2
「我の名は木蓮。神の力を持つ者だ。そちの名も教えてくれぬか」
「私、冬夜雪月といいます……」
と、つい反射で名乗ってしまったけど大丈夫かな。今ので未来が変わってたりしない。ここがもし記憶の中じゃなかったら大変な、いいや、記憶の中だとしても駄目なことをしてしまったかもしれない。これで帰って違う状況だったら笑えないよ。悪化してたらどうしよう。
ぐるぐると回る嫌な考えに頭を抱えそうになっていると、木蓮さんの手が頭に乗せられ優しく撫でられる。その撫でかたがとても温かで優しく私を落ち着かせた。
「名を知ったからといって悪用などしないから安心しておくれ。ああでもそちの名はどういう字で書くのか教えてほしいな」
「っ、はい。すみません。書くものってありますか? 今私なにも持っていなくて」
「この場にはないな。だが取りに行く時間も惜しい。そちの力で宙に書いてみてくれぬか」
「私の力で宙に……?」
「そうだ」
「ごめんなさい。私、宙に何かを書くことができなくて」
「できない? やってみたことはあるか」
「ありません」
「そうか。それはできないではなく、やったことがないからわからないというだけだ。それにやらずにできないと言うのは己の可能性を自ら捨てるようなもの。一度やってみてはどうだろうか」
すとんと木蓮さんの言葉が自分の中に落ちて嵌まる。
確かにそうだ。今私はやろうともせず、できないと言った。やればできるかもしれないのに、やったことがないからできないと思い込んで返事をした。
「……」
私が成したいと思っていることは、できないからと諦めきれるものか。いいや、諦めきれない。だからやるしかないと覚悟を決めるでしょ。それに今までだってそうやって切り抜けてきた。最初からできないなんて決めつけてはいけない。木蓮さんの言う通りだ。
「ありがとうございます。思い込みで返事をしてしまったことに気づけました。なので、やってみます」
意気込んで伝えると、木蓮さんはふっと柔らかく笑って頷いてくれた。
私の力で宙に名前を書く。書けるとするなら花さんの炎の力かな。ルナとスターチスは違うし、アリシアさんとエミリオも違う気がする。うん。炎で書こう。きっと綺麗だ。
指先に集中し、炎が変に広がらないようイメージする。
そういえばリーヤのときも同じように想像したな。そしてリーヤが生まれた。
力と対話し、寄り添うものーーだって私の力は、私の味方。
「ピャッ! キュキュッ!」
「え、リーヤ……!?」
まさかリーヤが生まれたときのこと思い出していたから喚ばれたと思って元気よく手の甲から出てきてしまったのか。
元気よく両手を挙げて話しかけてくれる姿はとても可愛いけど、今は違うんだ。ごめん。私が紛らわしいことを思い出したばかりに。
「ピャピャッ!」
「リーヤ。ごめん。喚んだわけじゃないんだ」
「ビャッ」
「本当にごめん。でも来てくれて嬉しいよ。ありがとう」
「ピャッ! ピュキャッ!」
「ほお。自我があるのか」
「はい。木蓮さん、この子はリーヤです」
「ピャッ?」
「リーヤ。この方は木蓮さん。ご挨拶して」
「ピャッ!」
リーヤは一鳴きしてからお辞儀をして、ぱっと可愛い顔で木蓮さんを見つめる。木蓮さんはその姿を微笑ましそうに見つめ、それからリーヤの頭を撫でた。
「ピャピャ。ピャキュキュ」
ふわっとリーヤから炎が溢れて宙を舞う。そしてその炎は寄り添うように私の頬を撫でた。
「そちの力は正しく譲渡されている」
「え?」
「力の譲渡とは、己を渡すようなもの。譲渡する者、譲渡される者が互いを想い合うことが大切なのだ。どちらか片方の想いだけをぶつけてはならない。故に正しく譲渡されなければ力が譲渡された者の心を蝕み自我を奪う。そして全てを闇より深きところへと引き摺り込み全てを失う」
「……」
「力の中に独りは淋しく悲しい。故に助けを求めるように、孤独を埋めるように……ただただ力に振り回され、己以外の者にも影響を及ぼす」
木蓮さんの話を聞きながら頭に浮かぶのは、ひなたさん。
恐らくひなたさんは力を譲渡された。そしてそれはひなたさんの意思を無視したものだろう。だから力が暴走した。
『わたしは……だあれ?』
あのときの、あの問いかけが忘れられない。
『わたしを覚えていて。わたしが人間だったと覚えていて』
ひなたさんがアネモネさんに伝えた言葉が聴こえてくる。
私は目を閉じて、溢れ出るたくさんの言葉をぐっと腹の底へと沈める。
力に己の全てを奪われるのはどれほどの恐怖か。それは想像もつかないほど恐ろしかったに違いない。
だからこそーーひなたさんに会いたい。
「リーヤ。ありがとう」
「ピャキュッ! キュキュウ!」
「一緒に私の名前を書いてくれる?」
「ピャッ!」
リーヤは任せろと言わんばかりに手を挙げ、きりっとした表情を見せる。
私はさっきと同じように指先に集中し、名前を書くために指を動かす。そのときリーヤも一緒に手を動かしていて、その可愛さに頬が緩む。
「ピャ。ピャッ。ピャア!」
「んふふ、ありがとう。とっても上手に書けた」
ふわふわと柔らかそうな青い炎で私の名前が書けた。
「見事だ」
「ありがとうございます」
「そちも上手に書けたな」
「ピャッ!」
和やかな雰囲気が漂っていたのだが、突然扉が開き低い声が響いたことによってぴしりと固まる。声の主を確認しようと振り返って私はさらに固まる。
「木蓮さん。人間の香りがするのは気のせいか?」
耳に届くドスが効いた声。そして刺すかのようにまっすぐと私に向けられる鋭い目付き。
なんと言うか……ガラの悪いギルベルト・フライクが立っていた。




