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『よかった……大丈夫ですか?』


「はい、大丈夫です。すみません。ご心配をおかけしました」


 あの暗闇をルナが駆けてくれていたとき、エドさんから貰った髪留めが光って気づいたらエドさんの前にいた。そしてエドさんが私の名前を呼びながら駆け寄ってくれて……。


「ふー」


 今いるこの場所は、ここに入ったときの空気ともさっきまでいた暗闇の空気とも違う。澄んでいて心地がいい。息苦しさを感じないし、たぶんここは大丈夫な場所。


 空を見ようと顔を上げる。見えるのは緑美しい木の葉たち。その隙間から太陽の光が零れて、地を照らしている。


「……」


 私を下ろしてくれたルナは守るように私に寄り添ってくれているし、リーヤは私の手の上で腕を上げくるくると手を回している。


「ありがとう。二人とも」


「クウ」


「ピャッ」


『ユヅキさん。一つお聞きしても良いですか?』


「あ、はい。大丈夫です」


『ありがとうございます。ユヅキさんの手の上にいるその子についてですが、あなたの力で生み出したのですか?』


「ピャッ」


「生み出したと言いますか、前の救世主の方から受け継いだ炎でイメージして……」


 あれ。そういえば途中からリーヤの形を意識して炎を出していなかった。それなのにリーヤが消えていない。


「……」


 その事実になんとも言えない気持ちになる。それを察したのかリーヤが私を見て、くるくると手を回し始める。その表情や仕草は、まるで私を元気づけようとしているみたいで。


『……なるほど。ユヅキさん、その子はもう消えないでしょう。あなたが生きている限り』


「え……?」


『その子はあなたが受け継いだ炎そのものです。その力があなたの想いを具現化し、あなたと共に生きるために意思を持った。だから消えない。あなたが生きている限り、その子はあなたと共にあり続ける』


「……」


『きっとその子にはあなたの大切な思い出が込められている。私はその子を見て思いました』


 瞬き数回。そして理解する。


 リーヤはお父さんとの思い出から生まれた。それによく思い出してみれば、リーヤのこの手をくるくる回すのも……。


 --ゆづ。見てみろ。くるくーる。


「なあに、それ……?」


 --これはな、くるくる元気になる魔法だぞ。


 --このくるくるが悲しい気持ちも辛い気持ちも消してしまうんだ。そして最後はゆづの頬っぺたをこうして包んでお父さんの幸せを注入する。ほうらたくさんの幸せだぞー。


「ふ、ふふ……」


 --ふっふっふっ、よく聞いてくれた。ゆづが幸せな気持ちだったときはな、ゆづの幸せをもっと大きくしてもっと幸せな気持ちにするんだぞ。そして最後はやっぱりゆづの頬っぺたをこうする。そうしたらお父さんの幸せを注入にして、もっと幸せになるんだ。


「もう一度、会いたいなあ……」


「ピャッ」


 リーヤの頭を無意識に撫でていたらしい。リーヤは嬉しそうに手をくるくると回していた。そしてその小さな手を私に伸ばして「ピャッ! キュキュ」と鳴いた。


「幸せ注入だ……」


「ピャッ」


『ユヅキさん。あなたはとてもいい子です。そしてあなたのご両親はとても素敵な方々ですね』


「ありがとうございます……」


「ピャキュキュ」


「クウ」


「二人もありがとうね」


 ルナとリーヤを撫でて立ち上がる。


 ここで安心している場合ではない。私にはやることがある。


「エドさん。お願いします。私を三番目の救世主のところへ連れていってください」


『ええ。では行きましょうか』


「はい!」


 私は頷き、歩き始めたエドさんに着いていく。



    ******



 三番目の救世主のところへはそんなに時間もかからず着くことができた。そして三番目の救世主と対面して、彼女の不思議な雰囲気に少しの間呼吸することを忘れてしまった。


 なんだろう。懐かしさを感じると言うべきなのか、この人のそばにいれば大丈夫だと思えるくらい安心すると言うべきなのか。この気持ちを上手に表すことができなくて困ってしまう。


 誰かに、似ているような気もする。でもこの人だと断言できる人間が私の記憶にはいない。


 あ……物思いに耽っている場合じゃない。まず挨拶が先でしょ。何をじっと見つめて黙っているんだ私よ。


「あの、ごめんなさい!はじめまして。私、冬夜雪月といいます。あなたにお会いできて嬉しいです」


『はじめまして。私は秋月桜。私もあなたに会えて嬉しいわ』


 おっとりとした声が耳を通り、柔らかな笑みが黒い靄の奥で見える。


「えと、桜さんとお呼びしてもいいですか?」


『ええ。もちろん。私も雪月ちゃんと呼んでもいいかしら』


「はい。もちろんです」


『ありがとう。雪月ちゃん。ここまで来るのは大変だったでしょう。会いに来てくれて、本当にありがとう。そしてごめんなさい』


「え……?」


 この世界で今まで何度も聞いてきた言葉。だけど桜さんが声にしたその言葉は、誰よりも重く深く私の耳に残る。


 心なしか心臓が不安そうに動く。そして胸の辺りがざわざわと騒ぎだす。


『あなたには始まりの救世主を殺してもらいます』


「は……?」


 今、桜さんは殺すって言った。


 誰が。

 私が。


 誰を。

 始まりの救世主を。


 何を言っているのかは理解した。したけど……。


「どうして、殺すんですか……」


 情けないくらい震えた自分の声が耳に届く。


 これは予想外すぎる。今まで私は、この世界で私が殺されたり死なないよう注意しながら生活してきた。それは私の命だけを優先して考えることができていたということ。それが突然ここに来て、私が命を奪う側になる可能性が出てきた。回避できるなら……いや、回避できなくても回避したい。だけどさっきの桜さんの声色や表情からして回避不可能のように感じる。


 ……この流れで私が考える最悪は、始まりの救世主を殺さなければ元の世界へ帰れないこと。そしてもしその最悪になった場合、私は命を奪えないということ。つまり帰る方法がなくなる。


「……」


『今この世界を造り出しているのが始まりの救世主だからです。彼女を殺さなければこの世界は歪んだままになってしまいます。だからこの世界を本来の姿に戻すために彼女を殺さなければなりません』


「もし、できないと言ったら……」


『あなたはこの世界から出ることができず、一生をこの世界で過ごすことになります』


「他に方法はないんですか」


『ないわ』


「そう、ですか……」


 始まりの救世主を殺して元の世界へ帰るか。

 始まりの救世主を殺さずこの世界に残るか。


「……」


 絶望的な状況に感情が追いつかない。


 今の私を占めるのはただただ何も考えず叫んで暴れまわりたいくらいの気持ちだけ。


「……」


 ここに喚ばれて初めて出された選択肢よりも究極だ。


 それでも、私は--。


「ウォン! ワンッ!」


「ルナ? どうしたの?」


「ウォン。クウ」


 私の背中と左右にぴったりとくっついたルナに問いかけながら、そのふわふわな毛を撫でる。


「ウォン」


「え?」


 ルナは私の顔に自分の顔を擦り寄せ、桜さんを呼んだ。そしてルナに呼ばれた桜さんは眉を下げ笑って頷いた。


『ええ、そうね。あなたの言う通りだわ』


「ワンッ!」


『雪月ちゃん。本当はその方法だけではないの。もう一つ方法があるわ』


「それは本当ですか……?」


『ええ。だけどその方法が成功する確率は無いに等しいの。だから私はその方法を選ばなかった……いいえ。選べなかったの』


 私は殺す以外の方法があると聞いて安心した。それが例え成功する確率が無いに等しくても。ほんの少しでも可能性があるなら、と。だけど桜さんは最後に選べなかったと言い直した。それはつまり成功する確率以外にも何かあるということ。


「……成功する確率が低い他に、その方法を選ばなかった理由があるんですか」


『ええ』


 気配でなんとなく桜さんが目を伏せたのを感じる。私は桜さんが話してくれるのをじっと待つ。そんな私たちの回りには少し重い空気があって、時折ルナが安心させてくれようと私の顔に自分の顔を寄せてくれる。リーヤとエドさんは静かに桜さんを見ていた。


『雪月ちゃん』


 私の名前を呼んだ桜さんは続けて『あなたは未来を捨てられる?』と問いかけてきた。


「み、らいですか……?」


『そう。失敗した場合は始まりの救世主によって魂だけが生かされ続け、痛みや絶望を永遠に与えられ続ける。二番目の救世主が失敗してその状態になっていたわ』


「……」


『眠ることも狂うことも……死ぬことすら叶わない状態で魂だけが始まりの救世主(かのじょ)によって生かされ続けるの。どう痛め付けるか、どう苦しめるか全て始まりの救世主(かのじょ)の気分次第』


 桜さんの言う二番目の救世主の状況を想像して、ぶわっと恐怖心がやって来る。そして恐怖を誤魔化すように口を開く。


「桜さんは、どうやって二番目の救世主のその姿を見たんですか」


『呼ばれたの……始まりの救世主に。そこで二番目の救世主のその姿を見たの』


「……」


『そして笑顔で「ワタシヲスクッテクレル?」とノイズ混じりの声で問いかけられたわ』


「っ……!」


 --ねえ、私を救ってくれるでしょう。だってあなたは救世主(・・・)だもの。


 声と共に見える、顔。


 それはとても愉しそうに歪められ、そして心臓を鷲掴みにするような冷たさを持った笑みで桜さん(わたし)を見ていた。


『無理だと思ったわ。私に始まりの救世主(かのじょ)を救うことは絶対にできないと思ったの。そして恐怖に飲み込まれて動けなくなった。そのとき二番目の救世主の言葉が頭の中で聞こえたの。彼女は「自分たちが帰るためにはこの世界を正しい姿に戻さなければならない。だから私は始まりの救世主を救おうとした。だけどそれは無理だ。もう残されている選択肢は始まりの救世主を殺すことのみ。迷わず殺せ。君だけでも元の世界へ帰るんだ」と。今でも彼女の声、言葉を鮮明に思い出せる。それくらい私の中で衝撃的だったわ』


「……」


『殺らなければ二番目の救世主のようになる。それを二番目の救世主は望んでいない。それなら殺るしかないと覚悟を決めたの。でも結果として私は失敗した。そして始まりの救世主に「あなたは救世主じゃない」と否定されてしまった』


「それでその姿に……」


 救おうとして失敗すれば、魂だけが生かされる。

 殺すのに失敗すれば、不浄にされる。


 逃げ道のない選択肢。でもどちらかを選んでこなさなければ、帰ることができない。


 その前に--この世界の正しい姿ってなに。


 そういえば……この世界と救世主に関することが書かれたノートを桜さんが持ってるってエドさんが言っていた。


 そこに書かれているこの世界とは、どの世界のことだろう。


「……」


 始まりの救世主が造った世界なのか。それとも始まりの救世主を喚んだ世界のことなのか。


 --あなたは私たちの救世主なの。この世界じゃない。私たち転移者を救ってくれる人。


 過る楓さんの言葉。


「私は、救世主のための救世主……」


 口から零れ落ちた言葉が鼓膜を震わせた。

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