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2 不審な彼女


「今日も元気だわっしょいわっしょい……っと」


 冷たい朝の空気をいっぱいに吸い込み、ユウはそんなことを呟いた。今日も体調はいたって万全で、眠気も疲れもまるでない。雲一つない快晴だということもあり、ユウの機嫌はすこぶるよろしかった。


 いつものウェストポーチを腰につけ、ユウは自宅前の長い長い石段を降りていく。もう少し後ならばともかく、朝のこの時間にこの道を通る人間はほとんどいない。まるで自分だけがこの世界の住人になったかのようで、ユウの気持ちをさらに高揚させた。


 体を温めるのも兼ねて、彼は軽く流すようにいつもの運動公園へと走っていく。この辺りは首都圏の割りには自然が多く、車の排気ガスもほとんど気にならない。一時間ほど歩けばいかにも都会といった雰囲気になるのだが、ここだけ見ればちょっと発展した田舎のそれとあまり変わらないだろう。


「今日はベストタイムでも狙っちゃおうかなっと」


 運動公園について早々、ユウは休むことなく走り出す。先程よりも──というより普段よりもペースを上げて、気の向くままに脚を動かした。樹々や案内看板、自動販売機と言った目につくものがどんどんと後ろに流れ去っていく。


 そして、いつもの分かれ道。今日もまた、ユウは上級者向けコースへと足を踏み入れる。激しいアップダウンもなんのその、ペースは全く衰える様子を見せない。陸上部でさえ顔をしかめる速度だというのに、彼が唯一苦い顔をしたのは、ちょっと大きめの羽虫が容赦なく口の中に入ってきたときだけだ。


「虫が多いのが難点だよな……ん?」


 見慣れぬ人間が前方にいる。それも、普段見かけるような散歩のおじさんやおばさんではない。たまにこっちに入り込んで息が絶え絶えになっている中年ランナーでもない。


 というかそもそも、サングラス、サンバイザー、マフラーにマスクをした不審者なんて、初心者コースでさえも──いいや、今までこの公園で走ってきた中で一度もユウは見たことが無い。


「やっべえのがいるな……絡まれないうちにさっさと行こうっと」


「──あ、あのっ!」


 絡まれた。


 二日続けてマジもんのイカれに絡まれるとか勘弁してくれ……などと思ったところで、ユウはふと、あることに気付いて足を止める。


「き、昨日は助けて頂いて、ありがとうございましたっ!」


「──ああ、あの時の」


 よくよく見れば、その不審者は昨日不良たちに絡まれていた少女であった。あの時はろくに顔も見られなかったから──というより顔が隠れていたから気づかなかったが、この何とも言えないボディラインにはユウも覚えがある。


 出るところはそれなりに出ていて、引っ込むところはそれなりに引っ込んでいる。コンビニのグラビア雑誌に載れるほどのメリハリはさすがにないが、逆にそれがリアルで何とも言えない魅力がある。


 そして、この甘い声。それだけでもう、このあからさまな不審者スタイルなんてどうでもよくなってくるくらいである。


「別に気にしなくていいよ。こっちも警察沙汰にならなくてホッとしているし」


「そ、そうは言っても……! あのあと、一体どうなったんですか? 怪我とか大丈夫だったんですか?」


「見ての通りだよ。それに、【警察沙汰にならなくてよかった】って言ったろ? それで察してもらえると……」


「あっ、やっぱりそういう方向だったんだ……」


「やー、なんだかんだで先に手を挙げたのはこっちだからねぇ。正直いつお巡りさんが来るかってひやひやしてたよ」


「でも、状況的には……! それに、私が証言できましたよ?」


 その状況がちょっと問題だったんだけどな、という言葉を飲み込み、ユウは笑ってその場をごまかす。加えて言えば、ユウの立場や肩書的にも警察を呼ばれるのはいろいろ面倒だったりしたのだ。


 実際、もしごく普通の男子高校生が同じことをして警察を呼ばれたとしても、特に大きな問題にはならないだろう。だがユウの場合、過剰防衛が成立して逆にしょっぴかれる可能性がないわけでもなかった。


「……それよりさ、昨日あんなことがあったんだから、こっちのコースに来ないほうがいいんじゃない? ましてやこんな時間に女の子一人で歩く場所じゃないでしょ、ここ」


「うっ……それを言われると……」


 何気なく話題を変えるために放ったユウの一言。その言葉に、なぜか彼女はマスク越しでもわかるほどに大きな動揺を見せた。


「……実は、ワケあってあまり人の前には出たくなくて」


「……うん、それはなんとなくわかってた」


 そうでなければ、どうしてこうも見事に顔を隠すような出で立ちをしているというのだろうか。芸能人だってここまではしないだろうし、あまりにもあからさま過ぎて、逆に目立っているといってもいいくらいなのだから。


「でも、ちょっと……た、体力を付けなくちゃいけない理由もあって」


「体力を付けなくちゃいけない理由、ねぇ……」


 人と会いたくない。体力を付けたい。ここまで徹底していることを考えると、おそらくアレか──と、ユウは見当をつける。


「ダイエット? 別にそんな気にすることないと思うけど」


「違いますっ!」


 違ったらしい。


 そうなるともう、ユウにはお手上げだ。後はもう、不健康な生活が祟って病院で検査に引っかかり、健康維持のために努力する引きこもりくらいしか考えられない。これなら人の前には出たくない理由にも、体力を付けなくちゃいけない理由にも説明がつく。


 案外マジでそうなんじゃないかな……などとユウが思っている傍らで、彼女は言葉を紡いでいた。


「と、とにかく。この辺で走れるところを調べたらここが出てきて。人通りも少ないってあったから、この時間なら誰にも会わないかなって」


「それ、危ないから気を付けろって意味で書いてあったんだと思うぜ?」


「──あ」


「……今日だって、どうして一人で無防備に俺を待ってたんだ? またあいつらがここに来るとは思わなかった?」


「うっ……」


「俺、ただのクズだって言ったよな? 俺があいつらと同じことをしないってどうして言い切れる?」


「でも……! あの時は助けてくれたし……!」


「おいおいおい……マジかよ……」


 どうやらこの少女はかなりおっちょこちょい……というか楽観的らしい。そんな単純なことに気付かないなんて、見ていて危なっかしいと思わないほうがおかしいだろう。


 ユウは別段面倒見がいいわけではないが、この少女に限って言えば、このまま放っておくのはまずいような気がしてきた。


「なぁ、どうしてもここで走りたいの? もっとほかの場所に行くとか、あるいは時間をずらしたりとか……」


「う、その、場所的にも時間的にも厳しいです……」


「──よっしゃ、じゃあ一緒に走るか」


 単純な話だ。一人で走らせるのが危ないなら、一緒に走ってやればいい。こんな時間にこんな鬱蒼としたところを走るほどに人混みや煩わしいことが嫌いなユウだけれど、お供に女の子が一人加わるくらいならどうってことない。


 むしろ、ここで見捨てたら寝覚めが悪い。だったらまだ、自分の目の届くところにいたほうが精神的にも楽だ。


「い、いいんですか?」


「いいも何も、昨日みたいなことがあったら寝覚めが悪いじゃん。場所を変えるのが一番なんだけど、それも嫌なんだろ?」


「……はい」


「まぁ、わかるよ。正直俺もあんまり人の前とか行きたくないし、出来ることなら一人がいい。でもま、誰かと一緒に走るのも、それはそれで楽しいだろ」


「……で、ですよね」


「あと、これが一番重要なんだが……」


 ユウの真剣な様子に、彼女はごくりと唾を飲んだ。


「──ダイエットに重要なのは継続だ。二人で走るってんならサボれないだろ?」


「だから、違いますっ!」


 マスク越しでもわかるほどに真っ赤になった彼女が、ユウにぽかぽかパンチを浴びせようと迫ってくる。存外軽いフットワークを意外に思いながらも、ユウはイタズラが成功した子供の様ににんまりと笑って走り出した。


「そうだ、その調子だ! でも、あんまり飛ばすと後が辛いぞ!」


「お、おのれぇ……!」


 軽い足取りで走るユウ。はあはあと息を荒げながら、全力で走る彼女。


 たまにはこういうのも面白いな、なんて思いつつ、ユウは絶妙に追いつかれない程度の速度をキープして、森の中を駆けて行った。

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