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「彼女は自身がどうなるのかを知っていた。そしてその話を彼女から聞いていた私も、知っていたのだ」


「っ……」


 何か言おうと口を開くけれど、どの言葉も音にはならず空気だけが唇に触れる。


「ここは、彼女が別の軸の冬夜雪月と話した内容を元に建てたのだ。いつか来る君に、安らぎと休息をと。だが私はそのことを君に黙っていた」


 おばあちゃんの家を思い出したり懐かしいと思うのは、別の軸の私がひなたさんのお姉さんと話をしたから。そしてひなたさんのお姉さんはそれを覚えていてくれて形にして残してくれた。


 もし、もし私がここに喚ばれた最初のほうでこのことを知っていたら……きっと必死になっていない。ぬるま湯のような心地よさに全てを任せて楽をしようとする。それでなくてもたくさんの人たちに助けてもらっている。だから私は危険なことがないに等しい状況でここまで来られた。


 私が通ってきた道の全てが、たくさんの人が頑張って繋いでくれたものだ。


 不安そうな表情の女の子は私と陛下を交互に見ている。私は、私をまっすぐ見つめる陛下へと視線を移す。


 陛下の瞳に、悪意がない。つまりそれは恨みや憎しみで黙っていたわけではないということ。きっと陛下も私を守ってくれていた。


 私は、本当に恵まれている。


「陛下。私に伝えずにいてくださったこと、感謝いたします」


「……礼を言われるようなことではない。私の勝手で黙っていただけなのだから」


「それなら私が陛下に感謝しているので伝えただけです。だって、このことを知っていたらここまで必死になることはありませんでしたから。ですから、陛下。ありがとうございます」


「……わかった。君の感謝の心を受け取ろう。私も君に感謝を伝えたい」


「え? 先ほどいただきましたよ」


「それは彼女のことだけだ。アメリアとエミリオのこと、そして世界のことに関してはまだ伝えていない」


「っ、いえいえいえいえそれこそ必要のないことだと思います! アメリアさんたちに助けてもらいましたし、この世界に関してはいろいろ拗れた結果で、だから、その……とにかく感謝の言葉はいりません!」


「ああ、私が救われたことへの感謝もだな」


 私の言葉は聞こえていないかのように足される言葉に、ぐぬとなんとも言えない顔になってしまう。そして頑なに譲ろうとはしてくれない気配を察知したので、小さく息を吐いて半ばやけくそで返事をする。


「どういたしましてです!」


 返事を聞いた陛下は満足そうに笑い、女の子もまたにんまりと可愛らしい笑みを浮かべた。


「あ、ゆづき! わたしのなまえはヒナギク! あのゆづきがわたしにくれたなまえなの! なかよくしてね!」


「はい。ヒナギク、よろしくお願いします」


「んふふ。ゆづき、これあげる」


「鍵?」


「あのこがゆづきにって。わたしにはどこのかぎなのかはわからないけど、ゆづきならわかるっていってたよ」


「私ならわかる……」


 鍵を握り締め意識を集中させる。何か見えたり聴こえたりするかと思ったけれど、反応はない。そもそも意識を集中させる方法が合っているとも限らないのだ。


「ゆづき。そのときがきたらわかるよ。だってゆづきにひつようなものだから」


「え?」


「ゆづき、だいじょうぶ。いまはきにしなくていいの」


 ヒナギクの意味深な言葉が気になるけれど、恐らく訊いても答えは返ってこない。だからわかるときが来るのを待とう。


 そう思っていると、突然世界がぐにゃりと歪み体が傾く。


「っ……!」


「神となり、その力を奮ったのだ。今の君は限界だろう」


 咄嗟に私の背に腕を回し支えてくれた陛下はそう言った。


「ありがとうございます。助かりました」


「礼はよい。配慮が足らずすまなかった」


「謝らないでください。自分のことなのに限界に気づいていなかった私にも落ち度はあるので」


「……休んだほうがいい。彼女が寝室も用意していた。今から連れていくから安心しなさい」


 そう言って陛下は私を軽々と持ち上げ横抱きする。


 あまりにも自然と持ち上げられたので驚いてしまう。それと同時に一国の王に何をさせてしまっているんだという気持ちと、陛下の体が私の重さに耐えられるのかという気持ちが走ってくる。


「下手に動くと危ないからそのまま体を預けていなさい。大丈夫だ。ちゃんと連れていく」


 気遣ってくれているのがわかってありがたい気持ちになる。だからうだうだ考えるのはやめてお礼を伝える。


「ありがとうございます。それからお願いします」


「ゆづき! ゆっくりやすんでね!」


「はい」


「オレイアス、ゆづきをおねがいね。わたし、せかいをみてくるから」


「わかった。気をつけていくのだぞ」


「はあい」


 ヒナギクは宙へと浮き、私の頭を撫でるとふわっと姿を消した。そして陛下は歩き出し襖の前で立ち止まる。


「すまない。襖を開けてもらえるか」


「はい! もちろんです」


 申し訳なさそうというか、気まずそうに言われた私は頷く。そりゃあ私を抱えたまま襖を開けるのは無理だろう。まあ、足で開けられなくはないけれどそれはそれでどうかとも思うし。


 私は腕を伸ばし、そいやっと襖を開ける。力が思ったより入ってしまったが、今の私たちが通るにはちょうどいいくらいの隙間だ。


 思ったよりも限界なのかもしれない。いつもより力が出ていない。


「ありがとう。助かった」


 陛下の柔らかな笑みが私の記憶を掬い上げる。


『ゆづ、ありがとう。助かったよ』


 お父さんを思い出す。温かで優しく、そして……世界で一番大好きなお父さんを。


 じんわりと涙が溢れてくる。それを誤魔化すように目を閉じて、手で顔を覆う。


「そのまま寝てしまいなさい。君のことは伝えておく」


「ありがとうございます……」


 陛下の言葉に甘えて、心地のよい速度と揺れに身を任せ夢の中へと歩き出す。



    ***



「ゆづきちゃん」


 女性の声で名前を呼ばれ目を開けると、そこは陛下と話した部屋だった。


「ゆづきちゃん、はじめまして。私は碧月(そら)。碧月ひなたの姉です」


「はじめまして。あの、ここは記憶の中ですか」


「記憶だけれど、少し違うの。ゆづきちゃんが来てくれたタイミングで私は変わる。だってゆづきちゃんと会話したいからね。そしてそれを夢として見てもらえるように設定しておいたの。見てもらえるときに私はいないから」


 人懐っこい笑みを浮かべる天さんは、私の右手を握りそっと引いた。


「雪月が繋いでくれたここは私が知っている世界によく似ていた。けれど生活してみるとやっぱり違うの。どこがとは言えないくらい似ているのに、違和感が消えない。不思議な感覚だったわ。一番の不思議はね、ゆづきちゃんがいるはずなのにいなかったこと」


「え?」


「私がここへ来たときにゆづきちゃんがいるはずだったの。でもいなかった。もしかすると雪月が何かしたのかもしれないわ。終わらせるのは、この軸の冬夜雪月なのだと雪月は言っていたから」


「……別の軸の私はすごいですね」


「そうね。すごい人だと思う。探究心旺盛で、知るためならどんな道も突き進んでいくような人。だから雪月が自分に一番似ていると言っていたゆづきちゃんもそういう人なんだって思っていたの。だけどちょっと違うわね。あなたは譲れないもののために進む。雪月と同じくらい危うい」


「……」


「だから私も一緒に進むことにしたの。雪月と進んで、そして離れて歩いて……最後にゆづきちゃんに繋ぐ」


 握られた手にほんの僅かに力が込められる。


「ひなたを救ってくれてありがとう」


「こちらこそありがとうございます。たくさん助けてもらいました」


「お役に立てたみたいでよかったわ。あとね、アメリアとエミリオのことを受け入れてくれてありがとう。あなたのおかげであのこたちは生きられる」


「あの、どうして二人を救世主の力にしたんですか」


「神の子の兄がアメリアとエミリオを道連れにしようとしたからよ。そして本来の世界も異世界の血が混じっているから排除されても問題ないと判断していた。それに気づいたから、誰にも奪わせないために力にしたの。だってあのこたちは幸せになるのだから……でもあのこたちを力にする際に、神の子の兄の邪魔が入り私が死ぬところを見せてしまった。きっと本当の私は合わせる顔がないと会いに行かないでしょうね」


「陛下……オレイアス様には会いに行かれたみたいです。願いとお別れの言葉、それから最後の愛をもらったと言っていました」


「そう」


 柔らかな笑みの奥に淋しさの色が見えた。私は何も言えず、優しく引かれる手をそのままに歩く。


「後悔していないの。私は許された時間の全てを使って全力でオレイアスを愛して、アメリアとエミリオを愛した……そして今も愛してる」


 気づくと、とある部屋の前にいた。そして中へと入り天さんは壁にかけてある飾りに触れ模様を変えていく。すると隠し扉が現れた。


「ゆづきちゃんのために造ったのだけど、一部屋だけオレイアスたちに残したの。ゆづきちゃん、お願いします。オレイアス、アメリアとエミリオにこの部屋のことを伝えてください。飾りの仕掛けはオレイアスが解けるから」


「はい。必ず伝えます」


「ありがとう」


 花が咲いたように笑った天さんは最後に私の両手を握り「ゆづきちゃんの選択全てに幸多からんことを」と言って花弁が舞うように消えた。


「……ん」


「すまない。起こしてしまったか」


 背中には柔らかな感触があって、恐らく部屋に着いて私を寝かせようとしてくれたのだとわかる。


「ありがとうございます」


「よい。ゆっくり休みなさい」


 そう言って陛下は立ち上がりそうになったので、私は腕を伸ばし陛下の袖を引っ張る。


「っ、どうした」


「一部屋、陛下とアメリアさんとエミリオに残したことを伝えてほしいと……天さんからお願いされました」


「っ……!」


「さっきお話しした部屋から出て、右に六つ行った部屋です。壁に飾りの仕掛けがありますが、陛下が解けると言っていました」


「そうか。中はどうだった」


「見ていません。だって、その部屋は天さんが陛下たちに残した部屋ですから」


「……」


「陛下。部屋に行ってください。きっと優しい音が聴こえますよ。さっきその部屋の前に立ったとき聴こえましたから」


 陛下は私の手を優しく掴み袖から手を離す。そして布団の上へ戻された。


「陛下……」


「そのように不安そうな顔をするな。アメリアとエミリオを連れて部屋に行く。私一人では意味がないだろう」


「ありがとうございます」


「……もう寝なさい。起きたら忙しくなるだろうからな」


 返事をしようとしたけれど、意識が遠くへ行ってふわふわした感覚だったからちゃんと声になっていたか不安だ。だけどぼやけた視界で陛下の微笑みが見えたからちゃんと返事できていたと信じよう。

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