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 夜になり、景色がゆっくりと変化していく。それを私はじっと見つめていた。


「来たぞ」


 ギルベルト・フライクの言葉に私は暗い青に染まっていく空から地面へと視線を移した。


 どこからともなく現れたソレはゆったりとした動きで花畑へと流れてくる。そして美しく可愛らしい花たちの姿は徐々に黒くどろどろとしたものに飲み込まれていき、空気が重く冷たいものへと変わり始める。


 黒い水というからもっと軽く流れるものを想像していた。けれど実際目の当たりにすると、想像していたものとはまったく違う。


「これが……穢れ」


 ひなたさんは穢れ(これ)と対峙していたのか。こんなにも禍々しく冷たい、そして全身を覆い沈めようとする圧と心が死んでしまいそうなくらい勢いよく流れてくる負の感情と。


「……」


 私は、この感覚を知っている。


 この感覚は、エドさんと一緒に桜さんに会いに行くために通ったあの森。そして私が沈んだあの場所。そう。雰囲気や暗さがあそこによく似ている。もしかしてあそこは穢れの中だったのか。でも、声が聞こえた。それに感情も私の中に流れてきた。だからあのときの私は、救世主の心の中だと思った。


「……ちょっと待って」


 ひなたさんはこの世界に喚ばれたときに穢れを浄化するための器にされ、穢れを浄化し続けていた。その穢れは本当に浄化されていたのか。浄化されていたとして穢れ(それ)は無害なのか。そして何より浄化された穢れはどこにいったの。


 尽きることのない疑問が浮かび続ける。だけど恐らくその答えを誰も知らない。知っているとするならば、ひなたさんだけだ。だからこれはあくまで仮説だけど、浄化が完璧ではなくひなたさんの中に少しずつ穢れが蓄積されていたとする。そしてなんらかの理由で神がひなたさんのものになり、その力がひなたさんの帰りたい気持ちや怒り悲しみと穢れによって少しずつ蝕まれていた心を助長させ負の力として発動されてしまった。そして出来上がったのがこの世界だとしたらーー。


「……」


 あの穢れは、ひなたさんの(きもち)が溢れ出てしまったものかもしれない。あの森や私が沈んだあの場所も同じ。そう考えると、あのとき心の中と思ったのは間違いではないのかもしれない。


 この世界は今ひなたさんの感情で溢れている。いや、ひなたさんの心を映した世界と言っても過言ではないかもしれない。


 私のことを喚んだ人が創造した世界。きっとひなたさんも私を見ていた。だから今回、私をこの場所に穢れの浄化で呼んだ。


「っ……ギルベルト・フライク」


「どうした?」


「さっき話してた作戦はなしでいこう。私一人で行く」


「何を言っているんだ。雪月を一人で行かせるわけがないだろう」


「ごめん。よく考えたら、私一人で行かないと意味がない気がするんだ。だから私を信じてここで待っててほしい。それにギルベルト・フライクが外にいてくれたら安心する」


「雪月。まさか君は、穢れ(あの中)に入る気か」


「うん」


「絶対に駄目だ……! 何があるかわからないんだぞ」


「わかってる。だけどたぶん私一人で来ることを望んでるよ」


「何を言って……」


「ひなたさんが()を呼んでる。でも穢れ(あそこ)にひなたさんはいない」


「だったら雪月が一人で行く意味はないだろう」


「あるよ。私は喚ばれた人間だから……救世主だから一人で行く意味がある」


 不安の色を滲ませたギルベルト・フライクの瞳は逸らされることなく私を見つめている。私はギルベルト・フライクに安心してもらえるように、にっと笑ってみせる。


「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、私にはみんながくれたお守りや力がある。それにユーリと一緒に訓練したから前より強くなってるし」


「……」


「ギルベルト・フライクとの約束はちゃんと守るよ」


「っ……はあ。わかった。もし何かあればそのイヤリングで伝えてくれ」


「うん」


「気をつけて」


「ありがとう。行ってきます」


 ギルベルト・フライクに笑顔で伝え、穢れに向かって走り出す。


「リーヤ。ルナ」


「ピャッ」


「ウォン」


 リーヤとルナを呼ぶ。そして走る速度を上げて、どろどろの真っ黒な穢れに触れる。


「っ……!」


 どぷんっーーその音と共に勢いよく体が引っ張られ中へと入った。そして聴こえてくる声。


『かエリたイ』


『おカアさん、どコ』


『コワいよ』


『たすケて』


『なんでミンナだけ幸せナノ』


『ワたしは』


 ーーこんなにも、不幸なのに。


 脳内に響く無数の声。その声はまるで反響するかのように響き続けている。


『みんなダケが幸せニナルのはゆるさない』


『わタしをかえシテ』


「……」


 前までの私はここで耳を塞いで縮こまり、この声と感情に飲み込まれかけていた。だけど今の私は違う。今の私は俯くことなく前を見る。


「そこは暗くてあなたの姿が見えないから出てきてほしいな。それで一緒に話そう」


『ちガう』


『かえリタい』


『話ス』


『ちがウ』


『ハナシても』


『かえれなイ』


「うん。でも話したらいい方法が見つかるかもしれない」


『シラナイしらない』


『帰りタい』


『カエして』


「そこは暗いよ。それにとっても悲しい場所。だから、そこから出てきてほしい」


 真っ暗な先に手を伸ばす。するとその真っ暗なところから青白い手が差し出された。


『コノてヲあったメテ』


『一人にしナイで』


「……っ!」


 言葉が終わった瞬間、暗闇に向かって幾数もの手によって思いっきり引っ張られる。反射的に足に力を入れて後ろへ倒れるように力を入れるけど、後ろからも押されて徐々に青白い手のほうへと行ってしまう。


「ピャッ!」


「ウォン!」


 リーヤが炎で私を引っ張る手を牽制してくれて、ルナが私を引っ張ってくれる。


『どうして』


『わタしを助けてクレないの』


『怖いノ』


『トッテモこわい』


「……私も、怖いよ」


『こわいノ?』


「うん。怖い。たくさん怖いことがある。その中でも今一番怖いのは、このままだと私はあなたを恐怖の対象にしてしまうこと」


『それハ怖いこと?』


「怖いことだよ。もしそうなったら私は自分を守るために、あなたに近づくことも話すこともできなくなる。そうしたら私はあなたのことを何も知らないまま、あなたを悪者にしてしまう。それが怖くて、悲しい」


『かなしい』


『それジゃア』


『ワたしとハナしがデキルの嬉しイ?』


「うん。嬉しい」


『ソッかあ』


『嬉シい』


『わたシも』


『うレしい』


 聞こえてくる声が明るくなって、空気が少し軽くなった。そして真っ暗だった景色に色をつけていく。


 青、白、緑に赤や黄色。それからピンクに紫色。


 景色は徐々に私が知る花畑へと変わっていく。そして最後の真っ黒は小さくなっていき人の形へと変化した。


『おはながすき』


『そらもすき』


『くももいろいろなかたちがあってすき』


『「おねえちゃんも、すき」』


「っ……ひなた、ちゃん?」


 重なる声。その声と共にひなたちゃんの姿が現れる。だけど私が知っているひなたちゃんではない気がして問いかけのようになってしまった。


『「おねえちゃん。こわいことしてごめんなさい。わたしのことこわい?」』


「怖くないよ」


『「ほんとう?」』


「うん。本当だよ」


『「よかったあ」』


 ひなたちゃんの姿をした女の子は安心したようにふにゃあっと笑った。そして女の子は両腕を広げ『「おねえちゃん。わたしね、おねえちゃんをしってるよ。ずっとみてたから。おねえちゃんがいまのわたしよりちいさなときからずっと、ずーっとみてた」』と言った。


「見てた……」


『「うん。みてたの。それでほんとうは、おねえちゃんをここによびたくなかった」』


「っ……!」


『「ここはきたない。まっくろなひとたちがたくさんで、うそをいうひとばかり。だけどわたしはおねえちゃんにであった。おねえちゃんをみているときだけ、こころがやさしくおちついた。わたしはずっと、おねえちゃんにすくわれてた」』


「……」


『「だけどだめだった。わたしはとめられなかった。このいかりもかなしみも、くるしさも。ぜんぶぜんぶあふれてせかいをのみこんで、あたらしくしてしまった」』


「ひなた……さん」


『「わたしはただかえりたかった。がんばったらかえれるといわれたから……わたしはがんばったの。でも、うそだった。わたしがどれだけがんばっても、かえれないとわかってしまった。だってわたしがいなくなったら、このせかいのにんげんがこまるから」』


「……」


『「かえりたかったな。かえりたかった……」』


 そう言って寂しそうに笑うその表情はその幼さに似つかわしくなくて、ここで過ごしたひなたさんなんだなと漠然と思った。

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