癒しと傷痕
ユーリを侵していた毒を解毒したことで体に異変がないか健康診断が行われることになった。
「……」
嫌な記憶が頭を占めて気持ちが悪いし、医務室に向かう足取りはとても重い。
「はあ……」
この世界に喚び出されたあの日、私は肩を刺された。そしてこの国の医師が私の肩を治療してくれたけど、本当に気休め程度の治療しかしてくれず……化膿して苦しんだことを今でも鮮明に思い出す。そのせいで私はこの世界の医師を信用できず恐怖の対象でしかない。だからできるだけ医師に見せるような大きな怪我をしないようにしてきた。
……いや、その場その場で必死すぎて怪我しないようにという考えはぶっ飛んで消えていたけども。それでも落ち着くと思い出すから慌てて怪我の具合を確認するわけで。
「まさか、だよねえ……」
盲点だった。いつも外傷にばかり気をつけていたから。まさか影響がないかの確認をされるとは思っていなかった。いや、遅効性で影響が出るかもしれないから念のため診るのはわかる。わかるけど、それとこれとでは話が別だ。無理だ。誰か私を助けてくれ。頭と足が進むことを拒否している。
そうは思いつつもたどり着いた医務室。私は深呼吸をして扉をノックした。
「救世主さんかな? どうぞ」
中から聞こえる少し気だるげな声。その声を私は知っている気がする。そう、つい最近聞いた気がするのだ。ただ誰だったか思い出せない。
「……」
思い出そうとしたけど時間がかかりそうだったので、私は意を決して扉を開け中を見た。そして顔を見て思い出した。
「フォールマ……」
「救世主さん。あなたと会うのは二度目だな」
その問いに頷くことしかできない私を気にすることなく、フォールマは言葉を続けた。
「ユーリを助けてくれてありがとう。俺の力では無理だったから、あなたがいてくれてよかった」
「……」
言葉に敵意は感じないけど、長い前髪のせいで目が見えないから余計にどう思っているのかわからず困ってしまう。それに気づいたフォールマがけたけたと笑って口を開いた。
「大丈夫。俺はあなたの味方だ。あなたに敵意はない」
「……」
「エドワード・クロワイル」
「っ……!」
「俺の歳の離れた兄なんだ。どうだった? 俺の兄と話して」
「……優しい、方でしたよ」
エドさんを思い浮かべたときに出る言葉はそれだ。だけど最期の別れで……私のエドさんに対する人物像は優しい人だけではなくなっていた。だから少し歯切れ悪く音となってしまった優しいという言葉。
「……」
フォールマはどう思っているのだろう。自分の兄が不浄にされたことや救世主のこと。団長さんがとても怒っていたのだから、恐らくフォールマだってそうだろう。だとしたら私に対して……ん、あれ、ちょっと待って。私がフォールマと会うのは二度目のはず。フォールマも私と会うのは二度目だと言った。それはつまりユーリのことで会ったあの日が初めてだということ。それなのに彼は私の味方だと言って、敵意はないと言った。
「……」
私は混乱しながら口を開いた。
「あの、フォールマ、さん……」
「なんだ? あ、救世主さん。俺は畏まったのが嫌いだから丁寧に話さなくていいし、呼び捨てで頼むよ」
「あ、はい……いや、うん。わかった。あ、ちょっと待って。ごめん。私、ちゃんと自分の名前言ってなかった。冬夜雪月。それが私の名前。改めてよろしく。それで本題なんだけど、私とフォールマは関わりがなかったでしょう。でもあなたは私の味方だと言った。私はあなたに信用してもらえるようなことをしていないのにだよ。なんで私の味方になってくれたの」
ほぼ一呼吸で言い切って肩の力を抜く。そしてフォールマをまっすぐ見つめ答えを待つ。するとフォールマは椅子に座り直して「俺はあなたのことをユヅキさんと呼ばせてもらう」と気だるげな声ではなく、はっきりとした声で伝えられる。そして彼は言葉を続けた。
「確かに俺とあなたは関わりがなかった。あなたがこの世界に喚ばれたときは仕事でここにいなかったし、帰ってきてからもあなたと俺のタイミングが合わずすれ違いだった。だけど話はシヴィから聞いてた。あなたがどういう人間でこの世界に喚ばれてから何をしたのか。その時に聞いた。君が兄と会ったこと。そして兄を見送ってくれたことを」
見送った、というその言葉に私は居心地が悪くなった。確かに私はエドさんの最期を見た。だけどエドさんが最期を迎えることになった原因をつくったのは紛れもなく救世主だ。楓さんたちとは違う。だから……。
もやもやとした負の感情を振り払うように、言葉を口にする。
「ごめん。一つだけ確認したいんだけど、シヴィというのはシーヴァさんのことであってる?」
「あってる」
「ありがとう。それからシーヴァさんから話を聞いていたのはわかったけど、私が極悪人だったらどうするの。とても演技が上手でみんなを騙してる可能性だってあるのに」
「本当の極悪人がそれを言うと思うか?」
「それが作戦だったら言うでしょう。みんなを油断させるために」
「無理だろうな。あなたは素直だ。それに演技が上手には見えない。どちらかといえば下手くそだろう」
「っ……下手くそまで言わなくても」
「ほら、素直だ。顔に出てる」
「これも作戦かもしれないでしょ」
私の言葉にふっと声を漏らして、手で口を隠すフォールマ。その肩はかたかたと揺れている。
「笑うなら隠さずに笑ってよ」
「すまない。謝るから拗ねないでくれ」
そう言いながら楽しそうにするフォールマに気が抜ける。そして少しの間笑うフォールマを見ていると、彼は「あなたは俺のことをどう思う?」と問いかけてきた。
「あなたのこと?」
「そう」
「エドさんの弟?」
「なんで聞き返すんだ」
「いや、どう思うと聞かれても関わりがなかったからそれ以外思い浮かばなくて」
「それじゃあシヴィのことはどう思う?」
「シーヴァさん? シーヴァさんは……」
言いかけて気づく。私は団長さんのことをどう思っているのだろう。
最初の頃は嫌な人だなって思って関わりたくなかった。でも団長さんと話をして少し彼を知った今は違う。
信用、してる。
信頼、もしてる。
だけど、こう、なんと言えばいいのか……。
「シーヴァさんに、死んでほしくないなって思う」
ぎこちなく発せられた私の言葉に、フォールマの雰囲気が変わったのを肌で感じる。
「俺が言うのもなんだけど、救世主のあなたに対するシヴィの態度はいいものではないと思うんだ。まあ、今は違うかもしれないけれど。それでもあなたは死んでほしくないって言ってくれるのか」
「え、うん。私、嫌な態度をとられたからって死んでほしいとは思わないし不浄になってほしいとも思わないよ。関わりたくないとは思うけど。でもそれだけ」
「そうか」
「うん」
とりあえず思ったことを言ったけど納得してもらえただろうか。雰囲気は悪くない気がするけどわからないな。
「それじゃあシヴィと付き合いたいと思ったことはないか? あ、他の男でもいいが」
「え? あ、ちょっと待って」
質問の意味はわかったけど、脳内で処理しきれなかったせいで混乱してる。指で眉間を押さえ、目を閉じる。そして意味もなく「あー」と声を出して目を開きフォールマを見る。
「付き合うというのは、恋愛的に付き合うということでいいんだよね? それなら私の答えはない。この先も私がシーヴァさんやその他の男性を恋愛的な意味で見るとか付き合いたいと思うことはないよ」
「そうか」
フォールマの口角がにんまりと上がった。そして私に向かって右手を差し出してきた。
「握手しよう」
「……え」
「握手。俺の命をあなたに渡す。俺を生かすも殺すもあなた次第」
「は?」
「いい表情だな。それにその一言で何が言いたいのか伝わる」
「だったらその手を戻して」
「断る。俺は本気だ。あなたに俺の命を渡す」
顔は笑っているのに、声色は真剣そのもので。言葉通り本気で言っていることがわかる。だからこそ私は困惑、というよりは拒絶の色が出たのだ。そんな私を気にする様子もなくフォールマは続けた。
「あなたに俺の命を渡すことには意味がある。忠誠の証としての意味が。そしてあなたの命が危うくなったとき、俺の命を代償に一度だけあなたを救える」
「受け取らないよ。そんな私を脅し試すような忠誠」
私はフォールマの目をまっすぐ見つめ、そう断言する。するとフォールマは口角を下げ不満をあらわにした。だけど構わず続ける。
「私の味方だと言ってくれるのなら、死なないで。生きて私の味方でいて。そして私を一人にしないで。それが私への忠誠の証になる」
「守ると言っても限界がある。だけど俺の命を受け取っておけば確実に一度は死なずに助かるんだ。あなたには得しかない話だろう」
「得……本当にそう思ってるなら、私はあなたを信頼できない」
フォールマにそう伝えていると、過るお父さんの顔。
……もう二度と会えないとわかったときの、あのぐちゃぐちゃとした気持ち。そしていまだ欠けて癒えない心。
「私は、フォールマにも死んでほしくないんだよ」
「……」
「私は自分勝手なの。誰かがあなたの死を悲しんで苦しんでるのを見るのは嫌だし。それを見てあのときこーすればよかったあーすればよかったって考えたり思うのも嫌だ。私は、苦しいのも痛いのも辛いのも全部嫌なの。だからもし、あなたが本当に私の味方だと言ってくれるのなら……」
一度口を閉じて一歩前へ出る。そしてフォールマから目は逸らさず背筋を伸ばしてーー。
「私を信じて。まるごと全部。そして私を覚えていて」
「っ……わかった。あなたを、信じる」
そう言ったフォールマは長い前髪を素早くピンで上に留め、立ち上がり私の前まで来て左膝を床につけた。その姿が団長さんと重なる。
「あなたに誓います。フォールマ・クロワイルはこの命をいついかなる状況でも守り抜き、あなたのそばにいることを。そしてあなたの矛となり盾となることを」
「……」
「お約束します。俺はあなたを忘れない」
エドさんと同じ琥珀色の瞳の奥に見えた強く美しい色。その瞳の奥の色に私は……。
「ありがとうございます」
「っ……なぜお礼を言うんだ」
「私の想いを汲み取ってくれたから、それについてのお礼です」
私は、安心したんだ。きっとこの人は約束を守ってくれると。




