5
自分だけが映る鏡を見たくなくて、見えないように胸元に当てる。一段と淋しさが増したような気がするけど、それは気のせいではない。話せず会えないのと、話せるけど会えないのとでは……やっぱり違うなあ。
「っ……クロウ?」
前から包むように抱き締められる。それに驚いたけれど、それよりも涙腺がじわりと緩む。
「あったかいね……本当に、あったかい」
クロウは何も言わずただただ私を優しく抱き締めてくれて、その優しさに思わず声をあげて泣きそうになった。
「俺が隠しとくから泣いても大丈夫だよ。あとペンタスもいるしさ、他の人たちには伝わらないよ。俺たちも言わないから」
「ピィ」
「二人共ありがとう……ふ、クロウの声色が初めて会ったときみたい」
「うん。今はこっちのほうがいいかなって」
「ありがとうね、クロウ」
「どういたしまして」
ぽんぽんと背中を叩くクロウの手が心地よくて、クロウに目を閉じてくっつく。すると聴こえてくる、心臓の音。トクトクトクと一定のリズムに淋しさが少し落ち着く。
「クロウのおかけで少し淋しいのが落ち着いた。本当にありがとう」
離れてクロウを見上げる。するとクロウはじっと私を見つめ微笑んだ。そしてクロウは「それじゃあフォールマを呼びに行こう、お姫様」と言った。それに笑顔で頷き返事をする。あとお母さんに会えたときに泣いたから、持っていたハンカチで目元を拭く。
「フォールマに会ったら先に話をして……」
「どんな話だ?」
「え? あ、フォールマ。今あなたを呼びに行こうとしてたところなんだけど、時間とか大丈夫?」
「大丈夫だが……」
じっと私の顔を見るフォールマが何か言いかけてやめたのに気づく。たぶん泣いたことに気づいたんだと思うけれど、何も聞かないでいてくれる優しさに心の中でお礼を伝える。
「あの、行き来の件でお願いしたいことがあって」
私はそう話を始め、今起こったことも含め全てのことを話す。話が終わるとフォールマは「その想いの花弁の魔法を使うとしたら難航するかもしれない」と難しい顔で言った。
「ああ、そっか。団長は魔法が使えないね。お姫様のことを想う気持ちが強くても、それを形作れるだけの魔力がない」
「あれ? でもシーヴァさん魔法使ってたと思うんだけど」
「あれは魔力がない人間でも魔法が使えるように、服や装飾品に魔力が込めてあるんだ。あとは魔法石だな」
「だから団長は何かを生み出すような魔法は使えないんだよ」
二人の説明にただただ頷く私。
団長さんが使っていたあの綺麗な魔法は、魔法石や魔力が込められている服や装飾品があってのものだったんだ。ああ、でも違うかもしれない。団長さんが使うから、あの綺麗な魔法になってるんだろう。
団長さんが使っていた魔法を思い出しながらそう思う。
「だからもしその方法にするのならシヴィのことは考えよう」
「そうだね。団長なしは違うし、方法は探せばあるはず」
「うん」
「とりあえずユーリたちと合流して話をしようか」
フォールマの言葉に頷き、ユーリの研究室へと向かう。そして着くと、みんな既に集まってくれていた。どうやら私たちが最後だったみたいだ。
そうして私はさっきあったことと方法について話す。するとみんな方法については賛成してくれたけれど、団長さんの魔力がないことについてどうにかしようという話になった。
「……」
みんな賛成してくれた、と言ったけど……たぶん団長さんだけは違ったと思う。団長さんだけが何かを言いかけて、私から目を逸らし口を閉じたから。たぶん何か言いたいことがあったのだと思う。
こっそり団長さんを盗み見るけれど、みんなが話す内容に団長さんは肯定の返事をしたり案を出したりしている。その姿を見ると気のせいだったのかもとは思う。だけどなんというか、こう、ね。何かが引っ掛かっているのだ。
内心うんうんと悩みながらも、私はみんなの話をしっかり聞き返事をする。
「あ、もうこんな時間なんだ」
ユーリのその言葉に私たちは時計を見る。時刻は零時に近い。どうやら真夜中近くまで話していたらしい。そう長い間話し合いをしていたけれど、遅い時間になったので今日はお開きになった。
みんなにお礼を伝え、それぞれ研究室から出ていくのを見送る。
「ユーリ、ありがとう」
「どういたしまして。雪さん、行き来できるように頑張ろうね。それで雪さんの家族に安心してもらおう」
「うん。本当にありがとう。ユーリがいてくれて、みんながいてくれる。それがとても心強いよ」
ユーリは笑って「雪さんの支えになれてるなら嬉しい」と言った。
「それじゃあ雪さん、おやすみなさい。ゆっくり休んでね」
「うん。おやすみなさい。ユーリもゆっくり休んでね」
笑顔で手を振って部屋から出ると、少し離れたところで壁に背を預ける団長さんがいた。
「シーヴァさん?」
私が呼ぶと団長さんはゆっくりと私を見つめ、それからこちら側へ歩いてくる。
「遅い時間ですので部屋まで送ります」
「え……あ、ありがとうございます」
お礼を伝え横に並んで私の部屋に向かうために歩く。
確かに遅い時間ではあるけれど、ここはお城の中だから危険なことはないと思う。まあ、外から狙われたりしたら危ないけども。それでも、団長さんが部屋まで送ってくれるほどのことではないはずだ。
そう思ったけど、私は団長さんに聞きたいことがある。聞いていいのかわからない。だけど、どうしても聞いたほうがいいような気がするのだ。
そう思って口を開きかけた瞬間、右腕を強い力で引かれ背中が壁に打ち付けられる。そして剣の切っ先が首近くでとまるーー。
「シー、ヴァさん……?」
戸惑いながら団長さんを呼ぶ。いつもなら何か言葉が返ってくる。けれど返ってきたのは鋭い眼差しだけ。
ーー困惑していた脳内が急激に緊張感を持つ。
私は団長さんの真意を探るように、団長さんをじっと見つめる。
「っ……!」
団長さんの瞳の奥、そこに強い何かが見えた。
それは光にも見えたし、炎にも見えた。
それは強く揺るがないと、私に思わせる。
「あなたは、死ぬ。誰かのために、譲れない何かのために……あなたは死ぬ」
「……」
「これから先の道は誰かが繋いでくれたものではない。未確定で不安定なものだ。だから」
今ここで私が、殺すーー。
耳に届いた音が私の中で響く。
殺す、と言った。
団長さんが私を、だ。
鋭い眼差しはそのままに、団長さんは声色だけを和らげる。
「できるだけ痛みがないようにします」
切っ先が首に触れる。
この剣が引かれれば、たちまち大量に出血するだろう。そして死へと急速に向かい、世界は暗転する。
わかっている。このままでは死ぬと。だけど、どうしてか恐ろしさはない。
じっと団長さんを見つめ、気配で動きを理解しようと私の全てが集中する。
「どうして……」
団長さんの瞳が、揺れた。それでも私はただ団長さんを見続ける。
「どうして抵抗しない! どうして恐れない! どうして目を逸らさない! どうして、どうして……」
「団長さんのことを怖いと思えなかったので」
「っ……」
ぐっと団長さんは何かを耐えるような表情をして剣をゆっくりと私の首から離し鞘へと納めた。
「どうか私を恐れ、怖いと思ってください。私はあなたを殺すと剣を向けたのですから」
そう言った団長さんの声は震えていた。
その姿や声、言葉を聞いて……私は確信した。団長さんは私のために私に剣を向けた、と。だから私は直感的に団長さんを怖いと思わなかった。
「……」
それに何より初めて団長さんと二人で話したあの日、団長さんは命と魂をかけて私を守ってくれると言ってくれた。そして必ず元の世界へ私を帰すと言ってくれたのだから。私が団長さんを怖いと思うはずがないのだ。
私はどこまでも穏やかで、笑みを浮かべながら言葉を発する。
「シーヴァさん。私はどんな状況でも、シーヴァさんを怖いと思うことはないです」
「どんな状況でも、ですか」
「はい。だってシーヴァ・ウォルフは私を裏切らない」
「っ……!」
「あなたは、私の矛であり盾です」
「っ、そうですよ。私はあなたの矛であり盾です。ですが私はあなたを守れない……あなたは私に守らせてくれない。それどころか危険だとわかっていても構わず歩いて行ってしまう。今まではそれでもよかった。この世界がそうなるようあなたを導き続けていたのだから。けれどこれから先はそうではない。数えきれないほどの危険がある。その全てからとは言わない。それでも、私に守らせてほしい。あなたが私を、あなたの矛であり盾だと仰ってくださるのなら……私をずっとあなたのそばにいさせてください。私を、ちゃんと使ってください」
「シーヴァさん……」
「それができないと仰られるのであれば、あなたがいるべき世界へ帰ってください。私は、あなたを失いたくない。どこかで生きていてくれるのなら、それが一番なのです」
「……ごめんなさい」
「それは何への謝罪ですか」
「シーヴァさんの気持ちを考えなかったこと。無鉄砲に進んだこと。何よりあなたを追い詰め、この選択をさせてしまったこと」
「謝罪は不要です。私はあなたに謝ってほしいわけではないのですから。ただあなたに生きていてほしいだけです」
「シーヴァさん、っ……」
言葉を返そうとしたけれどアメリアさんとエミリオが私の異変に気づいてこちらに向かってきているのを感じて、慌てて心の中でリーヤとスターチスにアメリアさんとエミリオのことをお願いする。そして一呼吸して団長さんに視線を戻す。
「私のそばにずっと、ということに関してはいろいろと問題があるのでそこは追々一緒に考えましょう。でも今の私の素直な気持ちとしては……シーヴァさん?」
私が話している最中に突然団長さんの顔が赤く色づき始める。それはもう赤く。真っ赤に。
心配になるくらい顔を赤くさせた団長さんに私は動揺してしまう。反射のような感じで団長さんへと手を伸ばしかけたところで、団長さんが口を開いた。
「申し訳ありません! 決してお風呂などにも、という意味ではなかったのです!」
「あ、はい……ん? え、ああ! 違います違います! いろいろ問題がというのは、シーヴァさんが団長という立場があるので私とずっとは難しいかもしれないという話で! お風呂とかのことを言っていたわけじゃなくてですね! あ、いやでも確かにお風呂とかもずっとだと困りますね!」
団長さんの言葉に返事をした私だけど、遅れて意味を理解した私は驚きや照れがやってきて早口に言い切ってしまった。
二人してわたわたしている。ここは冷静に。私が冷静になろう。うん。
「とりあえず今の全部こっちに置いておきます。それで私が言いたかったのは、私もシーヴァさんにそばにいてほしいってことです」
先ほどよりは引いたけれどまだ顔が赤いシーヴァさんは目を見開き、それから私をじっと見つめた。
「今までの私は『救世主だから』とか『私が行くべきだ』って思って動いていたんです。でも救世主として喚ばれた人たちを元の軸や世界に送り届けて、私の救世主としての役目は終えたと思います。それでも今この世界を変化させた私にはやりたいことがあります。義務でも、誰かに命令されたわけでもありません。私が、私としてやりたいこと。その上で私だけが知らない恐怖や痛みや苦しみがある。そういうものを感じているとき、ただそばにいてほしいと思います。それだけで救われる。だからシーヴァさんがそばにいてくれたら、とても心強いです」
「……っ、恐怖は無理かもしれません! ですがあなたに痛みや苦しみがないよう、できる限りのことをいたします。そして必ずあなたのそばにいます」
私は団長さんに笑顔で「お願いします」と伝える。すると団長さんは佇まいを直した。
「先ほどあなたに剣を向けた無礼をどうかお許しください」
私は無礼だと思っていなかったし、怒ってもいなかった。だけどちゃんとしてくれている。それなら私も、ちゃんと返事をするべきだ。
「シーヴァ・ウォルフ。私はあなたの行いを許します」
「感謝いたします」
そうしてこの件についての話は終え、私を部屋まで送り届けてくれた団長さんに「ありがとうございます。おやすみなさい」と伝え別れた。そして部屋へ入ろうとした瞬間「雪月様ー」と間延びした声が聞こえた。それは間違いなくアメリアさんのもので、一番最初に会ったときの話し方だ。
「なんでしょうか」
振り返ってびっくり。とびっきり美しい笑みを浮かべるアメリアさんの背後に何かいるような幻覚を見る。
え、なんだかとっても怒っていらっしゃるような気がする。
「お怪我はありませんよねー」
「はい、ありません!」
「よかったですー」
ズモモッとした何かがアメリアさんの背後で動いたような、動いていないような。これは空気なのか、それとも背後に何かいるのか。いてもいなくてもアメリアさんが怒っているのは間違いないだろう。
「雪月様。私は雪月様には怒っておりません。この怒りはウォルフに対してです」
スッと目が据わるアメリアさん。美人の怒り顔怖い。迫力ある。
「アメリアさん。シーヴァさんは私のためにやったことで、私は気にしていないので大丈夫ですよ」
「今は、ですよね。無いに越したことはありませんがもしも雪月様に何かがあり、ふとこの件を思い出し雪月様が疑心暗鬼に囚われたとしましょう。その結果、雪月様が望まぬ未来を選んでしまうかもしれない。そのようなことがないよう努め仕えるのが我々の務めです」
「……でも」
「雪月様のお心もわかります。ですが仕える主に、己の願いを通すため剣を向けるなどあってはならないのですよ」
「……」
「仕える我々は雪月様にとって本当に必要なときに、その剣を振るうのです。無いとは思いますが、ウォルフが今回のことで剣を向ければ己の願いが通ると覚えてしまったら事です。ですから雪月様。あとで罰は受けますので、ウォルフへの忠言をお許しください」
「アメリアさんに罰を与えるようなことではありません。私の考えが甘かったのが原因ですから、私がシーヴァさんに伝えます」
「それはなりません。雪月様は一度ウォルフに許しを与えています。それを覆すようなこともまたあってはなりません。私が行います」
「……ありがとうございます。それからお願いします」
「はい」
私も考え方を改めなければ。今までと同じではいけない。
「アメリアさん。私自身至らないことが多々ありますので、アメリアさんにご教授願うことやご迷惑をおかけすることがあると思います。そのときはお手数をおかけしますがよろしくお願いします」
アメリアさんは柔らかく微笑んで了承してくれた。そして「遅くに引き留めてしまい申し訳ありません。ゆっくりお休みください」と言って、私もそれに返事をして部屋に入った。
ふっと体の力が抜けるけれど、とりあえずシャワーだけでもと思い手早く済ませる。そしてお布団を敷き雪崩れ込む勢いで潜り目を閉じて、世界は暗転した。




