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「あなた様に初めてお会いした日、私は驚きました。あなた様には最初から黒い靄の姿が見えませんでしたから。見えたのは暖かな色。そして心地よい空気……私はあなた様を待っていたのだと、今ならわかります」
「アリシアさん……」
「救世主様。どうか私をあなた様の力としてお使いください」
美しくお辞儀するアリシアさんに、私はアリシアさんから視線をゆっくりと上へと移す。
私は、救世主。
アリシアさんは、救世主の力。
私がアリシアさんを救世主の力として使う……でもそれは、それはさ、なんか違うよね。うん。違う。違うんだよ。
「アリシアさん。私はこの世界では救世主です。でも本当の私はただの女子学生なんです。世界が違って立場もあり方も違う。だけど私の心のあり方だけは変わらない。だから私はアリシアさんにはっきり言います。私はアリシアさんを救世主の力として使いません。ただ私の友人としてアリシアさんの力を貸してください。お願いします」
私が言い切り頭を下げると、アリシアさんが息を呑む音が聞こえた。そして小さな声で「救世主様……」と私を呼んだ。その声にアリシアさんを見ると、今にも泣き出してしまいそうな表情で私を見ていた。
「私は救世主の力です。救世主様に使われるための、ちか、ら……」
はらはらと涙が美しい瞳から零れ落ちていく。
「ふ……っ、うっ……」
「アリシアさん。あなたは人間です。私と同じ人間なんですよ。救世主の力という存在に縛られないでください」
「……っ」
「今この世界では、アリシアさんは救世主の力です。でも私が必ず今の世界をどうにかします。だから私に力を貸してください。あなたの意思で、あなたの考えや心で……私を助けてください」
「……」
アリシアさんは何も言わなかったけれど、手が震えながら伸ばされる。その手を優しく握ると、アリシアさんは膝から崩れ落ちるように床へと座り込んだ。咄嗟に支えた私も床へと膝をつく。
アリシアさんが座り込んでしまったので、少し上から私はアリシアさんを見つめる。アリシアさんもそんな私をまっすぐ見つめて、しがみつくように私の手を強く握った。
アリシアさんの震えが握られた手から伝わってきて、私の心が揺れる。
不安。
恐怖。
寂しさ。
様々な想いが重なり伝わってくる。
私はアリシアさんが救世主の力になったときから今この時の想いを知らない。仮令知ることができても全てを理解するこ
ともできない。
それがとても歯痒い。
「救世主、さま……」
小さく震えた声で呼ばれ、安心してもらえるように小さく笑って「なんですか」と返す。
「私はあの日から救世主の力として生きてきました。救世主の力として強くあれるようにと努力もしてきました」
「はい」
「ですが本当は……ただの人でありたかった。忘れられたくなかった。私は、私たちは生きている。存在している」
私たちを、見て。
私たちに、気づいて。
私たちは、ここにいるの。
アリシアさんの声にならない声が頭の中に響く。
考えのまとまらないまま何か言おうと口を開こうとした瞬間、アリシアさんが私を呼んだ。
「きっとあなた様は救世主でなくても、私たちを見つけてくださった気がします。救世主様。私を人間だと仰ってくださりありがとうございます」
涙を拭ったアリシアさんは微笑んで立ち上がった。それに続いて私も立ち上がる。
「私、アリシア・ルウ・アルディーナはいついかなると時もあなた様の力としてこの身を捧げ力を振るうことを。そしてあなた様を忘れぬことを誓います。私の意思で、心で決めました。どうか私の覚悟をお受け取りください」
「……はい。あ、でも一つだけお願いしてもいいですか」
「もちろんです」
「私を守って怪我をしたり命を落とさないでください。守る優先を私ではなく、アリシアさん自身にしてください」
「それは時と場合によりますね。私はあなた様の力ですから、体が勝手に動くということもありますので」
「そう、ですよね……」
「ですが努力致します。それがあなた様の願いならば。ただ私が強くなればその問題もなくなるでしょうから邁進して参ります」
「っ……私も! 私も頑張ります! だから特訓をお願いするかもしれません。その時はお願いします」
「もちろんです。できる限りお傍に控えさえていただきますので、遠慮なくお呼びください」
「ありがとうございます」
私はお礼を言って勢いよく頭を下げる。
「救世主様。あのお願いといいますか許可を頂きたいことがあるのですが……」
「はい。なんでしょう」
「その、名前でお呼びしてもよろしいでしょうか」
「へ、もちろんですよ。好きに呼んでください」
「それでは……雪月様」
小さくこほんと言ってから呼ばれた自分の名前。その声には温かさが感じられて頬が緩む。少し気が抜けてきた。だけど抜けている場合ではない。
もう一人、話さなくてはならない人物がいる。アリシアさんの弟である王子と。
「アリシアさん。申し訳ないのですが、王子様と話す機会を作っていただけますか」
「もちろんです。ですが弟と一対一で話すのは危険です。あの子はとある考えのせいで雪月様の命を狙っていますから」
「とある考え……?」
「はい。救世主をこの世界の者が殺せば、救世主は元の世界へと帰れるという考えです」
「え……」
「雪月様。それで帰れることはありません。雪月様の前の救世主がこの世界の者に殺されたとき、闇が遺体を飲み込み黒き靄へと姿を変えられていましたから」
「……っ」
「あの子にもそれを説明したのですが聞き入れてもらえず、雪月様の命を狙っています。雪月様が元の世界へと帰れるように」
「もしかして、私の肩を刺したのもそれが理由ですか……?」
「はい。あの子もあの日私と共に見ていました。そして雪月様の美しさと温かさに、早く帰さなければと私がとめるより早くあなた様の肩を刺したのです。本当に申し訳ありません」
アリシアさんの謝罪が少し遠いところで聞こえる。私は小さく頭を左右に振り「大丈夫ですから、謝らないでください」とだけ伝える。いろいろと頭が混乱している。
まとめる時間もほしいけど、アリシアさんに確認したり聞きたいことが山ほどある。
私はふーっと息を吐き、アリシアさんに視線を戻す。
「アリシアさん。遅い時間なんですが、私に付き合ってくれませんか」
「はい。喜んで」
「ありがとうございます」
お礼を言って、紙とペンを用意してアリシアさんと並んで椅子に座る。そしてアリシアさんに質問を一つずつしていく。真剣に答えてくれるアリシアさんに感謝しながら、私は必死にペンを走らせ続けた。




