3
部屋へと戻った私は普段と変わりない動きをして、いつも私が寝る時間になった。
いつも通りベッドへと向かうと消える視線。
「……」
私はベッドから離れ急ぎお姫様宛に手紙を書く。内容は簡単だけど『お姫様とお話がしたいです』とだけ書いた。このあとお姫様だけがここへ戻ってきてくれると信じて。そしてこの手紙を見たお姫様がどう動くのかはわからない。だけどお姫様と接触してお話するにはこれしか思いつかなかったのだ。
「お願いします」
手紙に向かって頭を下げる。
どうかお姫様とお話ができますようにーー。
強く強く願いを込めてもう一度頭を下げてからいつもの寝る場所へ。
いつもの位置に座って目を閉じたけど、そわそわとしてしまって落ち着かない。いつもしないことをしたから緊張してるんだ。
落ち着け。このそわそわがお姫様に伝わってはいけない。いつも通り、いつも通りになるんだ。
「……」
自分に暗示をかけていると、小さな物音が聞こえた。紙を手に取ったような小さな音。私の耳は自然と研ぎ澄まされていく。
「いいですよ。お話ししましょう」
クローゼットのすぐ前から聞こえる声。私はその声を知っている。騒ぐ心臓を抑え、クローゼットを開ける。
「アリシア、さん……」
クローゼットの前に立っていた人物は、私をこの部屋へと案内してくれた美しい女性アリシアさんだった。そしてあの日以来会っていない人でもある。
「救世主様。お会いするのはこれで二回目ですね」
「そう、ですね」
初めて会った日と変わらないおっとりとした声。ただあの日と違って間延びした話し方ではないのが私を緊張させる。だけど緊張している場合ではない。
私が口を開こうとしたその瞬間ーー。
「私もあなた様とお話がしたかったの。でもここでは私の弟がいつもあなたを見ているし、外では他の者が一緒にいるので話しかけられなかった。だから私とても嬉しいの。救世主様。機会を下さりありがとうございます」
「お礼を言うのは私です……! こちらこそありがとうございます」
アリシアさんも私と話がしたいと思ってくれていたのは予想外だ。だけどそのおかげで話ができる。ただ何から話そう。ああ、いや、アリシアさんもきっと何か私に聞きたいことがあるはずだ。
「あの、アリシアさんも私に何か話したいことがありますよね。それを先に聞かせて頂けませんか。私の話はそのあとで大丈夫なので」
「ありがとうございます。では先に私の話からさせて頂きますね。まず何よりも先にこれだけは言わせてください。私の弟があなた様の肩を刺したこと、誠に申し訳ありませんでした。許されることではありませんが謝罪だけはさせてください」
「っ……」
アリシアさんの言葉に息が詰まる。
弟ということは、つまり王子が私の肩を刺したことになる。でもあのとき私の肩を刺した男は兵士の格好をしていた。なぜ王子が兵士の格好をしていたんだ。
落ち着かない思考と心臓の音を聞きながら、どうにか言葉を発する。
「アリシアさんが私に謝ることではないです。アリシアさんには何もされていませんし」
「いいえ。弟のやったことは姉である私の責任でもあります。本来ならばこの命を持って償うところですが、先にあなた様の役に立ってからと……」
「アリシアさん」
アリシアさんがまだ話しているのにも関わらずつい声を出してしまった。いや、だってアリシアさんが命を持って償うところとか言うんだもの。こう、なんというか……すっごくもやっとした。だから声が出たのはしかたがない。
「はっきり言わせてもらいます。命で償ってもらっても困ります。それに役に立ってからとか、命をなんだと思っているんですか」
「ですが……私があなた様への償いで差し出せるものはこの命しかないのです」
そう言ったアリシアさんにずんずんとすごい勢いで近づき、自分の心臓がある位置を指して口を開く。
「アリシアさん。私のここに触れてください」
「あの、救世主様……?」
「何度も言いますがアリシアさんが私に償う必要はありませんし、私の役に立つ必要もありません。ただ私の命の音を覚えていてください。そして私を覚えていてほしいです」
「っ……失礼致します」
「はい」
そって手を伸ばし私に触れたアリシアさんは小さな小さな声で「……温かい」と呟いた。そして目を閉じて小さく微笑んだ。
「本当に、温かい……」
「……」
噛み締めるようにそう言ったアリシアさんを見ながら、私は心配と不安でいっぱいだ。なぜならアリシアさんの手が異常に冷たいから。服越しなのにかなりの冷たさが肌に伝わってくる。
「すみません。アリシアさんの手に触ってもいいですか?」
「ええ。どうぞ」
アリシアさんの手を包むように触ると驚くくらい冷たくて、思わずばっと放してしまいそうになる。それに気づいたアリシアさんが静かな声で言った。
「ごめんなさい。冷たかったですよね」
「いえ! アリシアさんは謝らないでください……! それより大丈夫ですか? 寒いなら何か……」
私が言っている途中で、アリシアさんが首を小さく左右に振った。
「お心遣い感謝致します。ですが私はあなた様のそのお心だけで温かいので心配なさらないでください」
「そう、ですか……?」
「はい。それにあなた様のおかげで私たちの体温が戻り始めますから」
「え?」
「実は私たちは救世主の子供なのです。そして救世主の力。故に救世主を失った私たちはただの幻となりました」
「……っ」
「私たちの母はあなた様が喚ばれる前の前にいた救世主。父と恋をして結婚し私たちを産み……そして自ら命を絶ちました」
アリシアさんは目を伏せてそう言った。その言葉を聞いた私は何も言えずただただアリシアさんを見つめる。
「母が自ら命を絶ったあの日……私たちは母によって救世主の力となりました。けれど力を扱う救世主が世界からいなくなったことで、私たちは世界から存在を認識されなくなりました」
「……」
「救世主の力となった私たちは、この世界に救世主が存在しなければ意味がないのです」
あ……そうか。だから初めて会ったあの日、アリシアさんは私に「あなた様にいなくなってほしくないので」と言ったのか。救世主がいればアリシアさんたちの存在を世界が認識するから。でもここは始まりの救世主が造った世界。どうして救世主の力になったアリシアさんたちを世界から認識されないというだけにしたのか……。何か意味があったのか、それともただ単純にできなかったのか。ああ、いや、今は深く考えるのはやめよう。アリシアさんが話す時間を作ってくれたのだから。
「けれどあなた様の前の救世主は違いました。私たちの求めている救世主ではなかったのです」
「え?」
「あの救世主は薄く黒い靄のようなものに包まれていました。この世界に生きる者たちと同じ……始まりの救世主の操り人形」
「っ……アリシアさんにはこの世界の人たちはみんな黒い靄に包まれているように見えているんですか」
「はい。けれどそうではない者たちもいます。あなた様の身近だとヴォルフとクロワイルは違いますし、フライクも違いましたね。それからローズホワイトは最近黒い靄が消えました」
「消えた……」
「最初は他の者と同じでしたが、あなた様と関わり始めた頃から徐々に変化がありました。そしてローズホワイトが目を覚ましたあの日、黒い靄は消えていました。そして今の彼を包むものは心地よい温もり。それはきっとあなた様の優しさですね。私も実感しています。あなた様のそばは本当に心地よくて安心しますから。今の私はあなた様の優しさに包まれています」
そう言ったアリシアさんは、私の手をそっと握った。そして私に微笑む。
アリシアさんの手は先程よりもずっと温かくて、私は何故だか少し泣きそうになった。




