第三者から見えるもの(ニルス王子視点)
私は去って行った二人を追う事もせず、いつもの中庭で佇んでいた。
深く長く溜息を吐いて、考える。
止めどなく涙を流していたローザミア嬢と、彼女を追う際、私に人を殺せそうなほどの鋭い視線を向けたアドリ。
遠目からは、銀の髪の令嬢を抱擁する少女。という一枚の絵画のような光景。私には逢引きにしか見えず戸惑ったが実際は違ったようで。
ピアス型の魔道具に触れる。
「ローザミア嬢をアドリが追っている。遠くから様子を見ておけ」
信頼する部下であるランバートにそう通信を入れる。向こうはただ一言肯を返しただけだったが、たったそれだけでランバートの焦りが伝わってくる。
奴は誰よりも彼女を想っているから。
今回の一件はやきもきして仕様がなかっただろう。しかしこれも仕事、しばし我慢してもらうしかない。
本来ならここで三人輪になって、軽食をつつきながら他愛のない話に花を咲かせていた頃だろうか。仕事とはいえ中々有意義で満たされた時間だったのも事実。
ただ、邪魔者がいなければ、だが。しかしその邪魔者を監視するのが仕事なのだ。
向こうは我々を邪魔者だと思っていたようだが。
しかし解せないのはローザミア嬢が泣いていた理由だ。
個人的な事かとも思うが、あのアドリの態度から私――我々が関わっていると見て間違いない。
皆と昼休みの件について話をした時、それぞれ満更でもなく楽しんでいた様子を語る中、ランバートだけが浮かない顔だったのを気にかけた事があった。
『俺はどうやら彼女に嫌われているらしいので』
そう辛そうに言ったのだ。その事が関係していると思うのだが。
魔道具越しに部下の声を聞いた私は、急ぎ中庭を出る。
そろそろ決着をつけようではないか。
学長に交渉して、使われていない教室で第三王子――私と部下たち三人は、二人の令嬢を取り囲む。
一人は椅子に座りつつも魔術の鎖で両手足を拘束され、一人はその異様な光景に眉をひそめながら戸惑い私たちを見ている。
拘束された方は――すでに諦めの顔をしているように見える。
「殿下……一体何をしているのです……彼女を、アドリさんを、こんな……」
一度アドリにかけられている魔術の拘束を解こうとしたローザミア嬢を『命令』として制した。書状を見せ、れっきとした王命である事を伝えると、ローザミア嬢は泣き腫らした目を見開いた。
最初にその痛々しい彼女を見た部下たちは息を呑んだが、その件はこれが終わってからだ。そう視線で伝えると、奴らはしぶしぶ拘束されたアドリへ向き直る。
「さて、何か言いたい事はあるかな? ドリアス王子」
そうはっきりと名を告げてやれば、無表情であるアドリとは裏腹に一番驚いていたのはローザミア嬢であった。
口元を両手で隠し、私とアドリを交互に見る。
観念したアドリ――いや、ドリアスは気怠そうに溜息を吐いた。
「別に逃げも隠れも抵抗もしないから、これ解いてよ」
ドリアスのその要望を聞いて、術士であるコルトの目はフードの下から私を窺う。私は頷いた。
コルトはパチンと指を鳴らし、地面に吸い込まれるように彼を縛っていた鎖を消す。それに合わせてドリアスも術を解いた。
みるみる変わる姿に、ローザミア嬢は目が離せないようだ。
とうとう全容が見えた。
少女アドリの面影を残しながらもしっかりと青年の姿でその場に残ったのは。
「あなたは、隣国の……」
さすが優等生で知識が多い『オークソンの氷華』。名前と姿だけでそうであるとすぐに理解できる生徒はそういない。
「ローザミア嬢。すまない、あんたを騙すつもりはなかったんだ」
彼は本当に申し訳なさそうに自身を見下ろす令嬢に謝罪した。しばらく放心していた彼女だったがすぐに首を振る。
「いいえ……何か、事情がおありだったのでしょう。私は騙されたなどとは思っておりません」
私は、短い間に積み重ねた親しさを醸し出す二人の空気を感じ、ちらりと騎士を見る。見たくない光景だろうがしばし辛抱してくれよ。と、そんな思いで。
「学園に入る前、ひとつの情報がもたらされた」
隣国の王子がひとり、潜入してくる、と。
「もちろん眉唾ではあったが用心に越した事はない。王命を使い名簿を全て調べ、一番怪しいのはただ一人の庶民枠の生徒であると私は考えた」
椅子に座ったまま腕と脚を組んで不遜な態度のドリアスは、口の片端を上げ笑った。
「そんなあからさまに目立つ位置にいるわけがないと思わなかったのか?」
最初は私もそう考えたが、注視しておいて損はない。
隣国とは未だ冷戦状態。年々交流があり徐々にだが関係も軟化してきたが、それでも。わざわざ身分を隠した王族が潜入するという聞き捨てならない情報に、何もしない訳にはいかなかった。
「実際当たっただろう」
私も負けじと笑って見返すと、彼も笑みを消さずに真正面から私を挑発的な視線で射抜いた。
「自信あったんだがなぁ……あえて目立ってやればそこに要人がいるとは思えないってな」
あっけらかんと言ってのける彼を見れば、事情はあれど最悪の展開にはならないと踏んだ。内側から反乱を煽ったり、機密情報を得ようとしたりなどだ。
学園内で一番それらが漏れる可能性のある生徒を私が指揮し、アドリという女子生徒を囲うふりをして見張らせたのもそれを危惧しての事であった。
しかしランバートを始め、魔術師のコルトや宰相の次男であるブロウは、愛らしい平民に惑わされる事はなかった。私の杞憂は杞憂で終わったわけだが。
その代わり、規格外の存在の乱入があったのは幸か不幸か。
彼女、ローザミア・オークソンは正論を引っさげ、我々に怖気づく事なくアドリを庇い、論破した。私たちにとっても不自然な状況を誤魔化すためのいい転機になったのは間違いない。
ただ、彼女が果たしてアドリの正体を知っているのかどうかは想像の余地があった。友人だと言った二人は既に親しい仲であるのかも知れない。
まさかの所から中核を狙われたと思うと同時に、ローザミア嬢をずっと見ていた部下の事も気がかりであった。
まるで男の理想を形作ったような都合のいいアドリと接して、これは男であると確信を抱く。
そんな隣国の王子とローザミア嬢を二人きりにさせる訳にはいかないのと、彼の見張りのため、我々は一人ずつでも傍に置いてくれるよう二人に頼み込んだ。
もちろん、型破りなアドリを好いている事を言わないが前提として。
オークソンの氷華、ローザミア嬢は社交界に広がる噂に首を傾げたくなるほどの存在だった。
確かに一見冷たいような風貌の近寄りがたい美人だが、平民のアドリに偉ぶる事なく始終気遣いを見せていた。表情は変わらないまでもその目は優しさに溢れていたのだ。
アドリ以外にも、本来なら目を向ける事のない階級の生徒たちにも気遣いを忘れない、そんな女子生徒。更に彼女からアドリに対して「くだらない貴族の柵」という言葉が出た事も大きかった。
私は、ローザミア嬢はアドリの正体を知らないのだと思っていた。
ランバートから話はずっと聞いていた我々は所謂惚れた欲目だろうと思っていたが、直接関わりを持つ内に彼の評は間違っていない事に気付いたのだ。
しかしどこかで何かが狂ったのか、ランバートに対する彼女の反応はいまひとつのようだ。それどころか嫌われている、と落ち込む部下に私は首を捻るのだ。
こうして全員集まったのは最初のあの日以来だが、真っ直ぐに我々を見てアドリを庇ったローザミア嬢はここにはいない。
泣き腫らした目元に下がった眉。ドリアスに気遣わしげなのは相変わらずだが、やはり彼女は王子の正体を知らなかった。
そんな彼女は私に対してはしっかりと目線を合わせて話をするものの、ランバートの方は一向に見ようとすらしない。これは、嫌われているというよりは――。
私はひとつの予想を形作る。
ランバートだけに態度が違い、アドリに慰められ泣いていた。この事からもしや、と。
「王子には任意同行して貰うとして。まだ問題が残っているな?」
そう言ってローザミア嬢を見ると、彼女は改めて我々を見回した。不安そうな表情は変わらず、しかし先程よりは顔色が戻ってきている。
「殿下方はアドリさんをただ見張っていただけだと……本当にそれだけなのですか?」
それぞれが頷く。当然だ。男だと分かっている相手に想いを寄せるはずがない。そうでなくとも『アドリ』に異性として惹かれる事はないだろう。
「では、私を牽制して遠ざけようとした、のは……」
彼女は恐る恐るランバートを見た。
私はようやく事態を悟った。まったく、頭が痛い。敵意を隠そうともしないドリアスはランバートを睨みあげる。
「ランバート。彼女に何を言った? 本当は教えたくはないが、ローザミア嬢が泣いていたのはお前のせいだ」
まさか、という表情で青ざめた騎士は辛そうに下唇を噛んだ。
「もういいのです。ランバート様が私を嫌悪している訳ではない事はよくわかりました……ですから」
「それなら、俺があんたを貰ってもいい?」
椅子から立ち上がらず彼女の手を取ったドリアスは、笑いながらも不安そうにそう窺う。彼の中ではすでに負け戦なのだろうがな。
「俺がこの国に潜入したのは、内情をこの目で見るのと……友好のための婚姻相手を探すため」
唖然とするローザミア嬢本人を差し置いて。
「ローザミアを架け橋にしようっての?」
「オークソンの氷華は我が国の宝。そう易々とお隣に渡すわけにはいきませんよ」
すかさず反論したのはコルトとブロウ。
ブロウなどは最初、ローザミア嬢は王子と通じていると疑ってすらいたのに、この有様である。実際彼女と接して考えが軟化するのは私自身経験済みだが。
「それがお互いの国のためになるのなら、私は」
「ああ……違う違う。これは国とは関係ない俺個人の願いだ」
この王子、律儀なところもあるのだな、と妙に感心した。このまま誤魔化して隣国の王子の顔をしていれば彼女が手に入ったかもしれないのに。
彼にしてみれば真に欲しいのは彼女の心なのかもしれないが。
「残念だったなドリアス。どうやらローザミア嬢は他の誰かに懸想しているようだ」
私が意地悪く笑うと、彼は片眉を上げて同じように笑った。
「俺としても心が痛んだよ。俺の監視のために君らが見張りについているせいで彼女が勘違いしたんだから」
部下たち三人、いや、何となく事情を呑み込めたのはコルトとブロウのみ。ランバートは態度に出ないまでも腑に落ちないような辛そうな顔をしていた。
私はそんな騎士に体ごと向く。
「ランバート。彼女に何と言って『牽制』した?」
私は別に責めるつもりで聞いたのではない。ただの事実確認だ。実際、自分の顔が緩んでいるのが分かるのだから。
「……これ以上アドリに近づくな、と……」
いつも堂々と胸を張っているランバートらしからぬ小声で、しかし確かにその言葉はここにいる全員の耳に入った。
俯くローザミア嬢とは裏腹に、私も、二人も、そしてドリアスも。
呆れたようにランバートを見る。
「ねえ、君馬鹿なの?」
真っ先に罵倒したのはコルトだ。私は何と言うか、苦笑して何も言えなくなる。
「アドリが何を企んでいるのか定かではなかっただろう。だから……!」
ローザミア嬢が巻き込まれないよう遠ざけた。そう切実に行動したのだろう。
いや、彼女を想う一人の男として多少なりとも嫉妬が含まれていたのには違いない。気持ちはわかる。だが。
「……少女の取り巻きだと思っている男にそう言われて、好意と受け取る人間はいません」
眼鏡の縁を指で押し上げながらブロウも溜息混じりにそう言う。その通り。
いかに自分が前提を取っ払った台詞を吐いたのかを理解した騎士。哀れなほどに顔面蒼白だった。
「ローザミア嬢……! あれは違う! 決して貴女を邪険にした訳でもアドリを庇ったわけでもなく……っ!」
「ええ、アドリさんの正体が分かった今、あなたの言葉の本当の意味に至ったわ。勝手に勘違いして……ごめんなさい」
氷のように冷たく美しい令嬢は、しかし困ったように泣き腫らした目で微笑む。手で触れたら些細な熱で溶け消えてしまいそうな、もしくは容易に砕けてしまう薄氷のような。そんな脆さが見える。
誤解が解けようが、彼女が一時でも傷を負ったという事実は消えない。同様に、嫌われていると思い込んでいたランバートも、また。
しかしもう後は大丈夫だろうと、私はドリアスを見下ろした。
「さて、ドリアス王子。王の御前まで任意同行願おうか」
「仕方ないな。言っとくけど、例え自白術をかけられても俺からは何も出ないぞ」
分かっている。彼は第六王子――恐らく切られ役だ。
頷いて、ブロウを先頭にドリアス、コルト、そして殿を私が勤め部屋を出る。
「二人は居残り。何故ここまで拗れたのか、よーく話し合う事。私からの宿題だ」
そう笑って、戸惑う二人を置き去りに私たちは完全に退室する。
いやあ、我ながらいい仕事した。母上に小遣い弾んでもらおう。