黒山羊人形
「セイ、昨夜はお疲れ様」
結月薫と
山田鈴子が
昼近くに帰った、その夜。
マユは陽が落ちるのを待っていたかのように
早々に
聖の横に
パソコンデスクの前に
聖の椅子に並べた
マユの席に
……居た。
「全部聞いてたよね」
「うん。中川さんだったとはね」
「全く予想外?」
「ええ。あの人には動機が無かったでしょう。殺人をそそのかす理由が」
「そうだよ。実行犯じゃないから、自分の手を汚していないから『人殺しの徴』も無かったんだよ。結局は精神病? 全ては病気のせいだと思った?」
「……セイは違うと感じているんでしょ」
「まあね。警察はワイヤーの事件であの人を疑ってはいたが何も証拠は無い。重要参考人でも無い人物の
症歴を調べる名目は無さそうだ。本当に精神病だったかどうかは分からないんだ」
「私も中川さんは……取り憑かれていたのだと思う」
「そうだよね。生身の人間の仕業と思えないさ」
「何かが中川さんに取り憑いた……どうして中川さん、だったのか考えていたの。取り憑かれる以前の事も想像してみたの」
中川は心療内科に通院していた事実がある。
「山奥の動物霊園で働こうと思った、実はその時には、いつ死んでもいいと思っていた。遺書も書いていた。でも、偶然見つけた仕事が、死の淵に立っていた中川さんを、少しの間、現世に留まらせた」
動物霊園の客は少ない。
社長も毎日来る訳では無い。
山奥の動物墓地のなかで
殆ど一人で過ごすのだ。
中川は泊まる事も多かったという。
夜の森は恐ろしかったであろうに。
「普通では耐えられない孤独な世界よ。自殺の理由が孤独でない事は確かね」
人間関係で悩んでいたのか?
定年退職して一人暮らしだったのに?
「鬱病だったかも。優しい物静かな善人だったんでしょう? なんでも自分のせいだと考え自分を罰する病。有りそうじゃ無い?」
「……鬱病か。あ、霊園の仕事は浮き世離れしてる。中川さんを追い詰めた世界が何であったとしても、物理的に遠く離れられた。霊園の仕事は、自分のミスを責めて落ち込む材料もあんまりなさそうじゃん」
死んだペットを連れてきた客に
埋葬、墓標の種類を説明するだけ。
滅多にトラブルは無い。
社長の鈴子は、指示はシンプルで従業員のあら探しをする性分では無い。
中川が鈴子の言動を深読みする必要は無かっただろう。
「中川さんは心平和に過ごしていた。でも取り憑かれてしまった」
「うん。きっとそうだ。いつ取り憑かれたんだろう? どこで取り憑かれたのかな?」
「いつ? それは夏頃でしょう。カオルさんが言ってたから。(夏頃会った時に別人のようだった)、どこで取り憑かれたかはこの山に決まってるじゃ無い。セイ、心当たりないの?」
「えっ? 何で俺が?」
「人間じゃ無い邪悪なモノよ。そんなのを呼べるのはセイしかいないじゃない」
「お、俺が呼んだの? ………なんでそうなるの?」
知らない。
絶対俺は知らない。
関係してない。
濡れ衣です。
ありったけの言葉で反論した。
マユは困った顔で
黙ってパソコンデスクの引き出しを指差す。
「なに?」
「黒山羊よ。カード、まだあるんでしょう? どうしてだか犬が山羊になっちゃったカード」
「あ、」
忘れてた、と言おうとした。
だけど嘘はバレそうだ。
本当は、まだ忘れてない。
見るのが怖くて、努力して忘れている途中。
「見ないの?」
「うん」
マユに促されても
名刺を確認出来ない。
見るのが、嫌だった。
「私はね、セイに心当たりがあるような気がしてならないの。もしかしたらアレかも、ってずっと気にしている、どうしてだか、そんな気がしてたの」
「あ、あれは違うだろ、偶然黒山羊が一致してるだけ。……関係ないよ」
黒山羊、の文字を見た時
ちらりと思い出したモノがあった。
しかし、記憶を深追いしなかった。
関係ない出来事だったから。
ところが今マユに問われて
自分が、<黒山羊人形>を忘れていなかったのを知った。
「黒山羊人形?……初めて聞いたわ」
「そうだろ。マユに話してないよ。その程度の小さな出来事だったからね」
黒山羊人形は宅急便で届いた。
送り主の、女の名は覚えていない。
恐ろしい人形なので処分して欲しいと
電話の様子は尋常では無かった。
「恐ろしい人形?」
マユは、とっても興味津々。
「手紙が添えてあって……、人形を手にした人は、何故か人に嫌われる。
子どもが一人死んで、手紙を書いた人の友人は、死にかけていたらしい。
……あ、そうだ。人形の名前は、紫苑、だった」
それは10年前に、『かくれんぼ』で怪死した子の名だ
実際の事故をネットで検索して調べた記憶が蘇る。
「セイ、もう一度検索してみてよ」
「今?」
「そう。今すぐ」
10年前に小学2年の紫苑が
大阪市内環状線のA駅前にある
喫茶スナック「紫苑」の建物内で事故死している。
<かくれんぼ>中の事故であると報道されたのは
母親の証言からだ。
母子家庭で、営業中の娘を構えない時間
<かくれんぼ>をする事があった。
家の中のどこかに隠れている娘を
接客の間に捜すのだ。
夏休みのある日、母は娘を見つけられなかった。
外に出て行ったのかと思い込んだ。
実際は2階、子供部屋の本棚と床の隙間に隠れていたのだ。
隙間の奥まで入り込み、自力では抜け出せなかった。
発見まで1週間。
娘は衰弱死していた。
紫苑は娘が死んだときから閉業している。
(事故物件サイトにデータが載っている)
母のその後は分からない。
そして半年前、
星田カンナという少女が空屋の「紫苑」で亡くなっている。
冷蔵庫の中で窒息死していた。
自分で中に入り扉を閉め、開けられなくなった。
カンナは「紫苑」から近い処にあるアパートに
両親、中学生の兄と暮らしていた。
遺体発見前日から行方不明。
この子は入学式に出ただけで、1日も小学校に通学していなかった。
不登校で友達は居なかったらしい。
共働きの両親はカンナの行動を把握しておらず
娘の普段の行動を答えられなかった。
空屋の「紫苑」に入り浸っていた事を知らなかった。
「人形は、誰が作ったの?」
「死んだ紫苑の母親だと思ったけど。名前が書かれていたし、子どもの歯のネックレスを付けていた」
「名前と、身体の一部……そして黒山羊の姿。呪術?」
「多分。死んだ娘を蘇らせようとしたんだと」
「蘇って……邪悪なモノになり、カンナって子を取り殺したのかしら?」
「さあ。元は子どもの霊だから。お母さんとの『かくれんぼ』が大好きで捜してくれるのを待って死んじゃったんだ。蘇っても『かくれんぼ』やっていたんじゃないかな」
自分が死んだことも知らない。
子どもの時間は<かくれんぼ>で止まっている。
永遠に続く<かくれんぼ>
「セイ、それで? 人形はどうしたの?」
「えーと」
「此処には無いんでしょう?」
「もちろん、めちゃ感じ悪いから処分したさ」
「焼いたの?」
「……ん?……焼いた覚えは無いか……川に捨てたんだ。カラスや猿が寄ってきて……」
山の生き物たちが
宿敵に会ったように
興奮して解体して……人形はボロボロになって
「最後は川に……流されていった」
「この川に?」
「うん」
「去年の夏頃?」
「そう、だけど」
「……人形は黒山羊のカタチをしていたのね?」
「うん。不細工で気味悪かった」
「紫苑ちゃんだっけ、死んだ子の母親は、娘を生き返らせて欲しいと、何に願ったと思う?」
「ここらの信仰じゃないのは確かさ。死者の魂は、毎年お盆に帰ってくるんだからね。黄泉の国から連れ戻そうなんて、そんな発想自体なさそう。だってさあ、神様でも挫折したんだからね。はは」
神様は黄泉の国へ死んだ妻に会いに行き
余りの汚さ醜さに逃げ帰った
この神話を思い出すと何故か笑ってしまう。
「セイ、話を逸らさないでよ。本当は分かってるんでしょう?……鬼でも怨霊でも無いみたいでしょ。人の弱みにつけ込み、欲望を利用し、悪の手下にするのよ」
南マコトは急に背負うことになった重荷(子ども)を消し去る方法に食らいついてしまった。
エスカレーターで死んだ詩人は<著名な詩人>となるのが、叶わぬ夢だったのだろう。命と引き替えてで
も、名を残したかったのだ。
2万円貰った中学生の、欲しくても手に入らなかったモノは、その金額で買える程度の、ゲームか何かだったのかも。
「わかってるさ。こういうの何て呼べば良い? 悪魔、なの?」
キリスト教でいう悪魔の関係者だと?
そっちの世界の悪霊なのか?
悪魔なんて聞き慣れた名称だけど
実在するという実感が無い。
ほんとに居たの?
なんで、こんな山に?
……黒山羊人形に憑いてきたの?
「人形に取り憑いていた。でも人形はカタチを無くした……悪魔は中川さんを見つける。……人生はとうに終わっている、いつ死んでもいい、欲も執着も無い、ただちょっと、死ぬ前に休憩してる、……中身が空っぽの、人形みたいな老人を見つけたの」




