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19 学校生活/ボディガード:一日目


「咲島。一生のお願いだ」


「……なんだ?」


「俺の頬を、割とガチめに叩いてくれ」


「……ごめん、俺にそっちの趣味は無いんだ」


 昼休み、いつもの場所。文字通り、心ここに在らずといった表情でトンチンカンなことを口走った友人を見て、ユウは露骨に顔を反らした。


 今日も今日とて空は青い。日差しはぽかぽかで、心地よい風が吹いている。お昼休憩にはまたとないコンディションと言えるだろう。


 コンビニで買ったいつものウィンナーパンを頬張り、ユウは持参した水筒から麦茶を一口飲む。そして最後の一口に大きくかぶりつき、ちらりと天野の方へと向き直してみた。


 天野は、サンドイッチを片手に持ったまま固まっていた。ユウが本気で眼前に拳を寸止めさせても、瞬きの一つ、身動ぎの一つもしない。ユウの知る限り、そんなことが出来るのは本気を出した妹くらいしかいない。


「天野、お前……」


「ユーリちゃん、だったよな……」


「……」


「あの転校生、絶ッ対ユーリちゃんだったよな……ッ!?」


 興奮を抑えきれない様子で……しかしそれでいて、声を潜めるように天野はユウに問いかけた。周りには同じように昼餉を取っている他クラスの生徒がいるために、打算か理性か、ともかく天野の頭の中で何かしらの判断があったのだろう。もちろん、その選択は決して間違っていない。


「俺に聞くのか、それ?」


「あの声、あの顔、あの仕草! どう見たってユーリちゃんだろ! 授業に毎日は出られないかもしれないって言ってたし、先生だってなんか特別扱いみたいな雰囲気だしてたし! そりゃあ、明言はしてなかったけど! でも、写真もSNSも勘弁してって言ってたし!」


「……『写真に写ると魂取られちゃうから!』だろ? 仮にアイドルだったとして、そんな婆臭い言い訳するか?」


「ユーリちゃんならする。むしろそれ以外考えられない。ユーリちゃんは、そういう娘だ。俺はあの言い回しを持って、本人だと断定した」


「お、おう……」


 実際、その通りだというから困る。ユウが知っている「ユイ」もそんなちょっとズレたことを言うし、天野の推理……というか確信はなんら間違っていない。


「……で? あの子が【ユーリ】だったとして、どーすんの? サインでも貰いに行くのか?」


「舐めんな」


 一瞬ユウがビビるほどの、気迫の籠った声。天野は瞳に強く熱い炎を灯しながら、はっきりと断言した。


「ユーリちゃんは自分の正体を、少なくとも表向きは隠そうとしている。それはつまり、この学校でだけはアイドルでない……普通の高校生でいたいってことだ。未だにトップシークレットな本名を名乗ったのも、そういう気持ちの表れだろう」


「いや、あいつそこまで深く考えてないと思う……」


「なら、俺たちファンが取るべき行動は……普通の転校生として、ユーリちゃんと接するってことだ。変に騒ぎ立てず、普通にしてればいいんだ。その上で、ユーリちゃんの学園生活を脅かすものを、全力で排除するってことなんだ」


「最後の最後で過激思想入ってきたな」


 しかしまぁ、とユウは一人考える。


 憧れのアイドルがいきなりクラスに転入してきたのなら、そんな風に思ってしまっても不思議はないのかもしれない。実際、午前中の授業はずっと、クラスのみんなが上の空でろくに集中できていなかったのだ。


 夢でしか見られない光景……いいや、夢でさえあり得ないと思えてしまうような事態に直面したというのなら、少しくらい、いつもと違うことになってもおかしくはない。


 ユウでさえ、いつもと違う──やりにくさを感じていたのだ。いつも通りだったのは、文字通りユーリだけである。


 そう、ユーリだけだ。


「そういや、咲島よぉ……?」


「……」


「お前、なーんかユーリちゃんと距離が近かったよなぁ……?」


「……机を寄せて、教科書見せてただけだろ? 聞かれたことに、ちょいちょい答えていただけだろ? そんなの、普通のことじゃないか」


「“普通のこと”で済ませていること自体が普通じゃ無いんだが……?」


「……」


「眼鏡ユーリちゃんとかいう激レア超かわいい女の子を相手に……そう、まるで俺と喋っているかのように『普通』に話す? 転校してきたばかりの女の子を相手に、戸惑うことなく普通に話す? ましてや、お前が? 自分からはろくすっぽ人に話しかけないお前が?」


「……ユーリってアイドルは、そういうキャラで売っているんだろ?」


「結果的にそれが持ち味になっているが、キャラじゃない。素だ」


 よくわかってるじゃないか、という言葉をユウはすんでのところで飲みこんだ。同時に、観察力という一点のみを持って天野に対する警戒度を一段引き上げる。意外と細かいところまで見ているんだな──という感心と、油断しすぎたという自分への戒めを胸に、なんでもない風を装った。


「なんにせよ、なるようにしかならないさ。現状維持がお前の方針なんだろ?」


「俺の、というよりは俺たちの、だな。迂闊に騒いだらユーリちゃんが学校に来れなくなるって、そんなのみんな心で感じている。……ユーリちゃんと一緒の学校生活を、終わらせてなるものか。ヘマなんて、絶対しない。ただ……」


「ただ?」


「ユーリちゃんがこの学校を選んだ理由は知りたい。……なぁ、咲島。これは、俺の考え……というよりも、ただのカンなんだが」


「おう」


「あの日……ユーリちゃんを助けた謎の人物。それが、この学校の関係者である気がしてならない」


「……へえ」


 天野秀作。ユウの心の中の要注意人物リストに、その名前が刻まれた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「……って、ことがあったんだが」


「ふーん……」


 放課後。なんだかんだで五限も六限も普通に終わり、そしてユウとユリは帰路についていた。


 もちろん、ユウがユリと一緒にいるのはボディガードのためである。さすがに凶器を持った悪漢なんて現れないだろうが、しつこく付け回すものや、多少なりとも強引なアプローチをするものは出ないとも限らない。眼鏡や服装でアイドルの時のそれとはいくらか雰囲気が変わっているとはいえ、気づかれてしまえばそれまでである。


「……道、変えるぞ。数人不自然に固まってる」


「はーい……」


 ユウの役目は、その鋭敏過ぎる気配察知能力を持って、待ち伏せや尾行を防ぐというものだ。そして、ユリを無事に集合場所……姫野の待つとある駐車場まで送り届けることである。


 普通に進めば、目的地までそこまで時間はかからない。しかし、あえて人目を避けるルートを使い、時にはダッシュで目撃者を撒いたり……なんてしているために、必然的にユウとユリの【帰り道】は、長いものとなってしまっていた。


「とりあえず、今日はなんとか普通に終わったな。もっとこう、大騒ぎになると思ったんだが」


「そだね……」


「でも、天野みたいにカンの良いやつもいる。ある程度はしょうがないけど、なるべく目立たず慎ましやかに行動したほうがいい」


「……」


「……おい? 聞いてるのか?」


「むー……」


 はっきりとわかるほどに、ユリはふくれっつらをしていた。いつもの明るい笑顔はどこへやら、まるで拗ねた子供のように、じとっとした瞳でユウを見つめている。一応ちゃんと声掛けには反応するし、ユウの歩く速度にもついて来てくれているものの、様子がおかしいというその事実は変わらない。


「なんだ、どうしたよ?」


「だってぇ……」


 ああ、こいつ面倒くさいモードに入ったな──と、ユウは約十七年の人生経験から悟った。


「ユウくん、事務的な事しか受け答えしてくれなかったし……」


「……」


「授業中も、本当に最低限のことしか教えてくれなかったし……」


「……」


「五分休憩の時も、移動教室の時もそうだったし……」


「……」


「お昼に至っては、チャイム鳴った瞬間にどっか行っちゃうんだもん……」


 ユウは知っている。昼休みのチャイムが鳴った瞬間、ユリと──いいや、ユーリとお昼を一緒にしようと、数人が牽制しあっていたことを。どことなくぎこちない、妙にぎくしゃくとした空気の中で、ユリがクラスメイトに囲まれていたことを。互いに距離感を上手くつかめず、例えようがない奇妙な雰囲気のまま、昼休みの間ずっとそうやって話していたことを。


「そりゃあ……早く逃げなきゃ囲まれちまうってわかってたし……」


「ひっどーい! ユウくん、わ、私のボディーガードじゃなかったの!?」


「あの教室のどこに危険があるってんだよ……」


 そもそもとして、ユウはなるべくユリとの関係を知られないように動こうと思っている。理由なんて語るまでも無い。ただひたすらに、面倒事は避けたいというその気持ちが強いのだ。


「そもそもさ。お前がアイドルだってのは紛れもない事実で、積極的に喧伝はしないけど、ガチガチに隠すわけでもない……ってのが基本スタイルなんだろ?」


「うん……どうせ、隠したってすぐバレるし……だったら、こーゆーほうがいいかなって……」


「でもって、お前は平穏に学園生活を送りたくって、そのためにボディガードとして俺に目を付けた……で、あってるよな?」


「うん……そーゆー人がクラスメイトにいれば、一番自然で、普通かなって……」


「……だとしたら、そんなあからさまに以前からの知り合いです、仲良いですよって雰囲気にしたらダメじゃね? あっという間にアレコレ聞かれて大変なことになるんじゃね?」


「うっ……」


「少なくとも、もっとこう……段階ってものがあるんじゃないか?」


 そんなこと、ユリだって言われなくてもわかっている。普通の人はそんなぐいぐい人との距離感を詰めないし、アイドルとファンという立ち位置の時だって、一人にそこまでこだわったりしない。どんな立場、どんな状況であろうとも、ちょっとずつちょっとずつ仲良くなって、少しずつ信頼関係は築かれていくものだ。


 それが普通だ。それが当たり前なのだ。


 ただ、今回はその過程がありつつも、周りがそれを知らないというだけで……ついでに言えば、その過程そのものが、普通はどう頑張っても築くことのできない特別なものだということである。


 そして、何より……。


「ユウくんさぁ」


「……なんだよ?」


 ふくれっ面を隠そうともしないユリを見て、ユウは警戒度をまた一段階引き上げる。女の子のことなんて何一つとしてわからないユウだけれども、妹がこういう顔をしたときは、いつだって面倒事になるということだけは知っていた。


「私さ……楽しみにしてたんだよ?」


「……学校生活、だろ? 今のところは……まぁ、普通って感じじゃんか」


「それもあるけど、別の」


「別、の?」


 はて、なんだったかしらん──と、ユウは必死に考えを巡らせる。学校生活以外で楽しみなこととなると、ユウにはまるで思いつかない。学食は目玉になるほど美味しいわけじゃないし、ここらには名所の一つもない。部活が有名というわけでもなく、有名人が通っていたという話も聞かない。


 いったい何を楽しみにしていたんだと、ユウはあたりを警戒しながらも悩み続ける。


 ユリは、その様子をずっと見ながら歩みを進めていた。


「ヒントだけでも」


「だーめ。……そろそろ、着いちゃうけど?」


 無言。いつもより少し遅い足跡のリズム。うららかな陽気に、そんな穏やかな沈黙が満ちて。


 やがて、目的地である駐車場が見えてきた。すでに姫野の車は泊まっており、こちらに気付いた姫野が中からひらひらと手を振っている。


 あとはあの車にユリが乗り込みさえすれば、ユウにとっても、ユリにとってもいろんな意味でドキドキだった──学校生活一日目は終了する。


「わっかんねえな。降参だ」


「……やっぱり、ユウくんってこーゆーのは鈍いよね」


 たたた、とユリは小走りで車に近寄り、そしてユウの方へと振り返った。


「お昼ご飯、一緒に食べかかったの。……一回もしたこと、ないよね?」


「……えっ?」


「一緒にお弁当を食べるってやつ、やってみたかったんだぁ」


 にこっと笑い、ユリは車の中へと入っていった。

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