理不尽な世界?
『ローザミア・オークソン』は悪役令嬢である。
私は物心ついた頃から、自身に備わっていたこの世界についての知識からそう結論づけた。恐らくこの記憶は、今の私ではない『前世』に生きていた私が培ってきたものなのだ。
この世界は創作小説の舞台であり、私はいつか現れる主人公の少女に対しての悪役。挿絵で存在を主張してやまない『ローザミア』の濃いお化粧は今のところないけれども。
吊り上がった目尻。まるで蛇のようにうねりながら、しかし一本一本は糸よりもずっと細い、銀の髪。無意識に相手を委縮させてしまうような覇気。
たかだか十ばかりの娘である私は、姿見鏡の前で溜息を吐いた。まだ幼い子供であるのに、この悪女感。将来が不安にならないわけがなかった。
だって、私は知っている。
小説の中の『ローザミア』という人は、その気の強さや自尊心の高さ、孤高の美しさ故、周りから孤立していく。
しかし私は首を傾げざるを得ない。『ローザミア』は貴族として当たり前の事をただ主人公たちに説いていただけ。少々言葉端は厳しかったのかもしれないけれど、高圧的に振る舞う威厳を見せなければならない立場あってこその、当然の態度に思えたからだ。
その小説が読まれる世界の常識で見れば、高飛車で我儘、典型的な悪役像なのかも知れない。
真っ直ぐで純粋な主人公を引き立てる、理想的な舞台装置。
それでも私は思い出したばかりの頃、自分の常識がずれているのかと両親や家庭教師に質問した事がある。
社交の場で庶民の少女が地位の高い者たちに無遠慮に接して、それを他の高位の者が偉そうに説いたら、そちらのほうが悪者になり糾弾されるのか? と。正真正銘、『社交の場』だ。
口を揃えて、そんな非常識な事はそうあるものではない。そう言った両親たち。
私の目から見ても両親も先生もまともな神経を持っていると思う。そんな彼らが長く生きているこの世界の常識と、貴族の娘としての自分の常識がずれていない事に安堵したものだ。
そして万が一の事を憂い、私は味方を増やす事に尽力した。
まずは屋敷の者たち。幸い父がよく出来た人だったので、使用人たちは癖はあるもののいい人たちばかり。物語の登場人物の背景にありがちな、仄暗い過去を思わせる家庭環境にはならない家族関係。両親も、弟とも仲が良いオークソン家。
小説の『ローザミア』は国外追放されるが、その後のオークソン家の描写は無かったように思う。所詮脇役、行く末の詳細などどうでもいいという事なのだろうか。
でも、私を始め両親、使用人たちはしっかりこの世界に生きている。『何もない』という事にはならない。
それに、普通に考えて――貴族の令嬢が単独国外追放などという処罰は謎だ。実質死刑宣告ではないか。
その事もあり、人脈の他、更に勉強も頑張った。いざという時のために勉学は職を得るための武器になるから。ここ数十年で女性が手に職を持ち、自立する事が美徳とされ始めている。
例えば家庭教師。まだ幼い子女たちが安心できるように、同性の教師を宛がう親が増えているのだとか。
例えば魔道具開発。軍事関係だけじゃなく、生活の利便性のために所謂、主婦の知恵から生まれた魔道具などが増えている。それらの開発には全て女性が関わっているのだ。
知識を得て世間を知れば。私でも、例え国外に放りやられても、何とか生きていけるのではないかと思ったのだ。
小説のエピローグで『ローザミア』は、まるで思い出したかのような描写でその後を語られる。反省して、主人公たちに許してもらいめでたしめでたし。という結末に、幼い私は訳がわからない、とむしろ呆れた。
私は決意を固める。
もしそんな理不尽な事になろうものなら、むしろこちらが許さない。と。絶対に、主人公の与り知らぬ所で幸せになってやると。
ところで、『ローザミア』を糾弾する人物の中に私が心惹かれる人がいる。幼い頃からの、要は初恋、になるんだろうか。
もちろん小説の中で知っている、というだけだからまだ直接は会った事はない。彼は騎士であり、物語が進むと主人公に人として惹かれ恋をするように。
最終的に主人公に剣を捧げるに至るが、彼は基本不器用で口下手。目立って悪辣ではないが、主人公と主である殿下を思い泥をかぶる事も厭わない人。
主人公の少女目線で描かれる物語であるから、自ら少女になったような錯覚になって騎士を始め様々な男性に好意を寄せられ浮き立つけど、私は『ローザミア』なのだ。物心ついた頃から想い焦がれてきた騎士に目を向けられないどころか、嫌悪を抱かれる可能性すらある。
その事に思い至った時は、胸が張り裂けそうでひとり枕を濡らす日々が続いたものだ。
両親や使用人たちは恐らく気付いていて、それでいながら私を気遣いながらも理由を聞かないでくれた。
主人公や登場人物たちを徹底的に避ける。という選択肢もあったけど、私はそれでも小説内の『ローザミア』が間違っていたとは思いたくなくて、敢えてその通りに行動しようと決めた。
間違っている事は間違っていると胸を張って宣言できる人間であろうと。
奇しくもそれは主人公と同じ行動であるのに、どうしてあんなにも真逆に捉えられてしまうのだろう。私も、あんな目に遭うのだろうか。主人公の味方すべてに悪女と詰られるのだろうか――。
蝶よ花よと育てられ、十三歳の時。社交へと羽ばたいた私は、やらかす。
初めて見る大勢の人、煌びやかな会場に興奮して。
そして、焦がれ続けた騎士の記憶よりもずっと幼いその姿を見た時。舞い上がり踊り出しそうな気分を抑えるべく平常心を心がけていた結果――覇気を放つ威圧をまとった齢十三の令嬢が出来上がってしまったのだ――。
私がその事を知ったのはその後、学園に通う前。十五歳の時。
使用人たちに私は世間ではそのような評価だと言われて笑われた時である。私はどちらかと言えばうじうじとした内向的な人間。彼女らは普段の私を知っているが故にこうして笑い話にできるけど、私は途方に暮れた。
確かに記憶の中にある『ローザミア』のように、何かあれば毅然と振る舞おうとは思っていたけど、何もなければ目立たず、出来るならひっそりと彼の騎士を見ていようと決めていたのに。
初期の立ち位置がすでに――最悪。
とうとう、私は小説の主な舞台となる学園へ。
全寮制なので頻繁に生家へ帰省する事はできない。若干心細くなりながら入学式に出席した時、見知った知らない少女が目に入る。肩の上で揃えられたふわっとした亜麻色の髪。
主人公だ。
そう気付いた時、私は急激に不安に押しつぶされた。もしかして彼女は現れないのではないかと、どこか期待していたところもあったから。
そんな私の不安を煽るように、魔術特待生である主人公のアドリは奔放に活発に行動した。
彼女に眉をひそめるご令嬢もちらほらいたようだけど、まだ私は許容範囲内であると傍観している。平等が謳われる学園内であるとは言え、あまりな言動であった小説内ほどに酷い様相ではなかったからだ。私は少し安堵した。
しかし彼女の行動が斬新で新鮮に映ったであろう高官子息たちは、徐々に主人公アドリへと傾いていくようで――。
その中に、もちろんあの人もいた。庇護すべき大切なものを見るような目をして。
私はその光景を見る事すら放棄して、一人、誰もいない中庭の片隅で落ち込む日々が続いた。見たくない。でも、このまま度が過ぎるようなら。
私は見て見ぬ振りはしたくない。
しかし皮肉にも。鬱々とした私の気晴らしになったのも――件の少女であった。