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 複雑な気持ちをどうにか消して、クロウたちと一緒に大樹のところまで来た。結界が幾重にも折り重なるよう頑丈に張られていた。そして結界の中へと入り深く濃い霧の先に、大樹の姿があった。


「う、わあ……っ」


 大樹を前にして、その圧巻な雰囲気に心臓がどくりと大きく鳴る。きゅっと手を握り、大樹を見上げる。


 神々しく神秘的。そして恐ろしいくらいの強い力を感じる。


 じっと大樹を見つめ、こくりと唾を飲み込む。


「……っ」


 ざああっと風が吹いた。大樹の葉は音をたて枝は踊る。勢いよく吹いた風に髪が後ろへと流れ踊った。


『ようこそ。我が娘(冬夜雪月)


 聴こえた声は穏やかで、けれどどこか圧があるような気がした。そういう気がしたのは私が大樹をすごい存在だと思っているからかもしれない。


「はじめまして、大樹さん。お会いできて嬉しいです」


『ふふ、いいこだね』


 ふわっと心地よい風が私の頬を撫でる。そして体内へと入ってくる空気はとても澄んでいて、けれど肌に触れる空気は冷たくて少し寒く感じる。


 見られている。

 触れられている。


「……」


「緊張しなくて大丈夫。でも大樹がやってることが嫌なら、はっきり嫌って言っていいからね」


 クロウはそう言ってくれたけど、大樹に向かってそれを言うだけの勇気はない。それに大樹が私に危害を加えないのならもういいやという気持ちに傾いている。


『いいこ。いいこ』


「……」


「大樹がこんなにも声を出して上機嫌なのは珍しい。俺が連れてきた他の人間にはもっと静かだったよ」


「そうだな。大樹は雪月のことをたいぶ気に入ったらしい」


「……お願いだからそういうこと言わないで。緊張してくるから」


我が娘(冬夜雪月)、緊張する必要はないよ。さあ、我が娘(冬夜雪月)のお願いはなんだい?』


 そよそよと風が頬を撫で、鼻を掠めるのは優しい緑の香り。


 鍵であるクロウは私に大樹の記憶を見せると言ってくれた。けれどよくよく考えれば、大樹自身がクロウの判断に反して見せるに足る人間ではないと思えば私に見る術はない。


 ちゃんと私の願いを言わなくては。そして大樹にも見ることを許してもらわなければ駄目だ。


「今の世界が造られる前の世界のことが知りたいんです。見せていただけませんか?」


『それが我が娘(冬夜雪月)の願いならば喜んで』


「ありがとうございます」


 大樹の返事にほっとしつつ頭を下げる。すると大樹が柔らかく微笑んでくれたような気がした。


「さ、大樹の許可も下りたから鍵を開けるよ。きっといつもより深く記憶の中へ入れる」


「うん……」


「大丈夫。お姫様の体はギルベルトが守ってくれるし、記憶の中へは俺が一緒に行く。安心していいからね」


 クロウとギルベルト・フライクを交互に見て頷く。


「ありがとう」


「いいんだよ。俺たちがしたくてしてるだけだから」


「雪月。納得と言うよりは、折り合いがつけられるまで記憶の中を歩くといい。君の体は俺がちゃんと守るから」


「ありがとう。行ってくるね」


「よし。それじゃあ開けるよ」


「お願いします」


 クロウは弓と矢をどこからか出して構えた。そして矢を放つために弦を引く。


 じっとその様子を見ていて気づいたことが一つ。矢の先が鍵のようになっていた。私は目線を矢から大樹の葉へと移す。葉は揺れて見えづらいけれど、光の加減で小さな鍵穴のような何かがあるような気がした。


『英雄騎士団一の弓の名手クロウ』


 ふと狸国王の言葉が頭を過る。そうだ。クロウは弓の名手。外すはずがない。


 そう思うのと同時に、クロウが弓の名手と呼ばれるまでどれほどの努力をしたのだろうとも思う。飄々としているけど、きっと想像もつかないほど努力したに違いない。


「……」


 風を切るような小さな音が聞こえたーー。


 放たれた矢はまっすぐ大樹の葉にある鍵穴へと入り、私の意識はゆっくりと暗闇へ沈んでいった。



      ***



 体が軽く意識がはっきりしている。今までの経験からここが記憶の中だとわかり目を開く。まだ眼前には暗闇が広がっていた。何も見えないほど暗くはない不思議な空間。


「お姫様」


「クロウ」


「意識がぼんやりしたり、気持ち悪かったりしない?」


「今のところ大丈夫。心配してくれてありがとう」


「大丈夫ならよかった。もし異変を感じたらすぐに教えて。ここから出るから。あと迷子になると危ないから俺と手を繋ごう」


 クロウの右手が差し出されたので、そっと左手でクロウの手を握る。その様子を見ていたクロウは穏やかに笑って私の手を握り返した。


「それじゃあ行こうか」


「お願いします」


 ゆっくりと手を引かれ私は着いていく。徐々に暗闇は薄れていき、眩い光が見えてくる。そして暗闇とさよならして眩い光があるところへ一歩踏み出した瞬間ーーふわっと風が全身を撫でた。


「っ……!」


 そして急降下する体。髪は上へと流れ、服はなんだかご都合的展開で何もないけどーー体が急降下するのは止まらない。


 あまりの速さに絶叫しかけるけど舌を噛みそうで口を閉じる。でもあまりにも怖すぎて思わずクロウの腕にしがみつく。クロウはそんな私を見てふっと小さな声を漏らした。


「役得だなあ。お姫様にしがみついてもらえるなんて」


「ねえ、クロウ! 呑気なことを言ってる場合じゃないと思うんだけど! 落ちてるんだよ! すっごい勢いでっ!」


 ありったけの大声で舌を噛まないよう注意しつつ言葉を口にする。その間も落ちる速度はそのままだ。


「大丈夫だよ。お姫様には俺がいるんだから」


 クロウがへらっと笑ってそう言った瞬間、急降下する体がふわっと浮く。


「ね? 大丈夫でしょ」


 急降下していたのがなくなって安心と戸惑いでいっぱいになる。複雑な顔そのままにクロウを見つめて小さく頷く。


「ありがとう。でもどうやって急降下するのを止めたの」


「想像しただけだよ。急降下しないように」


「え……?」


「ここは、それだけでどうにかなるよ。まあ、記憶を視ている側限定だけど」


「……」


「あとねこんなにも現実に感じるのは、いつもより深く記憶の中へ入っているから。俺が知る中でお姫様だけだよ。こんなにも深く記憶の中へ入れたのは。もしかすると今回は俺も知らないくらい深いかもしれない」


「気を引き絞め直すね。本当にありがとう。一緒に来てくれて」


「どういたしまして」


 記憶の中へ入ることが危険なのだと、再認識する。今までも心が引っ張られないように気をつけていた。でも今回はいつもと違う感じで危ない。


 深い記憶。その記憶を視ることの危険性。恐らく記憶の中(ここ)での死は現実世界にも直結する。だから私は心だけではなく、体も守らなければいけない。


 視ることが、今までよりずっと怖いと感じる。まるで死神が私の首に触れているみたいな気分だ。だけどそれ以上にーー私は世界を知りたい。だから恐れも怖さもまるごと全部受け入れて進む。

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