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あれから四時間くらいが過ぎ、現在私はアリシアさんと一緒に王子のいる部屋へと向かっている。
「雪月様。まず私が中に入り弟と話をします。そして頃合いを見て雪月様をお呼びしますので、そのときに部屋へ入ってきてください」
「はい」
「それから念のため私の力で雪月様の気配を消しますが、雪月様もできる限り息を潜めてください。そしてなるべく動かないようお願いします」
「はい。頑張ります」
気合いを入れつつアリシアさんに返事をする。そして王子のいる部屋の近くに到着。
「では、行って参ります」
部屋の近くなので声は出さず頷いて返事をする。アリシアさんが部屋の中へ入るのを見届けて、静かにこっそりと足音をたてないように扉に近づく。そして耳を澄ます。
「姉さん? どうしてここに? 彼女はどうしたの」
「エミリオ。あなたに話があって戻ってきたの」
「話? それなら朝になってからにしよう。彼女のそばを離れるのは危険だ。あれが彼女を捕まえたらどうする気なんだ」
「大丈夫よ。救世主様も強くなってきたもの」
「……姉さん」
少しの間のあと低くなる声。扉越しなのに背筋が伸びて緊張する。その声は冷たく殺意のようなものが込められているような気がした。
「それは本気で言っているの」
「ええ。本気で言っているわ。あなたも見ているから知っているでしょう」
「知っているよ。だけど彼女は救世主じゃない。お父様やこの世界に無理矢理やらされているだけだ。本当の彼女はただの女の子だよ」
「……っ」
「それはわかっているわ。だけど強くなろうと努力してくれているの。その成果が出ているわ。だから私たちがつきっきりでなくとも大丈夫よ」
「はあ。姉さん、話すのは朝にしよう。僕が彼女の元へ行く」
「エミリオ、待って! 話をさ、きに……」
「姉さん。僕は彼女を一番に考える。邪魔をするなら容赦しない」
「エミリオ……」
殺伐とした雰囲気。近づいてくる足音に焦りながら、私は意を決して王子より先に扉を開く。そして驚いている王子を見ながら考えなしのまま口を開く。
「ごめんなさい! 私があなたと話がしたいとアリシアさんにお願いをしたんです!」
「は……?」
「確かにこの世界に突然喚ばれて死ぬか救世主になるか選べと言われたから、私は救世主になりました。だって死にたくなかったし、生きて帰りたかったから。今もそれは変わりません。死にたくないし帰りたいです」
救世主になったあの日からのことを思い出しながら「だけど……」と続ける。
「今の私にはこの世界でやりたいことがあります。それがやれなければ、後悔する。絶対に後悔する。だから私に力を貸してください……!」
「……」
「エミリオ……」
私が言い切り口を閉じると、しんっと静まり返る部屋。そして緊張からかどくどくと心臓の音が聞こえる。
じっと私を見ていた王子が私に向かって歩いてくる。
あの日のように、無表情で。
あの日と同じように、槍を持って。
体が、震える。
じくじくと右肩が痛み始める。
心臓が、心が……逃げたいと叫び始める。
逃げたい。
でも、逃げては駄目。
逃げたら、もう王子とは話せなくなる。そんな気がする。それじゃ意味がない。
私は、落ち着かせるように大きく息を吸い静かに吐き出す。その間も王子から目は逸らさない。しっかり、王子を見ている。
「今僕の手には武器がある。あの日あなたの肩を刺した槍が」
「はい」
「僕の顔とこの槍を見ただけで体が恐怖で震えている。それでいい。それが当たり前なんだ」
王子の言う通り、震えるくらい怖い。怖いのなんて当たり前。だってわけもわからない状態で刺されているんだから。でも怖さと同じくらい怒りがあって……その怒りで自分を奮い立たせたときもある。死にたくないなら、生きて帰りたいなら頑張れと鼓舞してきた。
「知らない世界で知らない人間のために、たった一つしかない命を懸ける必要はない。あなたは逃げても構わないんだ。それを責める権利は誰にもない。この世界のことはこの世界の人間がどうにかすべきなんだよ」
「……」
「安心してほしい。逃げたあなたを責める者がいるなら、僕がその者をどうにかする。だからあなたは、あなたのことだけを考えて行動すればいい」
今も、怖さがある。だけど……本当はとても優しい人なんだと思う。王子は私のために悪者になろうとしてくれている。あの日私の肩を刺したのも、私が逃げられるようにだったのだろう。でも逃げなかった。逃げるなんて選択肢は怖くて無意識に削除してた。
そのおかけで……私は楓さんたちに出会うことができた。それは、私にとっていい出会いだと断言できる。もっと言えばギルベルト・フライクと団長さん、それからエドさんにミーシェさんとサラさん。最近だとユーリとフォールマにアリシアさん。みんなと出会えたこともいいことなのだ。
「……」
今の私はこの人と出会えたことも……いいことだと思える。だからーー。
「あなたは、私は私のことだけを考えて行動していいと言ってくれました。それなら私の答えは変わりません。私はこの世界でやりたいことがあって、そのためにあなたに力を貸してもらいたい。今の私にはそれ以外ありません」
「……」
「ありがとうございます。私のことを考えて悪者になろうとしてくれたこと。でも私は、私を想ってくれる悪者より……私を想ってくれる味方でいてほしいです」
私の言葉を聞いた王子は私から視線を逸らして、ゆっくりと瞬きをした。そして槍を消して、ふうと息を静かに吐き出した。




