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逃げた黒犬

「遺書に何が書いてたか、カオルは知ってるの?」

 聖は話題を変えた。

 中川の変貌の手がかりが遺書にあるかもと。


「内容は、家主に迷惑を掛ける詫び、だけやったらしい。簡単な短い文面や。変わった点といえば、直前に書いたのではない、随分前に用意した形跡があった」

 遺書はA4の紙に万年筆で手書き、署名。

 封筒に薄い染み多数。

 文字はインクが変色していた。


遺書を書いてから決行するまで…数ヶ月?

どういう事情があった?


「うちで働いてた間に遺書を書き、そのあと数ヶ月働いてから、自殺しはったんか。刑事はん、自殺の理由も、なんで日延べしたのかも、分からんのですか?」

「財布の中に心療内科の診察券があったが、病院に確認はしていません。事件性が無いから調べる理由がないんです。死亡保険に入っていれば保険会社の調査が入るかも」


自殺では保険金は出ない。

事故でも殺人でも無ければ自殺、だが

精神疾患との関連性が大きければ病死扱いとなる可能性がある(幻聴に死ねと命令されたとか)。


「人格が急に変わった。顔つきも別人のようになった。見えない誰かと喋っていた。精神疾患で矛盾は無いか。妄想に導かれ、無差別殺人をリードした。幸い俺も社長も中川の罠はすり抜けたけどな」


「刑事はん、『特別な人間』とか言われ、その気になってしまったら洗脳されたかも知れないんやね。催眠術にかけられたように」

 

元々が有能であったので、妄想に基づく行動が、成功してしまった。

……バラバラに砕けた名刺は?

通常の保管で

成分検査も精度の高い範囲では無い。

化学的な理由を突き詰める理由もない。


謎多い一連の事件は

結局、

精神を病んだ男のしでかした事。

唐突に見える自死も

病気のせい。


聖は、

薫と鈴子の結論に異を唱えることはしなかった。


(2人にはややこしい話はしない方がいいね)

心の内で呟きパソコンデスクの上の

白いオウムの剥製に視線を送る。

マユが宿っている美しい鳥。

いつもなら

マユが隣にいる時間だった。

きっと

会話の全てを聞いてくれている。


聖の視線はオウムから

剥製棚に何となく流れる。

そして、ふと

思い出した。

長く在った犬の剥製を。

……アリスだ。

いわくありの、死にきっていない、剥製を(つまり化物犬)

中川に譲ったのを

思い出した。


「なにはともあれ、今日で終わりにしましょう。中川さんは給料以上に働いてくれました。わたしは何の恨みも無い。中川さんのせいで亡くなった人たちは気の毒で心が痛いけど、私が悲しんでも取り返しが付かない」

 憂いでいた鈴子の声が今は明るい。


「社長には全く責任の無い事です。従業員が続けて猟奇殺人に関係したのも……社長のせいやないですよ。まあ、こうなったら(どうなったのか意味不明)朝まで飲みましょ」

 薫も勢いが増している。

「続けて?……ああ、そうでした。前におった、なんていうたか忘れたけど、しゅっとした男の子、今も堀の中でした。はは。すっかり忘れてましたわ」

 鈴子は豪快に笑う。

 中川の事も案外早く頭の中から消去しそう。


「黒犬事件は終了やな。……なんで『黒犬』か、それも簡単な理由やったしな」

 何気なく薫。


「カオル、今何てった? 理由が解ったって……俺聞いてないよ」

 聖には重要な情報だ。


「中川な、隠れて犬飼ってたんや。黒い犬」

「……え?」


「アパ-トに犬がおったの? 全然気がつかんかった。なあ、にいちゃん」

 鈴子が聖の肩を叩く。

 (すでに酔っ払い、なので無意味に強く叩かれる)

 

「どっかに隠れてたんやろう。検死に入ったドクターが発見したんや。おとなしくベットの下に隠れてたんやて。柴犬くらいの大きさの黒い犬が」

 


「カオル、そ、それで犬は?」

 発見されてどうした?

 保護犬団体に委ねたか?


「それがな、逃げたんや」

「えっ、逃がしちゃったの?」


「ベットの下から一目散に逃げてった。室内を捜したけど見付からなかった」

「外に逃げたんじゃ無いのか?」


「ドアは閉まっていたから中に居るはずやと警官とドクター、看護師で捜したが見付からない。途中大家が1回ドアを開けて中を覗いてるねん。多分、その時に逃げたんやろうな。大家は見てないと言うたけど。気付かんかったんやろ」


聖は

 どうしてだか、この話が恐ろしい。

 寒気を払うのに、日本酒を喉に流す。


「隠れて黒犬を飼ってた。身寄りが無い男の、唯一の……家族か相棒か下僕か、やな」

 中川にとって洗脳した者は

<私の黒犬>

 だったと、薫は解釈しているようだ。


聖は大急ぎで、中川のアパートで何を見たか

記憶の下から呼び起こす。


狭い玄関には見慣れた高級な革靴と

黒いスニーカー

細い廊下の左がキッチンで右にバス、トイレ。

キッチンは引き戸が開いていたので見渡せた。

最小限の調理器具、食器。流しにビール缶が数個。

二人がけの食卓の上に吸い殻の溜まった灰皿。

バーボンの瓶とグラス。

廊下の先の引き戸を開けると

パソコンを置いたデスクと椅子

クローゼット。

そして、

その部屋の奥が寝室。

引き戸を開けて、すぐに中川を発見したのだ。

戸を開けた瞬間、血の臭いがしたのも思い出した。


それで?

剥製のアリスは?

見た記憶は無い。

目に入れば、絶対覚えているはず。

だからといってアパートにアリスは無かったとはいえない。

物、なんだから剥製犬はクローゼットに収納されていても不思議は無い。


じゃあ、ベットの下から逃げたという生身の黒犬は?

薫の話に嘘や勘違いが混じって無ければ

自分と鈴子がアパートに入ったときに居た筈だ。

……どこに隠れてたの?


発見場所のベッドの下は除外している。

少なくとも4日、寝室のドアは閉じたままだった。

生身の犬がその間閉じ込められていれば

排泄物が存在するはず。

自分が気付かぬ筈は無い。

犬の臭い、犬の糞尿の臭いをスルーする筈はないのだ。

寝室の手前の部屋も

廊下にもキッチンにも犬の気配は無かった。


犬が居るのに気づかなかったとすれば

トイレか風呂に閉じ込められていた、

その可能性しか無い。

場所移動は、

誰かがトイレか風呂の戸を開けたときに出れば可能か。


……だけれど

……柴犬サイズなんだ。

 見た奴は気付くだろう。

 4日分の糞尿が狭い空間に在っただろうし。


 窓が開いていて入って来たとか?

 否、それはない。キッチンの小窓、寝室のも閉まっていた。


「社長、ほんまのところ、どうですのん? たとえば永遠の美しさが手に入るとそそのかされたら? 全く心惹かれないんでっか」


「見た目には力入れてますよ。けど、顔面はたいして大事やないやんか。顔なんか全体からみたら面積ちっこいで。刑事はんは、やや大きいけど」

「……そんで?」

「綺麗な色に髪染めて、賑やかな服着てたら、人を楽しませるし、鏡に映った姿を見る自分も心が華やぎますやろ。そんで充分や」

「なるほど。社長の思惑通り、自分は社長に会う日は、今日はどんなコスチュームかしらん、と楽しみにしてますやん」

「そうか。それは嬉しいわ。はっはっは」



夜明けが近い。

聖は<犬の難問>が解けなくて

考えつかれて酒が回ってきて

強い眠気に襲われているのに

鈴子と薫はテンションが上がったまま。


「いやあ、刑事はん。楽しいわあ。ミナミ(大阪市にある繁華街の通称)のホストクラブよりずっと面白いわ」

「それは光栄ですやん。自分もゴージャスな社長と一緒に飲めて、新地(高級繁華街)のクラブより贅沢感あると、言いたいねんけど、新地は、聞き込みしか行ったことないんです」

「そうか。よっしゃ、最高のホステスがおる店紹介するわ。うちの奢りで遊んできはったらいい」

「ほんまでっか。それやったら、料理も美味い店を紹介して欲しいです」

「料理かいな。 刑事はんは、やっぱり食べることが一番のお人やね」


漫才みたいな会話を聞きながら

意識が途切れていく。

夢の中へ落ちていく。


手の中にアリスを抱いている夢。

若くして殺傷されたメスの柴犬。

腐敗が進んでいたので早々に内蔵を摘出した。

ありありと

夢は記憶を再生する。


剥製にしたときは赤毛の柴犬だった。

別の犬が取り憑いていると分かっていた。

飼い主に憑依していたのが

アリスに付いてきた。

黒い大きな雄の犬。


聖はソイツが視えていたので

アリスが次第に黒くなっても

動いた痕跡も

不思議でも不気味でも無く

生きたペットが居るようで

好ましく受け止めていた。


……けど<化物犬>なんだ。

俺は<化物犬>を中川に……。

うわ、何て軽はずみな、


事の重大さにはたと気づき

覚醒する。

あっつ、と目を開くと

鈴子と薫の顔がアップで迫っている。


「にいちゃん、刑事はんが休みの時、またここで宴会するで」

「社長と俺が酒と食い物は持ってくるから、ええ話やろ」


二人があんまり嬉しそうな顔してるので

つられて

微笑んでしまい

「いいですね」

軽はずみな返事をしてしまった。





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