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帰りたかった、その言葉が耳に残り響き続ける。
救世主の始まりの人。
「あなたは、どこにいますか」
『「……」』
「アネモネさんの記憶からあなたを知ってもいいですか」
『「……」』
私の問いかけに彼女はただただ寂しそうに微笑む。
「私は……あなたに、会いたい。会って話がしたい」
『「わたしは……あなたに、きらわれるのがこわい。わたしはたくさんのつみをおかした。たくさんの、かんけいないおんなのこたちをまきこんだ。まきこんで……わたしとおなじにしてしまった。でもわたしはあなたにきらわれるのがこわい。こわくてたまらない」』
「……」
『「わたしを、しらないでほしい。どうかきたないわたしをしらないで」』
「ひなたさん……」
『「でも、わたしをたすけて」』
言葉が胸の辺りに詰まってしまって、そこから動いてくれない。言いたいことがたくさんある。だけど言えない。言ったところで全て綺麗事の偽善のような音たちだ。
私は詰まった言葉を吐き出すように重々しい息をゆっくりと出していく。そして息を吸う。それを何度か繰り返す。その間ひなたさんは静かに待ってくれていた。
「ひなたさんは勝手です、とっても。私はあなたに喚ばれた。意味もわからず知らない世界に喚ばれて怖くてしかたない」
私は一呼吸おいてからはっきりと言葉にする。
「だから私も勝手にします。私はひなたさんが造る前の世界を調べる。そしてその上であなたの口から話を聞きます。それまで私はあなたを調べない。あなたから聞くまで、絶対に。それからもっと言えば、私以外の救世主の人たちのことで思うところがたくさんあります。でもそのことを伝える相手は穢れに映った心じゃない」
『「……」』
「お願いです。私にあなたがいる場所を教えてください。会いに行きます。会って話して、それからどうするか決めます」
言い切ったけど駄目かな。駄目、だろうな。だってひなたさんが造る前の世界を調べるってことは、少なからずひなたさんのことも間接的に知ってしまうだろう。つまり私はひなたさんに嘘をついたことになる。でもここで何か約束できなければ、ひなたさんとの繋がりが切れてしまう可能性だってある。だってこの関係はひなたさんが私に繋いでくれているから切れずにいるだけなんだから。
『「……」』
返事を静かに待っていると、ひなたさんの大きな瞳が私を捉える。小さな両手は不安そうに握られていて、少し震えているようにも見えた。
『「わからないの。わたしもじぶんがどこにいるのか……じぶんがだれなのかわからなくなるときもある」』
「……」
『「たすけてっていったのにね、わたしはじぶんがどこにいるのかすらわからないの」』
ぼろっと大きな瞳から涙が一粒、零れ落ちる。
『「わたしは……だあれ?」』
その言葉を最後にひなたさんの姿は、ぶわあっとシャボン玉のようなたくさんの玉となって次々に消えていく。私の反応は一瞬遅れて、それから叫ぶように「ひなたさん!」と言って駆け出し手を伸ばす。けれど間に合わず、最後の一つがパンっと小さな音をたてて消えた。
***
しんっと静まっている花畑。空はいまだ色濃く深い青のまま。時折、風に揺れる花たち。
私の心は迷子のように揺れていた。
じっと花畑を見ていたけれど、どうしようもない感情の波に抱えていた膝に顔を埋める。そして落ち着かせるように息をゆっくりと吐き出す。その息はとても、とても重かった。
あのあと何度かひなたさんの名を呼んだけど返事はなかった。ただ暗闇はゆっくりと離れていき、そして消えただけ。残ったのはただ立ち尽くす私と、寄り添うようにそばにいてくれたリーヤとルナだけだった。
「……急ぎ、すぎた」
会いたい気持ちと知らなければっていう気持ちの焦りが出た。だからか追い詰めるような言い方になっていたようにも思う。
「ピャッ、キュキュ」
「ワンッ」
「大丈夫だよ。ごめん。それからありがとう」
「ピャキュキュ」
「ウォン」
寄り添ってくれるルナとリーヤを撫でながら、私はもう一度花畑を見つめる。
「雪月」
「なあに」
「君の前で消えた彼女は、彼女じゃない。ただの穢れだ」
そう言ったギルベルト・フライクへと視線を移す。そしてじっとギルベルト・フライクの瞳を見つめ、ゆっくりと言葉を口にする。
「本当に、そう思う?」
「雪月……」
「私はひなたさんだと思ったよ。ひなたさんが、穢れにいた。そして私と話をしてくれたの」
「君の言う通り彼女だったのかもしれない。だけどな、ただの穢れだと割りきったほうがいい。そうでないと君の心が疲弊していく」
「それでも……私は考えることや知ることを諦めることができない。だって知らないと何も判断できないでしょう。だから今からの私は、この世界が造られる前の世界を知る。そしてひなたさんを絶対に見つけるの」
「っ……わかった。君がそこまで言うなら、俺はもう止めない。だから無茶をするなら俺がいるときにしてくれ。そうしたら俺がすぐに助けに行ける」
「ありがとう。でもできるだけ無茶しないようにするよ」
そう笑顔で言った私にギルベルト・フライクは「信用ならないな。君は瞬間で動くような人間だから」と小さく笑いながら言った。
「確かにそうかもしれないけど、大丈夫。最近の私は行動の前に脳を通してるから。それにもし私が瞬間で動いたとしても、アリシアさんとエミリオもいるから止めてくれるよ」
「はあ……そこが一番信用ならないんだよ。迷わず君と一緒に行ってしまいそうだから。ついでに言うとウォルフ団長や他の人間も信用していない」
ギルベルト・フライクのその言葉に、みんなの動きを想像してみる……うん。確かにみんな私と一緒に来てくれそうな感じがする。その中で唯一止めてくれそうなのは、フォールマだろう。そう考えるとやっぱり私が気をつけないと駄目だ。みんなを巻き込んでしまう。
「雪月。悩まなくていい」
「え?」
「無茶をするなら俺がいるときにってのは、君を始め君に着いていく全員を助けることができるからって意味で言った。だから雪月は、ただ迷わず己の心に従って進めばいい」
「ギルベルト・フライク……」
「君には俺がいる」
その言葉に、その声に……私は頷いていた。
頷いた私を見たギルベルト・フライクは、ふっと笑い声を溢した。そして茶目っ気のある笑顔で「俺のために生きてもらわなきゃ困るからな」と言った。




