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18 転校生


 ──見られてる、よなあ。


 学校へと至る、いつもの通学路。桜の花はすっかり散って、今は鮮やかな緑が萌えている。同じくらいに爽やかな朝の風がさあっと通り過ぎ、ユウの頬を優しく撫でた。


 我が物顔で歩く二年生、三年生はもちろん、ほんの少し前までは新しい生活への不安でおどおどしていた一年生も、今は当たり前のような顔をしてその道を歩いている。すでに馴染みつつある【いつもの】日常が、そこにはあった。



 ──おい、あれ……。


 ──似ているけど、まさか……ねぇ?



 そんな日常の光景が、今日だけはちょっぴり違う。道行く人がユウの方へと注目し、疑問を顔に浮かべながらもひそひそと話していた。


 普段と違うのは周りだけではない。ユウの方だって歩くスピードがいつもよりだいぶ遅いし、さらにいえばいつもよりだいぶ早くに家を出ている……すなわち、去年までとこの場所を通る時間がかなり異なっている。


 よほどの事情が無い限り、同じ時間に家を出て、同じ時間に学校に着く……という、ある意味ではロボットのように規則的な行動をしていたユウにとって、これはかなりの大ごとであった。



 ──転校生、だよね。一年生って雰囲気じゃないし。


 ──学年カラー、二年のじゃん。



「なーんか、噂されちゃってるね!」


「……」


 ユウのすぐ隣を歩く少女が、にっこりと笑いながらそんなことを呟く。しかし、本来なら返ってくるはずの応答は無く、その言葉は春の終わりの空気にかき消えていった。


 ユウとその少女の肩の距離は、一尺と少しほど。仲良く歩いているにしては少々離れ気味で、しかし離れて歩く他人の距離かと言われれば首を横に振らざるを得ない、そんな距離。


 別の言い方をするならば──何か不測の事態が起きた時、ここまでなら確実になんとか出来るという、ユウが絶対の自信を持てる間合いの範囲であった。


「……ユウくんってば、どうしたの? もしかして、機嫌でも悪い? ジョギングの時はもっと近くで走ってたのに」


「……」


 とたた、とちょっぴり小走りして前に出て、その少女は器用にも横から見上げるようにしてユウの顔を覗き込んできた。


 ぱっちりとした目に、長く綺麗なまつ毛。愛嬌のある可愛らしくて魅力的な顔立ち。柔らかそうなくちびるはきれいな桜色をしていて、化粧の一つもしていないはずなのに、肌は恐ろしくきれいで頬に健康的な赤みがさしている。


 ある意味では見慣れ過ぎた顔で、ある意味では初めて見る顔。ユウの記憶では完全なるすっぴんか、ほんの少しのナチュラルメイクか、あるいはグラサンとマスクの完全不審者スタイルのそれしかないが、今日の彼女はそのどれでもない。


「ユウくーん……?」


 いかにもそれらしい、丸くて少しフレームの厚みがある眼鏡。それが伊達であることを知っているのは、本人を除けばここではユウしかいない。


 ──これだから、困るんだよなあ。


「……お? さては、照れてるなぁ?」


「……」


「そうだよね! 制服姿の女の子と一緒に登校するって、男の子の憧れだもんね! ようやくユウくんも私の魅力に気づいちゃったのかな! なんたって、こぉんなに可愛いアイド……」


「ストップ」


「むぎゅ」


 ユウは自らの全力の速度を持って、うっかり娘の口をふさいだ。物騒な意味ではなくて、文字通りの意味でである。


「お前よぉ。俺が何のためにこうして一緒にいるか、わかってるよな? 無駄な騒ぎを起こさないほうがいいって、理解しているよな?」


「んーにゅ」


「わかったならよろしい……おい、なんでそこで赤くなる?」


「だ、だって、手ぇ……」


 遠目から見れば、イチャイチャしているように見えたのだろう。ユウは、自分たちをこそこそと盗み見る視線に、嫉妬や悪意のそれが混じるのをはっきりと感じた。


 二人きりならユウだってつられて意識してしまったかもしれないが、こうも人が多いところ──悪意や害意が発生し得る場所で、さらには今のユウが背負った役割を考えれば、浮かれることなんてできはしない。


「まったく、先が思いやられるぜ……」


「そう? ……私は、ユウくんと一緒に学校に通えて嬉しいけど!」


 ──そういうところが、本当に心配なんだよなぁ。


 先ほどから、ユウが無口だった理由。ユウが絶対の自信のある間合いのギリギリまで離れていた理由。


 真新しい制服に身を包んだ少女は、全国の老若男女を虜にした……いいや、それ以上の笑顔を、ユウだけに向けた。


「さっ、早くいこっ! 遅刻しちゃうよっ!」


 ユイ──改めユーリの、普通の学生としての初めての登校であった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「早速ですが、転校生を紹介します」


 朝のホームルーム。ユウのクラスでは、普通の学生が一生に一度聞けるか聞けないかというセリフが担任の口より紡がれていた。


 当然のごとく、クラスは異様な盛り上がりを見せる。小学校、中学校ならまだしも、高校での転校生はなかなか珍しい。それも、四月の進級の時期よりちょっぴり外れた時期での転入ともなれば、その特別感も一入というものだろう。


「それでは──入ってきてください」


「はーい!」


 がらりと開けられる扉。教室全体に響く、甘く心地の良い声。


 

 ──おっ、女の子だ!


 ──めっちゃかわいい……えっ!?


 ──……マジ?



 ざわめきは、どよめきへと変わった。


 それもそうだろう。先生の言葉と共に入ってきた転校生は女の子──それも、誰もが見とれるほどの可愛さだ。しかもただ可愛いだけじゃなくって、その笑顔は文字通り全国の人間を虜にしてきたものでもある。


 「可愛い娘でラッキー!」と思っていた男子生徒も、「仲良くなれたらいいな」と思っていた女子生徒も、その顔をはっきりと認識した瞬間、数秒前まで抱いていた思いは全部ぶっ壊れた。


 いったいどうして、自分のクラスに話題沸騰中のアイドルが転校してくると想像が出来ようか。普通の人間なら夢じゃないかと疑うし、そんな奇跡にも近いこと、それこそ小説や漫画くらいでしかありえない……いいや、逆に陳腐過ぎて、最近では小説や漫画でもそんなイベントは起きないだろう。


 衝撃を受け過ぎて逆に静かになった教室を見て、先生はこれから起こるだろう不安を消し飛ばすように、殊更大きな声を上げた。


「それじゃ、自己紹介を!」


「はい! 私、一色いしき 友里ゆりって言います! 仕事の都合でこっちに引っ越すことになって、この学校に転校することになりました! みんな、仲良くしてくれるとうれしいな!」


 愛嬌たっぷりに笑顔を振りまくユーリを見て、ああ、こいつマジで隠す気なんて全然ないんだな──と、ユウは心の中でため息をついた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ──ユウが姫野に頼まれたのは、ユーリのボディガードだった。


 警備体制を見直し、ほとぼり(?)がほどほどに冷めるまで、事務所──すなわち姫野としては、ユーリをおおっぴらにイベントに参加させたくないとのことだった。事件の再発防止体制が整う前に活動再開するなんて愚の骨頂だし、こうも連日連夜ニュースで騒がれている中ですぐに活動再開させれば、マスコミの過剰な「取材」が増えることは目に見えている。



『この娘もまだ子供だからね。アイドルとは言え、別ベクトルでカメラや人に追われるのは肉体的にも精神的にも相当な負担になる。そんなの、認められないわ』



 ユウに語った姫野の目は真剣で、そこにはプロデューサーとアイドルという関係以上に、ユーリのことを心配する気持ちが見て取れた。だから、売れっ子アイドルが活動をしばらくイベントを控えるというそれにも、ユウはすんなり納得が出来た。


 さて、アイドルとしての仕事が極端に減るとなると、当然ユーリには空き時間が出来てくる。それを無為に過ごすのはあまりにももったいない。当然レッスンやイベント以外の仕事はいくらでもあるだろうが、それにしたって相当な時間が生まれることだろう。


 何より、ユーリはユウと同じ高校生である。だったら、学校に通う以外に選択肢はない。



『だから、ユウくんの学校に転校することになったの。……ボディガード、よろしくね?』



 その言葉を聞いたとき、ユウは自分が何を言われたのか、ちっともわからなかった。


 ユウはアイドルについて詳しくない。だから、未成年の──自分と同じ年代のアイドルが、アイドル活動の傍らどうやって学校に通っているのか知る由もない。きっとアイドル専用の学校とかがあって、なんかこう、いろいろ諸々融通をきかせてもらいつつ、学業とアイドルを両立させているのだろうと、ぼんやりとそんなイメージしか持っていなかった。


 だから、アイドルが普通の高校に転校するってところでまず驚いた。でも、それはきっと事務所と学校の方でいろいろ交渉とかをして、なんだかんだうまくやるのだろうとも思えた。それはまぁ、いい。


 問題なのは、ユウの学校に転校するというその一点だ。



『実はねぇ、元々事務所の近くの高校に転校する予定だったのよ。内緒だけど、この子の出身、結構な田舎でね? 利便性が悪いし、売れて来たし……ちょうどいい頃合いかなって』


『それで、この前の事件でしょう? イベントなんてしばらくは出来ないから、経験を積むって意味でも学校生活を送るべきだと考えたのよ。……理解できないだろうけど、あなたたちの歳なら、アイドル活動より学校生活の方がはるかに大事だし、そういう気持ちや体験も、知っておかなきゃいけないからね』


『それでもやっぱり、不安は残る。通学はもちろん、学校生活でも。さすがに学校に警備員や本職のボディガードを連れていくわけにはいかないもの』


『……でも、ユウくんなら。ユウくんなら問題無いでしょう? 実績(・・)もあるし、そういうお仕事にも詳しいみたいだし、ね?』



 姫野は完璧に(・・)ユウのことを調べ上げていた。ユーリの証言からユウの学校を割り出し、自らが出向いてまでユウの性格や行動を調査した。そして、自ら確認したユウの姿と、ユーリから得られたユウの姿……そして、あらゆる伝手を使って調べ上げたユウの経歴、情報を総合して、ユウになら任せられると判断した。


 そこからはもう、話は速かった。


 ユーリの転校はすでに決定済み。そして、姫野はユウの事情も、性格も把握している。『ほっとけないでしょ、この娘のこと?』……なんて、ちょっとドキッとする笑顔を向けられてしまえば、ユウはもう、頷くことしかできなかった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「あー……一色さんは家庭の事情がちょっと複雑でな。ちょこちょこ授業に出られないことがある。また……んん、何か(・・)あったら、すぐにでもまた転校してしまうだろうとのことだ」


 担任のその言葉を聞いて、言葉通りにそれを受け取った人が何人いたことだろう。いいや、そもそもとして、担任の言葉をまともに聞いていた人がいたのかどうかすら怪しい。あからさまな警告なんて誰も聞いちゃいなくって、大半の人は、信じられないとばかりに転校生を見つめている。


「一応、自己紹介タイムでもやっとくか。……これはまぁ、普通に聞いていいらしい、ぞ?」


 ホームページなんかで大抵の情報を公開している今のご時世とは言え、アイドルに突っ込んだ質問をできる機会なんてそうそうないだろう。何より気になるのは、伊達眼鏡で軽く変装しただけのアイドルが、どうしてこんな何の変哲もない高校に転校してきたのか、そこのところだ。


 しかし、緊張しすぎたのか、あるいは情報量が追い付かなくて頭がパンクしたのか、普通の転校生が相手だったら雨後の筍のように伸びてくる手は、今回に限っては一つも見受けられない。


「……あれ? 質問、無いの? てっきり、いろいろ来ると思ってたんだけど……」


「一色。先生という立場で言わせてもらうが……先生としては、キミも教え子になった以上、なるべく大きな騒ぎというか、面倒事は避けたいと思ってる。逆にこの状況は望ましいくらいだが」


「そんな、大袈裟ですよ!」


 ──大袈裟じゃ、ないんだよなぁ。


 先生とユウの気持ちは一致した。一昔前だったら、ユウはそんなこと思わなかっただろう。だけど、未だにテレビの報道番組ではユーリの事件について流れているし、ネットでだってその熱は冷める様子を見せていない。なにより、事務所で一通りの話が終わった後、姫野がいかにユーリの人気が凄まじいのかを語ってくれたため、多少の違和感や納得のいかない部分を残しつつも、ユウはきちんとユーリの影響力の強さを認識していた。


「さて……質問は無いみたいだし、この辺で終わりにするか。一色は……そうだな、ちょうど咲島の隣が空いているし、とりあえずはそこへ」


 先日、この時期なのになぜだか急に行われた席替え。運命の悪戯か、はたまた何か大いなるものの意志か、たまたまユウの隣は空席となっていた。


 席替えのやり方そのものはいつも通りの、不正の仕様がないはずのくじ引きだ。他でもない担任の先生自身が主導で行ったため、それだけは間違いないはずである。


 裏でいったいどれだけのやり取りがあったのか、ユウは考えるのが少し怖くなった。


「よろしくね、ユウくん!」


「なーんで下の名前を既に知っているんですかねぇ……?」


 荷物を持ち、ガタガタと椅子を引いて着席した友里──ユーリは、いかにも初めての級友に挨拶をしていますとばかりに、ユウに話しかけた。もちろん、それに伴うユウの返答は、すぐ近くにいるユーリにしか聞こえないくらい小さいものである。


「しかも、友里さん? 俺、ユイって名前の知り合いならいるんだけど、なぜかそいつ、お前にそっくりなんだよなぁ?」


「へぇ! 珍しいこともあるんだね!」


(……ユイって普通に偽名だったんだな。というか、今更だけどなんでお前俺の下の名前知ってたの?)


(そりゃあ、一応は売れっ子アイドルの自覚があったし、本名は……ねえ? まあ、ユウくんの場合、隠す必要は無かったみたいだけど。ユウくんの名前については、ほら、ゲームのファイル名がユウだったから?)


(ああ、なるほど……)


 こそこそとした内緒話。クラスのみんなに内容がばれたら、大変なことになっていただろう。


 ただ、幸か不幸か、クラスのみんなはユーリに注目しながらも冷静な状態ではなかったし、緊張して声が小さくなったんだな、程度にしか思っていなかった。


 ──キンコン、カンコン


 授業開始のベルが鳴り、ホームルームの終わりを告げる。


 ユウとユーリの特別な学校生活は、こうして始まった。

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