六日目 ー本当の願いー
目を覚ました祈は、着替えて急いでヨミの部屋へと向かう。この行動は一連の流れとして祈の中で定着しつつあった。
『おはよう、ヨミさん』
『おはよう、祈。…無事みたいね』
『私は…ね。でも、一番心配なのは奈々子ちゃんかな』
『ああ、一応今までの流れ通りなら、奈々子も無事だと思うけど…』
まあ、ヨミの言う事も一理あった。あの後、三人で光の中に飛び込んだのだ。そのことは鮮明に覚えている。自分もそうやって助かったのだ。きっと、奈々子も目を覚ましているはず…だと思う、多分。
臨時休校はしばらくの間続くので、今日も祈とヨミは留守番をしていた。まあ休校の間に出された課題はほとんど終わらせたし、迂闊にお出かけも出来ないから正直暇だった。
『あ、そうだ…。今なら奈々子ちゃんと連絡とれるかな? さすがに、起きてるよね?』
『そうね、確認はとった方がいいかも』
祈は早速スマホを取り出し、メッセージアプリに挨拶だけ打ち込んで送信した。目覚めたばかりならば、返信に数分位はかかるだろう。当然ながら、既読のマークはすぐには付かなかった。
『せめて、何か反応があれば奈々子ちゃんは無事だって分かるけど…』
『そうね。それに…』
『それに?』
『今回で、二人目の例外が出た。もうそろそろ、「アレ」が動き出しそうね』
『アレって…?』
祈が何かを聞きかけた時、スマホの着信音が鳴った。だが、この音は…メッセージアプリのものではなく、電話の着信音だった。祈は急いでスマホの画面をタップした。
「もしもし?」
「祈!? 良かった…出てくれた…」
「良かったって…こっちのセリフだよ…」
「あの、テレビ電話に変えてくれないかな?」
「え? いいけど…」
祈は少し戸惑いを見せたが、すぐに画面をテレビ電話に切り替えた。画面に奈々子の顔が映し出される。
「奈々子ちゃん、久しぶりだね」
「うん、久しぶり」
「あの…身体の調子はどう? 大丈夫?」
「えーと…今のところ何ともないよ。というか病院の先生も、私が急に起きたの、びっくりしててさ」
それからは何の取り留めもない会話が続いた。ヨミも奈々子に顔を見せ、祈の翻訳付きで会話をした。
会話を続けて実に数十分もの時間が経った時、祈は、あの話を切り出した。
「あのさ…奈々子ちゃん」
「ん? どしたの?」
「あのね…奈々子ちゃん自身の事聞きたいんだけど」
「ほうほう」
「眠っている間、変な事起こらなかった?」
これを聞いた奈々子は、しばらくの間考え込んでしまった…が、すぐに顔を上げて答えた。
「なんか…よく分かんないけど、怖い夢…見てたと思う…」
「怖い夢?」
「何ていうんだろ…でも、とにかく怖かった事だけは覚えてる」
「そう…なんだ。ああでも、気にしないで。この質問も、あんまり深い意味はないからさ」
苦し紛れの言い訳だとは思ったが、奈々子は特に何とも思わなかったらしい。だが、祈はその後の奈々子の異変に気付く。
「…アレ?」
奈々子の瞳から、大粒の涙がボロボロと流れ始めたのだ。あまりにも突然の事だったので、祈も「え、どうしたの!?」と思わず大きな声を張り上げてしまった。
「わ、分かんない。あれ? え? な、何で?」
奈々子自身も自分の身に何が起こっているのか、まだ理解が追い付いていないらしい。だいぶ混乱しているようだ。
祈も流石にこれはまずいと思い、「ごめんね、一回切るね」と伝えて、通話をやめてしまった。
『やっぱり…ちょっとは覚えているのかな』
『あの様子だと、内容まではいかないけれど感情として残っているみたいね』
『…奈々子ちゃん、生きてた』
いきなり泣き出してしまったのは驚いたが、奈々子が生きていたという事実に祈は胸をなでおろした。ああ、人が死なずに済んだ。とにかく良かったと、今はそう思う事しかできないのだ。だが、それはそれとして、一つの懸念があった。
『祈、結局どうするの』
『どうするのって?』
『真実を誰かに伝えるかどうかよ』
それを聞いた祈の口から、『あ…』と小さな声が聞こえた。考えていない訳ではないのだろうが…それでも、心中複雑な事には変わりないだろう。しばらくの間、考えに考えた祈は『ヨミさん』と声をかけた。
『どうするの?』
『…言わない』
『!! 一応聞くけど…どうして?』
祈は、一回天井を仰ぎ見てから、改めてヨミと顔を合わせた。
『これさ、警察の人に言ったとしても、「夢の中で知りました」って言わないといけないのは確かだし、それをその人たちが信じるとは思えないでしょ? それに…』
『それに?』
『奈々子ちゃんのこれからの事、台無しにしたくないんだ。望も、そんな事は願ってないよ。きっと』
望の事は…正直分からない。死人に心の内を聞くことなど不可能なのだから。だが、祈の言い分も間違っちゃあいない。祈も、昨日の夜まで真相を知らなかったのだから。そして彼女の言う通り、その事実を知った場所は夢の中の世界…。真面目な話、警察が首を縦に振るとは思えない。
『あなたがそれでいいと言うなら…いいと思うわ。変に発言すれば、もっと厄介な事になると思う』
『やっぱりそうだよね…。うん、言わない』
『…そうだ、祈。話変わるんだけど、少しいい?』
『いいよ。どうしたの?』
『夢の中の世界の事で話があるの』
それを聞いた祈は、重要性があると察して体勢を整えなおした。ヨミは祈の姿勢を見て、改めて話を進める。
『今回の奈々子の件で、恐らくだけど夢の中の世界でも大きな異変が起こる』
『異変?』
『手っ取り早く言うと、今回の事件を起こした元凶が出てくる可能性が高くなった』
祈はその一言に『えっ!?』と声を上げる。
『元凶って…この前ヨミさんが教えてくれた?』
『そうよ。そろそろ奴の事も話しておいた方がいいわね』
そして…ヨミの話が始まった。
『この事件を起こしているのは、「アイディール」。魔法の世界の存在よ』
『「アイディール」…』
『私の住んでいる魔法の世界じゃ至極厄介な存在でね…』
『厄介って具体的に言うと、どんな感じ?』
『まあ、こっちの世界で言うなら、犯罪者ってところね』
『犯罪者…!?』
ヨミは一息置いてから、更に「アイディール」の情報を伝える。
『アイディールは魔法の世界でも相当な実力者だったけど、欲に負けて、私たちの間じゃ禁忌とされている『仲間殺し』をやってのけた』
『仲間…殺し…』
『当然それに怒った上の人間が、アイディールを牢獄に入れたけど…迂闊だった。あいつはこの世界と行き来する方法をすでに構築していたのよ…』
『それって、マズい事なの?』
『ええ、かなりマズい。私たちの世界には、魔力を持つ人と魔力を持たない人が共存しているのよ。魔力を持つ者が、持たない者に危害を加えるなんて御法度。しかもそれが魔法の力自体宿っていないこの世界ともなると…』
『魔法の世界よりも…もっと酷い事になる?』
祈のこの問いに、ヨミは深刻そうな表情で『ええ』と答えた。
『今回は特例で、アイディールの殺害が許可されているから、本気でいかないとまた取り逃がす』
『殺すつもりなの?』
『そのつもりよ』
祈は鳥肌が止まらなかった。まさか…本気で殺すつもりだとは…。でも、それをしなければ…この世界自体が危ない…という事なのだろう…きっと。だが、それはそれで疑問が生まれる。
『何で…夢の世界じゃないとダメ何だろう。やっぱり、目立つから?』
『それもあるでしょうね。でも一番の目的は、力を溜め込むことかしら』
『力を溜め込むのにどうして他の人を巻き込む必要があるの?』
『それこそ、力を溜め込むのに必要な場所として、夢の世界が手っ取り早いからかもしれない』
まあこの発言を聞く限り、夢の世界で人を殺すという行為自体が、力を溜め込むことに繋がっているのだろう。いずれにしろ、もう既にこっちで死人が出ているのだ。早く対策を打たねばならないのは確かだ。
『とにかく、今夜も夢の中に行くしかないわね。夢の中がどうなっているのか確かめないと、話にならないわ』
In the Dream World...
さて夢の中。二人は目を開けると同時に、異変に気が付いた。
「牢獄の中の人たち、増えてない?」
「ええ、増えてるわ。アイディール…思った以上に行動が早いわね!!」
刹那、化け物の軍勢が二人に襲い掛かる。ヨミはいつものように、空中から重火器を取り出し、間髪入れずにぶっ放していく。火薬の香り、重火器の轟音、化け物共の断末魔、辺りを覆う血肉の臭い。もはやただの夢の中の世界ではない、脈絡を無くした悪夢の世界だった。
「祈、けがはない?」
「うん、大丈夫。なんかもう、色々慣れちゃったって感じかな」
「こんなものに慣れても、何の得もないでしょうに…」
ヨミは呆れ交じりにそう口にした。まあ、ヨミにとっては戦いなんて慣れたものだ。あちらの世界に帰った後も、日常の中で再び戦いの中に身を投じることになる。
「ねえ、ヨミさん」
「何? どうかしたの」
「ヨミさんって、元の世界に帰ったら…やっぱり戦うの?」
意外な質問だった。今まで、魔法の世界の事や、ヨミ自身の魔法使いとしての質問ばかりだったのだが…。まあ、聞かれても別に困るような事ではない。ヨミは自分の答えを出した。
「そうね。それが私の、仕事だから」
「仕事…戦うことが?」
「生きるためよ。…とは言っても、戦争とかに行くわけじゃないけどね」
「戦争じゃないなら、何のために戦っているの?」
「祈がこの前教えてくれた、ファンタジー小説あったでしょう?」
「ああ。主人公と仲間が闇の軍勢と戦う…ってやつ?」
「そう、それみたいな感じよ」
祈は、これはこれで意外な感じがして驚いていた。ヨミは現代兵器を使いこなすもんだから、てっきり死臭漂う戦場を想像していたのだが、そういう訳でもないらしい。まあそれでも、心境として少し複雑なのは変わりなかったが。
「ヨミさんの世界にも、この事件の事知ってる人いる?」
「いるも何も…私は上司に言われて、この事件の調査に来たのよ」
「上司って、そういう人いるんだ…」
祈は、魔法の世界の話を聞くのは好きだった。本当に現実離れしたものもあれば、先程の発言のような現実的な一面も見せる時がある。それが聞いていて楽しかったのだ。だが…もうそんな余裕がなくなりつつあるのは、分からないでもなかった。
「アイディールの気配、ありそう?」
「今のところ無いわね」
「昨日の奈々子ちゃんの事…気付いてないとか、そういうのってあるのかな…」
「いえ、多分それは有り得ない。あれだけの騒ぎを起こせば、アイディールも気付いているはずだし、何かしらの行動はとってくるはず」
何かしらの行動…正直言って祈には想像がつかないが、ヨミが警戒している位なのだ。今までよりも大規模な『何か』が起こるのだろう。…それこそ、先程ヨミが言っていたような、魔法の世界とこちらの世界に関わるような事かもしれない。
そうこうしているうちに、化け物の軍勢の第二陣が現れた。二人は警戒を怠っていたわけではなかったので、すぐに態勢を整えなおす。
「化け物も今まで以上に攻撃してきてるよね!?」
「ええ! アイディール…私たちの事確実に殺すつもりみたいね!!」
今日の夢は一段と長く感じる。まるで終わりが見えない。そうは言っても、まあ、ヨミは変わらず化け物を一匹残らず駆逐している。これでまた、次の軍勢が襲い掛かるまで余裕は持てるだろう。
(ヨミさんがアイディールを殺すつもりなら、アイディールも私たちを殺すつもりって…。どっちかが死ぬまで続くのかな)
早く終わらせたいと願うものの、勘弁してほしい。まあ、非力な祈自身に出来ることなんて限られているのだ。
「!? 祈!! 気を付けて!!」
突然ヨミが叫んだ…と思ったのもつかの間、祈は背後から何かに身体を掴まれ、闇の中へと引きずり込まれた。
気が付くと、祈は学校の中にいた。だが…この場所は…。
「ここって…中学校?」
間違いなかった。そして、記憶もハッキリと残っている。服装もよく見ると、中学生の時の制服だった。
(でも、どうして、なんで、この場所なの?)
「祈!!」
背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。ああ、この声は…。
「…望?」
やっぱりそうだ。あれは望だ。死んだはずの望だ。こっちに向かって走ってくる。祈は、どうすればいいのか咄嗟の判断がつかず、棒立ちのまま動くことが出来なかった。
「祈? どうかしたの?」
「あ…ううん。何でもないよ」
「そう? 何でもないならいいんだけどさ」
ああ、今は何というか。久しぶりに望と顔を合わせて会話が出来るなんて、これ以上に嬉しい事なんて、どこにあるのだろう?
「それでさー今度みんなで遊園地行くって約束したでしょ?」
「あれ、どうなったの?」
「日程とか時間が合わなくってさー。なんかもう、平日の遅い時間でもいいかなーって」
「ええ、それ大丈夫なの?」
「誰か保護者いれば大丈夫でしょ」
ああそうだ思い出した。確かこんな会話をしていた。閉演してしまう遊園地に行こうと、望が提案してくれたのだ。あの時、本当にみんなで遊園地に行けたなら、こうして望と会話することが出来るならば。
こんな夢、覚めないでいてほしい。
「!?」
瞬間、祈の頭の中に衝撃が走る。そうだ、忘れていた。ここは夢の中だ!!
「祈、どうしたの?」
「ごめん、私もう行かなくちゃ」
「行くってどこに!?」
「望、本当にごめん!!」
祈は望に背を向けて走り出した。ごめん、ごめんね。私だって本当は望に生きていてほしかった。望と一緒にいたかった。思い出だって沢山作りたかった。今なら分かる。なんであの時の夢が、遊園地だったのか。
ずっと…心のどこかで願っていたのだ。決して叶わない願いを。そして、思い出した。自身が叶えたいと願う本当の夢を。
(私の本当の夢は、世界のどこかで、役に立てる人間になること!!)
その願いを強く念じて、祈はひたすら走り続ける。
(早く、早く、この世界から出ないと!!)
学校の玄関に辿り着こうとしたとき、後ろから何かが追ってくるのに気付いた。
「うっ!?」
化け物だった。ここで祈は「しまった」と小さく吐いた。祈は対抗する手段を、持っていない。
「祈!! 伏せて!!」
何処からともなく聞こえてきたその声に、咄嗟に反応した祈は地面に這いつくばるような姿勢をとった。と同時に、ミサイルが化け物めがけて飛んでくる。化け物は反応が遅れ、頭部にミサイルが直撃した。
「ヨミさん、来てくれたんだね!」
「扉を探すのに時間かかったけど…その様子だと、怪我はないようね」
ヨミは、祈を気に掛ける一言は言ったものの、その表情はかなり曇っていた。そして、祈が立ち上がった瞬間、腕を掴んで走りだす。
「え!? ヨミさん、どうしたの!?」
「急いで外に出るわよ! かなりマズい事になっているから!!」
何がなんだかよく分からなかったが、ヨミのこの表情と口調をみる限り、確かにマズい事になっているのだろう。
二人は、眼前の光の中へと飛び込んだ。