23 帰り道
「ユ・ウ・く・ん……!」
帰り道。ある意味予想通り、こっそり合流した瞬間、ユリはユウの胸倉を掴みかかるかのような勢いで詰め寄ってきた。
女の子のことなんてまるでわからないユウでさえはっきりとわかるほどに、ユリの顔には「納得していない」、「どういうことだ」、「今機嫌悪いです」と書かれている。
瞳は不満たらたらだし、目はどことなく吊り上がっているし、不機嫌そうな顔を隠そうともしていない……のに、普通にかわいらしい顔立ちだからアイドルというものは恐ろしいと、ユウは現実逃避気味に思いをはせる。
「なんで、なんで本気を出さないの!?」
「なんでって言っても……なぁ?」
「なぁ、じゃわかりませんっ!」
それはそうだろう。いくらそれなりに付き合いが長くなったとしても、たったの二言ですべてを察するなんて土台無理な話だ。
「ユウくん、普通にもっと速く走れるじゃん! スタミナだって全然あるじゃん! 絶対、ぜーったいあの程度で息切れしたり、足の速さで負けるわけないじゃん!」
「そりゃまあ……純粋なテクニックならともかく、身体的な能力なら負けないだろうな」
「だろうな……って、なんでそんな他人事なの!?」
周りのことなんてもはや見えていないのだろう。明らかにユリの声は大きいし、いつも以上に距離が近い。今この瞬間も絶え間なく周囲の気配をうかがっているユウにとっては、なんともやりにくいことこの上なかった。
「落ち着け、落ち着け。……他人事っていうけどさ、そっちのほうこそ他人事だろう? 別に俺が本気でやろうがやるまいが、お前には関係ないじゃないか」
「う……いや、そうだけどぉ……」
「なら、この話は終わり……おい、ユリ?」
ぴた、とユリが足を止める。それだけならまだしも、うつむいていたうえ……なんか、妙に体がぷるぷると震えていた。
「ユウくん……!」
「ど、どうした? お前、たまにマジで心臓に悪い動きするからホント怖いんだよ……!」
「……やしい……」
「ん?」
「すっごく、悔しい……っ!」
恨みがましい、とはまたちょっと違う感情。もちろん、ただの悔しい……とも言い難い特別なそれ。「それ」を一体どんな名前で呼べばいいのか、今のユウにはわからない。
「お、おい……なにも、そんな本気にならんでも……」
「だって……! せっかく、せっかく応援しようと思ったのに……! ユウくんのかっこいいところ、見てみたかったのに……!」
「……その気持ちは、ありがたいけどさ」
「……全然わかってないよね?」
「……」
言葉に詰まったユウを見て、ユリは子供に算数を教えるかのように優しく語りだした。
「例えば……例えばだよ?」
「おう」
「私がアイドルとしてバトルとかしてて、負けちゃったら……悔しくない?」
「……お前、負けることあるのか? 今一番人気で飛ぶ鳥も落とす勢いだって聞いたけど」
「ユ・ウ・く・ん・?」
じとっと、下から見上げるようにユリはユウを見つめてきた。さすがのユウも、女子供特有のこのプレッシャーに敵うはずがない。相手がユリだというなら、なおさらの話だった。
「う……わかったよ。確かにちょっと……いいや、だいぶ悔しいと思うよ。お前がマイク持っているところなんて一回しか見たことないけどさ、それでも……今までそういうのに興味を持たなかった俺がすごいって思えたくらいなんだ。そんなお前が負けたら、そりゃ悔しいよ」
「でしょう!? だったら私が言いたいことも──!」
「でも、それとこれとは話が別だ」
ユウだって、何の考えもなしにこんなことをしているわけじゃない。普通の少年なら、実力があるなら全力でそれを発揮しようとするはずだ。そうしない理由がないし、そうすることで発生するデメリットもないのだから。
だけど、ユウにとっては。
ユウにとっては、少しだけ違っていた。
「お前が俺に自分のことを隠していたように──俺にも、事情があるんだよ」
「……それは、ユウくんのおうちのこと?」
「……」
間違ってはいない。実際、理由の大半が……否、理由の大本となったそれはまさしくその通りだ。だからこそ、ユウは無言で肯定することしかできなかった。
「あのとき……咲島流の師範代って名乗ってたよね。なんか、必殺技みたいの使ってたよね」
「必殺技じゃなくて、普通に技と型の名前だけどな」
「……それって、すごいことじゃないの? みんなに自慢できるようなことじゃないの?」
「……お前と違って、そうじゃないんだ。少なくとも、俺にとっては」
もうその話は終わりだとばかりに、ユウは少しだけ歩くスピードを速める。いつもとは明らかに違う歩幅に、ユリは慌てたように歩を進めた。
「ユウくん……」
「……なんだよ」
「これだけは、言わせて」
「……」
「私、悔しいの。ホントの、本当に……」
「……」
「あのとき……私を助けてくれたのは、ユウくん。なのに、ユウくんは誰にも認めてもらえない。それがユウくんの望みだったとしても、私の命の恩人は、誰からも褒めてもらえない。そのうえ、学校でもだなんて……」
ふぅ、とユウは小さく息をついた。
「お前ひとりが認めてくれれば、それで十分だ。それ以上は、俺には必要ない」
どれくらいかは誰にもわからないけれど、それなりに本音も含まれていた言葉。さすがにちょっとクサいセリフだったか、いやいや、逆にこれくらいのほうが効果的だろう──なんて、思っていたユウ。
無言。ただ、無言が続く。想像以上に無言が長くて──何より、聞こえていたはずの足音が聞こえなくなって、ユウは思わず振り向いた。
──真っ赤になったユリが、立ちすくんでいた。
「う、うう……!」
──こいつ、不審者スタイルじゃなきゃ普通に可愛いんだよなあ。
見慣れているようで見慣れていないその顔に、ユウの頭からさっきまで考えていたことの一切が吹っ飛んでいった。
「ず、ずるいっ! ユウくんは時々そうやって不意打ちするからずるいと思いますっ!」
「なんだよ、半ば言わせたようなもののくせに……」
「う、うそっ! ぜったい嘘っ! だってユウくん、お昼の時だってすっごく恥ずかしいこと……!」
「いや、あれは!」
全力で忘れようとしていたことを指摘され、ユウの心の防御が甘くなる。
その隙を、見逃すユリではなかった。
「おや? おやおやぁ? やっぱりユウくんってば、照れてるんですかぁ? 私のいないところであんなこと言ってたってことは、紛れもない本音ってことだよねぇ?」
「お……俺だって言うつもりはなかった……! ただ、天野があまりに落ち込んでいたから……!」
「つもりはなかったってことは、思っていたこと自体は間違いないってことだよねぇ?」
「ぐッ……! だけど、アイドルに可愛いって言って冷やかされる道理はないぞ……!」
「……可愛いアイドルって、認めてくれるんだね?」
「あ」
ユウは、体を鍛えてきた人間だった。そしてこの時代、この国の人間の生き方とは相いれないと思えてしまうほどに、肉体的な闘争に満ちた人生を送ってきた人間だ。それは、不良三人に平気で喧嘩を売りに行ったり、建物の四階から飛び降り、刃物を持ったイカレ男に平然と立ち向かうことからもはっきりとわかることだ。
何が言いたいかってつまり、物理的な闘争に傾向したあまり、口喧嘩や論理的な言葉の勝負にはめっぽう弱くなってしまっていたのだ。
しかも相手は、いろんな意味で普段から言動に気を付けることが多いアイドルである。そして、ユウのことをある意味では一番よく知っているユリである。
言葉の勝負に負けてしまうのも、当然の結果といえるだろう。
「ようやっと、ユウくんは私のことを可愛いアイドルって認めてくれるんだぁ? えへへ、なんかうれしいなぁ?」
「くそ……ッ! 今のこのふざけた様子、クラスの連中に見せてやりたいぜ……! 全然風聞と違うじゃねえか……!」
「残念ながらトップシークレットでーす! ……それに、知られたら知られたで、ユウくんってば大変なことになっちゃうかも?」
「ちっくしょう……! 会ったばかりの頃の素直なお前はいったいどこに行ったんだよ……ッ!」
「私はいつだって素直だもーん! ──」
──だから、カッコいい姿を見たかったのも、悔しかったのも本当なんだよね。
会話の終わりに、ほとんど聞き取れないくらいに小さくつぶやかれた言葉。ユウの鋭敏な聴覚は余すことなくその実力を発揮し、そしてユウの心がちくちくと痛んだ。
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翌日。アイドルが普通の少女として学校に通い始めて三日目。朝の合流も文字通り何事もなく終わり、そしてユウは自らの席で授業が始まるのを待っていた。
ちら、と隣を見る。さすがに三日もすれば緊張もほぐれるのだろうか、あるいはある種の焦燥感に駆られたのか、ユリの周りに集まって雑談に興じる人の数は明らかに昨日よりも多い。比較的女子の比率が多いものの、そこには男子もしっかり交じっていて、それこそクラスのほとんどがそこに集っているといっても過言ではない。
「ね、ねぇユーリちゃん! ユーリちゃんめっちゃ足速かったけど、なんかスポーツとかやってたの?」
「んーとねぇ、スポーツらしいスポーツはしてなかったけど……諸事情により、体力づくりとかはけっこうしていたかな! 主に長時間激しく動き回る感じの!」
「そ、それってやっぱりダンスのレッスンとか……!?」
「ん、内緒! ご想像にお任せするよ!」
今日も今日とて、ユリはクラスのみんなにその魅力的で誰もを虜にしてしまう笑顔を振りまいている。ユウに馴染みやすい表現を使うならば、防御不能な全力の魅力でぶん殴っているといったところだろうか。
天野が話していたファンの不文律は浸透しているようで、なんだかんだでみんな「踏み入った」話は意図的にしないようにしているらしい。一方でユリの方も、あくまで否定はしないが肯定もしないといったスタンスで話しているため、なんだか妙にミステリアスというか、傍から見れば暗号のようにも見える会話となってしまっている。
(何気にこの時間が一番安心できるのな……)
確実に守れる距離。それでいて、ユリは動き回ることはできず、外部からの直接的な影響がない教室という場所。少々姦しいことに目をつむるのなら、通学中でも昼休み中でもない、この時間こそがユウが一番気を抜ける時間であった。
(……)
ちら、とユウは時間割表に目を向ける。
幸いにして、今日は体育の予定はない。午前中も午後も座学ばかりで、正直眠くなってくるようなラインナップだ。ユウとしては気分転換に芸術科目か総合の時間が欲しいところだけれども、苦難なく一日を乗り切る分にはまったくもって問題ない。
「あの、その、出来たらでいいんだけど……部活とか、入ってみない……?」
「うー……すっごく興味あるけど、放課後は基本的に用事があるから……」
「在籍だけのゆうれい……じゃない、名誉部員でも構わないから! なんなら卒アルの時に一緒に写真に写ってくれるだけでいいからっ!」
「あはは、欲望丸出しだよー? 真面目に頑張っている人に申し訳ないって! クラスメイトとして撮る……じゃ、ダメなの?」
「ユーリちゃんと同じ部活だったって事実を胸に生きていきたいの……! あと、来年も同じクラスになれるかわからないし……!」
(普通の写真だったら、普通に撮らせてくれるんじゃねえかなあ)
嫌でも横から聞こえてくる話に、ユウは心の中だけで突っ込みを入れる。邪な気持ちが無く、ゴシップ的に問題がないのであれば、割といろんな融通が利くタイプなのだろう──というのが、ユウがユーリというアイドルに抱いている印象の一つだった。
実際、ユーリは握手会で握手以上のことをやっていたし、ユウが知っているユリという少女はそういうことにおおらかだ。
(……)
ちら、と時計を見る。授業開始まで、あと二十分ほどあった。
どうやら今日は、思っていた以上に【あたり】のルートを引くことができたらしい。思い返してみれば、迂回することもほとんどなかったし、信号にもまるでひっかからなかったとユウは一人で得心がいったように頷く。
こんな時間にしては妙に人が多いのが気にならないこともないが、ユーリとの朝の雑談タイムを楽しもうと目論んだ人間が多かったというだけの話だろう。いつもよりほんの二十分速く行動するだけで夢のアイドルとお話ができるなら、それをしない道理はないのだから。
(……よし)
時間はある。危険はない。
ならば、少し遊んでもいいのではないか。
そう思ったユウは、カバンから古びたゲーム機を取り出した。ジョギングの時にいつも持ち歩いている、愛用のやつだ。当然、刺さっているソフトもいつものやつである。
ぴこん、と電源を入れても、みんなはユーリに夢中でユウのことなんて気にしてもいない。慌てて音を消そうとしたユウも、気にしてないなら別にいいかと──そもそもとして周りがうるさくてほとんど聞こえないので、そのままボリュームを弄ることなくゲームを始めた。
「じゃあさ、じゃあさ! 今日こそは一緒にお昼食べない? 昨日は女子とだったし、今日は男子のみんなとでってことで!」
明るい男子の声が教室に響く。何人もの男子が賛同の声を上げ、女子の大半がブーイングの声を上げた。
あまりにもうるさくて、ユウは思わずゲームキャラの操作を誤った。いつもなら避けられるはずの敵の攻撃をかすめてしまい、わずかばかりとはいえダメージを負ってしまう。
「はァ? なんなのその自分よがりで下心みえみえの提案は! ユーリちゃんは今日もウチたち女子のみんなとご飯食べるんですぅー!」
「いやいや、そっちこそ……なぁ? ユーリちゃんが早くこのクラスに馴染むためにも、こうするほうがベストだろ? それこそ、隔日で順番にすれば公平じゃないか」
「……なんかいかにも合理的で平等なアイデアだしましたって感じの顔しているけど、ウチらがそれ飲む意味なくない? その提案、ウチらがユーリちゃんとご飯を食べる時間が半分に減るってだけでしかないんだよ?」
「えええ……女子怖え……なんていう強欲……」
「なんだとぉ!?」
ゲームをやりながら、ユウはなんとなくアイのことを思い出した。そして、未だにこの現状──ユリと再会し、ユーリのボディガードをしながら登下校を共にする関係である──を伝えていないことを、考えないようにした。
ゲームの中の勇者は、軽快に敵をばったばったとなぎ倒している。
「あ、悪いんだけど、今日のお昼休みは一人になりたい気分かな!」
「「ええー……っ!」」
死角となっていた場所から急に現れた敵の攻撃。避けられない攻撃が勇者を襲う。
運の悪いことに、その一撃は急所に当たってしまっていた。
「学校探検もかねて、良い感じのお昼ご飯スポットを探してみようかなって」
「そ、それなら付き合うよ!」
「ううん、どれだけ歩き回るかわからないし、さすがにそれは悪いよ。大勢で動くのも、周りの迷惑になっちゃうしね」
勇者はかろうじて生きている。しかし、その体には紫色のおどろおどろしいエフェクトがかかってしまっていた。どうやら、先ほどの攻撃には毒の効果が付与されていたらしい。
泣きっ面に蜂というべきか、ピンポイントに毒消し草だけ手持ちにない。
「だけど──もしも偶然同じ場所でご飯を一緒にすることになったら」
ユウは──否、ゲームの中の勇者は嫌な汗をかいている。遠くに見えた回復スポットに向かい、全力で走っている。あそこにつくことさえできれば、最悪の事態だけは回避できる。
なのに。
「……マジかよ」
回復スポットの直前。避けられない位置にあった、致死性の罠。哀れ勇者は力尽き、ユウの手元のゲーム機にはゲームオーバーを告げる画面が大きく映し出された。
おそるおそる、ユウは顔を上げる。
「そのときは……よろしくね?」
人の壁の隙間から覗く、ぱっちりした魅力的な瞳。
満面の笑みのユリと、目が合った気がした。




