2
あれから数分、ぎゃんぎゃんと私の回りで言い争いのようなことが起きている。
言い争うのはいい。だが私を抱き締めたままするのはやめてくれ。本当に。迷惑だ。
「あのー、皆様。救世主様がお困りですよー。いい加減になさいませんと、私がとめますよー」
間延びした話し方をする、ふんわりとした声が耳に届く。私は声の主を見ようと首を動かす。
「……」
見えない。男たちが邪魔で見えない。
本当にいい加減放してくれないかな。動きづらいんだよ。しかも見たいのに見えないし。
「あのー、皆様。固まっていないで救世主様を早く放していただけますかー?」
その声に全員が息を飲む音が聞こえた。何だろうか。ぴりっとこの人たちから緊張感が伝わってくる。声の主は怖い人なのか。すごくふんわりとしていて優しい声なのに。
「クロウ様、ドウマン様」
名前を呼ばれた二人が顔を青くしてぱっと離れる。いや、クロウの顔色は見えなかったがドウマンの顔色から推測するに恐らく青いだろう。なので青くなくても青いということで。
そしてようやく離れてくれたな。私は誰にも気づかれないように安堵の息を吐く。
「私が救世主様をお部屋まで案内致しますので、皆様解散してくださいませー」
「いや、護衛の俺たちが……いえなんでもありません。お願いします」
「……」
いまだ声の主の顔を見ることができていないのだが、恐らく怖かったんだろうな。言葉の最後のほうなんか声小さかったもの。
あら、ということは今からその怖い人と私は二人っきり。
「……」
ごめんなさい。これフラグですか。死の亡的なフラグですか。それはまだいいかなあ。去ってくれないかな。死の亡的なフラグ。
いろいろ思っていてもしかたない。そう思い顔を上げると、いつの間にか皆がいなくなっていた。去るの早いな。
「では行きましょうかー。救世主様」
その言葉を聞いて声の主の顔を見る。そして私は固まった。
……美人がいる。すっごい美人がいる。深い青色の瞳にふっくらとしたピンク色の唇。綺麗な白い肌。瞳と同じ深い青色でふわっとウェーブがかかっている髪。胸とか……駄目だ。これ以上彼女のことを考えると私が変態になる。
もう一度だけ……すごい美人がいる。
ただし怖い美人かもしれない。何が怖いとかわからないけど。あの人たちが黙って下がったくらいだから、たぶんかなり怖い。
「どうかなさいましたかー?」
「え?」
私より少し高い彼女は少し屈んで私の顔を覗きこんだ。そして美人の彼女と目が合う。
「考え事ですかー?」
「あ、まあ、そうですね」
「そうですかー。それはお聞きしてもよろしいことですかー?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。ただあなたがとっても美人さんだなあと思っていただけなので」
「美人さん、ですかー」
「はい」
「ありがとうございます。初めて言われましたー」
「そうなんですか?」
「はいー。この世界には可愛らしい救世主様や美しい救世主様がいらっしゃいますのでー」
……あら。これは遠回しに攻撃されてるのかしら。いや、事実を述べているだけかもしれない。そうか。他の救世主様とやらは可愛い人や美しい人なのか。そうかそうか。
……ん。ちょっと待てよ。他の救世主様、だと。つまり私一人じゃない。ということは、だ。私は必要ないんじゃないか。つまり帰る方法をばりばり探してもいいじゃないだろうか。
でもだったらどうして死ぬ選択肢を出されたんだ。まさか帰る方法がそれしかないなんて言わないよね。絶対に生き返ることできないと思うんだけど。だってあの時の国王の顔は本気だった。この世界を救う気のないやつは死んで当たり前みたいな顔してたもの。だから死ぬことは帰る方法ではないはずだ。
とりあえず他に救世主様とやらがいるのか聞こう。うん、そうしよう。
「あの、救世主様ってたくさんいるんですか?」
「いましたよー。ですが歴代の救世主様は天寿を全うされてお亡くなりになっていて、今はあなた様だけですよー」
それ、たくさんいるって言わないんじゃないかな。え、言わないよね。私が間違っているのか。いやいや間違ってないはず。ここは他の救世主様とやらが来る可能性について聞いてみるべきだろう。来るならば私はその人に任せて帰る方法を探す。全力で。
「あの、私一人だと救えるか不安です。それで、その私以外に来る可能性はありますか?」
「ないですねー。救世主様が一人いらっしゃると、別の救世主様はこちらへ来られないようになっているみたいなのです。なので別の救世主様がこちらへいらっしゃるのは、あなた様がお亡くなりになったときですよー」
「私が、死んだとき……」
ちょっと待って。それってやっぱり死ぬことは帰る方法ではないということだ。つまり国王が言った『死』という選択肢は、文字通りの意味。
いやいやいやいやいや。何でだよ。知らない世界で知らない人間の前で死にたくない。いや、待てよ。天寿を全うして死んだ場合はどこへ行くのだろうか。もしかしたら、もしかするかもしれない。国王の言った『死』は殺すということ。天寿を全うしての『死』は寿命。無理矢理感はあるが、帰ることができるかもしれない。まあ、その際はこの世界で生き続けなければならないが。そしてこの世界で寿命を迎えてしまうと、元いた世界でも寿命を迎える可能性があることも忘れてはいけない。それはうまい具合にこの世界の時間の流れが、私のいた世界より早いということを願うしかないわけで。
「あの、亡くなった救世主様はどうなるのですか?」
「どうなるとはー?」
「例えば、体が光に包まれて消えるとか。泡になって消えるみたいな」
「ああ。そういうことですかー。亡くなったことが確認された瞬間に心火という炎で魂ごと燃やします。そしてこの世界の命になり、二度と輪廻の輪に戻ることができないようになりますー」
「それはつまり元の世界に帰ることができないということですか?」
震えそうになる声を必死に隠して問いかける。心臓がばくばくとうるさい。
「できませんよー。救世主様はこの世界の神と同じ。私たち人類に愛される存在です。愛する人を誰か別の世界になんてあげませんよー。ずっと私たちと一緒ですー」
その言葉に背筋が凍り付く。狂っている、と思った。それ以外のうまい言葉が見つからない。一方的な意見だ。だって『あげない』って最初っからこの世界にいたのなら、百万歩譲ってわかる。だけど救世主は別の世界から来ているのだ。あげる、あげないの問題ではない。だがそれを言っては駄目だ。武力的にこの世界の住人のほうが上だし。下手なことを言えばやはり私に待っているのは『死』だ。
「……」
ちょっと待てよ。今私がした質問も私が元の世界に帰りたいと言ったようなものじゃないか。あ、やっちゃった……。最悪だ。
「救世主様は元の世界に帰りたいのですかー?」
さ、さっそく突っ込まれたああああああああ。鋭い。鋭いぞ、貴女。いや、普通に聞き逃しできないことですけど。できればスルーしてほしかったな、なんて。
「いえ、どうなるのかなと単純な疑問です。だってもしこの世界で過ごしていくうちに、皆さんのことを好きになったら離れがたくなってしまいますし。それに何よりも寂しいですから」
この数分で私の演技力とか嘘を吐くのが上手になった気がする。そうじゃないと死にそうなんだもの。
「そうですかー。ですが救世主様。そのような言葉は二度と口にしないほうがよろしいですよー。私だったから大丈夫ですが、国王様などにお聞きになられていたら疑われて大変でしたよー。私はあなた様にいなくなってほしくないのでお願いしますー」
「はい。二度と口にしません」
「はいー。それではお部屋へ行きましょうかー。これ以上、救世主様に立ち話をさせてしまうのは忍びないのでー」
「あ、ごめんなさい。私が引き留めたから」
「いえ、救世主様はお気になさらないで大丈夫ですよー。では出発です」
とりあえず彼女が歩き始めたので着いていく。もちろん少し後ろをだ。
……はあ、今の数分で私の寿命がかなり縮んだ気がする。もう嫌だなあ。平和な時間を過ごしたい。