洗脳
「コンビニの防犯カメラに名刺を渡した男は写っていなかったの?」
マユの質問は尤もだ。
「防犯カメラは、レジ周辺に対応するのしか無かったと思う」
「駐車場は映ってないのね」
「死んだ中学生の連れの2人は、男の顔を見なかったんだろうな。見ていれば人相くらい分かるだろうから」
「そして証拠の名刺は砕けた……セイの名刺はどうなの?」
「それがさ……」
聖はデスクの一番上の引き出しを数センチ開けて
中を見せる。
黒い名刺が、ちゃんと在る。
赤い文字で「黒山羊」と。
「変化は無いのね」
「うん」
いっそ、コレも砕けて消滅して欲しいのだが。
「ねえ、この名刺、住所と電話番号は裏に書いてるの?」
「いいや。裏にも書いていない」
「変な名刺ね。……最初から?」
「多分」
貰ったときに確認していない。
<黒犬>の文字を目で追っただけ。
興味が無かったので、わざわざ裏は見なかった。
「名刺はカオルさんに見せたの?」
「……見せてない。見せた方がいいのかな。文字が変わったなんて言いにくいけど」
完全に超自然現象じゃないか。
名刺に細工が無い限り。
「細工がしてあるかも知れないわ」
時間経過で文字が変わる細工。
時間経過で砕け散る細工。
小さな紙に、そのような仕掛けが出来るのか?
特殊な加工が可能であったとして、
なんで、手間と費用を掛け特殊な名刺を作ったのか
南マコトや中学生に渡したのか。
「この名刺にどんな意味があるのか、俺には分からない。今文字が変わったとカオルに言えば、ますます『人殺しカード』だと。そっちへ行っちゃう。貰ったら人殺しになるカードだと」
「そんなモノ、無いと思いたいわ。確かに怖い名刺だけど。悪魔のような心を持つ男が、邪悪な念を込めて奇妙な名刺を作り、言葉巧みにそそのかした。洗脳に使うアイテムに過ぎないんじゃない?……いかさま師の小道具よ」
この世の者ではないマユに
超自然現象では無いと説得される。
「カオルが情報を集めてと言ったけど、俺に何が出来るんだろう」
「謎の男を捜せってコトかな……そういうのは動物霊園の中川さんが得意そう」
「あ、そっか。中川さんに相談したらいいのか。あの人はワイヤーの件に関わっているし、オカルトな話も馬鹿にしないで聞いてくれる。それに、」
何より、聖は中川を信頼している。
頼りになる存在だった。
早速、中川にアポを取り、
おおまかに事情を話した。
2日後に、山田動物霊園事務所を訪ねた。
日が暮れかかった時間に。
事務所を閉めてから、ゆっくり話を聞くと
中川は言ったのだ。
名刺を見たいとも、言った。
聖は一気に喋った。
新宿での出来事、
南マコトとの一部始終を。
中川は穏やかな表情で
軽く頷きながら黙って聞いていた。
……茶系のツイードのジャケットは上質
……膝の上に置かれた手は
……皺はあるがふくよかで綺麗だ。
……グレーヘアの知的な顔立ち。
聖は中川を好ましく思っていた事に気付いた。
信頼し、甘えていることに。
父親を慕う感情に似ていると。
実父は50手前にガンに冒され死んだ。
老いる前に亡くなった。
(生きていれば、この人のようなイケてるシニア、だったよな)
中川が入れてくれたコーヒーを飲みながら
猟奇的な話の最中というのに
暖かい感傷に囚われる。
「それですか……テーブルの上に置いて下さい。写真を撮らせて貰います」
口調は柔らかく、しかし、あからさまに、
中川は名刺に触れるのを避けた。
「撮りました。……もういいです。納めて下さい」
聖は
気味悪い名刺を、
中川が預かってくれるかもと、若干の期待があった。
だけど、仕方ない。
言葉に従い白衣のポケットの中に戻した。
「ワイヤーに気付いたのが、あの日、午後4時頃でした」
中川がポツリポツリと語り出した。
事務所のトイレットペーパーを買いに(例の)コンビニに行こうとした。
習慣で橋は徐行運転。それでワイヤーに難なく気付いた。
車を降りワイヤーを外した。
その作業中に橋の下で話し声が聞こえた。
声を辿れば、中学生が3人。
ワイヤーに無関係な筈は無い。
「おい」「こら」
思わず怒鳴った。
3人は河原を凄い勢いで走って逃げ去った。
「すぐに通報しましたよ。県道に出ていて欲しいと言われたので、おまわりさんが来るのを県道で待っていました」
目撃した3人について聞かれた。
グレーの詰め襟の制服だったと、見たままを答えた。
「神流さんとこの橋で、オートバイの人が亡くなったと聞き、心臓が止まりそうになりました。結月さんかとね、思うじゃ無いですか。……違っていて良かったと、ほっとしてたんです。……でも、通りすがりの男では無かったのですね」
あの橋を渡る人間が行く先は、
神流剥製工房しかないと
考えなくても明白なのに。
犠牲者が結月薫で無かったので
大きな不安が解消されたので
終わったコトと……。
「済みません。……俺の問題なんです。中川さんには無関係です」
思いがけない深刻な表情に、思わず謝ってしまう。
「名刺を渡した男を捜せって……私には手に負えない案件だと……証人は死んで防犯カメラにも写ってないんですね。お話を伺った限りでは手がかりはゼロに近い」
申し訳なさそうな中川の答え。
聖は中川が何とかしてくれると、甘えていた自分が恥ずかしくなってきた。
「おっしゃる通りです、そうですよね。警察が捜せない男を、見つけられない、ですね」
薫は情報を集めて欲しいと言ったけど
自分にはその方法が見えないし
元保険調査員の中川でも為す術は無いのだ。
では、これでと
聖は立ち上がった。
「忘れて下さい」
と小声で詫びて。
「いえ、待って下さい。……手伝いますよ。結果に全く自信は無いです。でも神流さん一人より二人で動いた方が多分、結果が出るは早いでしょうから……」
中川は無駄な調査に終わると見通し
それでも聖の為に、
力を尽くすと言った。