11 アイドル・オン・ステージ!
「おにーちゃん、何それ!?」
朝食後のゆったりとしたひと時。アイはユウが取り出した可愛らしい袋を見て、まるでツチノコを発見したかのような驚愕の声をあげた。
「見りゃわかるだろ?」
「見ても信じられないから聞いてるの!」
公園での出来事──ユイの決死の大告白は、しかしユウにとってはあまり大きな意味を持たなかった。いきなり言われた【ユーリ】なる単語の意味がわからなかったし、だからどうしたという話である。ユウからしてみればどうしてユイが【ユーリ】であることをそこまでひた隠しにしてきたのか理解できなかったし、どうしてあんなに愕然としていたのかもまるで想像できなかった。
だけれども、さすがにユウだってそのままはい、そうですか──で終わらせたらマズいってことくらいは理解できた。
「それってクッキーだよね!? じ、自分で買ったってわけじゃないよね?」
「おう」
「ユイちゃんからだよね! しかも、どう見ても店売りのやつじゃないよね!」
「だな」
「すっごいじゃん! 女の子の手作りクッキーじゃん! おにーちゃん、やるじゃん!」
いつもなら一枚や二枚はねだってくるはずなのに、アイはにこにこと笑いながらユウがクッキーを食べるのを見届けている。変に気を使っているのか、はたまた驚きすぎてねだるのを忘れてしまっているのか。
いずれにせよ、まじまじと見つめられながら物を食べる趣味はユウにはない。ぱくぱく、サクサクと──ユウは、自分でも思っていた以上にあっという間にそのクッキーを平らげた。
「お味はいかが、おにーちゃん?」
「……まぁ、普通に美味い」
「んっふっふー! そーだろうね、そーだろうね! なんたって女の子の手作りクッキーだもんね! いやぁ、女の子の手作りじゃなければ私も食べたかったなぁ!」
「……あいつ、ただの女の子じゃないらしいぜ?」
「ほへ?」
一歩間違えればその場で泣き出しそうな、笑いながらも目に涙を一杯溜めたユイが紡いだ言葉を──いや、そんなユイをなんとかかんとか宥めすかしてようやっと聞き出せた事実を、ユウはゆっくりと口にした。
「──なんかあいつ、アイドルやってるんだってよ」
「なんですとっ!?」
ユイはアイドルだったらしい。朝しか時間が取れないのは、昼間はアイドル活動で忙しいからだという話だった。
「ちょっと待ってよおにーちゃん! ユイちゃんってその……なんかちょっと事情アリなアレな感じのそれじゃなかったの!?」
「そう思ってたんだけどなぁ」
今から思い返してみれば、ユウにも少し心当たりみたいなものがあった。
太ってもいないのに行うジョギング。人の目を避け、異様なほどに隠す顔。けれど顔立ちは十分に整っていて、声が可愛くて歌が上手い。
アイドルが体力づくりをしていた……そう考えれば、一連の行動に説明が出来ないわけじゃあない。少なくとも、ユウが当初考えていた【健康のために走る引きこもり】説よりかは十分に説得力があると言えるだろう。
とはいえ。
「あれ? ……でも、ユイって名前のアイドルなんていたかなぁ?」
「まだ売れていない無名のアイドルか……あるいは、地下アイドルってやつだと思う。【会えるアイドル】だっけ? そういう触れ込みで売りこんでるやつがあるんだろ?」
「そう思った根拠は?」
「根拠、ねぇ……」
ユウはゆっくりと瞼を閉じる。暗闇の世界に、必死になって弁明(?)するユイが浮かび上がった。
「あいつさぁ」
「うんうん」
「『おっきいドームが観客でいっぱいになるもんっ!』、『サイン会開いたら超行列になるもんっ!』、『テレビにだって出たことあるもんっ!』って……」
「……」
「嘘くさくね?」
「あ、あはは……」
全く信じなかった自分も悪いが、それにしたって話を盛りすぎだろうとユウは心の底から思った。だから、アイドルであること自体は事実であるものの、実はそんなに売れているわけでもなく、見栄を張ってしまったのだろう──と察して流してあげたのだ。
「うーん……たしかに、ユイって名前のアイドルはいないねえ。本名でも芸名でも、少なくともネットでは見つからないかなぁ」
「やっぱりか」
今どきの子供らしく、アイはささっとスマホで昨今のアイドルを調べた。本物のアイドルなら、ちょっとでもそれらしいキーワードがあればプロダクションのホームページか、あるいは本人が運営するサイトがひっかかるはずである。
それでなお見つからないということは、よほど無名か、あるいは。
「もしかしたらアイドルどころか、研修生かも」
「研修生?」
「えーと、門下生って言った方がわかりやすい? 見習いとか……まだまだ勉強中で表には出られない人ってこと」
「ああ、なるほど……でも、たぶんそれじゃあないと思う」
「ふむ?」
「ライブの特別チケットってのを貰ったんだよ」
別れ際。『もしよかったら、来てくれると嬉しいな』──なんて、ユイがユウに無理矢理握らせてきたものだ。言葉面の割りには目は有無を言わせない力強さで満ちており、もしこのままスルーしたら大変なことになるだろうなとユウに予感させるほどのものであった。
「俺は詳しくないけどさ。研修生だったらまだライブには出られないだろ?」
「そっか……。で、それ、おにーちゃんは行くの?」
「……そのつもり、ではある」
せっかくくれたのだ、使わないのはもったいない。それに、知らない仲じゃないのだ。サクラ代わりに行ってやるのもやぶさかじゃない。無名アイドルのライブにどれだけ人が集まるのかは知らないが、一人も人が来ないというのはあまりにも寂しすぎる。そんな悲しい思いと自分の労力を天秤にかけて、どっちに皿が傾くか──考えるまでもない。
本当にそれだけだ。そう思いながら、ユウは目の前でニヤニヤ笑う妹を睨み返した。
「で、おにーちゃん? その特別チケットって、どの辺が特別なの?」
「んー……一緒に写真を撮れたり握手が出来たり、なんかいろいろサービスしてくれるっぽい?」
「ほほお……! 女の子とのツーショットに握手……! そりゃあ、ドキドキなイベントですなあ……!」
「言っとくけど、イベントそのものに興味はないからな。あいつと握手するのに、あんなたいそうなチケットを使う必要性を感じない」
「ほうほう? それはつまり、もうナチュラルに好きなだけ手を握れる関係ってことですかぁ?」
アイが言い終わるか終わらないか。そんな一瞬の間に、ユウは動く。
視線を一切動かさないまま、右手だけをアイの手の平へと伸ばす。その不意打ちにワンテンポ遅れて反応し、咄嗟に腕を引くアイだったが、その程度でユウから逃げられるはずもない。
アイが遅いのではない。あのアイの手の動きを目で追える人間はほとんどいない。こういう表現はちょっとおかしいかもしれないが、もしあの場に第三者がいたとしたら、アイの手が突然消えたように見えたはずだ。
単純に、ユウの動きが速すぎるってだけである。
「少なくとも、お前とはナチュラルに握手できる関係だな」
ユウはがしっとアイの手のひらを握る。形だけ見れば、ちょうど仲良く握手している様なかんじだ。
大きな大きな見るからに力強い手と、それに比べたらいたって平均的な、少々筋張った手による握手。
問題なのは、その大きな手の持ち主はこの春に女子高生になる女の子であること──ではなく、それがもう片方の手に万力のような強さで握り締められているということだ。
「いだだだだ! はなせ、このゴリラ兄貴!」
「……そんなこと言っていいのか? あいつ、お前の分もチケットくれたんだけど」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 私、ユイちゃんにめっちゃ会いたいです……!」
ちなみに、ユウは片手で簡単にスチール缶を縦に握りつぶすことが出来る。アイはまだリンゴを握りつぶすことくらいしかできなかった。
「うーん、いつやってもおにーちゃんの握手は痺れるね! きっとユイちゃんも、本気でおにーちゃんに来てほしいって思ってるよ! 本当にそれだけだから、全然恥ずかしいことないよ! 最近じゃそーゆーの全然普通だよ!」
妹のあまりの手の平返しに、ユウははぁ、と息をつく。コロコロ自分のスタンスを変えるよりも、最初から一貫して己が道を貫き通せと説教したくなった。
「……」
そう考えて、頭を振る。これじゃあアイツと同じだと考え直した。
「ライブは次の土曜日の午後から、だ。場所は──」
「……え゛っ」
「どうした?」
「ごめん、その日、ホントに外せない用事があって……」
「……」
こうしてユウは、たった一人でアイドルのライブに赴くという、人生最大の試練を受けることになった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
来る土曜日。都内のとあるショッピングモールは大きな喧騒に満ちていた。
駅前に位置しているうえにかなりの広さがあり、オシャレなブランド品を取りそろえるお店から食料品店まで幅広く揃っていることから、元々このショッピングモールは平日であっても人でいっぱいだったりする。休日ともなれば学生のカップルが映画を見に来たり、家族連れがランチを食べに来たり──などといつも以上の賑わいを見せ、ショッピングモ―ル周辺の道が混雑して交通規制が入ることも珍しくなかった。
しかし今日はいつも以上に活気に満ちていて、開店から五分もしないうちに二五〇〇台も止められるはずの駐車場はいっぱいになってしまっていた。いくら地元民に愛される巨大ショッピングモールとはいえ、これは創業以来初めてのことだったりする。
さて、このショッピングモールは上から見ると馬の蹄鉄のような丸みかかったU字型をしている。真ん中には野球場のように開閉可能のルーフがあって、屋内とも屋外ともとれる吹き抜けになっていた。
この吹き抜けにはイベントスペースがあり、地元じゃ有名なバンドがライブ会場に使ったり、地方ラジオの公開収録に使われたり、はたまた移動サーカスがテントを張るのに使われたりしていた。三階や四階からでも会場を見渡すことが出来るため、大きな目玉イベントと言えば絶対ここだ──という地元民の共通認識もある。
そんなイベントスペースに、人がこれでもかというくらいに集まっていた。
まだイベントは始まっていない。それらしい音響機材こそばっちり準備されているものの、音楽の一つも流れていないし、明かりの一つも点いていない。緑色のジャケットを着たスタッフたちが忙しそうに動いているだけで、イベントの目玉となるそれは、影も形も見えはしない。
開店直後にはこの状態になっており、そしてイベント開始三十分前である今もそれは変わっていない。それなのにどんどんどん人が集まってきていて、イベントスペースはおろか、それが見える三階も四階も五階も──ぶっちゃけた話、ショッピングモールの敷地外にも人が溢れてしまっていた。
「おいおいおい……こんなの聞いてないぞ……」
ショッピングモールの四階。イベントスペースの全てが見渡せるある意味特等席で、ユウは一人そんなことを呟いた。
ユウがこの店に到着したのはイベント開始の一時間前だった。すでに本来のイベントスペースは都会の満員電車以上に人でいっぱいだったために、仕方なく四階の立見席(?)に陣取ることにしたのである。
もちろん四階もほぼほぼ埋まりかけていたが、ユウは自身の身体的能力を持って、そのわずかばかりのスペースを確保していたりする。
──ユーリちゃん、まだかな!?
──つーかもう控室にはいるんじゃね? 入り口で張ってたらあえるかも……!
──撮影に握手……うう、順番回って来るかな? そもそも、チャンスがあるかどうかすら……。
──チケットがあれば確実だけど……後は運を天に任せるしかないね。
「……」
ちょっと耳をすませばそんな言葉が聞こえてくる。いいや、耳を澄まさなくても──耳をふさいでいたとしても、そんな期待と熱狂が混じった言葉があちこちから聞こえてきていた。
どうやら、ユウが渡されたチケットとやらはユウが思っていた以上に特別なものであったらしい。断片的な会話のピースから予測される限りでは、それはとんでもなくレアなもの──具体的には【ユーリ】と確実に握手できる権利が与えられ、一緒に写真も撮ることが出来るばかりか、ほんの少しとはいえおしゃべりも楽しむことができるのだとか。
そんなアイドルとの交流会が行われるのはライブの後。ユウ自身もユイ──いいや、ユーリのライブの規模がここまで大きいだなんて会場に来て初めて知ったわけだが、規模が規模だからか、交流会の時間はあまり多くは取れていないらしい。
まとめて佃煮にしてもなお余りある人の海。もはや宝くじを当てるほうが簡単なんじゃないかと思えるくらいの確率にかけて運を天に任せる──なんて真似をしないためにも、チケットはぜひとも入手しておきたいアイテムらしかった。
──なあ、知ってる? あのチケット持ってると、運が良ければ……!
──ユーリちゃんがマブダチみたいに肩組んだり抱きしめてくれるんだって!
──やましい意味じゃなくって、普通の友達みたいにボディタッチしてくれるって目撃例が。
──最高かよ。
「……やりそうだな、あいつ」
【おっきいドームが観客でいっぱいになる】ほどの【すっごいアイドル】。今ユウの目の前に広がっているのはそんなビッグなアイドルのための舞台で、集まってきているのはそんなアイドルに憧れている人たちで、この場所この環境が【大物アイドルと大勢のファン】という一つの事実を突きつけている。
それは決して、グラサンとマスクを装備して芋ジャージ姿でジョギングをする少女──ユイとは重なり得ないものだ。
しかしながら、夢中になっているファンが語るアイドルの人物像は紛れもなくユイのものであり、彼らがうわごとのように呟いているわずかな断片からでも、ユウはそれがユイのことであると断言することが出来た。
「……」
話だけしか聞こえない大物アイドルのユーリ。
ちょっと前まで毎日のようにあっていたユイ。
全く別物のはずで、似ているところなんてないはずなのに、それでもどこか【同じ】であると感じてしまう奇妙な感覚。自分の知っているユイがどこか遠くに行ってしまったかのようで、ユウはなんだか背中がむずかゆくなってきてしまった。
「あいつ……マジで本物のアイドルなのかねえ……」
ユウがポツリとつぶやいたその言葉。
聞き取れたものは、どこにもいない。
押し合いへし合い、ぎゅうぎゅうづめ。身動きを取ることさえ難しくなって一体どれくらい経ったことだろうか。いい加減観客たちがしびれを切らしてきたころ、唐突にそれはやってきた。
~♪・♪!
突如鳴り響く軽快な音楽。一斉に点灯した舞台照明が七色の光をあちこちに射出し、何か大いなるものの来訪を予感させるかのように忙しなく動き出す。
『みなさん、たいへん長らくお待たせいたしましたーっ!』
ひびいてきたのは、女の人の声。まず間違いなく、司会進行のおねえさんのものだろう。ユウの位置からでは張り巡らされた飾りが邪魔で少々見えづらいが、それらしいのが舞台の端っこにチラチラと見える。
『これより、【O'ast Kitten!】ミリオン突破記念感謝祭を行います! ライブの後に交流会……って、もうみなさんわかっていますよね!』
おねえさんは綺麗にパチリとウィンクすると、楽しくて楽しくて仕方ない様子を隠そうともせずに言い切った。
『それでは、長ったらしいお話はさっさと切り上げることにしてぇ……大きな声でユーリちゃんを呼んでみましょう! ……せーのっ!』
──ユーリちゃああああああん!
「ユーリちゃー……!?」
茶番に付き合うかのように間延びしたユウの声が、途切れた。
『みんなぁーっ! 今日は来てくれて、ありがとぉーっ!』
音楽が切り替わった。照明が切り替わった。
会場の空気が震えた。観客の熱意が弾けた。
『こんなにいっぱい集まってくれて、すっごくうれしいっ! 時間が許すギリギリまで頑張るから、みんなも楽しんでくれるとうれしいなっ!』
聞きなれた甘い声。自分だけが知っているはずの可愛い素顔。
体にずしんと響く大歓声は、ユウの耳には入らない。
『ただーしっ! ルールとマナーはぜったいに守ることっ! 他人の迷惑ダメぜったい!! みんなで楽しんでみんなで盛り上がる、最高のライブにしようっ!』
ユーリが──ユイがいる。夢の大舞台に、ユイがいる。アイドルの衣装を着て、笑顔を振りまいている。
それは紛れもなくユイで、アイドルで──ユイの本当の姿であった。
『それじゃあさっそく──【O'ast Kitten!】!』
彼女がマイクを手に持つと、どこからか聞き覚えのある音楽が流れだす。
「はは……あいつ──」
それは、あの朝にユイが歌って見せたあのメロディだった。
『みんなぁーっ! いっくよぉーっ!』
ユーリのくちびるに音が灯る。
「──ホントに、アイドルだったんだな」
ユウの目の前が、眩しく光った。
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遅刻しそうな霧の朝
イケナイ道のT字路
飛び出した猫に驚いて
トースト ぽとりと落ちた
マーマレードのその向こう
黒猫を抱きしめて
優しげに笑うキミを見て
心臓 ドキリと跳ねた
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ユーリ──ユイは、いつもより何倍もかわいく見えた。少なくともユウは、自分でも気づかないうちに、ユイのことが目から離せなくなっていた。
ユウは化粧のことなんてさっぱりわからない。でも、いつもと顔が何となく違うことくらいはわかる。具体的にどこがどう違うのかを述べることは出来ないが、いわゆるナチュラルメイクとやらをしているのだろう。
そうでなければ、僅かばかりに上気している赤い頬が、キラキラと輝く瞳が、見たことも無い笑顔が──あまりにも魅力的に感じるあの雰囲気の説明が出来ない。
そんなユイが、心を込めて歌を歌っている。
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かわいいエプロン ぐつぐつお鍋
甘く熱い炎をくべて
私の心 溶かして固め
チェックのリボンを巻いて 渡したいな
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アイドルの衣装。そんなもの、ユウは今まで見たことが無い。だから、ユイが着ているそれ──ふりふりのエプロンドレスとお嬢様学校の制服を足して二で割ったような衣装を、どう表現すればいいのかもわからない。
もしユウに人並みの感性があったとしたら、『なんとなく魔女っ娘みたいな衣装』だとか、『ハロウィン風をコンセプトにしているのかも』といった感想が出たことだろう。あるいは単純に、『すごくよく似合っていて可愛い』とでも口にしたかもしれない。
だけれど、ユウは何も言葉にしなかった。否、出来なかったと言った方が正しい。ユウはただ、歌うユイの姿に唯々圧倒され、魅了されていたのだから。
そんな素敵な格好をして、ユイは周りに笑顔を振りまいている。
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うわのそら O'ast Kitten!
キミだけを みつめてる
指鉄砲に ときめきこめて
キミに届け この気持ち
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指鉄砲で観客を撃ち抜いて。茶目っ気たっぷりにパチリとウィンクして。
ユイは要所要所でポーズを取ったり、ちょっとしたパフォーマンスを入れている。右に目を向ければそちらの観客が大歓声を上げ、左に手を振ればもはや悲鳴と遜色ないほどの声が上がる。
「……」
右へ、左へ、上へ、下へ。
ユイは均等に、あちこちに笑顔を振りまいている。ずっとずっと楽しそうに笑っており、そしてそんな笑顔をユウは今まで一度も見たことが無い。
ジョギングをしている時も、部屋で一緒にゲームをした時も──たったの一度でさえ、ユウはユイのその表情を見たことが無い。
「……」
自分の知らない表情を、自分以外のたくさんの人間に見せている。ここにいる大多数が、自分の知らないユイのことをたくさん知っている。
「ふん……たいそうな格好しているけどな、あいつ普段はアレだし、だいたい、可愛いアイドルなんて他にも──」
その事実が堪らなく悔しくて、ユウはポツリとつぶやいた。
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勇気を出して O'ast Kitten!
ウィンク飛ばし 投げキッス
鏡の前で はなまるつけて──
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『──私だけ見て O'ast Kitten!』
「──ッ!?」
ユウの瞳の中に、ユイのまっすぐな笑顔が飛び込んできた。ぴしっと伸ばされた人指し指に撃ち抜かれて、ユウは言葉を失う。
自分の知らないユイが、自分の知っている顔で、自分だけにそれを向けている。
サビの終わりの、最高に盛り上がったところ。フィニッシュに相応しい大歓声があがり──。
「な、んだよ、これ……?」
ユウの心の中に、眩しくて暖かい気持ちが芽生えていた。




