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「よし……っ!」
「もういいのか?」
「っ、はい……あの、近くないですか?」
「どこかだ? 普通だろ」
なぜだか私が間違ってるみたいな雰囲気で言ってきたんだけど、私間違ってないと思うよ。だって少し手を伸ばしただけで触れてしまえる距離だもの。その距離を近いと言わずしてなんと言う。それにギルベルト・フライクは私のことを気に入らないんだから、そんなに近くにいて嫌悪感とかないのか。
そう思いながらじっとギルベルト・フライクを見つめると、彼は訳がわからないといった様子で首を傾げていた。
頭を抱えたくなるけどぐっと押さえて、ギルベルト・フライクから距離を取る。
「なんで離れた?」
「距離が近いからです。あとこのくらい離れているのが今の私たちに必要な距離ですよ」
「はあ?」
「なんでちょっと不服そうなんですか。あなた私のこと嫌いでしょう。さっきのは嫌いな人間に対する距離感ではなかったですよ。あれは仲がいい人間の距離感です」
「お前は俺のことを嫌いではないだろ。それならあの距離でも許されるはずだ」
何か言おうと思ったけど「はい?」という言葉しか出てこなかったので静かに口を閉じる。
え、あの、気のせいでなければ私に対するギルベルト・フライクの心の距離がすごく縮まっていないか。気のせいかな。いいや、気のせいではない気がする。でもどこで心の距離が縮まるようなことがありましたか。私にはわかりません。それから心の距離だけではなかったですね。物理的な距離も近かったです。はい。
「おい。その表情はなんだ」
「え? 困惑している表情ですよ」
「なんで困惑するんだ? 困惑する必要ないだろ」
「いいえ。あなたが困惑するようなことを言ったから、こういう表情になっているんですよ」
「意味がわからない。それを言うなら俺はお前の存在に困惑する」
「えー……それは申し訳ないです」
言われたことの意味はわかっていないけど、とりあえず頭を下げる。するとギルベルト・フライクはため息にも似た息を吐いた。
「お前が考え込んでる間、俺もお前について考えた。まず最初に会ったときからだが、お前は神の子を畏れない。どちらかと言えば友好的で信頼されているように感じる。そしてそれは間違いないだろう。ではなぜそういう感情を向けられているのかと考えて、答えは呆気なく見つかった」
「……」
「お前は俺と話しているときに答えとなる言葉を言っていたのだから」
「あの、ちょっと待ってください。私、そんなに言ってました……?」
「おい、あえて言っていたわけじゃなく自覚なしか。それならもっと緊張感や危機感を持ったほうがいいぞ」
「あなたの仰る通りです……」
「お前そんなんでよくこの世界を知るために来たとか言えたな。相手が相手だったら死んでるぞ」
言葉がぐさぐさと刺さるけど、その通りすぎて異議もなければ反論の言葉も出てこない。まあ、する気もないのだけど。
「それで話の続きだが、お前は今のわたしたち《・・・・・・・》の距離と言った。今の、ということは別の俺を知っているということだろ。いつの俺を知ってるんだ?」
そう問いかけられて、口をきゅっ閉じる。
言ってもいいのだろうか。あ、でももうギルベルト・フライクは確信している。だから下手に隠して事を複雑にするより、ある程度は本当のことを伝えたほうがいい。
私は小さく頷いて、ギルベルト・フライクを見る。
「未来のあなたを知っています」
「未来、か」
「はい」
「お前はその未来から、会いたい人間のためにここへ来たと」
「はい」
ギルベルト・フライクはじっと私を見つめ、そして静かに頷いた。
「俺が怖いか?」
「いいえ」
「そうか。未来の俺はどんなやつだ」
「えーと……」
これは素直に言い過ぎてはいけない感じだよね。詳しく言い過ぎると未来が変わってしまう可能性があるし。
「悩むくらいのやつなのか」
「いいえ。どこまで言っていいのかなあって考えていました。あまり詳しく言い過ぎると駄目だと思いますし、でも一言で言い表すとありきたりなことになってしまうのでどうしようかと」
「別にありきたりでも気にしない。俺はお前の口から未来の俺がどういうやつなのかが知りたいだけだ」
「それじゃあ本当にありきたりな言葉ですけど、優しい人ですよ」
「へえ、優しいのか。今の俺とは真逆だな」
「へ? 今のあなたも優しいと思いますよ」
「はあ!?」
鼓膜を破るかもしれないくらいの大きな声で発せられたその音に時間差で耳を塞ぐ。ギルベルト・フライクは驚きと照れが混ざったような表情をしていた。
「あ、でも今のあなたのほうが表情が豊かかもしれません」
「は、いや、はあ? お前、何を言ってるんだ?」
「思ったことをそのまま言葉にしただけなのですが、何か問題ありました?」
「っ、ない!」
一瞬だけ言葉が詰まったような素振りを見せてから、大きな声で否定される。ギルベルト・フライクのその姿がなんだか幼い子のように見えて、思わずにっこりとしてしまう。
「そうですか。それならよかったです」
「なんで笑ってるんだ」
「あなたが可愛いなあと思いまして」
「……あー、はいはい。俺は可愛いな。可愛い可愛い」
「その言い方をするということは私に呆れましたか?」
「いいや。諦めただけだ。お前の言動に全て反応していたら切りがないことに気づいたからな」
「なるほど。賢いですね」
私がそう言うと眉間に皺を寄せて「お前は思ったことをそのまま言葉に出すな」と言われた。
***
用事を終えたクロウが私を探して来てくれたらしく合流した。そして私とギルベルト・フライクを交互に見てからなんとも表現しづらい表情を浮かべた。その表情を見て何かを察知したらしいギルベルト・フライクがクロウに近づき、何やらひそひそし始めたのは数分前のことだ。その間ずっと景色を見たり、彼らを見たりしている。
「それでギルベルト。彼女と何があったのですか」
「別に」
「彼女、恐ろしいくらい笑顔ですよ」
「気にするな」
因みにひそひそとなされる会話は、私の耳にちゃんと届いている。
会話する二人の様子を見ていると……なぜだか、こう、わしゃわしゃとしたくなる。そう思うのはきっとギルベルト・フライクと話をしたからだと思う。
一番最初に会ったときはガラの悪いギルベルト・フライクだなあと思ったけど、話していくうちになぜだか微笑ましい感情を抱いた。まあ、それを言ったら怒られるだろうけど。そしていろいろと考えた結果、私が知る未来のギルベルト・フライクは今の彼より落ち着きというか余裕があることに気づいた。当たり前かもしれないけど、今目の前にいる彼から未来の彼へと成長しているのだろう。成長過程を見ることはできないけど今の彼と未来の彼を知る私は、言いようもない気持ちが湧いてきてにっこりとしてしまう。
「ギルベルト。本当に何があったのですか」
「何もなかった。あいつの顔は見るな。見ても気にするな。俺に聞かれても困る」
私を盗み見るようにそっと振り返る二人。その表情は心なしか少しひきつっているように思う。だけど気にせず私はにっこりとさらに笑みを深め返した。
まだ……まだ、知らないことだらけ。でもこうして知っている人たちのことを少しでも知ることができるのは、私の知る未来に繋がっていくのに必要なことなのだと思った。




