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 ひなたさんが造る前の世界を知る、と言った翌日のこと。ギルベルト・フライクは私のところへやって来て会わせたい人がいると、王宮から少し離れた森の中へと案内してくれた。


「雪月。俺が君に会わせたい人間はあそこの家にいる」


 ギルベルト・フライクの視線の先には、木造建ての立派な家があった。そしてその家の外に私も知っている人物が立っていた。


「え、クロウ……?」


 私の呟きが聞こえたのかクロウと目が合った。


「っ……!」


「あいつは耳がいい。この距離なら聞こえる」


「うん。耳がいいなら納得」


 私たちは言いながらクロウのところまで行くと、クロウはこちらが話し出す前に笑顔で口を開いた。


「お姫様。碧月ひなたに近づいたんだね」


 その言葉に目を見開き固まってしまう。


「なんで……」


 なんでクロウがひなたさんを知っているの。近づいたってどういうこと。クロウは何を知っているの。


「……っ」


 もしかしてクロウもギルベルト・フライクと同じ神の子……それならひなたさんを知っているのも納得だ。だけど、なんだかそれは違う気がする。確実な何かがあるわけではないけど、そんな気がするのだ。


「なあに? そんなに可愛く見つめられると照れちゃうな」


「……」


「本当に可愛いね。ずっと可愛い」


 その表情と声はとても柔らかく、穏やか。


 クロウとは何度か会っているけれど、こんなにも落ち着いているのは初めてだと思う。


「お姫様は存在しているだけで可愛いね」


「……」


 いや、ごめん。落ち着いているというのは雰囲気だけであって言葉は別だった。言葉に変化はない。私の知っているクロウだ。


「あ、立ち話もなんだから中へどうぞ」


「お邪魔します」


 会釈しつつ家の中へ入ると、柔らかな花の香りがした。とてもいい香りで心や体が癒されるような、ほっとする香り。


「この香り気に入った?」


「え?」


「お姫様が好きそうだなって思う香りを用意したんだけど、どうかなって思ってさ。どう? この香り」


「なんで……?」


 笑顔で香りの感想を求めるクロウに対して、私から出た言葉はそれだった。クロウはきょとんとしてから、当たり前かのように「少しでもお姫様にとって居心地のいい場所であってほしいからだよ。それに好きな香りがすると落ち着いて話せるでしょ。俺がそうだからさ、用意してみた」と言った。


 なんだか、こう、自分でもよくわからない感情が沸いてくる。


「……ありがとう。私、この香り好き」


「よかった。さ、お姫様はここへ座って。ギルベルトはそっちね」


 言われた椅子へと座って、机を挟んで私の真正面に座ったクロウを見る。ちなみにギルベルト・フライクは机を挟んだ左斜め横に座っている。


「さて、何から話そうか。あ、でも俺からよりお姫様の訊きたいことからのほうがいいかな?」


「先に質問しても大丈夫ならさせてほしい、です」


「うん。大丈夫だよ。なんでも訊いて。今の君になら答えられるから」


「今の私になら……?」


「そう。今の君にだから話せることがある」


 私はその言葉に目を逸らし、息を小さく吐く。


 今の私。

 ここへ来たばかりの私とは違う、今の私。


 楓さんと出会って、花さんに繋がった。そして桜さんと話をして、始まりの救世主が今の世界を造ったことを知り……それから私の前に喚ばれた救世主である菫の想いも知った。あとはこの世界に生きる人たちとの関わり。初めて会ったときに抱いた感情と、今抱いている感情は違う。


 ただ喚ばれただけの、あのときの私とは違う。


 この世界でいろいろなことを経験した。その経験の中で、出会いと別れがあった。そして納得できないことがあって、でも納得せざるを得なくて……。


『ゆづきおねえちゃん』


 小さな女の子の声。私が会いたくてしかたない女の子。


「クロウ。私、この世界が造られる前の世界を知りたいの。でも何をどう知りたいかまで自分でもわかってなくて……だから、その、ごめんなさい」


「大丈夫。お姫様は碧月ひなたが造る前の世界を知りたい。それなら全部、知ればいい。どれか、どれをなんて考えずに……全部知りたいでいいんだよ。選ばなくていい。選ぶ必要なんてない」


 優しく穏やかな声。その言葉に私の心は解される。


「私に全部教えてください。お願いします」


「うん。それじゃあ今から知るための方法を選んでほしい。一つ目、俺から知る。二つ目、俺と一緒に大樹の記憶から知る。三つ目、碧月ひなた(・・・・・)から知る」


「ひなたさん……? ひなたさんから知るってどういうこと? ここに、ひなたさんがいるの?」


「碧月ひなたはここにはいない。三つ目の方法は二つ目と同じ大樹の記憶を視る方法。だけど違うのは個人特定で碧月ひなたの進んだ道を視ることができる。視るだけだからお姫様は誰からも認識されないし、干渉もできない」


「そう……」


 ひなたさんの名前が出て思わず立ち上がってしまったけれど、クロウの言葉を聞いて椅子へと座り直す。


 ひなたさんが造る前の世界を知る。そして私はひなたさんの口から話を聞く。それまで私はひなたさんを調べない……その気持ちは変わらないし揺るがない。だから私が選ぶ方法は。


「二つ目の方法にします」


「うん。わかった。それじゃあ大樹まで行こう」


「はい。お願いします」


「雪月」


「ん? どうしたの? ギルベルト・フライク」


「抱き締めていいか」


 クロウと私が話している間静かに聴いてくれていたギルベルト・フライクの突然の言葉に瞬きの回数が増えてしまう。


「抱き締める……抱き、締める?」


「困らせてごめん。嫌なら断ってくれ」


 ギルベルト・フライクは不安そうな色を瞳の中に滲ませているけれど逸らされることなく私を見続けている。だから私も逸らさず見続ける。そして少し考えてギルベルト・フライクとの距離を縮め、腕を広げる。


「どうぞ」


「……」


「どうして驚いた顔してるの? ギルベルト・フライクが言ったんでしょう」


「そ、うだけど……まさか許してもらえるとは思わなかったから」


「誰にでも許すわけじゃないよ。ギルベルト・フライクのことは仲間だと思ってるから、どうぞって言ったの」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 包まれるように緩く回された腕。服越しだけど、鍛えられた胸板に顔があたる。


 微かに震えているような感じがして、背中を右手であやすように叩く。


「連れてきておいてなんだけど、彼女が造る前の世界を雪月に知られることが怖くなった」


「何が怖いの」


「雪月が心を閉ざしてしまうかもしれないとか、世界や他を恨んで……」


「それって今さらなことだと思う。だって心を閉ざすならもう閉ざしてるし、恨むなら恨んでる。だから何も怖がらなくて大丈夫だよ」


「っ……今、俺は本音を隠した。本当は雪月が俺を信じてくれなくなることが一番怖い」


「それこそ怖がる必要があるの? 私は過去のあなたを知らないけど、過去は過去でしょう。それでその過去で後悔したから今のあなたがいる。私が知っているのは、私が信用しているのは今のギルベルト・フライクだよ。怖がる必要なんてない」


「確かにそうかもしれないが……」


「まだ何か怖い?」


「……大丈夫だ。もう怖くない。落ち着いて君を見送れる」


「それならよかった」


 ギルベルト・フライクから離れてクロウへと向き直ると、微笑ましそうに私たちを見る彼と目が合う。


「ごめんなさい。待たせちゃって」


「んー? 気にしなくていいよ。俺は面白いものが見られたから暇じゃなかったし。もう少し二人でやり取りしてても大丈夫だよ」


「クロウ。もう大丈夫だから雪月を大樹まで案内してくれ」


「本当に案内しちゃっていいの?」


「問題ない」


「そ? でもまさかギルベルトが甘えん坊みたいなるなんてなあ。また見ようっと」


「クロウ」


「そんな嫌そうな顔しても駄目だよ。俺の前でやったことを後悔して」


 二人の会話を聴きながら私は少し首を傾げる。


 そういえばクロウって何者なんだろうか。ギルベルト・フライクとも仲が良さそうだし、やっぱり彼と同じ神の子なのかな。ひなたさんの名前に意識がいってしまって訊くタイミングを見逃してしまったし、今この瞬間まで忘れていた。


「お姫様。何か訊きたいことがある?」


「え、どうしてわかったの?」


「そういう感じがしたし、何よりお姫様の可愛い顔に訊きたいことがあるって書いてあったから」


 そう笑顔で言われて、本当に書いてあるわけではないとわかっているのについ隠すように顔に触れてしまう。


「お姫様って素直で可愛いよね」


「雪月、隠さなくても大丈夫だ。何も書かれていないから」


「わかってはいるんだけど、なんと言うか……まだそんなにわかりやすく顔に出てた?」


「出てたな」


「うん。とってもわかりやすく出てたよ。でもそういう素直なところが可愛いと思うなあ。ギルベルトもそう思うでしょ?」


「クロウ。雪月はずっと可愛いし、どんなときも可愛い。素直なところだけが可愛いわけじゃない」


 と、悪戯っ子のような表情で言ったギルベルト・フライクに少しむっとしてしまう。これは私の反応を見て遊んでいる。


「ギルベルト・フライク、私で遊ばないの。反応しないからね。それで私の訊きたいことなんですけど、クロウはギルベルト・フライクと同じ神の子?」


「ううん、違うよ。俺は案内人(かぎ)。大樹の記憶を見せるか否か、見せるに足る人間か否かを見定めるのが役割。そして大樹の記憶の鍵を開けられる唯一の存在」


「クロウは、どうして私に大樹の記憶を見せてくれるの……? 私がこの世界に喚ばれてからクロウとはそこまで関わりがなかったし、何より大樹の記憶を見せてもらえるだけの何かがあったわけじゃない。どうして、見せてくれるの」


「俺はね、可愛い子が大好き。心が癒されるし満たされるから。あ、可愛いって言っても顔限定じゃないよ。全部。その子の全部が可愛いって思ったときに、俺は可愛いって言う」


「ん、んん……? そうなの」


「そうなの。それで俺は大樹の記憶を自由に見られる。それを大樹が許してくれているし、俺には見る権利が与えられている。案内人(かぎ)だからね」


「……もしかしてクロウはその大樹の記憶を見て私を知っていたの? だから私に大樹の記憶を見せてくれるの?」


「そ。俺はお姫様を知ってる。こーんな小さなときからね」


「っ、大樹はどこまで記憶してるの。どうして幼い私を、知っているの……?」


「お姫様を初めて見たのは碧月ひなたの記録。大樹に記憶されている彼女の記録を見たときにお姫様がたくさん出てきたんだ。それで思った。碧月ひなたにとってこの子はとても支えになってるんだなって。だから俺はいつかお姫様がこの世界に喚ばれると思ってた。それでお姫様が喚ばれてからは、お姫様の記録をずっと見てるよ」


「ずっと……」


 そうか。ずっとなのか。つまり私にとって見られると困るようなことも見られているわけだ。例をあげるとするならば、一国の王を狸国王と呼んでいることやクロウと関わったあとに嫌な顔をしてることとか。


「あ、ちなみにお風呂と御手洗いは見てないから安心して。見ても大丈夫なところと駄目なところの線引きはできるからさ」


「……それは、聞けて安心した」


「他も大丈夫だから何も心配しなくていいよ。お姫様が陛下のことを狸国王って呼んでるの俺は気に入ってるし」


 そういい笑顔で言われたけれど、私の目は泳ぎまくってしまう。やはりそこもばっちりと見られていたのか。複雑な気持ちでいっぱいだ。

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