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あれから数日、山籠りよろしくあの場所に籠って体力づくりをしていた私だけど……ユーリから狸国王が私を呼んでいると聞いて戻ってきた。そしてさっきまで長々とくだらない話を聞かされていたんだけど、狸国王の用がそれだけだというのがわかった瞬間いらっとした。
「ふー……」
あまりのくだらなさに私の大切な時間を返せと腹を立てながら城の中を歩く。もちろん表情には出さないように気をつけている。
「救世主殿!」
「あ、シーヴァさん。お久しぶりです」
久しぶりの団長さんにさっきまでの怒りが少し消える。
よかった。顔色は悪くなさそうだ。忙しいと食事や睡眠を削ってやつれてしまったりするから、心配していたけど顔を見られて安心した。
団長さんはうんうんと小さく頷いている私に駆け寄って来てくれて、笑顔で久しぶりの会話をしたあと私の近況を伝える。そして。
「そういうわけで、今はユーリに見てもらいながら体力づくりをしてます」
「ユーリにですか……?」
「はい」
団長さんの顔が僅かに曇ったのを見逃さなかったけど、ユーリの何に対してそんな表情をするのかわからず首を傾げた。
「救世主殿。少し右手をお借りしても?」
「え? あ、はい。どうぞ」
「……」
じっと右手を見ていると思ったら、すっと団長さんの指が私の手首を撫でた。思わず体を引いてしまう。
「何も言わず突然申し訳ありません。ですが少し我慢してください」
「はい」
「……」
なんだか暖かい膜のようなものが私の手首と団長さんの指の間にあるような気がする。この感じはなんだろう。団長さんが何か力を使っているんだろうか。
それより……何を調べているんだろう。まさか毒の症状、とか。いやでも食事や口に入れるものに関しては、一緒に準備しているからそういった類いのものを入れられたら気づくはずだ。だから大丈夫なはず。
「救世主殿」
「はい」
「ユーリと二人きりになるのは控えてください」
団長さんの声色がとても真剣で、やはり何かあったのだと気づく。
「何かされていましたか」
「今はまだ大丈夫です。ですがいつユーリがあなたの敵になるかわかりません」
「それはどういうことでしょうか」
団長さんは少し言い淀んで、それから意を決したように口を開いた。
「ユーリは、ローズホワイト家の一人娘ミリアに買われた従順な魔獣です。いつ彼女の命令であなたのことを狙うかわかりません」
「買われた……?」
「そうです。今は人の姿をしていますが、ユーリは魔力量が桁外れに多く全てを魅了する魔獣なのです。それ故に捕らえられたときは……」
団長さんが言葉を濁した意味がなんとなくわかって、つい険しい表情になってしまう。
「ユーリはそこでミリアさんに、買われたということですね」
「はい。とは言っても多くの者は、ローズホワイト家の当主が孤児であるユーリを養子に迎え入れたと思っていますが」
「ユーリは……ミリアさんをお姉さんとして慕っています」
「彼女だけがユーリに魅了されず、表面上では優しく愛を持って接しているからでしょう。実のところは、という話です」
……なんて嫌な話だろう。でも私が知らないだけで、きっとそういう話はどの世界にでもある。
わかってる。わかってるけど……。
「ですからユーリは彼女の命令を叶える。それが一番彼女に喜んでもらえて褒めてもらえるから」
「……」
「救世主殿。ユーリの元へ行くときは私も同行します。決してお一人でユーリの元へは行かないでください」
「シーヴァさん。ユーリは……誰かの命をミリアさんの命で奪ったことがあるんですね」
私から出た声は低く、少し苦しそうだった。それでも確認しなくては、と思ったのだ。そして団長さんは私の問いかけに、静かに頷いた。
瞬間、なんとも言えない気持ちになる。胃の辺りが重くなって苦しい。
「そう、ですか……」
あの黒くてどろどろとした、凍えそうな寒さの雰囲気の場所はユーリが生きてきたところだったとしたら。
苦しくて苦しくて、必死で生きているときにたった一人の人が優しさと愛情、自由を与えてくれたのなら……暗示にかかったようになんの疑問も抱かず、その人のためならなんでもやってしまうかもしれない。それが仮令命を奪うことでも……。
「救世主殿。あなたには信じられないことかもしれませんが、この世界では何ら不思議なことではありません。往々にしてあることです」
「……」
「あなたが傷つき苦しむことだけは避けたいのです。どうかご理解ください」
「わかりました」
どうしようもない気持ちが私をいっぱいにする。だけど今の話を聞く限り、いつユーリが私の命を狙うかもわからない。だからユーリと会うときは団長さんと一緒に。一人でユーリには会わない。
私にはやりたいことがあるからーー。
***
「あれ? 団長?」
ユーリと城の門で待ち合わせをしていたので、団長さんと一緒に向かった。するとユーリが私たちに気づいて首を傾げた。
「団長どうしたの? 今からどこかに出掛けるの?」
「今日から救世主殿の力の訓練に私も参加させてもらいたくてな」
「え? やだ」
「断るな。私も救世主殿の役に立ちたいんだ」
「やだったらやだよ。絶対にやだ。救世主様は僕と二人で訓練するんだよ」
突然駄々っ子のようになったユーリに目が点になってしまう。なんだか雰囲気が違うような……いや、これがユーリの演技だったらわからない。
「救世主様は僕と訓練するの。団長は必要ないよ」
「そうはいかない。救世主殿のお力になるならば、一人より二人のほうが気づけることが多くなるだろう」
「それでもやだ。救世主様は団長がいたほうがいい? いなくてもいいよね?」
「え? あ、いてもらえるとありがたいかな。私とても未熟だから」
「……」
ユーリの雰囲気がすっと変わった。
冷気が……私を包み込む。その冷たさに思わず身震いしてしまう。
「救世主様……死にたい?」
「っ……!」
「僕ね、団長より強いよ」
「ユーリ!」
「団長は黙ってじっとしてて。話すのも、動くのも許可するのは救世主様だけ」
「くっ……」
「それで救世主様は、死にたい?」
「……死にたくないよ」
「だよね。だったら僕の言う通りにして」
私はユーリの言葉に目を伏せ、それからゆっくり首を横に振る。
「ユーリ。私には時間がないの。できるだけ早く力を扱えるようになりたいのよ。だから団長さんが必要なの」
「……」
「ユーリ、お願い」
「はあ。仕方ないなあ……いいよ。救世主様のお願いだから聞いてあげる」
どうにか納得してくれたみたいだけど、すっごく不服そうな顔をしている。
「ユーリ。ありがとう」
私がお礼を伝えると、空気が軽くなって私を包み込んでいた寒さも消えた。
……いつ、ユーリの地雷を踏んでしまうかわからないのが怖い。けど今の私はユーリに頼るしかないんだ。団長さんもいてくれるから、たぶん大丈夫だと思いたい。




