ってれば勝ちだから! とにかく安全に! 確実に隙をついていくよ!」


 目まぐるしく入れ替わる攻防。身体能力と連携で勝る男子に、知恵と意気で侮れない女子。一方的な展開になると思いきや、意外に意外、序盤とはいえ結構ないい勝負になっている。


「盛り上がってるなァ……」


 そんな熱闘を、ユウは女子側の外野でぼんやりとみていた。


 もちろん、開始早々にアウトになったわけではない。ついちょっと前にいろいろ言われたばかりなのに、そんなことをしたらダメだってことくらいはユウにだってわかる。ユウが外野にいるのは、いわゆる元外野として立候補したからだ。


 元外野なら、ユリもあんまり恨めしそうな顔はしなかった。誰かがやらなきゃいけないし、それに任意のタイミングで内野に戻ることができる。むしろ、内野がまだまだ残っている序盤は外野としてボールに触れる機会が多いことを考えると、ドッジボールの中で一番活躍するポジションかもしれない。


 尤も、だからといってユウにそこまでの熱気は今のところはない。元外野を選んだのも単純に、何人もの女子が逃げ惑う中に自分一人がいるのはいろいろヤバい事故が起きそうで怖かったってだけだ。


「ええい!」


「うぁっ!?」


「ナイス、ユーリちゃん!」


 一方でユリは、結構な活躍を見せていた。


「いっくよー!」


 元々ユリは、運動ができるほうだ。生まれついての才能があったし、歌って踊れるアイドルとしてレッスンを重ねている。バイタリティとスタミナはそこらの女子に引けを取らない……どころか、運動部女子と比べても互角以上に戦えるだろう。春休みのユウとのジョギングを経て、その身体能力はさらに磨きがかかっている。


「くそっ! ユーリちゃんの球、思っていた以上に伸びる(・・・)ぞ!」


「重くはないが、速いッ!」


 そして、なぜかやたらとユーリのボールだけ、男子は捕りにかかる。避けたほうがいい、避けるべきボールであっても逃げずに真正面からぶつかり、がっちりと掴む。もちろん、毎回そんなにうまく決まるわけがないから、ミスするやつもけっこういる。


「うおおお! 狙うなら俺にしてくれええええ!」


「いや! 俺! 俺にしてくれ! 俺めっちゃ弱いから!」


 狙われる瞬間は、どうしたって真正面から見つめられる。獲物を狩る瞬間に、目を逸らす獣はいない。戦うことの喜びや、生命の連鎖反応という本能染みた快楽が入り混じったそれを、視線として相手にぶつける。そして、人だって獣だ。


 何が言いたいかって、つまり。


「うおお……! やべえ、当てられる瞬間の【二人だけの時間】って感じ……!」


「ああ……生きててよかったぁ……!」


「……やべーな、あいつら」


 そんなギリギリの反応が、男子にとってはたまらなくクセになるらしい。あまり戦力にならないと自覚している男子は、いいや、対女子への殲滅力を有する男子でさえ、ユーリの前に出て積極的に球に当たろうとしている。 


「あいつら……! ユーリちゃんの時だけ、露骨に……!」


「浅ましい……ッ! 考え方が浅ましい……ッ!」


「へーい! 利用できるものはどんどん利用していくよ!」


 そんな男子を、ユリは女子と協力して次々に狩っていく。ただ全力で投げれば、自分からあたりに来てくれるのだ。これほどやりやすいことはないだろう。


「──む!」


「次は俺の番だ……!」


 ユーリの前に立った巨漢。男子の主力メンバーの一人。


 身長一八〇越え、体重も九〇越えというクラスで随一のガタイの良さを持つ、柔道部の小野寺。どっしりとした構えは巨岩のそれに等しく、太く、たくましい脚は永久の時を生きた大樹のように大地を踏みしめている。


 むろん、それは見掛け倒しではない。並みの女子なら五人まとめてタックルしても小野寺を倒すどころか、動かすことすらできないだろう。


 当然、その身体能力はドッジボールであっても遺憾なく発揮される。


「えい!」


「むん!」


「よくやった小野寺ァ!」


 ユリの一撃を、小野寺は真正面から受け止めた。その分厚い胸板を使って、特に苦労することも無く。


 決して、ユリの一撃が弱かったわけじゃない。並の男子だったら反応できず、ボールをキャッチし損ねてアウトになっていただろう。


 相手が相手だからか、ユリの方も結構本気で投げていたのだ。それでなお倒せないとなると──今のユリでは、敵わないということになる。


 ──ありゃあ、ちょっとやそっとじゃ倒せないな。


 さて、どうでるか……とユウはその様子を静観する。ボールはいまだに小野寺が持っていて、攻撃に転じたユリは男子陣の近いところにいる……要は、だいぶ狙われやすい位置にいた。


「恨んでくれるな……! これも、俺たちの悲願のため……!」


 大きく大きく、小野寺は振りかぶった。小野寺の専門は球技でないからか、そのフォームはめちゃくちゃだ。でも、その巨体から発せられる威圧感と力強さは半端じゃない。人がボールを投げる様というよりかは、城壁をぶち壊す投石器が使われているような印象を、女子たちに植え付けた。


「うぉぉぉ──!」


 そんな小野寺に対して、ユリは。


 ──にこっ。


 ただ、いつも通りに……いや、ちょっとだけ特別な感じを出して、にっこりと笑って見せた。


「ぉぉぉ……っ」


 ──ひょろひょろ、ぽすん。


 なんとも情けない球が、小野寺の剛腕から放たれる。当然、それはユリに当たることはなく……三歳児が投げたのと大して変わらない勢いで、地面にバウンドした。


「なにやってんだ小野寺ァァァァ──ッ!」


「だ、だって! あんな笑顔に投げられるわけないだろッ!」


「わかるッ!」


「……やべーな、あいつ」


 笑顔だけで、女の武器一つだけでそれを無力化したユリを、ユウはちょっぴり見直した。咲島の業の中に、たったそれだけで相手を無力化するものはない。別系統の技術とはいえ、いや、だからこそ、どんな形であれその結果をもたらす業に、ユウは咲島の者として敬意を抱く。


 そして。


 ──!


 ──ん。


 以心伝心。いろんな意味でそれなりに長く、特別な関係。咲島の業がなかったとしても、ユウはユリが一瞬だけ向けた視線に──そのアイコンタクトに気づくことができただろう。


 ──こういう時だけ通じるんだよなァ。


「でも! 俺ならユーリちゃんの球を問題なく取れるって証明できた! 次は確実に決める! あと願わくばもう一回あの一対一の感じを味わいたい!」


「言ったなぁ……? それじゃあ、遠慮なくっ!」


「こいッ!」


 助走をつけ、大きく振りかぶり。


「えいやぁぁぁ!」


 ユリは、小野寺に全力の一撃を放った。


「うぉぉ……あ?」


 結構な勢いで放たれたボールは、しかし小野寺には当たらない。当たらないどころか、全然違う方向へと飛んで行っている。


「なんだ、暴投か……?」


「いや、違う!」


 ユリが見ているのは、小野寺。ユリの投げた腕が向いているのは……全然違う方向。


 具体的にいえば、女子の外野。もっと詳細にいえば、ユウの方。


 当然、ユウがそのボールを取り逃がすはずがない。


「あれはフェイントだ! アタックじゃなくて、パスだ!」


 気づいた時には、もう遅い。


「──ほい」


「あ」


 隙だらけの小野寺にボールを当てるのなら、造作もない。仮にも高校生男子が、この程度の状況に対応できないはずがない。ましてや、小野寺ほどの大きな的が動いていないのに、外すほうがおかしいだろう。


 ごくごく軽い、それこそ天野とキャッチボールするかのような緩い動作で、ユウは男子一の要塞というべき小野寺にボールをブチあてた。


「なにやってんだ咲島ァァァァ──ッ!?」


「お前! 自分が何したかわかってんのかァァァ!?」


「いや……俺、いま女子チームだし……」


「よくやった咲島ぁ!」


「あとでぎゅって抱きしめてやるっ!」


「そ、それはダメっ!」


 試合開始から八分。男子主力メンバーの一人、小野寺が場外に。男子陣からは阿鼻叫喚の声が上がり、女子陣からは歓喜の黄色い声が上がる。そこにたった一つだけ焦ったような声が混じっていたのに気づいた者は、一人もいない。


 男子チームの生存人数、十一名。主力メンバー一人が場外。

 女子チームの生存人数、十三名。主力メンバーは全員生存。


 アイドルとのランチをかけた聖戦は、序盤は女子の優勢となった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 試合が動いたのは、女子の主力が一人アウトになってからだった。


「くっそ……! あいつら……!」


 試合開始から十五分経過後。すでに女子は主力以外のメンツ──文化部等の運動が得意でないもの──は外野行きになっており、男子も運動の苦手なものは内野から外に追い出されている。


 そんな中、女子の主力の一人として積極的に攻撃に参加していた上村は、深入りしすぎて男子からの反撃への反応がワンテンポ遅れ、その左足にボールをぶつけられることになった。


「上村ぁ! あんた、どうして……!」


「……」


 どうしてもこうしてもない。単純に、スタミナが切れてきて足が追い付かなかったというだけだ。そしてそれは、女子の内野全員に言えること。どこから飛んでくるかもわからないボールに怯え、全力で逃げていたのなら──いずれどこかで集中力は切れるし、スタミナもなくなる。


 一方で、男子は。


「……まぁ、そろそろ良い頃だよな?」


「なんだかんだで……なぁ?」


 動きのキレが落ちていない。落ちていないどころか……増している。さっきまではまだなんとか目で追えて、体で反応することができたはずのボールなのに、今は目で追うのがやっとのスピードになっていた。


「男子ぃ……!」


「そりゃ、いくら大義名分があってもさ? 仮にも女子に最初からガチなんてできるわけないだろ」


「強いて言うなら、遊びで出せる本気ってのが今までだ。これからは……」


 ──本当の意味で、本気で行かせてもらう。


 誰もその言葉を直接聞いたわけじゃない。なのに、女子の誰もがその言葉を幻聴した。


「生き残った運動部女子(おまえら)なら、多少は本気になってもいいだろ」


「くっそ!」


 当たったらマジにヤバいんじゃあないかって勢いで飛んでくるボール。さっきまでのやり取りが、本当に手加減されたものだったんだと思い知らされるそれ。そのくせ、いざ当ててくるときは、焦らして焦らして焦らして焦らして、避けきれなくなった不可避のタイミングで優しくぽすんと当ててくる。それが余計に、女子の神経を逆なでした。


「上村、どうしよう……あと残っているのって……」


「ユーリちゃんに、玲奈に、ゆずだけだね……あ」


 ゆずと呼ばれた女子も、今アウトになった。自身が放った至近距離からの一撃を、男子に何事もなかったように捕られ……そして、避けることも受けることもできない優しい一撃を食らったのだ。


「もっとボール外野に回して! とにかく当てて復帰させなきゃ!」


「させねえよ」


 内野に残っている二人は、避けるのが精いっぱいだ。それもそうだろう、男子が投げる本気のボールを、いくらなんでも女子が捕れるわけがない。たまにアタックではない、パスとしての緩いボールはあるものの、それだって山なりに投げられるものだから、ジャンプしたって届かない。


 加えて。


「きゃん!」


「狙いがわかりやすすぎる」


 ライン際──男子の暴投による女子外野へのボールの受け渡しを狙っていた女子が、アウトになった。


「あんな端っこにいたら、誰でも警戒する。ましてや、一番最初にやられたことだからな」


「くっ……!」


「お前たちは、アレを最初にやるべきじゃなかった。切り札は最後まで取っておくべきだった」


「おのれぇ……!」


 一番最初にやられた戦法を、男子が警戒しないはずがない。力で劣る女子がコントロールを奪うには、それくらいしか方法が無い……と言うのであれば、それの対策をするのが普通だ。


 もうすでに、男子は暴投を警戒し、そうなってしまっても問題ないように外野を布陣している。その方向には絶対に投げないという、明確な意思すら露になっている。


 さらに言えば、残るはもうユーリ一人なのだ。ほかに的があるならまだしも、たった一人しかいない状況で、ポジションをライン際に移すというリスクをユーリが取れるはずがなかった。


「むむ……!」


「俺たちも手荒な真似はしたくない……ユーリちゃんだって、そろそろ体力の限界だろ? できれば、降参してほしい」


 男子の内野、残り六人。そのうち全員が、いわゆる体育出来る系男子である。

 女子の内野、残り一人。他でもない、人気沸騰中のアイドルであるユーリ。


 そして現在、ボールは男子チームの手にある。そして、男子は暴投は絶対にしない構えである。こうなるともう、ユーリには万に一つも勝ち目がない。


 ──そう、ユーリだけなら。


「ふっふーん……紳士的なのは嬉しいけど、忘れてない?」


「忘れる?」


 舞台のお稽古をするように、ちょっぴりわざとらしく。ユーリは、蠱惑的ともとれる笑みを浮かべて、高らかに宣言した。


「うちにはまだ、戦力が残ってるっ! ──お願い助けて、ゆ……咲島くんっ!」


「うぇーい」


「「咲島ァァァァ──!」」


 妙に気だるげにコートに戻ったユウ。元外野としての、バック権の行使である。男子も女子も、それぞれの理由から雄叫びを上げた。


「てっ、てめえ! 畏れ多くもユーリちゃんに頼られるなんて……! ずるいぞ!」


「咲島ぁ! 壁! 壁! 肉壁になって! 顔面アウトでも何でも使ってユーリちゃんを守って!」


「みんなひでーなおい……」


「ふふっ! それだけ、今が大事な瞬間ってことだよ!」


 コートの真ん中。あらゆる意味で盛り上がった歓声で、二人の小さな会話はかき消される。


「ところで……ここで女子が負けちゃうと、私、男子のみんなとだけでご飯食べることになるんだけど……どうする?」


「最後まで生き残ってくれればいいんじゃないっすかね?」


「あはは、それ無理」


 見て、とユーリは視線で自らの太ももを見るよう促した。


 既に、結構な勢いでプルプル震えている。やっぱこいつの肉付きすごくいいんだよな、という邪な考えを、ユウは悟られないようにした。


「というか、お前……」


「──こうでもしないと、ユウくん、頑張ってくれないんだもん」


 汗ばんだ横顔。少し前までは何度も見ていたはずのそれが、なぜかいつもと違って見える。体操服姿だからか、それとも髪をきちんとまとめているからか。あるいは……ジョギングの時とは違う体力の消耗の仕方のせいで、頬の紅潮までもが異なっているからか。


 いずれにせよ、ユウも、ユーリも、やることは変わらない。


「そんなわけで……守ってね?」


「──仕事だからな」


「咲島ぁぁぁぁぁ!」


 轟、と唸りを上げるボール。ユウは右に、ユリは左に。二人を分かつべく放たれたそれは、これから始まる最終決戦のゴングとなった。

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