26 仁義なき聖戦~ドキドキ☆ドッジボール~
「──マジかよ」
週明け月曜日。新しい一週間の始まりである日のホームルームは往々にしていつもより長くなりがちだが、つい今しがた担任の口より発せられたその言葉は、そんな気だるい空気を吹き飛ばすほど衝撃的だった。
「先生、今の話って──」
誰かが、信じられないとばかりに口にする。実際、ユウだって全然信じられなかった。
「ああ、本当の話だ」
ユウたちのクラスの担任は、自分でも理解できないとばかりに繰り返す。
「竹中先生は、体調不良により今日はお休みだ」
竹中先生──通称、タケセン。担当科目は体育。教師陣の中では若手に入る方で、体育教師らしくフィジカルとバイタルに優れている。良くも悪くもテンプレ染みた体育教師であり、真冬であっても大体腕まくりをして、時には少年のように全力で生徒たちの試合に交じるという……誰もがあだ名で呼ぶくらいには親しみのある先生だ。
そんな、元気いっぱいで風邪とは無縁であったはずのタケセンが休み。いったいどうして、これで驚かずにいられるのだろう。
「ゆ……咲島くん、これって珍しいことなの?」
「ああ……あの人が体調を崩すなんて信じられない。一限から五限まで、真冬のグラウンドでも半袖で過ごせる人だぞ」
「うわー……」
何も知らないユリにタケセンのことを教え、そしてユウは考える。
教師の欠席連絡は滅多に無いこととはいえ、あり得ない話ではない。問題なのは、どうしてそれをわざわざ朝のホームルームで告知したのかということである。当然、そこには意味があるはずだ。
もちろん、ユウの心の中の疑問はすぐに解消されることになった。
「そんなわけで、今日の体育は自習になる」
先生からの通達を、喜ぶ者に残念がる者。いっそのこと潰れてほしかったと嘆く者もいれば、面倒くさい座学から解放される体育があって良かったと歓喜の声を上げる者もいる。ちなみにユウは、別にどっちでもいいという第三勢力であった。
「でも先生、自習って何をすればいいんですか?」
「そのことについてだが……まぁ、代わりの先生なんているはずないからな。今朝、竹中先生がメールで指示をくれた」
「指示?」
「ああ。そのまま読み上げるぞ」
わざわざ印刷してきたのだろう。先生は、手元のプリントに目を落として粛々と告げた。
──連日サッカーをしていたし、そろそろ飽きてきた頃だろう。なので、本日は息抜きもかねて、みんな大好きドッジボールを行っていいこととする。
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「まさか高校生にもなってドッジボールをすることになるとは……」
そして、四限の体育。ユウたちはタケセンが不在ながらもグラウンドに降り立った。いつも通りグラウンドを数周走り、準備運動を行って。本来ならこの後軽く基礎練習をしたのちにゲーム形式で試合をするのだが、しかしホイッスルはおろか、サッカーボールもゼッケンも用意されていない。
あるのは誰かがどこからか見繕ってきた用途不明のボールが一つ。コートを作成しようにもラインパウダーがない。小学生よろしく、靴でガリガリやって作るという、原始的な手法をとるしかなかった。
「なんだよ天野、お前、ドッジボールは嫌いなのか?」
「いや、嫌いってわけじゃないけど……そういう咲島こそ、どうなんだよ」
「結構好きだぞ、こういうの。童心に触れられるみたいなかんじで」
意外なことに、男子の大半はドッジボールをやることに好意的だった。すでにノリノリでコートを作成しているし、軽くキャッチボールをしてアップをしている者もいる。高校生ともなれば休み時間にグラウンドに行くことだってなくなるわけだし、意外と懐かしく思っているのかもしれない。
「ええー……本気でやるのぉ……?」
「あたしたち、別に見学でよくない……?」
一方で女子は、その反応はあまりよくなかった。男子と違い、いまさらそんな子供っぽいことをしたいとは思えないのだろう。加えて、内容が内容だ。内野にいる限りは休みなく動かなくっちゃならないし、ボールがどこに当たるかもわからない。足や腕だって当たったら気分が悪いのに、それが万が一顔や頭に当たったらと思うと、気が気でないのだろう。
「そんなこと言ってもよ。ちゃんとメンバーと勝敗を記録しろって言われてるし」
「だ・か・ら・! そこを何とか融通を効かせろって言ってんの! 誰も見てないんだし、馬鹿正直にやる必要ないでしょ! だいたい、先生だってそれくらい考えてないわけないじゃん!」
「いやいや、ユーリちゃんの前でそんな不正を行うなんて……」
「……あんたら、そのユーリちゃんにボールぶつけられんの?」
「うっ……」
「ほらみろ! ユーリちゃんだっていやだよね?」
「──えっ?」
すでにユリは、準備万端であった。軽くストレッチを済ませ、上のジャージを脱いで腰に巻いている。髪もばっちりまとめて留めてあるし、なんならこれからボールを触ろうとさえ思っていた。
余談ではあるが、アイドルとしてのユーリは体操服姿を披露したことが無い。もしこの光景をスマホでぱしゃりとやれば、その画像にはびっくりするくらいのお金が動くことになるだろう。
「……えっ、みんな、ドッジボール嫌いなの?」
「そ、そうじゃないけど……ほ、本気? 事務所的に大丈夫なの?」
「ダメって言われてないから大丈夫! それに、大事なところをケガするほど運動できないつもりはないよ!」
「で、でも……」
「あはは、本当に大丈夫。それこそ昔は、野山を駆けずり回って生傷が絶えなかったんだから!」
「お、おおう……なんか、すごい情報聞いちゃった……」
ともあれ、当のユーリ本人がやるきとあらば、女子だって無碍に止めることなどできはしない。元よりやる気満々である男子を一瞥し、軽くため息をついてから建設的なお話し合いをすることとなっていた。
「チーム分けはどうすんの?」
「そこなんだが、男子を代表して一つ提案がある」
「提案?」
「ああ。ここはシンプルに、男子対女子でどうだろう?」
「はぁ!?」
高らかに宣言された言葉に、女子のほぼ全員と一部の男子が驚愕の声を上げた。
男子対女子。単純な属性分けという意味ならシンプルでわかりやすいが、しかしこれはスポーツのチーム分けである。男子と女子とでは身体能力に大きな差があるのは明らかだし、それが高校生ともなれば余計に顕著だ。はっきり言って、公平なチーム分けとは言えないだろう。
「頭沸いてるの? そんなの、明らかに女子が不利じゃん!」
「まぁまて。これは逆に公平なものでもあるんだ」
「……一応言ってみろ」
「普通にチームを分けたら、ユーリちゃんと同じチームになれなかったほうが可哀想すぎるだろ? そのことが原因で、悲しい争いが起きてしまうかもしれない。そんなの、ユーリちゃんが悲しむ」
「あんたらがアホなことしなければいいんじゃない?」
「いやいや、これは女子にも当てはまることだろう。だったらもう、最初から──少なくとも、男子の間では悲しみは公平にすべきだと感じた。そのうえで、だ」
「……」
「勝ったほうが、今日の昼にユーリちゃんとランチをご一緒できる。……どうだ?」
「……そっちが本当の狙いか!」
なんのことはない。男子の本当の狙いは、ここ数日の女子のユーリ独占に対する対抗であった。ユーリと一緒に合法的(?)にお昼ご飯を食べるためなら、男子はどんなに卑怯と言われようと、結託し事を成し遂げる意志を固めていたのである。
そしてユウのクラスの女子は、意外と血の気が多いものが多かった。
「もちろん、ハンデは必要だと思う。そっちは一人でも生き残っていたら勝ち。逆に俺たちは、そっちを全滅させないと生き残った人数に関わらず負け。むろん、全滅しても負けだ」
「上等だよ……! 敵陣にいるのは遠慮なくブチのめしていいってんだよね……? わかりやすくていいじゃない……!」
「決まり、だな」
「……一色さん、なんか勝手に賭けの景品にされているけど」
隙を見計らい、ユウはこっそりとユリに話しかけた。一応これでも、ユウはボディガードとして姫野に色々諸々頼まれているのだから。
「んー? これくらいの賭けなら大丈夫でしょ?」
「……」
──もしかしてこいつ、男集団の中に一人で行くのを禁じられているの、知らないんじゃないか。
思い返してみれば、姫野はユウにはそのことを言ったが、ユリ自身に話したところは見ていない。変に意識させて行動が制限されるのを嫌ったのか、あるいは……これくらいは言わなくてもわかっているはずだと高をくくったのか。
「あっ! 待って……よく考えたら、男子のほうが人数多いじゃん!」
「ん? ……そういや、二人多いか」
「こっちと人数合わせてよ」
「つっても、この聖戦に参加しないだなんて考えのやつは……あ」
「──ん?」
数人の視線を受けて、ユウはそっちのほうを振り向いた。
チーム分けの話し合いをしていた何人かが、天啓を得たとばかりにユウを見ている。
「咲島、ちょっと」
「どしたよ?」
「いや……悪いけど、女子チームに行ってくれない?」
ぽかんとしたのはユウ……ではなく、話の様子をうかがっていたユリの方だった。
「聞いてたかもだけど、人数合わせをする必要が出てきて。男子のほうが二人多いから、お前が女子チームに行けばぴったりなんだよ」
「や、移ること自体は別にいいけど……なんで俺?」
ユウは別に、女の子らしい要素があるわけじゃない。見た目は誰がどう見ても男子高校生だし、ヒゲこそまだ生えていないが、下半身にはすね毛とそれ以外のアレもきっちり生えている。さらに言えば、その股間には立派な大和男子がぶら下がっている。
そんな自分が、どうして女子チームに選ばれたのか。
「だってお前……あんまユーリちゃんに興味ないだろ」
「まぁ、そうだな」
「だから、ユーリちゃんと一緒に昼飯を食べる……ってことに、そんな本気にならないだろ」
「そうだな」
──すでに何回か一緒に食ってるし、家で二人きりで朝飯食ったこともあるし。
「あと……女子に戦力を送りたくない」
「ひどくね?」
「許せ。それだけ俺たちにとっては大事なことなんだ」
それでいいよな、と男子は女子の方に確認をとる。下手に下心を持つ奴を入れられるより何倍もマシだと、女子たちもそれを了承した。
「でも、だったら……万が一、俺だけ残ったりしたらどうなるんだ? 男子が勝っても、女子が勝っても……俺にはメリットが無い」
男子はユーリとお昼ご飯を食べる権利を得るため。女子は男子にその権利を渡さず、今日も女子だけでユーリとお昼ご飯を食べるため。お互い目的……メリットがあるわけだが、男子であるのに女子チームに入ったユウは、果たしていったい何を目的に頑張ればいいというのか。
「安心しろ、咲島」
数人の男子がユウを取り囲み、すごくいい笑顔でその肩を叩いた。
「容赦はしない。お前だけが残ることなんて、万に一つもあり得ない」
「……」
「安心して、咲島」
数人の女子がユウを取り囲み、すごくいい笑顔で反対の肩をたたいた。
「男子は絶対潰す。そんな事態になることなんて、あり得ない。でも……」
「でも?」
「もし、万が一、絶対にないだろうけど……あたしたちが全滅して、それでなお、咲島が生き残って……あいつらに勝つことができたのなら」
売り言葉に買い言葉。勢いに任せた言葉。あるいは本気でそう思っていたのか。
「その時はもう……ユーリちゃん独占でも何でもすれば? かわいい女の子と二人でご飯ができるってんなら、いくら咲島でも嬉しいでしょ? それに、あのアホどもと一緒にさせるよりも全然いいもん!」
「……えっ」
なるほど確かに、女子にとっては男子の野望を阻止できる案だ。そして、ユウが……いや、男子を釣るためにこれ以上ない案ともいえる。元より、一人でも最後まで生き残っていれば勝てる試合なのだ。保険としては悪くない。
慌てたのは、ユウの方である。理由は今更、語るまでもないだろう。
「おい、ゆ……一色さん」
僅かばかりの願いを込めて、ユウはユリへと声をかける。
以心伝心。もう知らない仲じゃないし、いろんな意味でちょっぴり特別な関係なのだ。だから、きっと何もかも伝わってくれるはず。
そんなユウの心の叫びにこたえるように、ユリは撮影でも見せたことのない程の笑顔とサムズアップを繰り出して見せた。
「おーるおっけー! なんか盛り上がってきたね!」
こうして、大人気アイドルとのお昼ご飯をかけた戦いが──仁義なき聖戦が始まった。




