五日目 ー真実と、現実とー
月野美希の死亡を受けて、学校はしばらくの間閉鎖されることとなった。というのも理由は単純で、原因が分からないからである。あの夢の騒動はあらゆる場所で、更に無差別的に起こっていた。
未知のウイルスによる感染症か?集団自殺か?いやいや、もっと他の理由があるだろう。まあ、いずれにしろ、ありとあらゆる論争が繰り広げられている中生徒を危険にさらす訳にもいかないだろう。まあそういう配慮あってのこの閉鎖だ。文句は言いたくても言えない。
『ヨミさん、何だか申し訳ないわ…こんな事になるなんて』
夢原先生は祈とヨミの二人を呼び出し、これからの対応についての話をした。非常事態となってしまったのだ。それなりに対策は立てておいてしかるべきだろう。
『いいえ、お気になさらず。これは…誰も悪くない事なので』
ヨミはそう言ってはいたが、その表情は非常に険しかった。祈はその理由は何となく察していた。学校に行く道の途中でヨミから聞かされたのだ。恐らく、この事件には黒幕が存在していると。まあ、今までの話の中でも特にぶっ飛んでいたため、さすがの祈も理解が追い付いていなかったのだが…。
『とりあえず、さっき話した事で以上よ。祈さん、お願いできる?』
『はい、大丈夫です』
『よし、他に何か質問はある?』
夢原先生の、この問いかけにヨミが『はい』と言って手を挙げた。夢原先生がそれに気づいた後、ヨミはそのまま続けてこう言った。
『ごめんなさい。ここからの話は、夢原先生と二人きりでしたいんです』
『二人だけで?』
『ええ、そう。だから、祈には悪いけれど…二人きりにさせてくれる?』
『うん、大丈夫だよ』
『話はすぐに終わらせるわ』
ヨミがそう言った後、祈はすぐに教室から出て行った。足音がするので、この教室からある程度距離をとっているのだろう。足音が聞こえなくなってきた時、ヨミは夢原先生に尋ねた。
『そろそろ、本当の事を教えてくれませんか』
開口一番いきなりのこの質問に、夢原先生の顔が若干引きつった。
『…どうしたの、急に』
『とぼけないでください。あなた、祈に何かしたでしょう?』
ヨミのこの一言で、夢原先生の表情がもう一度変わった。ヨミはこの変化で確信を得る。あとは、目の前の彼女がどんな反応をするかどうかだったが…。
夢原先生は小さくため息をついた後、微笑んだ。
『…随分と、勘が良いようね。あなた』
『祈と、夢の中の世界で初めて会った時、魔力を持たないはずの彼女から、微かに魔力の気配がしたんです。でも、それだけじゃあ足りない。あなたを特定するには』
『それで?』
『…あなたと会った時に、異様なほどの魔力を感じた。それも、祈から感じた魔力と全く同じもの。まあ、この時点であなたがこの世界の住人ではないとは確定したんですが』
ヨミはやや粗くなった息を整えて、改めて夢原先生に向き直る。
『夢原先生、あなた一体何者なんですか?どうして祈を巻き込んだんですか』
夢原先生の口が開かれ、そこから放たれた真実に、ヨミは言葉を失った。
(嘘でしょ…まさか、夢原先生は…いや、この女は…!!)
時間が経ち、ヨミは廊下で待たせてしまった祈と合流した。
『ヨミさん…なんか顔色が優れないみたいだけど、大丈夫?』
『え、ええ。大丈夫』
『何もなかったなら別にいいんだけど。家に戻りましょう?』
ヨミは頷いて、祈の後を付いていった。夢原先生の話が引っかかり、頭の中をフル回転させていた。
ただ一つ言えるのは、夢原先生は、敵ではないということである。
二人は特に寄り道もしなかったため、すぐに家に着いた。祈の母は仕事に出ていたので、家では二人だけだった。祈は紅茶のパックを取り出してカップに淹れる。
『…これ以上犠牲が増えたらいよいよもってマズいわね』
『今日の朝のニュースも、あの夢の話ばっかりだよ』
『それも原因不明、詳細不明の怪事件って言われているわね』
『まあ、原因が夢の中の世界だなんて誰も信じないよね、普通は』
カップの中の紅茶はそれほど減ってはいなかった。もっと言うと、お茶菓子もだ。ただひたすら、時が過ぎていくだけである。
二人でしばらくぼうっとしていた時、外から声がすることに気が付いた。どうやらこの休みの時間を利用して外出しようと考える人たちがいるらしい。
『大丈夫…なのかな。何かの感染症の可能性だってありそうなのに…』
祈の懸念を聞いたヨミは、『確かにね』と呆れ混じりの声を発した。なぜだろう、その発言をした時のヨミの表情も簡単に想像できてしまう。
『まあ、臨時休校の間は大人しくしておいた方がいいね。お昼ご飯も、お母さんが用意してくれたみたいだから、それ食べよう』
『そうね』
祈が冷蔵庫の中身を見ようとしたとき、祈のスマホの着信音が鳴った。発信者は、優香だった。祈は迷いなくメッセージを開く。だが…メッセージの内容を見た祈の口から「えっ?」という小さな声が漏れた。
『祈、どうしたの?』
『優香ちゃんから、メッセージが届いたんだけど、その…』
『何か問題でも?』
祈は、優香から届いたメッセージを英語に翻訳して伝えた。ヨミは、『は!?』という素っ頓狂な声をあげた。メッセージの内容は…。
『奈々子さんと連絡が取れない』
さて、この後二人は必死こいて奈々子とメッセージアプリなり通話なりを利用して、何とか連絡をとろうとしたが、どんな方法にしても奈々子からは文字一つの反応すらなかった。優香に事情を改めて聞いたが、どうやら何度連絡をとろうとしても、返信どころか既読すらつかないらしい。
祈は、知っている。奈々子は連絡が来たならば、すぐにでも返信をする人物だと。既読スルーなど滅多にしない人物だと。湧き上がる嫌な予感で、祈の顔面は真っ蒼になっていく。
『よ、ヨミさん、これって…』
『まさかだとは思うけれど…可能性はあるわね』
『ヨミさん、さっきあんな事言っちゃったけど、お昼ご飯食べた後、奈々子ちゃんの家に行ってみよう?』
『そうね。百聞は一見に如かずって言うし…実際に何が起こっているのか、見た方が理解が早いかもしれないわね』
昼食後、祈は母にメッセージを送って、ヨミと共に奈々子の家に向かった。祈の家とは反対側にあるので、しばらく歩かなければならないのは確かだったが。早歩きで道をどんどん進んでいくと、祈が、『あっ、もうすぐだよ』と声をあげる。
数分後、奈々子の家に着き、チャイムを鳴らした。しかし…誰も出てこない。確か、奈々子の家には両親の他にも、奈々子の祖母がいたはずだ。
『誰も、いないの?』
『そうみたいだね…やっぱり、気のせい?』
収穫なしか…と思っていたその時、「あら、祈ちゃん?」という声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。声のした方を見ると、老婦人の姿が見えた。その姿は間違いなく奈々子の祖母だった。だが、若干様子が変だったが。
「あ、こんにちは。あの…奈々子ちゃんに会いに来たんです」
「ああ、奈々子ちゃんに…あの子は今、その…病院にいるのよ…」
「え!?」
ふと、ヨミの頭の上にはてなマークが浮かび上がっているだろうと気づいた祈は、先ほどの会話を翻訳して伝えた。案の定、ヨミは『嘘』と言ったきり開いた口を塞ぐことは無かった。
奈々子の祖母から聞いた話は次の通りだ。奈々子はいつも、決まった時間に二度寝することもなく、起きて家族の元に行くのだという。例えその日が休日だとしても。だが、今朝に至っては違った。いつまで経っても奈々子が起きてこなかったのだ。異変に気がついた奈々子の母が様子を見に行ったところ、眠り続ける奈々子の姿があった。起こすために、様々な手段を用いたらしいが、起きる気配は微塵もない。そしてふと、あの事件を思い出した…。
話を聞いた二人は、これで確信を得る。奈々子は、夢の中に囚われていると。
In the Dream World...
「奈々子ちゃん…大丈夫かな」
「昨日の今日で死ぬとはとても思えない。それに…」
「それに?」
「日にちが経っていないなら、助かる可能性は高いと思うわ」
夢の中の世界、奈々子のいる夢の中の扉を目指しながら二人はひたすら走り続けた。まあその間も、化け物共の猛攻は止まらなかったので、ヨミはひたすら重火器を出しまくっていた。
扉へ向かう途中、ヨミが教えてくれた。月野美希を救えなかったのは、恐らく、夢への依存度の問題ではなかったのではないかと思う、と。ヨミの立てた仮説は、夢の世界を作り出した元凶が、対象の中にある、『本人が最も執着している記憶』に基づく空間を作り出し、本人にとって都合のいい幻想を、夢として見せているのではないか、というものだった。
「それが当たっていたとして…目的はなんなの?」
「分からない。本人に聞いてみるしか今のところは知る術はないでしょうね」
悠長に話しているように見えるが、実際はヨミが何十個もの手榴弾を魔法で飛ばし、化け物を駆逐しながら、祈と会話をしている。祈はもうこんな現場は慣れてしまった。火薬の匂いも、化け物の無残に変わり果てた残骸も。
走り続けて時間がだいぶ経った頃。先頭を走っていたヨミが突然止まった。彼女の目の前には、一つの扉があった。
「この先に奈々子ちゃんが?」
「ええ、間違いなくこの先にいる」
行きましょう。そう言って、ヨミは扉を開けた。あの時と違って、先が見えない位真っ暗だった。ヨミが一歩踏み出すと、何が起こるというわけでもなかった。あの時のように真っ逆さまに落ちるわけではないらしい。祈も一歩踏み出した。
一歩進んだとき、空間を包んでいた闇が一気に晴れていく。そして、目の前に広がる景色に、祈は言葉を失った。
「嘘でしょ…」
「祈? どうしたの?」
「ここ…望が事故に遭った場所…」
「え!?」
間違いなかった。この景色…嫌というほど鮮明に覚えている。心なしか、血の匂いが漂ってきたような感じもする…。いや、それよりも。
「なんで、この場所なの…?」
ヨミの言っていたことが正しいならば、奈々子はこの場所、厳密にいうならば『ここであった出来事』に何らかの執着を持っていることになる。
「奈々子ちゃん、どこかにいるのかな」
「そうだと思うわ。でも…ピンポイントでこの場所って…まさか、奈々子が執着しているものは…」
その時だ、二人は横断歩道の上に人影があることに気付いた。直立したまま微動だにしない。しかも、あの姿はどう見ても…。
「なっ、奈々子ちゃん!?」
「待って、まさか、彼女」
ヨミが何かを言いかけたとき、横断歩道の向こう側から轟音が響いてくるのに二人は気付いた。聞き覚えがある。この音は…大型トラック?
「マズい!!」
ヨミが前に出て、猛スピードで突っ込んでくるトラックに向けてバズーカを発射する。トラックは大爆発を起こして大破した。祈は、しばらくの間その場から動けなくなってしまっていたが、我を取り戻した後、その場でポカンと立ち尽くす奈々子の元へ駆け寄った。
「奈々子ちゃん!!」
祈は奈々子に呼び掛けたが、どうも様子がおかしい。奈々子は何かをブツブツとつぶやいている。
「…んで…した…」
「え?」
声が小さすぎてよく聞き取れなかった…と思ったのもつかの間。奈々子は目をカッと見開き突然怒鳴り散らしてきたのだ。
「何で私の邪魔したの!?」
あまりの剣幕に、祈だけでなくヨミも数歩後ずさる。奈々子の目は血走っており、人一人殺せるのではないのかという位の雰囲気を纏わせていた。
(じゃ、邪魔って何? どういう事…)
頭の中が混乱して、考えの収集がつかなくなってしまっていた。邪魔って、まさか。このシチュエーションで考えられることなんて、限られている。
考えようとしたその時、祈の意識が飛んだ。その場で倒れた祈はピクリとも動かなくなり、目を覚ますこともなかった。突然の事だったが故に、ヨミは祈の身体を必死に受け止めることしかできなかった。だが…ヨミは、決して隙を見せるような女ではない。
「うぐっ!?」
「ごめんなさい。しばらくそこで我慢していて」
ヨミは、その場から逃げようとした奈々子を魔法で拘束した後、祈の様子を見る。どれだけ声をかけようが、返答はなかった。
祈は、気が付くと暗い空間の中でたった一人取り残されていた。辺りを見回しているうちに、次第に明るくなっていく。ここは…小さな映画館だった。
(な、何で? 何で私こんな所にいるの?)
訳が分からず、その場から立ち上がろうとしたが、金縛りにあったかのように動けない。一番真ん中の席に座ったままの状態になっていた。どうにもできないと思っていた時、ブザーの音が空間内に鳴り響く。そして…スクリーンにハッキリと映像が映った。
体育館の映像だった。部活動だろうか。様々な生徒が活動している。祈が確認できたのは、バスケ部とバレーボール部だった。しかし映像がすぐに切り替わり、映し出されたのはバスケ部の活動…だったのだが。
「ねえ、ふざけないでよ」
「ふざけてるって誰が?」
「アンタしかいないでしょうが望!!」
誰かが言い争いを繰り広げている場面だった。不機嫌な様子で罵声を浴びせられているのは、妹の望だった。だが、様々な暴言を人目もはばからず発しているのは、祈にとって意外過ぎる人物だった。
(え、奈々子ちゃん…!?)
そんな、どうして。祈の頭の中には無数の疑問符が浮かび上がる。中学生の頃、自分自身と望、奈々子と優香の四人でよく行動していたのに。喧嘩をするような素振りなんて、あの時は無かったはずなのに。
内容を聞くに、どうやらゲーム中の望のプレイについて奈々子がいちゃもんを付けたことから始まったらしい。しかし二人の言い争いはどんどんとヒートアップしていく。そしてその内容も、もはやバスケとは関係なくなってしまっていた。
周りの他の部員や顧問が必死になって二人を止めていたが、頭に血が上っているのだろうか、望と奈々子は全く聞く様子はない。そして…とうとう部活を中止せざるを得なくなってしまった。
(嘘…じゃあ、あの時話していたのって…これの事?)
帰り道もひどく気まずい状況だった。何せ途中まで帰り道は同じなのだから。画面越しでも空気がひりついているのが分かる。見ているこっちも気分が悪くなっていた。
そして…場面はあの場所に切り替わる。
(望が…事故に遭った場所…!)
望と奈々子の二人が、横断歩道を渡っていく。と、次の瞬間。
奈々子が、望を道路のど真ん中に突き飛ばした。
(え?)
そして、ああ、何と無情な事か。猛スピードで突っ込んでくる自動車に、望の身体は跳ね飛ばされた。
祈の意識は、そこで再び暗転した。
「…っ!! 祈!!」
意識が戻った時、先程までいた空間だと気づいた。目の前にはヨミと、拘束された奈々子がいる。
「奈々子ちゃん…」
ぼうっとした表情で小さく呟く祈に、ヨミは何となくだが嫌な予感を覚えていた。祈の視線は、奈々子の方へと注がれている。
しばらくして、祈は静かに立ち上がり、奈々子の元へと歩み寄る。何故だろう、ヨミは祈から何とも言えない『気』のようなものを感じていた。奈々子の目の前で立ち止まると、祈はスウッと深呼吸して、口を開いた。
「現実に戻ろう、奈々子ちゃん」
奈々子はギョッとした表情で祈を見る。ヨミは何が何だか分からずただ茫然とすることしか出来なかった。
「奈々子ちゃん、全部見たよ。あの時、望と奈々子ちゃんの間で何が起こっていたのかも、…望がどうして死んだのかも」
奈々子の顔が、どんどん蒼ざめていく。これでヨミは、何が起こっているのか何となく察した。恐らく、奈々子が『望の事故死』に関わっているのだろうと。
「望は、奈々子ちゃんが死ぬことは願ってもないし望んでもいないと思う。あの時はカッとなっただけで、きっと、望も自分に非があるってことは十分わかっている」
息を整え、祈は更に話を続ける。
「ここで奈々子ちゃんが死んだら、何もできなくなるよ。昔のことは…変えられないけど。でも、これからどうにかしたいって考えるなら、死んじゃあ意味ないよ」
静寂が辺りを包んでいる。この場にいる三人は、しばらくの間喋りもしなければ動きもしなかった。だが何かを決心した祈は、ヨミと視線を合わせた。
「ヨミさん、奈々子ちゃんを現実の世界に連れていくことって、できる?」
「ええ、もちろん。でも…大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「あの、事故の事。あなたの中で整理はついたの?」
祈は考える素振りを見せたが、それもすぐに終わった。
「…私も、誰かが死ぬことなんて望んでないし、奈々子ちゃんの事、恨むつもりもないから」
ヨミは、祈の言い分を理解し、奈々子にかけていた魔法を解く。気づくともう、朝の光が空間内に差し込んでいた。