21 彼の秘密:怠惰
「なんだお前ら……いつになく気合入ってるな……」
「はぁ!? いつもどおりっすよ! それより早く! 笛を! 開始の合図を!」
高く鋭い音が響き、そして黒白のボールを巡って男子たちが駆けていく。まるで獲物を狙う獣のように目は真剣で、とても体育の授業とは思えない雰囲気。もし何も知らない人がこの光景を見たのならば、日本一をかけた大事な試合か、あるいはプロ引き抜きのための実技試験か何かだと思ったことだろう。
「ちィッ!? やるなぁ!」
「しゃらくせぇッ!!」
後のことなんて知らないとばかりに、彼らは今この瞬間に全力を出していた。普段は適当に流すだけの者もサッカー部以上に本気だし、サッカー部だって部活でスタメンを争う時以上の気迫を見せている。
「はぁ……男子ってホントバカ……」
「いや、気持ちはわかるけど……それにしたって、今までの態度は何だったって話よ……」
「あいつら、女子が応援した時だけあからさまに本気になってたからなぁ。ま、今日はそれ以上に盛り上がってるわけだが」
「タケセン、うるさい」
ユリの隣で、体育教師──タケセンと呼ばれている──と、男子の試合と入れ替わる形で休憩に入った女子が雑談していた。もちろん、ユリだってサッカーの試合後のゆったりとしたひと時を過ごしているわけで、本来なら同じように雑談に交じりたいところではあったのだが……。
「なにさ! いっつも私たちの応援で調子乗っちゃうくせに! 今日なんて本気の顔して鼻の下伸ばしてるんだよ!? なんなのアレ!?」
「普段は徹底的にディフェンダーで全然動かないやつも、動きがキレてるね……」
「あれでしょ!? いいところ見せたいってやつでしょ!? 逆に浅ましくない!?」
「あ、あはは……」
そうだよね、と強い目力で同意を促してくるクラスメイトに、ユリは引き気味の愛想笑いを返すことしかできなかった。
「あっ、別にユーリちゃんは悪くないからね? 悪いのはデレデレしているあいつら! 普段サボっているくせに、こーゆー時だけもっとアホになるあいつらだから! ……だから、その、腹いせってわけじゃないけど、応援とかしないでくれると……」
「う、うん……どのみち、まだ誰が誰だかわかんないし……」
「ううん。たとえ名前を出さなくても、『俺に言ってくれたんだ!』って勘違いするやつ、続出するから。……そういう経験、なんか多そうだと思っていたけど」
「あ、あはは……否定はできない……」
どうやら普段は、休憩している女子が試合中の男子を応援したりしているらしい。一部の人気の男子なんかは、活躍するたびにそれはもう大きな黄色い歓声が上がるとか上がらないとか。中には女子からの応援の声を受けたいがために、その瞬間だけ頑張る者もいるという話である。
普段なら、どこの高校でもよくあるようなほほえましい話……というだけで終わっていたことだろう。
だが、今回は事情が違う。
「あっ……あの野郎……! いま、露骨にちらってこっちを見た……!」
「……なーんか動きがわざとらしいというか、クサイっていうか」
「なんだよあのスライディング! 普段あいつ絶対あんなことしないじゃん!」
ベンチに控えているアイドルにアピールしているのだろう。なんだか妙に男子たちの動きがキレているし、いつもと違ってプレイが熱い。
あわよくば応援してもらいたいという気持ちが、女子たちの逆鱗に触れるほどににじみ出ている。アイドルとして、似たような行動やアピールを常日頃から受け取ってきたユーリにとってはお馴染みのものだった。
──なんか、逆に懐かしいかも。
例の事件からアイドル活動を休止してしばらく。今まで当たり前だったものに懐かしさを覚えたことに、ユーリはちょっとだけびっくりした。
「えっと……普段はみんな、ここまで本気じゃないの?」
「うん。全然違う。そりゃあ、サッカー部とか運動が得意な奴は活躍してるけどさ……」
「今日はサッカー得意じゃないやつもガチってるんだもん。……気持ちはわからなくもないけど、だからこそ逆に普段通りのほうが印象よくない? 天野なんてほら、あんなに……!」
──俺にボールをよこせぇぇぇぇ!
血走った瞳の天野が、サッカー部と思われる男子に向かって見事なスライディングを決め込んでいた。自分の身を顧みない、見事なトライである。
惜しくもひらりと交わされてしまったが、素人のユリから見ても、ガッツに満ちたナイスファイトであることは疑いようがない。
「……」
誰も彼もが、本当に本気になっていた。白い体操服が汚れるのも厭わないし、なんなら擦り傷の一つや二つ出来ても構わないという気迫に満ちている。むしろ、傷は男の勲章だとでも思っているのだろう。
そんな中で、彼だけは妙に──少なくともユリにとっては──浮いていた。
「ねぇ、あの……緑の7番」
「え……えーと、ああ、咲島?」
緑の7番。さきほどから自陣の後ろのほうで控えているプレイヤー。ディフェンダーとしての役割を全うしようとしているのか、攻撃にはまるで参加していない。
シュートを決めに行くことはもちろん、ドリブルでボールを運ぶことすらしていない。何らかの拍子にボールが回ってくれば、まるで爆弾を持たされたかのようにして慌てて近くの味方にパスをしている。
攻撃に参加していないというよりかはむしろ、ゲームそのものに積極的でないと言っていいだろう。
「そっか。ユーリちゃん、席隣だもんね。気になるとしたら咲島くらいか」
「咲島くんだけ……なんか、あんまり本気っぽく見えないんだけど……」
「そぉ? あいつ、いつもあんな感じだよ? 体育で活躍しているところ、見たことないし」
「……えっ?」
「めっちゃ下手くそってわけじゃないけど、普通ってほどでもない……せいぜいが中の下くらいじゃない? いや、体力が全然ないから下の上かな?」
「そうだねぇ。良い意味でも悪い意味でも目立ってるってイメージはないなぁ。……あっ、天野とよく一緒にいるから、そういう意味ではちょっと印象にあるけど……」
「……そうなの? なんかこう……運動とか得意だったりしないの?」
ユリからしてみれば、ユウが運動で活躍していないなんて信じられないことだった。ユウはあの心臓破りのジョギングコースを難なく走破しているし、あの長い長い石段を、濡れて意識を失った自分を背負った状態で登ったりもしている。
加えて、例のあの事件。ユウは四階から飛び降りて、凶悪な鉞男をあっという間に叩きのめしたのだ。単純な肉体的スペックはもちろん、その技術力も生半可なものじゃないだろう。
なにより、ユリはユウのその見事すぎる腹筋や大胸筋を何度もペタペタと触っている。その掌の感触は今でも覚えているし、だからこそユウが運動ができないというのはあり得ないと断言することができた。
が、しかし。
「いや、全然……」
「今だってほら……ボールに追いつけてないじゃん」
「あーあー……まぁ、さすがにサッカー部のドリブルには追い付けないって」
「…………」
ボールの競り合いに──それも、足の速さで負け、途中で力尽きたユウはぜえぜえと肩で息をしている。いきなり飛び込んできたボールには反応できていないし、ユリならばあとちょっと頑張れば届くボールにも、微妙に追いつかずにパスの受けミスを起こしてしまっていた。
「……ぜったい嘘」
周りの人たちはすっかり騙されているが、ユリは騙されない。
ユウは明らかに手を抜いている。
肩で息をするさまはわざとらしすぎるし、ボールを追いかけるのだって明らかにいつもより足が遅い。いかにもスタミナ切れですよ、みたいな感じで息をしているが、自分と走った時はもっと速いペースで、さらに長い時間走ってなお余裕綽々だった。ボールが近くに来た時だけしか走っていないのに、たったそれだけであんな風になるなんてありえない。
「ねえ……咲島くんって、本当にいつもあんな感じなの?」
「う、うん……ねえ、ユーリちゃん? なんかやたらと咲島のことグイグイ聞いてくるけど……なんか、あるの?」
「ううん? ただ、教科書を見せてくれているときも思っていたんだけど……なんかこう、違うというか……」
「……ああ! それはたぶん、咲島が本当にユーリちゃんのことを何も知らなかったからだよ。あいつちょっと変わっててさ。テレビとかドラマとか全然見ないらしいんだよね」
「ほほう? でも、今時そんな人……」
「それがほんとなの! あいつSM∀P知らなかったんだよ? なんかでその話題になってさ、あいつ、『それ、新しいゲームか?』って……」
「……えっ?」
「信じられないよね! メンバー全員の名前を言えない……くらいなら、まぁ百歩譲ってわからなくもないけどさ。それがアイドルグループの名前だってことすらわかってないなんて……」
「家にテレビあるのかなぁ? いや、無くても外に出れば嫌でも目にするものだと思うけど」
──テレビはゲーム専用になってるし、普段は家に引きこもっているからなぁ。
口に出したらとんでもないことになりそうなことを、ユリは心の中だけでつぶやいた。
「まー、だからあいつだけはユーリちゃんに対する下心はないと思う。あったとしても、普通? のやつね。ほかの人と違っていつも通りなのも、ユーリちゃんのことを知らないから」
「そーそー。でも、下手な男子がユーリちゃんの隣じゃなくてよかったよ。咲島は人畜無害だし、悪いうわさも聞かないし。だいぶドライで人との関りを断っている節があるけど、コミュ障ってわけでも性格に問題があるわけでもない……あれ、意外と優良?」
テレビやドラマのことがわからないってのはわかる。それは紛れもなくユリの知っているユウだ。一応は超大型の新人アイドルであるユーリを知らなかったのだし、それについてはユリも納得できる。
だけど。
だけど、だ。
「運動ができない、ねえ……」
その一点だけは、ユリにはどうしても信じられなかった。そりゃあ、どんなに身体的スペックが高くても、人には向き不向きがあるのだから、苦手なスポーツくらいはあるだろう。
だけど、それでも大抵の運動は身体能力によるごり押しができる。むしろ、技術の拙い高校の授業レベルの話ならば、なおさら身体能力の高さが実質的な実力として大きな影響を与えるはずだ。
なのに、ユウは運動ができないってことで周囲には通っている。ユリと一緒にジョギングし、映画のスタントマンですら出来ないようなことを成し遂げたユウが、体育の授業ではまるで活躍できていない。そんなの、どう考えてもおかしい。
「ユウくんってば、私にこんなこと隠していたんだね……?」
隠し事をしていたのはお互い様だ。いいや、それどころか、ユリが隠していた大きな秘密に比べれば、ユウのそれはあまりにもちっぽけともいえるだろう。
【実はアイドルだった】、【実は運動ができる】。この二つを比べて、それが同程度のものであると判ずるものが一体どれだけいることだろう。実際にやれるかどうかは別として、その難易度は比較にすらならないはずだ。
ちょっと特殊なのは、【運動ができる】のレベルが少々高すぎることではあるが、しかし結局はその実質は変わらない。
──ピィィィ!
甲高い、鋭い音が春の空に響く。
「試合終了! そこまで! ……四対二で、赤チームの勝利!」
──っしゃああぁああ!
──くっそぉぉぉ!
勝利の大歓声と、敗北の悔しさが広いグラウンドに響き渡っていく。当然のごとく、悔しく歯を食いしばっているのは緑チーム……要は、ユウが所属していたチームだ。
「おーおー、いつになく悔しがっちゃって……。あ、負けたチームは後片づけな。もうチャイム鳴るから、今日はこれで解散で」
授業終了まであと五分。切りがいいとふんだのか、体育教師であるタケセンはその旨を大きな声で告げた。勝った男子チームと女子たちは嬉しそうに声を上げ、負けた男子チームはこれまたわざとらしく絶望の声を上げる。
「タケセン、なんだかんだで女子には優しいよね。片付けは男子に振ってくれるし、キーパーだって男子にさせるし」
「女子に優しいっていうか、昔クレームが入ったかららしいよ? 片付けが男子任せなのは『女子の着替えが長すぎるからどうにかしろ』って文句言われたことがあるからだって」
「へぇ。タケセンも大変なんだね……ユーリちゃん、いこ……ユーリちゃん?」
ぐちぐち文句を言いながらゼッケンの入った籠や備品を片付ける男子。その中に交じり、残念そうな顔の一つも見せず、ひょうひょうとしながらボールの入った籠を運ぶユウを見て。
ユリは、なんだかたまらなく悔しい気持ちになった。




