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あのあと場所を移して話すことになり、草原へやって来た。
歩いている間は私も団長さんも一切口を開かず、ただ黙々と草原へ向かって足を動かすだけだった。そしてルナは私を守るようにずっと私と団長さんの間にいてくれた。
その重苦しい沈黙を引き連れてたどり着いた草原。そこはやはり見渡す限りの緑で。いや、所々に黄色や白色などの色も見える。風が吹くたび草花が揺れて、草花独特の香りが鼻に届く。それを思いっきり吸い込めば、新鮮で綺麗な空気が肺を満たす。
「ふ、ふふ……」
おばあちゃんの家に行ったときのような懐かしさと穏やかさのあるこの場所に頬が緩む。
過ごしやすい春のような暖かさ。
ささくれていた心に染み渡る優しい空間だ。
「クゥ?」
「ん?」
「ウォン!」
「うん、そうだね。あったかいねえ」
ルナの頭を撫でて、振り返り少し後ろにいる団長さんに声をかける。
「団長さん。どの辺りでお話しますか?」
「っ……」
「団長さん?」
「あ、申し訳ありません。私はどこでも大丈夫ですよ。救世主殿はどこがよろしいですか」
そう問いかけられて私はもう一度辺りを見る。
「それじゃあ、あそこのお花が咲いているところにしませんか」
「はい」
「ワン!」
とりあえず話す場所が決まって歩き出すと、ルナが楽しそうに一鳴きして走り出した。そして少し行ったところで立ち止まって振り返る。その顔がなんと言うか、きゅるんとしていて可愛い。
「ルナ。おいで」
「ウォン!」
「わっ……! ん、ふふ、よしよし。いいこだね」
「ウォン! ワンッ!」
くるくると私のそばで回るルナ。尻尾がぶんぶんと左右に揺れている。
愛しさが溢れてきてわしゃわしゃとルナのお顔を撫でる。
「ワンッ! ワンッウォン!」
「ありがとう。あなたのおかげで私は穏やかな気持ちでいられる」
「ウォン」
「ん、ふふ、うん。ありがとう」
ルナは一鳴きすると、私の鼻にちょんと鼻をくっつけて首を傾げる。そして私の右肩に顔を置いて頬擦りしてくれる。
今の私の心がここまで穏やかでいられるのはルナがいてくれるおかげ。団長さんと二人だけだったら状況が今と違ったかもしれない。
「……」
「クゥ?」
「……本当に、ありがとう。そばにいてくれて」
「ウォン」
私はルナを抱き締め、そのふわふわな毛に顔を埋める。
***
お花が咲いているところまで着いて、立ち話もなんだから座りましょうと提案すると了承してくれた。そして座ろうと腰を落としかけたところで、団長さんから静止の声がかかる。疑問に思いつつ体勢を直して団長さんの動きを見ることにした。すると団長さんが懐からハンカチより大きめの綺麗な織物を取り出し、迷わず私が座ろうとしていたところに敷く。
「どうぞこちらに」
「……」
団長さんと団長さんが敷いてくれた織物を交互に見る。
とっても高そうな織物に見えるんだけど。質感とか色合い的に。ねえ、これ絶対に高いよね。私のお尻で踏んでもいい値段のものじゃないと思うんだ。それに触った感じ土だって別にぬかるんでたり湿ってるわけじゃないから、払い落とせばそこそこ綺麗になると思うし。だから、うん。
「あの……」
「どうかされましたか?」
「お気持ちは嬉しいのですが、直に座るので大丈夫ですよ」
「……」
そう言うときょとんとして首を小さく傾ける団長さん。
「救世主殿のお召し物が汚れてしまいますので。救世主殿は気にせず、どうぞこちらに」
「……」
「この色はお気に召しませんか」
「いえ、色合いの問題ではなくてですね……」
「では、何が気になりますか?」
「野暮なお話ですが、その、お値段が……」
「値段、ですか?」
「はい。とても高級そうな織物なので私が座って汚してしまうのは申し訳なくて……」
団長さんはまたきょとんとして私を見つめる。少しの間見つめ合っている状態が続いていたのだが、突然団長さんが息を漏らした。そして笑っているのを隠すかのように左手で口元を覆う団長さん。
いや、あの、肩がすっごく震えてますよ。それに見えている目が笑ってますし。隠せてない。隠せてませんよ。団長さん。
そう心の中で団長さんに突っ込む。
「ふ……失礼致しました」
「いえ」
「救世主殿が気になさるような値段のものではありませんので、どうぞお座りください」
「……」
「では、私を立てると思って座って頂けないでしょうか」
「あ……ごめんなさい。ありがとうございます」
高そうな織物を汚さないようにと過度な遠慮をしてしまった。そうだよね。駄目だったらまず出さないだろうし。むしろ今の遠慮の仕方は失礼な行為だ。素直にお礼を伝えて座ればよかった。
「こちらこそ気を使わせてしまい申し訳ありません」
「い、いえ! こちらこそごめんなさい! 失礼します……!」
このままでは謝罪合戦になってしまうと思い高そうな織物の上に座る。
「っ……!」
手に触れた織物の質感がとても滑らかで気持ちがいい。
「お気に召しましたか?」
「え? あ、はい。とても」
「それはメラグルカ特産の織物なんですよ」
「メラグルカ?」
「ええ。ここより西にある織物で有名な街があるのです。そこがメラグルカ。私とルナの主人だった人の故郷です」
「……」
「……」
「クゥ」
「ルナ。おいで」
「ワンッ」
「いいこだね。団長さんも座ってください。私だけ座って楽しているのは悪いです。それにゆっくりお話ししたいですから」
「っ……はい。それではお隣に失礼致します」
「はい!」
「……」
団長さんが隣に座ったのを確認してから話し出す。
「まずはさっき私が体当たりした理由をお話ししたいと思います」
「はい」
「さっき団長さんが前の救世主と私のことを言っているときに、黒い靄のようなものが団長さんの影と背中側から出ていたんです。だから黒い靄に包み込まれる前にどうにかしなきゃと……」
思った、と同時に体が動いていた。
それをちゃんと言葉にして伝えてから思う。
私は、この人を助けたかったのだろうか。
私は、あの時この人を見捨てることができたのだろうか。
いや、結果的に無事だったのはよかったと思ってる。そして『見捨てる』という選択をしていたならば、恐らく私は死んでいただろう。なんとなくだがそう思う。だから私の選択は間違っていなかった……。
そう思うのに、なぜかざわざわと心がざわつくのだ。




