24 昼休みの乱入者
「いや、まさか、そんな」
昼休み。鐘が鳴ったほぼその瞬間に、ユリはかわいらしい弁当箱を持って教室を後にしていた。ご丁寧にも最後の瞬間に振り向き、ぱちりとウィンクして立てた人差し指を口元に添えるというパフォーマンス付きである。
アイドルが放った強力すぎる一撃を食らってしまえば、虜になったクラスメイト達はユリの後を追う……なんて真似ができるはずもなかった。
「咲島ぁ、なーにそんな焦った顔して急いでるんだよ?」
「いや、その……な?」
「……ははーん、わかったぞ。お前、ユーリちゃんがあの中庭に来てくれないか……なんて思ってるんだろ?」
──逆だよ、逆。
そう言いたくなるのをグッと堪え、咲島は天野と一緒に昼餉をとるべくいつもの中庭へと向かう。普段なら幾許か落ち着いたゆったりした気分で歩いているはずなのに、今日に限ってユウは嫌な汗が止まらなかった。
朝方にユリが見せた、あの意味深で怪しい……否、妖しい視線。ある意味でユーリの本性を知っているからこそ、ユウは気が気でならない。あれだけ露骨にわざとらしく話をされて、その可能性を考えないほうがどうかしているというものだろう。
「でもどうだろうなあ。昨日はたまたま一緒になれたとはいえ……さすがに二日続けてなんて都合がよすぎるだろ。それに、なんか俺たち、ガッついちゃってるように思われたりしないかな?」
「昨日もその前も同じ場所で食ってるんだ。いつもの場所にいつものメンツでいつも通りに過ごすのに、ガッつくもクソもあるかよ」
「や、まぁそうだけど……咲島? お前、なんかちょっといつもと違くない?」
「気のせいだな」
人に気取られないギリギリの速度を持って、ユウは中庭へと至るその角を曲がる。
目の前に広がっていたのは……。
「あちゃー、やっぱいるわけないかぁ」
「待て、妙に気配か視線が……いや、さすがに考えすぎか」
いつもと同じ、特別変わりのない風景。まだ昼休みが始まったばかりだからか、人は結構まばらでなんとなくさみしい感じもする。校舎の方から賑やかな声が聞こえてくるものの、それ以外は鳥の音と風の音が聞こえるくらいで、なんとも静かで穏やかな空間。
これこそが、ユウの求めていたものだ。
「んじゃまあ、さっさと飯にしようぜ」
「そうだな」
昨日と同じく、ユウは天野と一緒に昼餉をとる。天野は自前の弁当箱を広げ、ユウも同じく大きな二段の弁当箱──と、昨日のうちにコンビニで買っておいた総菜パンを袋から取り出した。今までは朝に買っていたものだが、事情が事情故に前日に買うことになったという代物である。
「おっ、まーたお前、ウィンナーパンか。好きだよなぁ」
「いつもの、ってのが俺のポリシーだからな」
「でも、毎日毎日それで飽きないの? たまにはピザパンとかジャムパンとか……別ブランドのやつだってあるし、なんだっけ……わさび風とかピリ辛風とか、けっこうバリエーションあるやつだろ、それ」
「いいんだよ、これで。俺はこれが一番好きなんだから」
大きな弁当箱にウィンナーパン。これがユウの毎日のランチであり、そしてジャスティスだ。雨の日も風の日もそれは変わらないし、ユウはこの高校に入学して以来、一度たりともこの食習慣を崩したことはない。
「お前こそ、弁当一つで足りるのかよ?」
「いや、そんなデカい弁当箱使ってるやつ自体珍しいし、コンビニパンも併せて買う奴なんて今じゃ絶滅危惧種だからな? 運動部でも何でもないのに、なんでお前そんなに食えるんだよ」
「そりゃあ、腹が減るからな。健康的な男子高校生の証だ」
ちなみに、今日の弁当箱の中身は卵焼き、プチトマト、ブロッコリー、そぼろ、ちくわ、味玉、鳥のササミ、肉と野菜の炒め物であった。銀シャリのど真ん中には大きな梅干しが鎮座している。いかにも弁当らしい、弁当らしさ全開の弁当といえるだろう。
「……毎回思うけど、何気に結構クオリティ高いよな」
「そうか? 野菜やちくわなんかは入れるだけだし、味玉はある程度作り置きしているからな。卵焼きは朝飯にも出てるし……弁当のおかずとして朝作っているのは、炒め物くらいだったと思うが」
「いやいやいや! ユウくん、本気で言ってるの!? これだけの種類があって、冷食が一つもないなんて……!」
ぴた、と何かが固まる音がした。三者三様の理由で、たしかにその場の時が止まった。
天野は、その場にいないはずに人がいたこと──予想外の嬉しい事態に。
ユウは、そいつが近づいたことに気づけなかったこと──予想外のあり得ない事態に。
そして、最後の一人──ユリは、思わず口走ってしまったというその事実に。
「「……」」
三人が三人とも、無言で視線を絡ませ。次の一言をどうするべきか、一瞬の間に頭の中を巡らせて。
やがて、一番最初に復帰したユウが、その場を代表するかのように言葉を紡いだ。
「よぉ、一色さん」
「は、はいっ!」
「奇遇だな?」
「ほ、ホントにね!」
“お前ホントなんでここに来たんだよ”、“別にいいでしょ、私がどこで食べても!”……だなんて、ユウとユリは視線だけでやり取りをする。幸いだったのは、天野が望外の喜びに惚け、真横にいるユウの表情に気づかなかったことだろう。
もし天野が横を見ていたら、きっとユウとユリの間にある何かを感じ取っていた。そう断言できてしまうほどに、ユウにしては珍しく動揺してしまっていたのだ。
「一色さん、たしか……学校探検するって言ってなかったか?」
「う、うん! それで、いろんなところ回ってきたんだけど……良いところが無くて! 教室に戻るのもアレだったし、ちょうど近いからここでいいかなって!」
「一色さん」
「は、はいっ!」
ユウは、痛くなってきた頭を考えないようにしながら、諭すように聞いた。
「……どこ、巡ってきたんだ?」
「……えへへ?」
ユリは若干目を泳がせながら、明後日の方向を見てにこりと笑う。それだけでもう、真実の八割がたを伝えているようなものだった。
「いや、まじめな話……最初はね、屋上に行ったの。ほら、よくアニメや漫画であるじゃん。ちょっとそういうの、憧れてて」
「……まぁ、わからんでもない。でも、開いてなかっただろ」
一般的な高校の例にもれず、この学校も屋上は封鎖されている。安全上の問題が云々、というのをちらっと聞いた覚えがあるが、ユウも詳しいことは知らない。そもそもとして、高校生ともなればむやみやたらと屋上に立ち入る用事もない。
ともあれ、重要なのは昼飯時でも屋上は解放されていないというその一点だ。
「そうなの! 都会の学校なら、開いていると思ったんだけど……」
「一色さんが都会の学校にどんな幻想を抱いているのかわからんが、開放しているほうが珍しいと思うぞ」
「むー……まぁ、それで次どこに行こうかなって考えてたら、階段の窓からここが見えて」
それか、とユウは心の中で独りごちる。同時にまた、どうしてユリの気配だけ妙に捉えづらいのか、疑問が浮かんだ。
もちろん、そんな疑問に答えなんて出るはずがなく。
「一緒にご飯食べても……良いよね?」
「もちろん! 大歓迎! あああ、生きててよかったぁ……!」
「あはは、大袈裟だよー」
気づけば、いつの間にかユリと一緒に昼食をとることになっていた。ご丁寧にも少し場所を移動して、三人でいい感じに座れるスペースを確保してさえいる。この場にいる三人のうち二人が乗り気なのだから、もうユウにはどうすることもできない。
いや、ユウだって別にユリと昼食をとりたくないわけじゃないのだ。ただ単に、もっと順序と段階を考えるべきだと思うだけで。
「へーっ! 天野くんのお弁当箱、珍しい奴だね! その、和風みたいっていうか……!」
「そ、そうそう! そうなんだよ! たしか、わっぱ弁当って言って……ウチのばーちゃんの趣味でさ!」
「そうなんだ! ってことは、おばあちゃんの手作り? いいなあ、そういうの、ちょっとあこがれるなぁ」
「う、うん。ばーちゃんが作ってくれたやつで……そういうユーリちゃんのは」
もう、本人がそこまで気にしないのなら、俺が必死になる必要もないんじゃないかな──なんて思いつつ、ユウは横目でユリが取り出した弁当箱を見た。
「もちろん、私の手作り! こう見えて、お料理にはちょっと自信があってね!」
「マジかよ……! 料理もできるとか完璧すぎるだろ……! しかもこれ、初めて聞いた情報だぞ……!」
「あー……一応、内緒でね?」
かわいらしいランチバッグからユリが取り出したのは、これまたかわいらしい感じのピンクのお弁当箱だった。お洒落なOLが愛用していそうな、大人っぽさもある一品だ。ユウからしてみればあまりにも小さく、こんなんじゃおなかの足しにもならないと思えてしまうが、しかし一般的な女子高生にとってはちょうどいいサイズなのだろう。
当然、その中身も。
「うぉぉ……すげぇ……! 女の子って感じ……!」
タコさんウィンナーに花形のニンジン。アスパラのベーコン巻きには端部が星に象られたクリアイエローのピックが刺さっている。仕上げとばかりにご飯は球を三つ組み合わせてできたクマさんデコレーションで、海苔で目と口が飾り付けられていた。
いかにもって感じの、ザ・可愛いお弁当。女の子受けが非常に良さそうな、彩り豊かで見て楽しい、食べておいしい最高のお弁当。
その出来栄えには、さすがのユウもちょっと見入ってしまうほどだった。
「すげぇな……雑誌の特集とかでありそうだ。これ、毎日作るのか」
「最初だからちょっと気合を入れたのは確かだよね。次からは少し抑えめにする……けど」
「けど?」
「ゆ……咲島くんのそれも、すっごく手が込んでるからね? 普通、お弁当なのに冷食の一つも入らないなんてありえないから!」
普段なら自分も一つや二つくらいは冷食を使うとユリは述べる。よくよく見てみれば、和風で手作り感あふれる天野の弁当にも、冷食のそれとしてレンコンのはさみ揚げがあった。
「朝の忙しい時間に頑張ってお弁当を作ってくれているのに……それが普通だと思っちゃダメだよ? ちゃんと作ってくれる人に感謝しないと」
「う……まぁ、そうだけどさ。ウチの場合、妹が好きで作ってるから」
「えっ、そうなの?」
「おい、俺、お前に妹がいるなんて初耳なんだが」
ユウの弁当──ユウたちの弁当を作っているのは他でもないアイだった。咲島流を継ぐ一人として相応に肉体を鍛え上げているアイは、普通の食事には満足ができず、自分が食べたいものを好きなように食べたい──ということで、自身のドカ盛り弁当を作るついでに、ユウの弁当も作っているのである。
当然、そのメニューもアイの好みが大いにかかわっている。具体的には、「食べた気のしない冷食はいれない」と、「低カロリー高たんぱく」の二つであった。
「自分で作れば、好きなモン食えるからな」
「とはいえお前……毎日兄貴の弁当を作ってくれるなんて、出来た妹じゃねえかよ……」
「そうだよ……なのに、ウィンナーパンまでつけるの? アイちゃん、泣くよ?」
「腹が減るからしょうがない。これ以上デカい弁当箱にすると、鍋や炊飯器の大きさ的に考えて、あいつの食べる分を減らさなくちゃならない」
「咲島、お前……」
「お兄ちゃんがこれって……」
天野もユリも勘違いしているが、ユウよりもアイのほうがはるかに良く食べる。もちろん、ユウだって世間一般、体格からはじき出される標準を鑑みればよく食べるほうではあるが、アイには到底及ばない。一切の脚色なく、ユウの弁当はアイの弁当のついででしかないのだ。
「ちなみにだけど……その卵焼き、一切れ貰えたりする?」
「……えっ」
ちょっぴり照れくさそうに、ユリがはにかむ。意外な問いかけに、ユウは一瞬固まった。
「や、なんかすごくこだわっているみたいなイメージあったからさ。一口くらい味見させてほしいなぁって……」
「……」
果たして、本当にそれだけなのだろうかと、ユウは刹那の間に施行を巡らせた。言っていること自体は特別不自然ではないが、相手が相手だ。裏があってもおかしくないし、自分の想像が及ばない突飛な何かをしでかす可能性は決して低くはない。
「もちろん、タダでとは言わないよ? ──この、タコさんウィンナーと交換だっ!」
「マジかよ!?」
卵焼きとウィンナー。一般的に考えて、ユウに有利すぎるトレード。しかもそのウィンナーはただのウィンナーではなく、可愛い女の子──それも話題沸騰中のアイドルの手作り。たかが一市民が作った卵焼き一切れでは到底釣り合うはずがない代物だし、文字通りのプレイスレスといえるだろう。
──受けても、断ってもろくなことになりそうにないなァ。
そう、ユウが思った瞬間だった。
「──隙ありっ!」
「むぐっ──!?」
なぜだ、とユウは遅くなった世界で考える。
ピックに刺されたタコさんウィンナーが口の中にいる。弁当故に冷めてしまってはいるが、程よくジューシーでぷりっぷりのやつだ。ウィンナーらしい肉のうまみはそのままに、どこか家庭的な何かを彷彿とさせる、言葉にできない何かが感じられる。
意外と結構好みの味である。だが、それも今はどうでもいい。
問題なのは、曲がりなりにも咲島流の師範代である自分が、なぜ一切の反応もできずに素人から異物を口にねじ込まされるというそれを食らってしまったのかという、その一点だ。
「さきっ、さきしまっ! お前ぇぇぇぇぇぇッ!」
詰め寄る天野をひょいといなし、ユウは自分の体に不調が起きているわけではないことを確認する。少なくとも、天野が相手だったら、知覚はいつも通り働くし、体も問題なく動かせる。
ユリが相手の時に限って、ユウはいつもの実力を発揮できない。それがどうしてなのかは、ユウにはさっぱり理由が思いつかなかった。
「どーぉ? ……お、おいしいでしょっ!?」
起きてしまったものはしょうがない。そう切り替え、ユウはウィンナーを丁寧に咀嚼し、そしてごくんと飲み込んだ。
「どうして、こんな真似を?」
「むー……質問の答えになってない! 美味しかった?」
「……ああ、美味しかった。で?」
「……断られると嫌だし、先に既成事実を作っておこうかなーって」
「そうじゃなくて、だ」
そこまでして、卵焼きを食べたかったのか──と、ユウは視線で語り掛ける。
ユリは、にこっと笑って──ユウが片手でいなしている、天野へと顔を向けた。
「おま、おまえ、なんてことを! ユーリちゃんが作ったウィンナーを食べたばかりか、おま、ユーリちゃんから直接……ッ! しかも、第一声が讃える言葉じゃないだと!?」
「天野くーん? おーい、天野くーん?」
「止めないでくれユーリちゃん! 俺は今、不文律を犯したこいつを……ッ!」
「えい」
「むぐっ!?」
ユリは異様に手慣れた様子で、天野の口にもお手製のタコさんウィンナーを放り込んだ。
ちなみにであるが、ピックはユウに使ったものを使いまわしている。
「これで、天野くんも共犯……クラスのみんなには、内緒だよ?」
いたずらっぽく微笑まれてしまえば、天野はただコクコクと首を振るしかない。まだ自分の身に何が起きたのかわかっていないのか、信じられないとばかりにもぐもぐと口を動かし、出来るだけ長い時間、その幸せをかみしめようと必死の努力をしている。
「……俺からは卵焼きだろ? 天野からは何をもらうんだ?」
「んー? 天野くんは昨日のサッカー頑張ってたし、そのご褒美的な?」
「……」
「……自分で言うのもなんだけど、やっぱり男の子ってこういうので喜ぶものだよねえ?」
幸せすぎてもはや周りが見えていない天野を見て、ユリはちょっぴり悲しそうにも、悔しそうにも見えるため息をついた。
「ちょっと、本気になってくれないかなーって思ったの」
「……どういうことだ?」
本気で疑問に思っているユウを見て、ユリは本気でわからないとばかりに、それこそ子供に算数を教えるかのように、慈愛のそれともとれる笑みを浮かべて言った。
「これでも、アイドルとしての、女の子としてのプライドがあってね……! こーゆーご褒美があれば、ユウくんも体育で頑張ってくれるかなって……!」
そう言って、ユリはユウの弁当箱から卵焼きを一切れかっさらう。「うちと違って、しょっぱい味付けだね」……だなんてつぶやいて、幸せですよと言わんばかりににっこりと笑った。
その笑顔が意味するところは、つまり。
「お前……まさか……」
「アイドルは頑張る人を応援するのが仕事だからなあ。きっちり頑張ってくれるまで、応援しちゃうんだよなあ」
(……活躍するまで、続けるってか)
小さくつぶやかれたユウの問いに、ユリはただ、ひらひらと手を振って答える。
ユウは、知らなかった。いや、忘れていたといったほうが正しいか。
ユリに限らず、アイドルに限らず。
本気になった人間は、どんなことだってするということを。




