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 精神世界(あそこ)から戻ってきたのか、体が重い。ふっと重い瞼を開けると。


「ぐっ……ごほっごほ……!」


 突然、息苦しさと言うのか何なのかが襲ってきて咳き込む。


 すると右隣から息を飲む音が聞こえた。そして慌てたように誰かが私の上体を起こしてくれて、支えながら背中を擦ってくれる。


「大丈夫か? ゆっくり呼吸して」


 すごく近くで聞こえてくる声はギルベルト・フライクのものだ。


 視線を下から少し右上に移すと、彼の顔があった。そして意味もなくじっと見ていると、目があってギルベルト・フライクは安心したように表情を緩ませた。


「……怪我、ない? 大丈夫?」


「っ……俺は大丈夫だよ。ただ君を擦り傷や切り傷だらけにさせてしまった。ごめん」


「大丈夫。あなたが無事ならいい。それに擦り傷や切り傷なんて生きていたらできることあるし、森の中を無我夢中で走り回ったりしたから仕方ないよ」


「本当に……ごめん」


 ギルベルト・フライクが苦しそうに顔を歪め、謝る。


 ふっ、と私は彼を安心させるように表情を緩める。そして。


「謝らないで。私なら大丈夫。それからありがとう。水の中から助けてくれたのあなたでしょ?」


「うん……」


「ありがとう。あなたのおかけで怪我だけですんだよ」


「……俺こそ、ありがとう。君のおかけで無事だ」


 彼の言葉に笑みを深め「どういたしまして。あなたが無事でよかった」と言うと、それを見たギルベルト・フライクはぎこちなくだけど笑い返してくれた。


「ふー……」


 それにしても水の中にいたからなのか、沈んだからなのか体がとてもだるい。気を抜いたら眠ってしまいそうだ。


 だがしかし寝たら駄目だぞ。寝た場合、疲労困憊であろうギルベルト・フライクが私を安全なところまで運んでくれる可能性が出てくる。


 それは、嫌だなと思う。


 彼が無事だったことは本当に安心しているし、私を助けてくれたことにも感謝してる。だが、それで信用に足る人物かと言われるとそれは違う。人の心に寄り添うような、人畜無害の演技が上手い人間かもしれないのだから。油断してはいけない。


 だから絶対に寝るわけにはいかないのだ。


 重くなり続ける瞼を必死に開け続けて、意識を保つ。


「雪月」


「ん、なに?」


「俺が支えるけど、宿まで歩けるかい?」


「うん、大丈夫。ごめん。ありがとう」


 私の返事を聞いた彼は、ほっとしたように笑った。そして器用に立たせてくれて、すっと私の腰に手を回し支えてくれる。


 横目に彼を見ると、先ほどの笑顔とは違いどこか苦しそうな表情(かお)をしていた。


「……」


 大丈夫、とは聞かない。彼自身が言ってくれたことだから。だから早く足を動かして宿に戻ろう。そうすればギルベルト・フライクは休める。


「雪月。ゆっくりで大丈夫だからね。きつくなったら言って。休むから」


「ありがとう」


「うん」


 ……さっきから思っていたけど、彼はいろいろと私に気を使ってくれている気がする。何と言うか私が嫌だと思いそうなことは極力避けてくれて、彼が思う私の許容範囲から少し遠いところで線引きをしてくれているような感じ。近くに来すぎず、けれど手が完全に届かない距離ではなくて。


 疲れる、よね。ずっとそういう風に距離を測るのは。ただ私が楓さんを通して視た世界は、いろいろ思惑入り乱れるものだったから。


 ごめん、だとか。悪い、なんて思ったら私が疲れるし消耗していく。


 あー、駄目だ。いつにも増して頭が働かない。いろいろと考えるのは今度にしよう。


 そう決めた後からは、ただ無心で足を動かした。



         ******



 宿へたどり着き、ギルベルト・フライクが部屋まで支えてくれた。


「ここまで支えてくれてありがとう」


「どういたしまして。ゆっくり休んでね。あ、でも何か困ったことがあったら時間を気にせず呼んで。すぐ駆けつけるから」


「ありがとう……。あなたもゆっくり休んでね」


「ああ」


 笑顔でギルベルト・フライクを見送って、扉を閉める。そして忘れずに鍵をかける。


「ふー」


 ずるずると扉に背を預け座り込む。


 疲れた。すっごく疲れた。眠い。


 ああ、でもお風呂にだけは入りたい。


「よし……!」


 疲れた体に鞭を打って立ち上がり、お風呂の支度をする。


 そして中へ入り手早く丁寧に洗い、お風呂から出てバスタオルで拭く。その後に着替えたら、歯を磨き寝る支度を全て終わらせる。


「寝る、だけ……」


 うとうとしているからなのか、足取りがおぼつかない。


 薄れる意識のなか、ベッドにあった布団を掴みクローゼットを開けて中へ入る。そして寝やすい体勢にしてクローゼットの扉を閉める。


 この世界へ来てから、安心できるような状態じゃなくて。寝るときが一番不安だったと言っても過言ではない。だからベッドとかすぐ見つかりそうな場所じゃなくて、クローゼットの中とか部屋の隅のほうで小さくなって寝続けた。それはどこへ行ってもそうで。


「……」


 少しの物音さえ敏感に感じ取って目が覚めるのも常になってきている。


 だからこうして体が疲れて睡眠を欲する体に、私は恐怖にも似たような感情がある。だけど寝なければ……。


 大丈夫。明日も無事に朝を見られる。


 大丈夫。大丈夫。


 呪文のように頭の中で呟きながら目を閉じる。


「おやすみなさい……」


 意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。

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