最後の晩餐
(社長から日本酒の差し入れです。車は使わず歩いて来て下さい)
と中川からのメール。
「そっか。酒か。今夜も事務所に泊まるのかな。何か酒のつまみになるような……」
冷凍庫と冷蔵庫の食料をチェック。
大粒のホタテとイカを見つけた。
大根の葉と一緒に、ごま油で炒める。
醤油と酒を少したらす。
かいがいしく料理を作り
冷めないうちに食べさせたいと
山道を走った。
ゆっくり話したいのでシロは連れて行かない。
「御馳走ですよ。神流さん。美味しいです」
中川は満面の笑み。
「いや、そんな。しょーもないですよ。社長の鯖寿司に比べたら」
山田鈴子は酒だけではなく
鯖寿司も置いて行った。
「北新地の店で貰ったそうです。どっちも私なんかに縁の無かった高級品です」
いつも、山田社長には贅沢させて貰っていると言う。
「中川さんの人柄ですよ。社長は無駄な散財をする人じゃ無い」
自分が今回調査を頼んだように、鈴子の困り事の相談相手になっているのだろう。
「私なんか何の役にもたたなかったじゃないですか」
結局、目撃情報を得られなかった事を詫びる。
「もう、あの話はいいですよ。こっちが申し訳ない」
今は中川とのまったりした宴を楽しみたかった。
「お父さんの跡を継いで剥製屋になられたと聞きましたよ。三代目だそうですね。初代はお母さん方だとか」
「そうらしいです。親父はあまり喋る男じゃなかったんで、昔の事は詳しく知らないんです」
「貴方は父親似だそうですね」
「それは……よく言われます」
話題はなぜか聖の話。
問われるままに、答えていた。
「それで今や有名人ですよ。イケメンの霊感剥製士。光栄ですよ。神流さんと、お近づきになれて」
「なんで? ただの変人の剥製屋ですよ」
「とんでもない。貴方は特別な存在ですよ……この世界を動かすひとです」
「へ?」
酔いが回ってきているのか。
中川の言葉を理解しかねる。
「神流さんは随分幸福そうに、お見受けしますが……悩みもない、欲もないように」
「はあ? そう、見えますか?」
……私にだって人並みに悩みはあります。
……欲しいモノが手に入らなくて足掻いても居ます。
と、続くのが一般的。
悩みも欲も無い人間が、いる筈が無い。
しかし聖は、今、気がかりな事はあるが、
自身の悩みは……、考えたけど、これといって無し。
悩んでも解決方法が無いとなれば
早々に諦める性分。
欲はどうか?
名誉欲は元々無い。物欲も満ち足りている。
毎日マユにあえて幸せ。
シロがいるから寂しさも知らない。
「お察しの通りです。俺は悩みも欲もないかも、です」
陽気に答えた。
「そうですか。やっぱりねえ。薄々解ってはいましたけどね」
中川は穏やかな口調を崩さなかった。
が、
「……たまに居るんですよね。食えない奴が」
と、
出てくる言葉に棘が混じる。
「自己顕示欲の欠片も無いんでしょうね。おそらく……ここの女社長も同類だ。……特別な力が有るのに、どっちも使えない奴」
「?……えーと、中川さん、」
意味不明。
解らないんですけど。
俺が酔っているせい?
中川さんが酔って、言葉の選択ミスってる?
「ちっ」
舌打ち。
はっきりと中川が舌打ちする音が。
(何か気分を害した?)
(中川さん、酔うと人格変わるタイプ?)
「ちっ」
二度目の舌打ちの音で
聖の酔いは一気に醒めた。
「あの……」
テーブルを挟んで座っている見慣れた顔を覗き込む。
半白髪の四角い輪郭。
やや鷲鼻。
締まった口元。
皺が刻まれた目元が
妙にくっきりと見える。
でも、中川の顔になんら不快そうな
表情はない。
穏やかで微笑みかけているではないか。
茶系のツイードのジャケット
エンジのネクタイ。
どっちも似合っている。
「長居は無用、ってことです。お友達ごっこはエンド。この酒は美味いけどね」
はっきりと、聖に告げる。
口元に笑みを浮かべ、
唐突に。
「長居は無用、……ですか。済みません。気が利かなくて」
聖は恥ずかしさに頬が火照るのを感じた。
「失礼します。ごちそうさまでした。……ながながと、失礼でしたね。許して下さい」
中川は何も言わなかった。
ただ微笑んでいた。
一目散に
自分の恥から逃げ帰った。
寒い暗い山道を。
「セイ、どうしたの?」
マユはシロと帰りを待っていた。
「俺、超カッコ悪い。口に出して言われるまで、
自分が厚かましい客だと気付かなかったんだ」
一部始終をマユに聞いて貰う。
「セイ、そこまで落ち込まなくていいわよ。聞いた限りではセイは全然悪くない。
長年企業戦士だった中川さんとは、感覚が違うのよ。セイとの関係はビジネス
だと、教えてくれたのね。それだけの事」
マユは
今後、こちらから接触しなければ良いだけと、なだめる。
「それとも、冷たくされたことが、耐えられないの? あの人に執着してるの?」
「……え?」
不意に
自分の中川への感情移入が
変なんだと、
気付いた。
「俺、無意識にあの人に身内みたいに甘えていたのかも。重いと感じさせるくらいに」
「一度忘れてしまいましょう。今夜の出来事をすっかり忘れるまで、会わないでいたらいいわ」
「うん。そうする」
翌日、2件の仕事が入った。
お陰で、恥ずかしい思いをした記憶は急速に遠くへ去った。
4日が過ぎ
殆ど忘れた頃に
朝早く鈴子からの電話で中川の名を聞かされた。
12月24日クリスマスイブに。
「兄ちゃん、先週、中川さんな、様子が変なこと無かったか?」
「別に……どうしたんです?」
「無断欠勤で携帯にも出ないねん。今日で5日や」
聖と飲んだ翌朝、事務所に居なかったと言う。
「賃貸マンションで一人暮らしや。管理人に電話してん。車は駐車場にあるのに、インターフォンに応答無しで、郵便物が溜まっているんやて。心配やろ。親族が無いからな、今から、行って、鍵開けて貰うねんけど……」
一緒に来て欲しいと、お願いされた。
病気で寝込んでいるとか。
うわ、孤独死のパターンかも。
「死んでは無いと思うよ。そんな気配は無かったからな」
鈴子はキッパリ言った。
……中川は、死んでいた。
ベッドの上で息絶えていた。
左手首の深い傷と、
そこから流れ出た血だまりがなければ
ゆったりと大の字に寝ている風に見えた。
ジャケットもネクタイも見覚えがある。
(今となっては)最後に会った時と
同じ服装だ。
でも、どうしてだろう。
死者になったからといって
こうも面変わりするのだろうか。
中川にちがいないのに
見知らぬ老人に
見えるのだ。