6
「クロウさん。もしかして今のは駄目な雰囲気のお返事でしたか?」
「大丈夫だと思いますよ」
「そうですか。よかった……」
そっと開いたページを撫でて、指先に伝わる温かさに口元が緩む。
「痛かったら教えてね」
ふわふわと風が頬を撫でていく。柔らかで澄んでいる優しい風。
「ユヅキ様」
「はい。なんでしょうか?」
「それは生きていると言っても、ただの本です。痛みなど気にすることはありません。乱暴に扱っても大丈夫ですよ」
「え……?」
「気遣いは不要です。ただの物でしかないのですから」
クロウの口から温度のない音が出る。でも瞳の中はどこか熱く、冷たい。
私はクロウから視線を逸らし本に移す。
「でも痛みを感じますよね」
「感じたところでなんだと言うのでしょうか。物として、そうされるのが当たり前で運命なのですから」
「そうだとしても、私は故意に傷つけるようなことはしません」
「なぜ?」
「なぜって、私がそうしたいからです。痛みを感じるのに乱暴に扱ったりなんてしません。大切にします」
そう言い切ると、クロウの瞳から光が消えた。そしてクロウはどこから出したのかナイフで自身の腕を切ろうとしたーーその瞬間私の体は素早く動きナイフを持っているクロウの手を掴む。
「クロウっ!」
「っ……」
「なに、しようとしているの」
「腕を切ろうとしただけですが」
「っ、切れたら痛いし血も出る。そうしたら命に関わるかもしれない。だから自分を傷つけるようなことをしないで」
「ああ、言っておきますが僕は人間ではありません。ただの物です。だから痛みはあっても、血は出ませんし命に関わることもありません。ただ物が壊れる。それだけです」
淡々と述べられる言葉たち。掴んだ手から伝わる冷たさは、確かに無機物のような感じもする。
する、けどだ。
「あなたの言う通り、あなたは物なのかもしれない。だけど壊れたら悲しむ人がいる」
「はっ。そんな人はいませんよ。僕が物になった理由が贄として捧げられたからなんですから。それに両親を含めみんな自分が可愛くて、自分ではない誰かが犠牲になったところで悲しむことはない。それを物になったあの日僕は知った。慰めの言葉なんて意味がありません」
そう言い切ったクロウをまっすぐ見つめ、一音一音大切に言葉にしていく。
「私が悲しむ。他の誰でもない。私が、悲しむ」
「はあ? あなたは僕をよく知りもせずそんなことを言うのですか。反吐が出ますね」
「うん。私はまだあなたを知らない。知らないけど、あなたの言葉や纏う雰囲気に温度がある。だからただの物だなんてことないよ」
「ふ、ふふあははは……! 美しい戯れ言ですね。本当に反吐が出そうだ」
「戯れ言と思ってくれてもいいです。だけどまだ私の話は終わってません。あなたは素敵な男性になります。それはわかりますよ」
「へえ。素敵な、ね。どうしてそんなことがわかるのですか?」
クロウに問いかけられて動揺してしまう。
どうしよう。勢いで「あなたは素敵な男性になる」と口に出してしまった。ここは過去。未来のことを言ってしまうのは……ん、待てよ。未来のクロウが過去で私と出会って、それからいろいろありつつ生きてきたとする。で、この先のことも含め恐らく私の過去での行動や選択は変わらないはず。つまり今の私のまま過去で生きればいいのではないだろうか。
……深いことは言わずあっさり上澄みだけ口にする。そうしよう。
私は小さく頷いてクロウに視線を戻す。
「何かいい言葉は見つかりましたか? どうせ口から出任せでしょうが、聞きますよ」
「それじゃあよく聞いてくださいね。私はあなたが素敵な人になってることを知っています。ここに来るときに頭に流れてきたから。だけどそれを言ったところで信じてもらえないと思いました。だけど今は言わなきゃって思って話してます」
「僕がそんな話を信じると思いますか?」
「今は信じられなくても、いつか本当だったって気づくときがきます」
「はっ。そんなときがくるわけがないでしょう」
「きますよ。絶対に」
そう言い切る私に、クロウは嫌悪の表情を浮かべ私を見た。その表情を見て、なぜか世界に喚ばれた最初の日のことが頭を過る。
「あ……! でも出会ったばかりの人にべたべた触れるのはやめたほうがいいです。あと口説くようなことを言うのも。そういうのが苦手な人もいますからね」
「は?」
「私がクロウさんに伝えたいことはこれで全部です。なので、はい。この話は終わりにしましょう」
「はあ……そうですね。ですが一ついいですか」
「なんでしょう」
「さっき僕をとめるときに本を投げてましたけど、そのことに気づいていますか?」
「えっ……!?」
言われた瞬間、ひゅっと血の気が引いて振り返り本を見る。
「ワンッ」
「ルナ!」
「ウォン。ワンッ」
「ルナありがとう! 本さん、ごめんなさい! 大丈夫?」
本はルナがナイスキャッチしてくれていて無事だった。その本に触れて謝罪と大丈夫かを問いかけると、柔らかな風が頬を撫でる。
「よかった……本当にごめんね」
「ウォン! ワンッ!」
「うん。気をつけるね。ルナ、本当にありがとう」
私がそう言うとルナは一鳴きして姿を消した。
「ピャピャッ?」
リーヤが私の顔を見てから本に視線を移して、本をぽんぽんと叩いた。するとリーヤの全身に風がふわっと吹く。
「ピャア」
「そうだね。あとでまた来て読もう」
「ピャキュキュ」
「クロウさん。あの、まだ行けていない場所を回りたいので案内をお願いできますか?」
「ええ、もちろんです。それではここから近い庭園から案内致しますね」
「ありがとうございます。本さん、またあとで来ますね。そのときはお願いします」
本棚へ戻し、恐らく仕事モードに切り替わっているであろうクロウのそばへ行く。そして書庫から出て、美しく愛らしい庭園を眺め心を落ち着かせた。




