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「あなたは、アネモネさんですよね」


 私の問いかけに、ふっと小さく息を漏らし笑った。


「そうです。よくわかりましたね」


 瞳の色がすみれ色から青紫色へと変わっていく。それに伴い片方の炎が大きく主張し始める。そしてもう片方の炎はまるで眠っているような穏やかさで燃えている。


「私が考えていたより成長が早いですね。もっとゆっくり成長してくださらないと、あなたを守れる人間が限られてきてしまう」


「何を、言っているんですか……」


「言葉の通りですよ。今の勢いのまま成長されてしまうと、あなたを守れなくなる。そしてあなたを独りにしてしまう」


 そう言ったアネモネさんからは笑顔が消え、少し苦しそうな表情を浮かべ私を見た。そしてゆっくりと近づいてくる。私は動くことができず、ただただアネモネさんを見つめる。


「そう。始まりの救世主と呼ばれる彼女のように」


「っ……アネモネさん! 私、アネモネさんに聞きたいことがあるんです! 始まりの救世主について……!」


「ええ。なんでも聞いて。私が答えられる彼女の全てを話すわ」


「ありがとうございます」


「ただ約束をしてほしいことがあるの」


「私が守れることなら」


 私がそう言うと、アネモネさんは自身の左手を胸元の高さまで上げた。そして手のひらから、ふわっとたくさんの花びらが出て美しく舞い始める。


「最期まで人間(・・)でいて。たとえそれ(・・)を必要に迫られても、それでも人間(・・)のままでいて。決してそれ(・・)を受け入れないで」


「……」


「私たちを、おいていかないで」


 悲しさが苦しさが含まれたその音たちが聞こえた瞬間、私の脳裏を過ったのはお父さん。そしてあの日の私。隣に立つお母さん。


「アネモネさん。アネモネさんの言うそれ(・・)とはなんですか」


「彼女が創造する前の世界で最も偉大な力であった、神のことです」


 偉大な力。

 神。

 それを必要に迫られても。

 受け入れないで。

 人間のままで、いて。


「……」


 今、浮かんだこの考えが思い違いならいい。だけど違うのなら、私は……私はどうするだろう。


 もし偉大な力を受け入れたら、帰れると言われたら。

 もし偉大な力を受け入れたら、私の心のままに救えるとしたら。

 もし偉大な力を受け入れたら、失った命を蘇らせることができるとしたらーー。


『ゆづ』


 聞こえるお父さんの優しい声。


 私は目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出す。そして目を開けアネモネさんに笑いかける。


「アネモネさん」


「はい」


「私を、覚えていてください」


「っ……おいていかないで!」


 悲痛な声と共に伸ばされる手。狂ったように舞うたくさんの花びら。


 私はその手を優しく掴み、口を開く。


「始まりの救世主は、人間ですよ。たとえどんな力を受け入れて使ったとしても、あなたが覚えている限り人間です」


「……っ、無理よ。もう覚えていられないわ。だって私は、ただの記憶。直に消えてしまうもの」


「だから繋ぐ(・・)んです。アネモネさんから私に。そうすれば私が覚えています。始まりの救世主が人間だということを」


「っ、ありがとう……」


 私は笑顔で頷く。そして狂い舞っていたたくさんの花びらが私にゆったりと落ちてくるのを見つめる。花びらは私に触れると馴染むように溶けて消えていく。


 馴染むようなその感覚がとても心地よくて、少しだけ目を閉じる。温かくて、じんわりと広がっていくのがわかる。


 まぶたの裏側で楓さんが微笑む。


「……楓、さん」


 小さな、小さな声でその名を呼ぶ。


 溶けて消えていくたくさんの花びらは、アネモネさんの記憶を記録する媒体。そして約束の証。それが全部楓さんの力に馴染み記憶されていっているんだ。


「救世主様……」


「なんですか?」


「後ろを見てください」


「え? うし、ろ……」


 アネモネさんに言われ振り返ると……そこには口元だけが見える仮面をつけ、色とりどりのスターチスの花でてきた着物のような格好の女性がいた。


 私がじっと見つめていると、女性は柔らかく口元に笑みを浮かべ私にお辞儀をした。


 あの日、最後に見た楓さんの笑顔と重なる。


 すとん、と私の中に落ちてきて綺麗にはまる。


 ああ、彼女は楓さんの力だ。花さんのときと同じ、私のそばにいてくれる形で馴染んでくれたんだ。


『ーー』


 彼女の口から音は出ていなかった。けれど私の全身に響く言葉。


 あなたを忘れない、という言葉。


「ありがとう。それと見たまんまになっちゃうけど、あなたの名前はスターチス。実は私の好きな花なんだ」


 嬉しそうに微笑むスターチス。彼女はそっと私に近づき、右手で私の頬を撫でる。


『ーー』


「それは、本当?」


『ーー』


「それができるなら、あ、でも待って。アネモネさんに確認するから」


 私はアネモネさんに向き直り口を開く。


「アネモネさん」


「はい」


「勝手承知で言います。どうかスターチスの中で生きてくれませんか。その、肉体を戻すことができないので記憶のままなんですけど……もし私が始まりの救世主なら、私をずっと覚えていてくれた人に会いたいから。だからスターチスの中で始まりの救世主に会えるまで待っていてくれませんか」


「あなたはそれで本当にいいの?」


「はい。私が言い出したことですし、それに下心ありの話です」


「下心? もしかしてあなたドウマンのことがそういう意味で好きなの?」


「へ? いえ。そういう意味も何もないですよ。ドウマンさんのことはよくわからないですし」


「そうなの? 下心と言うからそういうことなのかと」


「あ、ごめんなさい。言い方が悪かったですね。下心っていうのはアネモネさんがスターチスの中で生きていてくださると、スターチスを通してアネモネさんの記憶を歩けるようになるんです。だから本当にこっそり始まりの救世主を知ることができるという意味合いで言いました」


「そういう意味だったのね」


 アネモネさんは納得したように笑顔で頷いて「ぜひあなたの力の中で生きさせてください」と言ってくれた。


「ありがとうございます!」


「こちらこそありがとう。それからよろしくお願いします」


「はい。よろしくお願いします。スターチス、お願い」


『ーー』


 スターチスがアネモネさんに手を伸ばし、心臓辺りを掬うように手を動かした。そして取り出される炎。その炎を包むようにスターチスの花が咲く。


『ーー』


 そっと炎を包んだスターチスの花に口づける。するとスターチスの花はその姿を光の粒へと変え、スターチスの中へと入っていく。


 光の粒の隙間から見えたアネモネさん。


 ーー記憶の中で、会いましょう。


「はい」


 私は笑顔で頷き、アネモネさんを見送った。

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