犬を連れた男
「中川さんは特別心が綺麗な人だったと、考えてみて。自分の存在には執着はないけれど、他人の幸せを願える人だったと。空っぽの老人に残っていた唯一の欲が、人を幸せにしたい、だった」
悪魔の力で蘇えった子供(紫苑)は
<かくれんぼ>に執着していた。
母親との楽しい遊びに。
母は<永遠の遊び>に耐えられなかったに違いない。
そうなると
悪魔は初めから知っていた。
母は娘から逃げる結末を。
愛に守られない死霊は、悪霊に成り果てると分かっていた。
「悪魔は、中川さんの人の幸せを願う心と、優れた話術や知性を、巧く使ったのよ」
橋の上で出会った南マコトの様子に
困り事を抱えていると感じたのは中川の力。
初対面でも気を許せる雰囲気もそうだ。
無差別殺人に見せかけた犯罪プランも
詩人が確実に有名になる方法も
南マコトを簡単に処分するのも
頭の良い中川だから描けたプランだ。
もっとも、真の中川なら考えてみようとも、しなかっただろうが。
「中川さんは悪魔に取り憑かれた。……だけどさあ、俺にはずっと良い人だったよ。酒を飲もうと誘ってくれるようになったのは、夏以降だ。悪魔付きの中川さんだったんだよね?」
「時には昼間からでも一緒に飲んでた?」
「うん。昼飲みパターンもあった」
「それって甘すぎる誘いじゃない?」
「へっ?」
マユに指摘されて、初めて気付いた。
暇な職場で、社長黙認とはいえ、
昼間から酒(時には御馳走つき)、
甘すぎるじゃないか。
緩すぎるじゃないか。
冠婚葬祭でもないのに。
世間一般のお仕事中の方々に申し訳ないとか
なにより、おてんとうさまが高いとこから見てるのに、
恥ずかしいとか
罰当たりとか……。
全く感じないで
誘われてフラフラ、中川のもとに通っていたのだ。
「セイ、ちょっと堕落してなかった?」
「ダラク……」
堕落、の文字が浮かぶまで暫くかかった。
ソレくらい、昼飲みの習慣に罪悪感はなかったのだ。
「七つの大罪(傲慢・強欲・嫉妬・色欲・暴食・怠惰)知ってるよね?
いくつかに当てはまりそうね」
マユは面白そうに笑う。
「中川は、いや悪魔は俺も手下にしようともくろんでいたんだ」
最後に会った時
妙な事を言われ、その後急にそっけなく、
宴を打ち切られたのを思い出す。
(貴方は特別な存在ですよ……この世界を動かすひとです)
(たまに居るんですよね。食えない奴が)
(自己顕示欲の欠片も無いんでしょうね。おそらく……ここの女社長も同類だ。……特別な力が有るのに、 どっちも使えない奴)
「黒犬カードがセイに渡ってるのだから、有望な候補だったのは違いないわ。ところが悪魔の手下になり損ねたのね。ついでに、山田社長とカオルさんも」
「悪魔の誘いに乗らなかったと言って欲しいな」
「そうかしら。話を聞いた限りでは、まだ誘われてない感じだったわよ」
食えない奴、と言われた。
使えないヤツ、とも。
「それって、書類選考通過で面接落ち、って、そんな感じかな」
「その通り。データは悪くないけど使えない、と言われたのよ。セイも社長もカオルさんも」
3人とも悪魔界の面接に落ちたのか。
あと、山田社長の守護霊みたいなヤツも。
「俺たちの『面接落ち』と中川さんが死んだのと関連してると思う?」
「3人への面接落ち宣言と、時間的に連なってる。悪魔はこれ以上、この山に通っても収穫がすくないと判断し、中川さんから離れたかも。ワイヤー事件で警察の手が迫ってるのは知ってたでしょうし」
悪魔に支配されていた心が
元に戻った。
善良で心弱い老人に戻った。
自分が犯した残虐な悪事の記憶あったなら
恐ろしさに即刻、己を殺したろう。
「悪魔が抜け出たから中川さんは自殺した。じゃあ悪魔はどこへ行った?」
「別の入れ物を見つけたんでしょうね」
「入れ物?……人間に取り憑いたんじゃ無いのか」
「人間かもしれないし、人形かも知れない。元々は人形を使って召喚されたんでしょ」
聖は
人形と聞いてアリスが、頭に浮かんだ。
中川にプレゼントした剥製の犬の事を。
だが、犬剥製=人形、は違うと。
マユに話すのは止めた。
正体不明の、逃げた黒い犬のことも
何だか口に出すのが嫌だった。
「いずれにしても、この山にもう悪魔は居ないんじゃ無い? この山は見限ったと思うわ」
常駐してるのは使えない奴。
剥製屋も動物霊園も
訪れる客は少ない。
「この山にはキリスト教の教会は無いんでしょう?」
「ないよ」
「山田霊園に神父も牧師も来ないのね」
「こないよ。人間じゃ無いんだ。坊さんも神主さんも呼ばないさ」
「悪魔の避難場所には適していたんでしょうけど」
「だったら戻ってくるかも」
「誘惑する人間がいない山奥では仕事にならないでしょ。課せられた使命を果たせない。悪魔が一人静かに山に籠もっていたら、それは、もう悪魔じゃないわ」
マユは
聖に出来ることは、もう何も無い
終わったのだからと
優しく諭した。
聖に気がかりがあるのを見通したように。
明くる朝一番に
河原で<黒山羊>の名刺を焼いた。
紙キレ一枚にしては大きな炎が、
ぐちゃぐちゃ妙なカタチで
長い間うごめいた。
随分気味が悪かった。
顔なじみの鳥が大勢と
シロも側にいたので
恐ろしくは無かった。
その夜から雪が十日降り続いた。
とんでもない積雪量で
毎日雪かき。
車を使うのも躊躇してしまう。
聖は食料の買い出しにも行かず
工房に籠もって働いた。
珍しいカンガルーの赤ちゃんの剥製に
没頭した。
夜はゲーム三昧。
新しくゲットした女神の戦い。
北欧神話がベース。
そういうのに疎いがマユが詳しいので
解説してくれて嬉しい。
やがて雪が解け、月が変わった。
日中は日差しが眩しい。
節分の朝、鈴子から電話が掛かってきた。
(朝まで飲んで以来、だった)
「にいちゃん、明日からな、新しい事務所番が来るねん。夕方から事務所で歓迎会したいねん。刑事はんは、来てくれるんやて。兄ちゃんも来て欲しいねん」
自分と2人きりの歓迎会では間が持たないからと。
「いいですよ」
カオルに会えるのも嬉しい。
「有り難う。助かります。それとな、シロちゃんも絶対連れてきて欲しいねん」
「いいですけど……」
シロも歓迎会に同席?
なんで?
「ワケがあってな。新しい子は犬連れで仕事したいと言ってるねん。毎日連れてくるんや。犬同士も最初に顔合わせしたらどうやろうかと」
「犬連れ、ですか」
ちょっと驚いた。
そして、犬好きという情報だけで見知らぬ新人に好感を持ってしまう。
たしかに知らぬ犬の臭いにシロは敏感に反応するだろう。
シロは山で自由に放し飼い。
動物霊園事務所あたりも勝手に行ってる。
「シロちゃんの彼女になるかも」
犬は雌犬らしい。
「桜木くんは兄ちゃんと年が近い、イケメンやで。ワケありやけど、な。よろしく頼みます」
と話は終わった。
「ワケありのイケメンで犬連れだって」
夜に早速マユに話す。
「ワケあり、なのね」
「少々のマイナス履歴は問えないだろう。霊園事務所が凄いワケありじゃん」
一人目は自殺幇助、死体破損他で服役中
二人目はアレだし。
三人目が来てくれただけでも有り難いんじゃないか。
「明日が楽しみね」
「うん。カオルにも会えるしね」
聖は、
自分が知らない男と
知らない犬に会うのだと
思っていた。
 




