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妄想論

選ぶ人探す人

作者: とびうお君

 以前からだけどランキングの特性を知らないでないものねだりの不満ってのがすごく多い。読者が悪い作者が悪いとかそんな話になるが、ランキングこれじゃこうなるとしか言えない。特に多い不満が代わり映えしない同じものばかりで飽きただろう。これこそがまさになろうのようなランキングの特性そのもので、熱いって不満に対して夏は熱いから仕方ないって話と変わらない。


 なろう全体で思考があまり入らない刺激が上位に来るようになっている。それは大衆的な多数派はそういったものを選ぶ傾向があるからになる。ならその流れだから仕方ないのか?なら私はエッセイにおける作品への言及はちょっと違うなとみている。微妙にどっちにもぶれるようなバランスがある。


 どっちというのは、やや知的な刺激に溢れるものがそれなりに上に来れる。ただ根本的にはなろう全体の流れと同様だと思う。そういったバランスが成立してるので私ははっきり言えば感情論が嫌いだ。私は創作において思考よりも感情が重視されるのは問題だとは思ってないし、特に多数派が選ぶものはそういうものだととらえている。


 作品への言及は虚構じゃないんだ。真実答え法則を知るためのもので、ないものねだりから生じる不満の共感なんて理屈への知的刺激が全くない感情によって思考を捻じ曲げた感情論だとみていて、同様の価値で選ばれるべきじゃないと思ってる。だから強く批判的な姿勢で今回書いている。


 そんなの昔からじゃないとなるが、私はそうは見てない。今のなろうはつまらない、そんな事はないだろうって意見も同様にわんさか出ていた。その流れが消えてしまったのは何故か?おそらくアニメ化だろう。私の立場は擁護ではない。つまらないには同意できても、だからってどうにもならないから意味がないと思ってるんだ。


 2つの意味のなさがある。先ほど書いたように創作における大衆人気は知的なものがあまり票を集めないって事になる。1つの不満はこれがあるし、これが過去からずっと言われてる。最近の不満はこれとはまた違う。アホなのはそれでいいが、アホさの中でも変化がないので飽きるとなる点になる。


 そもそも知的なものを求める人たちあきらめてくれた。アニメではそういった批判のためのスケープゴートになろう作品はなりやすいが、さすがに小説の方は下火になってきてる。前からあったが、飽きるってのがそれらよりも増えてきてる。飽きる事とその原因がタイプの似たものが氾濫して創造力の低下が感じられるなどになる。


 でも、だからってどうにもならないじゃない?となる。もちろん飽きたを表明するのはいいだろう。だが、そんなものがあふれかえってたら、その言及のワンパターンさに私も飽き飽きしてるんだ。それを私は仕方ないことに対するないものねだりの不満の共感による感情論だと言ってるんだ。理屈っぽい無意味な愚痴と言えばわかりやすいだろう。


 もう1つの意味のなさになる。全員参加による多数派が押し上げるランキングでは創造的作品はあまり生まれないと私は考えてるんだ。解決策としては、いつものように何らかの条件を作ってそれによってえらばれた人間が選択するランキングを別に作るべき。すなわち種数精鋭ランキングになる。


 これじゃまたかよとなるから、私もワンパターンを何度も書くつもりはない。解決策より何故無意味なのか?を触れてみたい。探す事と選ぶことが等価の関係になってないのが問題の原因じゃないか?とみている。どうやってランキングを上がってくるのか?というとランキングにはない作品を読んでいる人がいるからだ。


 これが探す行為になる。ランキングを押し上げる選ぶ人たちはそれを様々な作品に対してやってるか?というと、そうではない。それは一部の人だけの行動になる。ランキングの順位を決定づけてる人たちは自分であまり熱心に探さない。上がってきたものを読みその結果がランキングの結果になっている。


 それ意味がないのでは?うーんと読んだ結果つまらないと思ったらはじくので必ずしも上がってきた作品がそのまま残るわけじゃない。その点では意味がないわけじゃない。ただ探す人の後追いの結果になりやすいのは確かだとみている。このはじく行為を無視すれば、あと残るのは確率こそがもっとも需要なキーだと思う。


 上がってきた作品の何分の1しか長期にわたる維持はできないとなる。そもそもその前から存在した作品が新規の作品が上がってくるのを邪魔するわけで、その前から存在した作品が再度読まれる事が弾く時の必然的な差と確率的な部分の正体になる。


 探す人と選ぶ人は同等の数になるのが理想形になる。これが選ぶ人が圧倒的に多いと新奇な作品のランキングに占める割合は低下する。同じものばかりが残ってしまい、それによって飽きてしまう人が発生する。それはだがこのタイプの無条件による全員参加のランキングでは必然的に起きてしまうどうにもならない現象になる。


 じゃ数を減らすのが良いことなのか?というとそうではない。大きな集団から条件をつけてそこを通ってくるように数を絞ることで探す人の割合をたかめるような条件をつけるのが重要なんだ。このタイプのランキングでは何度やってもどこへいっても最後は停滞する。


 ただ私が言いたいのは今のランキングシステムを否定することじゃない。タイプの違うランキングを作らないといけないだけなんだ。2つは互いに補いあう関係になる。一見価値がなさそうだが、選ぶ人と探す人の乖離が少ないのは選ぶ人が多くならないとだめだからだ。じゃ同等の作品はどんな問題があるんだ?というと多分多数派にとって面白くない。


 新しさに溢れた作品は多数派にとって面白くないと私は言ってしまう。以前から私が書いてるように面白いって言葉は扱いにくい。好みが一番だが、好みとは言えない部分でも面白さは違うと思っている。面白いというのは均一な集団の中でしか共通性が言語だと思ってる。なんらかのこの間をつなぐ翻訳が必要になる。


 私はそれを主にやってるつもりなのだが、その私からしても面白いという言葉はとても扱いにくい。


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