月とすっぽん
私の通う学校は二クラスに分けられている。
一つは「月クラス」。主に入学試験の上位者、推薦で入ってきた子たちが所属するクラスだ。
もう一つは「すっぽんクラス」。月からあぶれた子たちのクラス。月クラスに比べると三倍近くがこちらに分類される。
ちなみに、私もすっぽんクラスだ。
ま、あらゆる面で平々凡々な私が月クラスに入れるなんて、夢にも思っていなかったけどね。
この学校では、月もすっぽんも同じような科目で、また同じようなレベルの授業を受ける。学力という点では全く差はない。
けれど、明らかに違う点は、お昼……"給食時間"にあるのだ。
――――。
今日もお昼を告げるチャイムが鳴る。
すっぽんクラスの子たちの肩がこわばり、ほぼ同時に月クラスの方から浮足立った声が聞こえてくる。
こうして見ると、すっぽんクラスの人数もすっかり減ってしまった。
今では月クラスの四分の一にも満たなくなった。
あれだけ賑やかだったこのクラスも、今では静かなもんだ。
『――給食の時間になりました。月の人たちはこれから、すっぽんの人たちを見つけ出し、食事を開始してください』
いつも聞き慣れた電子音声の放送が流れる。
『そして、すっぽんの人たちは、自由行動です。大人しく月の人に食べられるもよし。給食時間の終了まで逃げ続けてもかまいません』
その音声が終わる前に、すっぽんクラスの面々は立ち上がり、散り散りに教室から出ていく。
当然のことだけど、このまま黙って月に食われる酔狂物はいない。
「……! しま……ぎゃあああぁぁぁ――――……」
みんなが教室から出る前から、月クラスの人が待ち構えていたようだ。
さっそくすっぽんの一人が月に食べられた。……私も早く逃げないと。
すっぽんの血で赤く染まった出入口から、そっと教室を抜け出す。
うまく月に見つからずに廊下に出られた。
このまま一息に、階段を降りて体育館の方へ向かう。
体育館特有のあの広い空間は、月側としてはすっぽんに逃げられやすいので、時間内に食べられなくなる可能性が高い。
逆を言えば、すっぽんとしては逃げ切りやすい。それに、万が一には用具倉庫に飛び込んで内側から鍵を掛ければこの上なく安全だ。
つまり、この月とすっぽんの追いかけっこには人気のない、すっぽんにとってはいわば穴場スポットになっているのだ。
まぁ、鈍くさかったり逃げ足の遅い子はそれでも食べられるんだけど。
そもそも、そういう子たちは今となっては絶滅種。
なので今は、月側としても楽に獲物を捕らえられるよう、他の場所へ行くわけだ。
その情報を知る人は、意外とあまり多くない。
私だって、つい最近、クラスメイトの悟くんに教えてもらって初めて知ったのだ。
……頭が良く、運動神経も抜群で、すっぽんクラスでも人気者の悟くん。
私も、彼に少なからず憧れを抱いていた。
この給食の時間だって、一人でも食べられる人を少なくするように考えて、率先してみんなを導いていた。
なぜ、そんな彼が月ではなくすっぽんクラスにいたのか……それは誰もわからないし、彼もわからないようだった。
……そうして先日、彼は私の目の前で月に食べられてしまった。
逃げる際にヘマをした私を庇うために、犠牲になったのだ。
数人の月によって身体をねじりあげられ、四肢を千切られ、滴る生き血を吸われ、潰れた肉を貪られた。
放心したはずの心で、私は「どんな素敵な人でも、あんな風になってしまうんだ」と他人事のように思った。
ともかく、今私がここにいるのは悟くんのおかげ。
彼の分まで生き延びないと。
途中、月に遭遇してしまったけれど、幸い他のすっぽんを食べるのに夢中でやり過ごすことができた。
そして渡り廊下を突っ切って体育館の扉を開く……。
「……な、なんで……」
そこは、すでに月の人たちで埋め尽くされていた。
待ちわびたような表情で、みんな私に近づいてくる。
「やっと来たか」「うまそうな子だ」「いいか、一人一口ずつだぞ」
月たちの声を幻聴のように鼓膜に響かせながら、私はすぐに納得した。
そうだ。
教室からここまで、私は一人も生きたすっぽんを見ていない。
すでに食べられた残骸や、食べられている最中の子しか見ていなかった。
……つまり。
「私が、最後のすっぽんってこと……」
なら、私がここで食べられてしまえば、この長い鬼ごっこは終わる。
月とすっぽんのヒエラルキー。
人を分類して食べさせ合うこの悪夢がここで醒めるなら、それはそれでいいのかもしれない。
私は掴まれた左腕に激痛が走るまでの刹那、久しく感じていなかった穏やかな気分で、目を閉じた。
ほんの少し、憧れの彼の笑顔を思い浮かべながら。
――――。
……ゆ。
み……、みゆ……。
「ねぇ、みゆ!」
隣の席の友人に揺すぶられ、目が覚める。
……なんだ、寝てたのか。
うーんとひとつ伸びをする。
痺れはしてるけれど、左腕の感覚もちゃんとある。
「もう~! 寝ながらうなされてるから、焦ったよ~」
「う~ん。昨日ちょっと夜更かししちゃったからかな……」
おかげで変な夢も見てしまった。
「月とすっぽん、か」
私がすっぽんになって、月に食べられる夢。
同じすっぽんであるクラスメイトも、憧れの悟くんまで月クラスの人の犠牲になっていた。
まあでも、あれはあくまで夢であって、現実はそんなことはもちろんない。
私は現にここにいるし、クラスメイトも誰一人いなくなったりしていない。
悟くんだって、ちゃんといる。
少し照れくさくなって、私は自分のお腹をさすった。
「あ、もうお昼が始まるよ」
――――。
友人の声と同時に、聞き慣れたお昼のチャイムが鳴った。
クラスの子たちが、少し浮足立った表情でスピーカーを見上げる。
『――給食の時間になりました。月の人たちはこれから、すっぽんの人たちを見つけ出し……』
電子音声が終わる前に、数人のクラスメイトは立ち上がり、意気揚々と廊下へ出ていく。
「最近はすっぽんの数が減ってきてるから、食事にありつけない時があるからねぇ……」
友人のつぶやきも最もだ。
私だって、最近はよくお昼を食べそこねてしまう。
最後に食べたのは、そう……数日前。
最後に食べたあの人の感触を舌で転がしながら、私はもう一度お腹に手をあてた。
思い出せば思い出すほど、さっきの夢は変だった。
私は月クラスなのになぜかすっぽんだったし、悟くんは他の人に食べられちゃってるし……。
彼は、他の誰かが食べたんじゃない。
彼はちゃんと、ここにいるのに。
ねぇ? 悟くん?
「さ、行こう! 今日はどんなすっぽんがいるかなぁ」
「まあまあ、そんなに急がなくてもすっぽんは無くならないよ。……ま、逃げはするけど」
友人に手を引かれながら、私も教室をあとにした。
ほんの少し、憧れの彼の笑顔を思い浮かべながら。
……私たちはまだ、月とすっぽんのヒエラルキーからは抜け出せずにいる。
ま、それでもいいけど。
すっぽん美味しいしね。
お読みいただきありがとうございました!
ちなみに作者は、スプラッタ系を観るのはそんなに得意ではありません(笑)